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Chron0//≠BreakerS  作者: 時任 理人
誰も祝っていない夜編

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104/121

EP109. ピクセルジャンプ

 ノード・ゼロ内部記録《局所観測接合事故/第一次報告》


 (双灯祭DAY1終了後/ノード・ゼロ非公開ログ)


 どうも、チイロです。


 これは、ミームでも冗談でもない。

 ユウマ、キミにだけ向けた、完全に私的な告白ログ。


 読んだら、スタンプはいらない。

 ……というか、笑ったら本気で怒る。


 ミーム投下と生物学的告白のハイブリッドみたいな文を、ユウマにだけ送るつもりで書いた。


 これは冗談でも遊びでもなくて、私が踏んだ“何か”についての本気の告白。

 半分はミーム、半分は手紙、全部でとんでもない量の後悔と動悸。

 ユウマ、キミのことをタナトスって呼ぶの、今日は許してね。


 キミにだけ、真実を預けたい。


 そして、双灯祭DAY2直前にこんなことして申し訳ない。


 ううん。直前だから保険をかけておきたい気持ちもあったことはここに吐き出させてもらうよ。


 記録者:雲越チイロ

 分類:理論誤読報告/危険因子抽出

 保管:ノード・ゼロ秘匿領域

 自宅にて


 ユウマ、こっそりこのログ見てるでしょ。

 ねぇ、来ない? 今度は逆バージョンだよ。


 むしろ来てくれ。


 あのときは、私がユウマの家に行った。

 非常に変な誤解もあったけど、今度は、逆にしようかなって、軽く思っただけ。


 とはいえ、キミを家に招く理由は、キミが私を家に呼んだ理由の更に比じゃないかもしれない。


 まず、最初に言っておく。

 これは厨二魔術でもホラーでもない。

 私は理屈で遊ぶのが好きなミーム女子だけど、今回のは“理屈が本当に暴れた”話をしたい。


 これから話をする着想の起点――

 《黒葬(Black Requiem)に関する初期解釈の誤読について》



 1. 黒葬の正規定義

 黒葬ブラックレクイエムとは、事象を削除する技ではない。

 事象を“世界の履歴から記録されなかったことにする”技である。


 発動時、

 ・光と音(情報キャリア)は零位相に圧縮され

 ・観測値は生成されず

 ・結果として「出来事は起きたが、世界には書かれない」


 黒葬は世界を書き換えない。

 世界に“書かせない”。


 ここが、全ての起点だった。



 2. 私が見誤った決定的ポイント


 黒葬の定義にある「虚数の地に座標を刻む」


 この一文。


 私はこの“虚数座標”を、

 「世界の座標系から外れた、別のロケーション」として解釈してしまった。


 つまり、

 ・正しい意味:記録不能な一瞬の非観測状態

 ・私の誤解:記録されないが、どこかに“在る”座標


 このズレが致命的だった。



 3. なぜ誤読が成立してしまったか


 (1) 虚数座標という言葉の罠

 虚数軸、位相空間、零位相。

 これらは普段、**「存在はするが観測しにくい」**ものを指す。


 だから私は無意識に「行けないだけで、座標はある」と補完してしまった。


 黒葬の虚数座標は“在らないことを保証するための演算上の置き場”なのに。


 (2) ログ空白地帯(white void)の誤解

 戦闘後に残る

 ・ログ欠落

 ・記録不能領域

 ・時空断層


 これを私は「観測できない“空間”」だと理解した。


 本当は「観測が存在しなかった“痕跡”」だったのに。


 空間ではなく、欠落そのもの。



 4. 誤読から生まれた危険な連想


 ここで、私の中にこういう連想が生まれた。

 「黒葬は、“座標を刻むが、記録されない”技だ。

  なら、記録されない座標を、観測側から指定できたら?」


 ――これが、これから話をするPixel Jump の原型。


 黒葬は記録を拒否するための虚数操作

 Pixel Jump は記録された観測像を、座標として踏み抜く操作


 真逆なのに、私は 「座標」という言葉だけで両者を接続した。



 5. 黒葬とPixel Jumpの決定的差異


 今なら分かる。

 黒葬は

 ・非記録化

 ・履歴沈下

 ・観測そのものの埋葬


 Pixel Jump は

 ・観測像の最大化

 ・履歴の実体化

 ・地層への直接接触


 黒葬が地層を沈める杭なら、Pixel Jump は地層を踏み抜く足。


 私は杭を見て、「この下には、立てる場所がある」と誤解した。



 6. 結論(反省)


 黒葬は“行けない場所”を作る技ではない。

 “場所という概念を成立させない”技だ。


 私は非記録化を**「未踏の座標」**として扱ってしまった。


 それが、「踏めば何かが起きる」という最悪の好奇心に変換された。



 付記:タナトスの意図との乖離


 タナトスが黒葬を使う理由は「勝つため」ではない。


 痛みを、記録に残さないため。


 私はその祈りを、技術的ヒントとして消費した。


 これが、私がこの理論を書き残す理由。



 Pixel Jump ―― 理論概要

 私はずっと「時空を連続体じゃなく、観測の集合=ピクセルとして捉える」というモデルで遊んでた。


 Pixel Jump はその延長。

 ・観測された像(写真・動画・夢)を離散化された時空セルとして扱う

 ・視覚情報が十分に一致したセルへ認識そのものを“跳ばす”


 要するに、「見たことがある場所には、理論上“行ける”」


 ……ただし、これはあくまでモデルの話だった。



 学術的に言えば

 《Pixel Jump》

 ・分類:空間跳躍型異能(次元座標認識)

 ・チイロ語での定義:観測像を“ピクセル”として視認する。

  視えたものは座標化できる。画像・記録・夢でも「視た」情報は座標として使える。

 ・コア・イメージ:時空を位相空間として離散化するイメージ。

  連続的な座標 (x, t) を「ピクセル」へ擬似的に量子化し、既知の視覚情報に対応するセルへ瞬間移動する。


 ・運用条件:

  1.対象の場所・時間を一度でも視覚的に捉えていること(写真や動画、夢のモザイクも含む)

  2.観測情報が「記憶」→「外部記録」→「時空インターフェース」に解釈可能であること

  ・理論上の可能性:過去・未来・別世界(多世界解釈の枝)への到達が、モデル上は「あり得る」。

   ただし「行ける」と「安全に戻れる」は別問題。


 これを聞いたらキミは「チイロが新しいネタで遊んでる」って笑うでしょ。

 でも遊びじゃなくなったのは私が実際に試してしまったから。


 なぜ試したのか(本当のところ)


 キミが黒葬っていう“とんでも技”を使ったのをはじめて見たとき、私の頭がチクチクと試行の灯をつけたんだ。


 「もし」「ここから」「あそこへ」っていう、ただの好奇心。

 ただ、好奇心だけじゃ動かせない。理屈で整えた。

 ノイズを整えて、視像をピクセルに変換して、座標マップを作って——つまり、私は実験した。

 ミームで言えば「IRLバグ検証」。

 

 さて、そろそろ雲行きが怪しくなってきたでしょ??


 実験ノート:理論枠組み


 以下は私なりの“理論的な枠組み”で、実験ノート風に整理したもの。


 1.時空ピクセル化モデル

 ・時空を連続体ではなく、観測単位ピクセルで近似する。

  各ピクセルは観測情報イメージを基点にラベリング可能。

 ・観測データ(写真、ビデオ、夢)は「観測テンソル」を形成する。

  テンソルの L2 ノルムとエントロピーを最小化できれば位相一致が起きる(視覚同定が高精度なら跳躍が安定する)。


 2.跳躍トリガー(非技術的)

 ・脳の視像再生と外部記録の位相同期が臨界点になった瞬間、私の認識がその座標セルを選択する。

  量子的には「選択的デコヒーレンス」に似る。要は、知覚が干渉計の片方を押しつぶす感じ。


 3.因果律と整合性

 ・正しく跳べば、その座標の“観測史”を踏襲する。

  観測史の外側(=その座標の他の因果連鎖)を触ると位相不整合が起きる。

  情報が欠けると「空隙ジャンプ」が生じ、時間の穴を踏むリスクが増す。


 4.多世界論的留保

 ・記録が示す座標は「一つの世界線上の観測史」を示すだけ。

  私の跳躍はあくまで「その観測テンソルが確定した枝」へ行く。

  だから、別世界へ行くことは理論上あり得るが、帰還が危険になることもある。


 余談:こういう位相やゲーティングの議論は、我らがラボとノード・ゼロで日常的にしてる話題の延長である。

    その為、過去改変や層理の話とも被るんだよね。詳しくは別のNOXログ参照。 


 実験実施 — そして踏んだもの


 私が使ったのは、写真一枚。私たちのいる天城総合学園の写真。

 私は手順を踏み、同期させ、視像を”ピクセル”化して跳躍のトリガーを引いた。


 結果――私は「過去の地層そのもの」を踏んだ。


 これ、比喩じゃない。体感はこう。

 ・重力感:過去の地層は「重かった」。現代の地面の重さとは別種の、時間の“層厚”の圧力が足裏にかかる。

 ・音:風や人声ではなく、層間の摩擦音——何層もの記憶が擦れる耳鳴りみたいなノイズ。

 ・視界:視界はフィルムのざらつきで満ち、現代の色が剥がれていった。

 ・触覚:「時間の固さ」。土が冷たいわけでも熱いわけでもなく、過去の出来事の“固さ”として反応する振動が伝わる。


 一歩足を踏み入れた瞬間、分かった。

 私は「座標に到達した」のではなく、「座標そのものに触れた」。

 私が靴で押し込んだのは単なる土ではなく、過去の出来事の階層だった。


 そして壊滅的な副作用


 ユウマ、ここで本当にヤバいことが起きた。

 私が踏んだ地層は観測テンソルの一部を「逆投影」した。

 言い換えれば、過去の一断面が現在の局所因果チェーンへ干渉し始めた。


 ・情報の逆流:過去の署名(小さな因果断片)が現在へ逆流した。

  一部の観測履歴が書き換わったように見える現象が局所的に発生。

  記憶の齟齬、証拠写真のノイズ再編、ログのタイムスタンプの微小ズレ。


 ・位相の亀裂:踏めば踏むほど位相の網が縮み、連鎖的に過去の地層が現在側に張り出してくる。

  地層が「ここからここへ」と、地理的にも時間的にもくっつき始めた。


 ・結合の本質:過去改変(アスミが扱う領域の履歴上の上書き)と違い、これは履歴の物質的結合。

  過去の断面が現代に実体的に接続される。

  システム(Chrono-Scopeやノード・ゼロの結合係数)が予測不能に振る舞う確率が高まった。


 説明が難しいけど、要するに——私の好奇心は世界の“地層”に針を突き刺してしまった。


 この「層」の感覚、自分でも信じられないんだけど、実験前に議論してた“層理モデル”と一致してた。

 あの模型の層面を触るときの、アスミの指先のイメージ、覚えてる?参考にしたよ。



 ここで、私はようやく理解した。


 黒葬は「非記録化」

 Pixel Jump は「記録への直接干渉」


 ……相性が、最悪すぎる。


 だから、キミを呼んだ。

 これは一人で抱えられる事故じゃない。



 ユウマ、キミはいつも冷静だ。

 だけど電話越しのキミは、今回は震えてたね。


 ごめん。


 言葉が裏返るのを見て、私も改めて背筋が凍った。

 


 キミの声にあったのは言語の精度じゃなくて“可能性の規模”。

 アスミの過去改変で起きる轟音より、もっと根幹を揺さぶるものだって、キミは感じ取ってた。

 だから取り乱したんだと思う。私も震えた。



 チイロ的 TL;DR:

 ・Pixel Jump は面白い。ただしその“楽しさ”は世界を巻き込む危険を含んでる。

 ・私は過去の地層を踏んだ。比喩じゃなく、物理に近い形で接続が始まった。

 ・これはアスミの過去改変の範囲を超える可能性がある。履歴の「上書き」より、時間の「接合」はヤバい。

 ・ユウマ、あなたにだけ言う。頼む、冷静でいて。怒って。私は今、非常に怒られるべきことをした。


 「チイロ、やらかした」— これが今日のトレンドワードになりそう。#PixelJump #踏んだ。

 でもハッシュタグで遊ぶ余裕なんてもう無い。


 だから最後に——

 ユウマ、私はもうミームじゃない、ただの人間で、すごく怖い。

 キミだけが、私を止められる可能性を持っている。頼む。

 

 局所時空接合現象の監視・隔離プロトコルを最優先で設計しなきゃヤバい。

 ユウマ、タナトスの知識が必要だ。


 だから、ウチに来て!お願い!




 岡崎ユウマ視点 雲越チイロ宅


 チイロの部屋は、異常に静かだった。

 いや、静かすぎた。

 電子音も、窓の外の車の音も、なぜか真空に吸い込まれるように消えていく。

 空気が重く、肺の奥まで鉛を流し込まれるような圧迫感。


 部屋に入った瞬間、わかった。


 ここはもう、現代だけの場所じゃない。


 空気が重い。

 音が、奥で潰れている。


 これは――黒葬を使用した場所と、同じ感覚。


 チイロは、アスミが以前彼女に渡した層状模型を、しばらく無言で見ていた。

 砂、黒土、石灰。

 時間を可視化したみたいな、整った層。

 ノード・ゼロにある箱のミニチュア版か?


 「……まず、はっきりさせよっか」

 声は低く、淡々としている。


 「アスミの“過去改変”と、私がやったこと。

  それから――ユウマの“黒葬”。

  この三つ、全部別物だから」


 俺は視線をチイロに向ける。


 「アスミがやろうとしてるのはね」

 チイロは模型の上層を指でなぞる。


 「履歴の上書き。

  起きた出来事の“層”を掘り出して、別の堆積物を載せ替える行為」


 指が止まる。


 「これは、“記録を書き換える”技術。

  危険だけど、まだ世界のルールの中にある」


 次に、彼女は層と層の境界線を強く叩いた。

 「でも私がやったのは違う」


 乾いた音が、部屋に響く。


 「私は“書き換え”をやってない。

  私は――記録そのものを支えている地層に触った」


 俺は、息を呑む。


 「黒葬はね」

 チイロは今度、模型の外側の空間を示した。


 「出来事を記録させない。

  世界のログに“書き込ませない”技」


 ――沈める。

 ――非記録化。


 「だから黒葬は、“世界の外”へ逃がす処理なの。

  消すんじゃない。書かなかったことにする」


 一拍。


 「でもPixel Jumpは、逆」


 チイロは自分の胸を指した。


 「書かれた記録を足場にする。

  観測された像を座標にして、そこへ踏み込む」


 言葉が、少しだけ震えた。


 「つまりね……私は、ログを踏んだ」


 俺の背中に、冷たい汗が走る。

 「チイロ、それは……まずい。お前ならわかるだろ……?

  過去の地層を踏むってことは、過去の“層”が物理的に現代と結合する可能性があるってことだぞ!?

  局所的な履歴の並列化、エントロピック逆転、人為的な履歴接合だ!!

  最悪の場合、過去の“痕跡”が現代にフィードバックしてくるぞ……!」


 チイロは少し怯えた様子で話を進める。

 「ログは“薄い”と思ってた。情報だと思ってた」


 チイロは、笑えない顔で続ける。

 「でも違った。ログは、圧を持ってた。

  時間は、重量を持ってた」


 模型の最下層を、爪でかすった。

 「アスミの改変は、“地層を削って積み替える”行為。

  危険だけど、まだ、工事」


 「私のは――」

 指が止まる。


 「地盤に直接、杭を打ち込む行為そのもの……」


 沈黙。


 「ねえ、ユウマ……杭を打たれた地盤は、どうなると思う?」

 

 俺が、答える。

 「……反発する」


 「そう」

 チイロは静かに頷いた。


 「過去が、反発した。

  観測の圧が、現在に逆流した」


 ここで、初めてチイロら俺を見る。

 「だから、あなたが怯えたのは正しい」


 「アスミの過去改変は、“嘘をつく”危険。

  でも私のは――」


 チイロが大きく息を吸う。

 「真実が、殴り返してくる……」



 しばらく、誰も喋らなかった。


 俺は模型を見たまま、低く言った。

 「……一つ、聞いていいか」


 チイロが視線を上げる。


 「どうして気づかなかった」


 一瞬、意味が伝わらない。


 「お前なら分かるはずだろ?なぜ、アスミの過去改変には、あれだけの反応を示せたお前が……

  それが危険な行為だってわかるだろ?」


 責める声じゃない。

 むしろ、困惑に近い。


 「ログに触れるってことは、“過去改変”でも“観測”でもない。履歴の支持体に手を突っ込む行為だ」


 チイロは、答えなかった。


 俺は続ける。

 「理論としては、分かってたはずだ。

  ログは薄い膜じゃない。

  圧を持つ、沈殿だ」


 拳を、無意識に握る。

 「なのに、どうして……」


 そこで、チイロが言った。

 「……危険だって、思ってたよ……。

  でもね、私が想定してた“危険”は、W1の層だった」


 模型の上層を指でなぞる。

 「直近の惨劇。最新の観測。

  一番“分厚くて、触りやすい地層”」


 指が止まる。

 「私は、そこに杭を打つつもりだった。明日の、DAY2の最悪の保険も兼ねれるかも?って」


 俺の喉が鳴る。


 チイロは、模型の最下層に触れた。

 「引っ張られたんだ」


 空気が、凍る。

 「ログは、私の思うように選ばせてくれなかった」


 チイロの声は淡々としている。

 「“重い層”が、更に下にあった……!!

  観測の密度が、桁違いだった……!!」


 俺の脳裏に、一つの名前が浮かぶ。

 「……りう、か」


 チイロは、頷いた。

 「W0。最初に“記録に殺された”人」


 模型の底に、影が落ちる。


 「W1はね、まだ“物語”だった。

  惨劇でも、事故でも、誰かが語れる」


 一拍。


 「でもW0のりうは違う」


 声が、少しだけ低くなる。

 「彼女は、語られなかった。

  記録はあるのに、理解も救済もされなかった」


 「……だから、真実の地層になった」


 「そう」


 チイロは静かに言う。

 「観測が薄い場所ほど、“真実”は沈むんだね。

  ……勉強になったよ」


 沈黙。


「私はね」

 チイロは、自分の手を見る。


 「W1を触るつもりで、世界で一番重い層を踏んだ」


 俺の呼吸が、止まる。

 それが分かった瞬間、チイロを見る。


 「お前が間違えたんじゃない……お前が世界に選ばれたんだ」


 その言葉が、責めでも慰めでもないことを、チイロは理解していた。


 正直、気が動転している。


 俺の鼓膜の奥で、かすかに“何か”が軋む音がする。

 まるで、世界の骨組みが、ゆっくりとねじれているような。

 彼女の告白をひと通り聞き終えた瞬間、俺の脳は赤い警報が鳴ったままだ。

 文字通り背筋が凍ったのは、アスミの独白の鞘を外した日の夜以来だ。


 チイロは、「過去に行った」んじゃない。

 過去を“踏み台”にした。


 観測地層を押し下げ、その反力で現在が歪み始めている。




 過去の地層。観測テンソル。逆投影。

 ——正直、タナトスの俺でも胃の底が冷たくなるスケールだ。

 アスミの真実の独白どころの騒ぎじゃない。

 NOXがこれまで扱った案件の中で、最悪級の“フィードバック”が起きるぞ。


 「……チイロ。もう一回だけ確認する。

  “触った”んじゃなくて、“踏んだ”んだな?」


 チイロは、笑いもせず、ただ小さく頷いた。

 その頷きが、まるで死刑判決のように重かった。



 本当にそうなら、チイロは過去に……タイム……そんな、馬鹿な……ありえない……。



 しかし、次の瞬間。

 ドンッ……! ドゴォォォォンッ!!!

 床が、跳ね上がった。


 いや、違う。床が“下から殴られた”。


 まるで巨大な拳が地殻を突き上げてきたみたいに、垂直に、容赦なく。

 本棚のファイルが一斉に飛び出し、床にぶちまけられる。

 コップが割れ、水が血みたいに飛び散った。

 俺の膝が浮いた。浮いたまま、床に叩きつけられた。衝撃が背骨を伝って脳天まで突き抜ける。



 地震?……震度は……?……いや、違う!


 これは震度の“表層”じゃない。深部から来てる……!


 チイロは、反射的に両手をついていた。

 だが——その顔が、壊れていた。


 白。

 真っ白。


 血の気が完全に引いて、皮膚の下の血管まで透けて見えるほど蒼白。

 瞳孔が、針のように細くなり、焦点が完全に外れている。

 まるで、目の前の現実が消えて、別の“映像”に置き換わったみたいに。


 「……ユウ、マ……」

 掠れた声。

 いや、声じゃない。

 喉の奥から絞り出される、息の切れ端。

 震えているのは声じゃなく、彼女の“認識そのもの”だ。


 これは、世界のレイヤーが、彼女の中で剥がれ始めている。

 「待て、チイロ! 何が視えて——!?」


 次の瞬間。


 「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁッ!!!!」


 耳が、裂けた……!!?

 本当に、鼓膜が物理的に破れるかと思った。


 ミサキの怒声も、アスミの絶叫も、全部可愛いものだ……!!

 これは、人間の声じゃない……!!

 本能の底から直接抉り出された、純度100%の恐怖……!!


 部屋全体の空気が、ビリビリと震えて歪んだ。

 チイロの身体が、反った。背中が浮き、爪先立ちになる。


 伸ばした両手が、宙を掻きむしる。

 何か“見えないもの”を、必死で押さえつけようとしている。

 指先が、ガクガク痙攣しながら、爪が肉を抉るほど食い込んでいる。

 自分の腕を、血が出るまで掻きむしっていた。


 「チイロ!! 何が見えてるんだ!!」

 俺はチイロに飛びかかり、肩を掴んだ。


 その瞬間、彼女の身体が電撃を受けたようにビクンッと跳ねた。

 触れた指先に、異常な熱と冷たさが同時に伝わってくる。

 まるで、彼女の体温が“二つの時代”で分裂しているみたいだった。

 「りう……っ! りうぅぅぅっ!!

  やめて……やめてぇぇぇぇっ!!

  あの揺れ……また来る……来てる……!!

  足が……足が折れる……!!

  壁が……壁が倒れてきて……息が……!!」


 彼女の目が、完全に裏返った。

 白目を剥いて、瞳孔が消えた。

 歯がガチガチ鳴っている。顎が外れそうな勢いで上下する。


 俺の視界が、歪んだ。

 チイロの“視ているもの”が、俺の網膜にも焼き付いてくる。


 これは……まさか……

 ——W0、最期の1時間……


 崩れ落ちる校舎。

 鉄骨がねじ曲がり、コンクリートが粉々に砕ける。

 生徒たちの悲鳴が、地鳴りに掻き消されていく。


 ブロンドヘアの少女が、瓦礫の下敷きになって、必死で手を伸ばしている。

 足が、折れている。

 血が、口から溢れている。

 「助けて……助けて……」と、掠れた声がまるで呪詛のように……。


 でも、誰も来ない。

 次の揺れが来て、彼女の身体が、ぐちゃりと潰れる。

 骨が砕ける音が、はっきりと聞こえる。

 肉が裂ける音が、耳の奥で鳴り止まない。


 チイロは、それを“今、ここで”体験しているのか……!?

 だとすると、地層が、彼女が踏んだ瞬間の記憶を、完全な五感で逆流させている。

 痛みも、恐怖も、息苦しさも、全部モロに。


 彼女の肺が、実際に圧迫されている。

 馬鹿な……!!

 肋骨が、軋むがする。ダメだ……なんとかしなければ……!!


 血の匂いが鼻腔をつく……


 「ユウマ……っ! りうが……りうが死ぬ……!!

  私が……私が殺した……!!

  踏まなきゃ……あの場所を踏まなきゃ……ごめんなさい……!!……ゆるして……!!

  こんなこと……こんなこと……!!」


 髪の毛が汗で張り付き、首筋を伝って滴る。

 全身が、激しく痙攣している。

 まるで、感電しているみたいに。


 俺は、初めて——本当に、初めて——心底、恐怖した。

 タナトスの俺が。

 NOXの俺が。

 こんなに無力感を味わったことはない。


 チイロが、目の前で壊れていく。

 俺の知ってるチイロが、二度と戻らないかもしれない。

 その恐怖が、俺の脊髄を凍らせた。

 「チイロッ!! こっちを見ろ!!」


 俺は、彼女の顔を両手で挟んだ。

 強引に、俺の目を向けさせた。

 彼女の瞳は、まだ完全に裏返っている。

 白目が、血走って赤い筋が無数に走っている。


 「見えてる……見えてる……瓦礫が……りうの顔が……潰れて……」


 「違う!! それは過去だ!! そこにお前はいない!!

  お前が今見てるのは、もう終わったことだ!!

  りうは——りうは確かに死んだ!!

  でも、それはお前のせいじゃない!!」


 チイロの身体が、さらに激しく跳ねた。

 「うぁぁああぁぁぁぁあああっ!! また揺れた……また……!!

  天井が……落ちて……!!」


 部屋が、本当に揺れた。

 いや、俺たちの周囲だけが、異様に激しく揺れている。


 位相が歪んでいる。

 過去の地震が、この部屋に“重ね書き”され始めている。


 壁に、ヒビが入った……本当に、入った。

 コンクリートに、蜘蛛の巣のような亀裂が走る。


 本棚が、倒れる。

 ガラスが、粉々に砕ける。


 観測地層が……「踏まれた記憶」をそのまま彼女に叩き返している……!!


 

 俺は、彼女を全力で抱き締めた。


 骨が軋むほど強く。彼女の震えが、俺の身体にそのまま伝わってくる。


 熱い。

 冷たい。

 震えている。

 心臓が、俺の胸で暴れ狂っている。

 まるで、今にも破裂しそうに。


 「チイロ!! 俺だ!! ユウマだ!!

  お前は今、ここにいる!!

  俺の腕の中にいる!!

  あの日は、もう来ない!!

  二度と来させない!!」


 彼女の爪が、俺の背中に食い込んだ。

 肉が裂ける。

 血が滲む。

 でも、構わない。

 この痛みで、彼女を“こちら側”に繋ぎ止める。


 俺は、黒葬を使える。


 でも今、使えない。


 ここで非記録化を起こせば、彼女ごと“観測ログから脱落”させてしまう。

 だから、観測を固定するしかなかった。


 痛みでも、声でも、体温でもいい。

 「今ここ」に縫い止める!!


 「……ユウ……マ……?」

 初めて、焦点が戻った。

 裏返っていた目が、ゆっくりと戻ってくる。

 涙と血で真っ赤に充血した瞳が、俺を見た。


 「……嘘……でしょ……?

  私……まだ……生きてる……?

  りうが……りうが……」


 「生きてる。お前は生きてる。俺が、ここにいる。

  だから、もう一人じゃない……! 戻ってこいチイロ……!!」


 チイロの表情が、崩壊した。

 今まで見たことのない、本当の顔。

 強がりも、ミームも、全部剥がれ落ちて、ただの、壊れかけた少女。


 嗚咽が、喉から漏れる。

 子供みたいに、ぐしゃぐしゃと泣き始めた。

 「……怖かった……本当に……怖かった……

  世界が……混ざって……私の中で……全部……壊れて……

  私……私……」


 俺は、彼女の頭を胸に押し付けた。

 震える背中を、撫で続ける。

 震えが、なかなか止まらない。


 何分経ったか、わからない。

 だが、部屋は、静かになった。


 壁の亀裂も、なぜか消えている。

 でも、チイロの震えだけが、まだ続いていた。

 「……ユウマ。  私……もう……ダメかも……」


 「ダメじゃない。お前は、帰ってきた。

  ちゃんと、俺のところに」


 彼女は、力なく笑った。

 涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら。

 「……タナトス……っぽい……今日のユウマ……少しカッコいい……

  でも……助かった……ありがとう……」


 そして、ようやく——彼女の身体から、力が抜けた。


 俺に、全てを預けるように、崩れ落ちた。

 俺は、彼女を抱き上げた。

 この部屋から、すぐに連れ出す。

 ここは、もう安全じゃない。


 過去の残滓が、濃すぎる。

 そして、心の中で誓った。


 ——二度と、こんな目に遭わせない為にする為にはどうしたら……?

 どんな手段を使っても構わない……!!


 とても、アスミに相談できる内容じゃない……。


 考えろ……ユウマ……!!


 ◆補遺:解析した“靴の裏の土” 解析結果

  岡崎ユウマ:ノード・ゼロ


 チイロが踏んだ靴の裏から採取した「土」。


 分析の結果:

 •現代の地質成分と一致しない層理

 •複数の年代の堆積物が同一面に“重なって”いる

 •本来あり得ない「W0の地質データと部分一致」

 •微弱ながら 人工振動波の残留(人工地震装置の位相ノイズ) を検出

 •そして——りうの事件当日の構造物微粒子が混入


 俺は、この結果を見て、真正面から顔を青ざめた。


 ……これは、地層が“繋がっていた”証拠だ……。

 チイロ……お前何見たのは幻覚じゃない……。

 W0の死の瞬間そのものだ……。

  

 ——繋がれば、次は……流れ込むぞ……この世界に……。


 最悪だ……。

 

 ……さっきのは、幻覚じゃない。

 世界が、繋がりかけている。


 俺は動く必要があった。

 世界が軋む前に、“地層接合”を完全遮断するために。


 黒葬は、記録を沈める技だ。


 だが、記録そのものを踏めば、

 沈めたはずの地層が――殴り返してくる。


 どうするユウマ……!!

 誰も記録に殺させない方法を考えろ!!


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