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Chron0//≠BreakerS  作者: 時任 理人
誰も祝っていない夜編

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101/121

EP106. 観測者は理詰めと狂気で固定される

 記録者:御影シオン


 これは誰にも読まれない方がいい。

 そう分かっているのに、私は書く。


 祭りの喧騒の中で、私は笑っていた。

 笑いながら、脳内では別の音がしていた。

 金属が擦れる音。端末が同期する音。脈が数値に変換される音。


 “観測者”をやっていると、感情はノイズにされる。

 ノイズを消すために、私は言葉を整え、表情を整え、世界を整える。


 でも――今日だけは、整えられなかった。


 影村学園VIP室。

 あそこは、整えるための部屋じゃない。

 壊れかけた私を、完全に固定するための檻だ。


 そして檻の主は、いつも笑っている。

 内気で、穏やかで、無害そうな顔で。

 世界を自分の掌で握り潰すことに、何の罪悪感も持たない顔で。


 影村学園VIP室。 厚いカーテンが祭りの光を完全に遮断し、ランプの淡い光だけが部屋を浮かび上がらせる。

 ここは外界の喧騒が届かない、静寂の檻。壁は重厚な防音材で覆われ、外部の花火の音や歓声が一切入らないように設計されている。


 部屋の空気は重く、息苦しく、まるで真空に近い閉塞感が漂う。中央のテーブルには、古い本や端末が散らばる。

 リゼ様の支配的な存在を象徴するように、すべてが彼女の好みに合わせて配置されている。

 ソファのクッションは柔らかすぎて、座る者を沈み込ませ、逃げられない感覚を強いる。


 リゼ様はソファに座り、膝の上に端末を置いていた。

 銀色のペンが指先でゆっくりと回され、金属の冷たい光が瞬く。

 彼女の指は細く、白く、まるで人形のような完璧さだ。爪は丁寧に磨かれ、わずかな光を反射して鋭く輝く。


 リゼ様の服装は学園の制服だが、彼女だけが着ると、まるで女王のローブのように威厳を放つ。

 彼女の微笑みはいつも通り穏やかで、内気で、無害そう。唇の端がわずかに上がり、頰に優しい影を落とす。


 だが、その瞳の奥に宿るものは、純粋な狂気――世界を自分の掌で握り潰す愉悦。

 瞳は深く黒く、底が見えず、相手を吸い込むような闇を湛えている。

 彼女の呼吸は静かで、部屋の空気を支配するように、ゆっくりと吐き出される。


 私はドアの前に立ち、息を潜めていた。 召喚の通知が来た瞬間から、背骨の奥が凍りついていた。

 通知は端末から届いたが、それはただのメッセージではなく、Echo-Bindingを通じて直接私の神経に響く振動だった。


 心臓の鼓動が速くなり、手のひらが汗で湿る。ドアの取っ手は冷たく、触れるのを躊躇わせる。

 部屋に入る前から、リゼ様の気配が廊下にまで漏れ出し、私の足を重くする。


 過去の記憶がフラッシュバックし、イリアの最後の叫びが耳に蘇る。

 あの時と同じだ。召喚されるたび、自由が少しずつ削がれていく。


 「おかえり、シオン」

  リゼ様の声は柔らかく、甘く、毒を塗った蜜のように喉に絡みつく。

 声は低く、響き渡り、部屋の隅々まで染み込む。彼女は顔を上げ、私をまっすぐに見つめる。

 視線が刺さるように痛い。


 「双灯祭、DAY1は楽しかった?」


 私は一瞬、言葉を探す。喉が乾き、言葉が詰まる。

 祭りの記憶が頭をよぎるが、それは遠い夢のようにぼやけている。

 雲越チイロとの会話、アスミ先輩のとのやりとり。すべてが今、意味を失う。

 だが、知っている。これは質問ではない。 これは、解剖の始まりだ。


 リゼ様はいつもこうだ。言葉を投げかけ、相手の反応を観測し、弱点を突く。

 彼女の質問は罠で、答えれば深みに落ちる。


 「……雲越チイロとの接触は、必要でした。彼女の矛盾生成パターンを観測し、世界線収束への影響を——」

 私の声は震え、途中で途切れる。言葉を選びながら、必死で理性を保とうとする。


 だが、リゼ様の視線が私の言葉を一つずつ解体していくのを感じる。

 リゼは小さく笑った。 その笑い声が、部屋の空気を一瞬で腐らせる。

 笑いは高く、響き渡り、私の耳に残響する。彼女の肩がわずかに震え、楽しげに体を揺らす。


  「必要、ね」 ペンが机を軽く叩く。


 カチ、カチ。


 音は規則的で、心臓のリズムを乱す。叩くたび、部屋の緊張が高まる。

  「シオン、あなた本当にその言葉が好きだよね。『必要』って言葉で、自分の逸脱を全部正当化しようとする」

 

 私は黙る。唇を噛み、血の味がする。 反論すれば、彼女の罠に嵌まる。

 沈黙すれば、それも材料にされる。どちらを選んでも、負けだ。


 リゼ様は私の思考パターンを知り尽くしている。

 Echo-Bindingを通じて、私の脳波さえ監視しているのかもしれない。


 リゼ様は端末の画面を私に向けた。

 そこには、私とチイロの会話ログが、冷酷なまでに正確に抜粋されている。

 ログはタイムスタンプ付きで、会話のニュアンスまで再現されている。

 私の言葉が赤くハイライトされ、チイロの反応が青く表示される。

 すべてが証拠として並ぶ。


  『切る』 対象:雲越チイロ 条件:設計の破綻として画面を見た瞬間』


 胃が捩れる。

 どうしてこれが? 監視されていたのか?

 いや、当然か。リゼ様はいつもすべてを見ている。

 「あなた、勝手に『切る』って宣言したよね」


 リゼ様の声は静かだ。静かなほど、刺さる。声は低く、耳元で囁くように響く。

 「誰の権限で?」


 私は喉を動かす。息が浅くなる。 だが、言葉が出ない。

 Echo-Bindingの紐が、私の声帯をすでに締め始めている。

 紐は仮想のものだが、身体に実在する痛みを伴う。

 喉が熱くなり、息苦しい。

 拒絶の予兆を、彼女は嗅ぎ取っている。彼女の鼻がわずかに動き、満足げに息を吸う。


 「答えられないの? 当然だよ。あなたにそんな権限はない」

 リゼ様は立ち上がり、ゆっくりと近づいてくる。足音は軽く、カーペットを踏む音が微かに聞こえる。

 彼女の香水の匂いが近づき、甘く、吐き気を催す。

 彼女の小さな手が、私の顎を掴む。指の力が強く、骨が軋む。

 爪が皮膚に食い込み、痛みが走るが、それ以上に冷たいのは彼女の瞳だ。

 瞳は冷たく、感情のないガラスのように輝く。彼女は私の顔を上に向け、強制的に視線を合わせる。

 

 「シオン、あなたは私の後継でしょ? 後継ってのは、自分の判断で世界を切っちゃダメなんだよ」

 指先が頰を這い、耳元で囁く。息が耳にかかり、寒気がする。

 

 「あなたが『切る』って言った瞬間、チイロに監査された。負けたんだよ、あなた」


 私は唇を噛む。血がにじむ。 否定したい。合理的だった、と証明したい。

 私の観測は正しかったはずだ。

 チイロの矛盾は脅威で、切るのが最適解だった。

 だが、リゼはそれを待っている。

 私の抵抗を、すべて栄養にして飲み干すために。彼女は私の感情を餌にし、成長する。


 「負けたのに、まだ『必要』なんて言葉で自分を慰めてる」

 リゼ様の声が、少しだけ高くなる。声に興奮が混じる。

 興奮だ。彼女の頰がわずかに赤らみ、瞳が輝く。

 彼女は私の壊れ方を、リアルタイムで味わっている。

 Echo-Bindingを通じて、私の心拍、汗の量、すべてをモニターしている。


 「あなたの中の『壊す観測』が暴走しただけ。イリアを失ったときと同じよ。

  理解しようとして、理解できなくて、壊したくなった。

  でも、シオン。あのときのあなたは、私がいなかったから壊れかけた」


 イリアの名を出された瞬間、胃の奥が痙攣する。

 視界が揺れ、過去の映像がフラッシュバックする。

 イリアの落下、血の飛沫、彼女の最後の視線――すべてが鮮やかすぎる。

 Echo-Bindingを通じて、リゼは私の記憶を直接抉る。

 紐が脳に刺さるように、痛みが走る。彼女は意図的に記憶を刺激し、私を苦しめる。

 イリアの死は、私の失敗だった。彼女を救えなかった。

 壊したのは私だ。 あの落下の光景、叫び、血の臭い――すべてが鮮明に蘇る。

 部屋が回転し、吐き気がする。


 リゼ様はそれを知りながら、笑う。

 「私はあなたを拾って、紐で繋いだ。あなたを壊れきらせなかった。

  なのに、あなたはまた同じ過ちを繰り返そうとしてる」

 リゼ様の手が、私の胸元に置かれる。指が制服を押し、皮膚に触れる。

 制服の布越しに、心臓の鼓動を確かめるように。鼓動が速くなり、彼女の指に伝わる。

 彼女はそれを楽しみ、指を動かす。


 「あなたは私のものだよ、シオン。

  あなたの観測は、私の観測の延長でしかない。

  あなたが勝ちたい相手は、チイロじゃない。私だよ」


 私は目を伏せる。涙がにじむのを堪える。

 視線を合わせたら、魂を吸い取られる。リゼ様の瞳はブラックホールだ。

 リゼ様は私の髪を掴み、強引に顔を上げさせる。髪が引き抜かれるような痛み。彼女の力は小さく見えて、強い。


  「見て。私を見て」 瞳が合う。視線が絡みつき、逃げられない。

 そこに映るのは、純粋な所有欲と、狂気的な愛情。彼女の愛は歪み、相手を破壊する。


 「あなたは天才だよ、シオン。本当に綺麗に壊れる。

  だから、私はあなたを壊したくない。壊れきる前に、固定したい」


 彼女の指が、私の首筋をなぞる。皮膚がざわつく。

 Echo-Bindingの紐が、実際にそこにあるかのように熱を帯びる。

 紐は仮想だが、身体に焼きつくような感覚。

 過去にリゼ様が実験的に強化した時、実際に皮膚に火傷のような跡が残った。

 あの痛みを思い出し、震える。


 ここで、リゼ様はさらに残酷な仕打ちを加える。

 彼女は私の首に指を強く押しつけ、息を詰まらせる。

 軽く絞め、酸素を少しずつ奪う。「これが、あなたの命の紐だよ」と囁きながら。


 私の視界がぼやけ、肺が焼けるように痛む。

 彼女はそれを数秒続け、私が苦悶の表情を浮かべるのを楽しむ。


 ようやく手を離すが、喉の痛みが残り、咳き込む。

 だが、咳をすれば弱さを見せると思い、必死で堪える。


 リゼ様は笑い、「可愛いね、そんなに耐えようとするの」と嘲る。

 「今日から、雲越チイロに対しては『切る』を一切禁止。

  考えるのも、口にするのも、夢に見るのも禁止。もし、違反したら――」

 リゼ様は微笑んだまま、私の喉に指を押し当てる。

 軽く、優しく。だが、息が詰まる。指の圧力が喉仏を押し、痛みが走る。

 「あなたの声帯を、私が直接閉じる。あなたが『切る』って思った瞬間、永遠に声が出なくなるようにしてあげる」


  恐怖が背骨を駆け上がる。想像するだけで、喉が締まる。

 これは脅しではない。 彼女はできる。すでに、私の身体は彼女の延長だ。

 Echo-Bindingは神経系に干渉し、声帯を麻痺させるプログラムが入っている。

 過去にテストで、私の声を一時的に奪ったことがある。

 あの沈黙の恐怖、言葉を失う絶望――二度と味わいたくない。


 さらに、リゼ様は私の腕を掴み、袖をまくり上げる。

 私の腕には、過去の罰の跡が残る。細い傷跡、Echo-Bindingの強化時に刻まれたもの。

 「覚えてる? これを増やしたくないよね」と言いながら、爪で傷をなぞる。

 皮膚が裂け、血がにじむ。痛みが鋭く、叫びを堪える。

 彼女は血を拭き取り、自分の指に塗って味わうように見つめる。


 「あなたの血は、私のものだよ」と。

 「代わりに、あなたがやるのは『宙吊り』。チイロを敵にも味方にもしない。

  ただ、観測して、情報を吸い尽くす。

  あなたはそれが得意でしょ? 耐えられるよね?」


 私は頷くしかない。首が重く、動かすのが辛い。

 「……耐えます」


 声がかすれ、弱々しい。リゼ様はそれを聞き、満足げに頷く。

 リゼは満足げに手を離した。

 だが、指の跡が頰に赤く残る。 だが、まだ終わらない。

 彼女は私の肩を掴み、壁に押しつける。肩が痛み、壁の冷たさが背中に伝わる。

 力で押さえつけ、逃げられない。


 「もう一つ。あなたが提出するレポートは三つ。

  ① チイロの矛盾生成パターンの完全分類

  ② アスミとの関係が世界線に与える誤差予測

  ③ あなた自身の『壊す衝動』の発生条件と抑制策」


 三つ目で、私は息を呑む。心臓が止まりそう。 自分自身を報告させる。

 それは、自我の最後の砦を明け渡すことだ。私の内面をすべて暴露し、リゼ様に支配される。

 過去のトラウマ、弱点をすべて。


 リゼはさらに罰を追加する。

 「レポートが不十分なら、あなたの記憶を一部消去するよ。イリアの良い思い出だけを、ね」と。

 

 イリアの記憶は私の支えだ。

 それを失うのは、精神の死。彼女は端末を操作し、模擬的に記憶を刺激し、痛みを伴うフラッシュバックを強制する。

 頭が割れるように痛む。私は膝を折り、床に崩れ落ちる。リゼはそれを眺め、足で私の背中を軽く踏む。


 「可哀想だね、シオン。でも、これであなたは私に忠実になる」

 私は息を呑む。 自分自身を報告させる。 それは、自我の最後の砦を明け渡すことだ。


 「期限は明日まで。遅れたら、あなたの指を一本、調理してあげる。イリアのときみたいに、綺麗に」


 狂気。イリアの指を思い出し、吐き気がする。

 あの時、リゼ様はイリアの死体を男に「調理」させた。

 私に絶望的記憶を植え付けた。

 真実か嘘か分からないが、恐怖は本物だ。

 純粋な、理詰めの狂気。

 すべてが論理的で、逃げ道がない。


 彼女は私の思考を先読みし、抵抗をすべて封殺する。

 彼女の論理は完璧で、穴がない。反論しようとすれば、すでに予測されている。


 リゼ様は私の耳元で、最後に囁いた。息が熱く、耳を焼く。

 「ねえ、シオン。私はあなたが大好きだよ。あなたが私のために壊れてくれるのが、一番綺麗だから。

  だから、逃げないで。私だけを見て」


 私は膝が震えるのを感じた。足が力なく、支えられない。 崩れ落ちそうになるのを、必死で堪える。

 リゼ様はそれをただ見つめる。


 「了解……しました、リゼ様」 声が震え、涙がこぼれる。


 リゼ様はそれを拭き取り、指を舐める。

 「あなたの涙も、私のもの」


 リゼは微笑み、子どもを褒めるように頭を撫でた。撫で方は優しく、だが爪が頭皮を引っ掻く。

 「えらい。さあ、明日こそ完璧な生徒会長でいなさい。

  あなたが正常のフリをする限り、私の世界は綺麗に続く」


 私はドアに向かう。足取りが重く、部屋から出るのが辛い。

 背中に、彼女の視線が突き刺さる。視線が熱く、皮膚を焼く。

 振り返れない。 振り返ったら、二度と戻れなくなる。

 

 リゼ様の瞳に捕らわれ、永遠に囚われる。

 ドアノブに手をかけた瞬間、リゼの声が追いかけてきた。声は明るく、残酷。

 「シオン。あなたはもう、私から逃げられないよ。

  だって、あなたの心臓の音は、私の端末にリアルタイムで届いてるんだから」

 

 端末の画面に、私の心拍グラフが表示される。

 リアルタイムで、鼓動が波形として跳ねる。彼女はそれを指でなぞり、「これが、あなたの命のリズムだよ」と。


 さらに、リゼ様は最後の仕打ちとして、私の端末にコマンドを送る。

 Echo-Bindingが活性化し、軽い電撃のような痛みが全身を走る。

 「これはお土産。祭りの間、時々思い出すように」と。

 痛みは不定期に訪れ、祭りの喜びを台無しにする。私は耐えながら、外へ出る。


  ――服従は、論理と愛で固定される。紐は切れず、永遠に私を縛る。

 リゼ様の愛は毒で、ゆっくりと私を蝕む。

 祭りの光が眩しく、だが私の心は暗闇だ。


 雲越チイロやアスミ先輩の顔が浮かぶが、触れられない。

 

 すべてがリゼ様の掌の上。

 私の未来は、彼女の狂気に染まる。


 しかし、明日のDAY2。

 私もこのままではない。


 

 


 ドアが閉まった音が、やけに遠い。


 祭りの喧騒へ戻った私は、完璧な生徒会長の歩幅で廊下を進む。

 背筋の角度、視線の高さ、口角の上げ方。

 全部、訓練済みの“正常”。


 ――なのに、呼吸だけが嘘をつけない。

 肺の奥に、細い針金が通されているみたいに痛い。


 心臓が打つたび、見えない端末がどこかで点滅する感覚がある。


 『当たり前よ。あなたの心拍は、もう“私のもの”なんだから』


 耳の奥で、さっきの囁きが再生される。

 再生されるたびに、喉が締まる。


 そのはずだった。


 「シオン」


 呼ばれた瞬間、背骨の芯が冷える。

 声の質感が、雑音を切り分ける。

 聞き慣れている。

 聞き慣れているのに、今日は“刃物”みたいに研がれている。


 玖条リリ。


 振り返ると、彼女は少し離れた位置に立っていた。

 近づかない。近づけない。

 私に近づくのは、彼女自身の平衡を乱す行為だと分かっているから。


 包帯。杖。肋骨の痛みを誤魔化す姿勢。

 それでも、その視線の精度は落ちていない。

 あの子は、弱っているときほど“観測装置”になる。


 「リリ……副会長。体調は」


 言いかけた言葉が、自分でも薄っぺらいと分かった。

 慰めの定型文。社会的な潤滑油。

 リリに通用する種類の言語じゃない。


 リリは、私の言葉を受け取らないまま、私の輪郭だけを見る。

 目元。顎。喉。肩。足首。

 まるで、歩行データのログを目視で復元するみたいに。


 「今の歩幅、平均より0.18秒遅い。

  瞬き、増えてるね。

  声帯の使い方が……違う」


 淡々。

 でも淡々としているほど、逃げ道が消える。


 私は笑みを固定する。

 固定しながら、喉の奥に“締結”が走る。


 (答え方を間違えるな)

 (“拒絶”を示すな)

 (思考の方向すら管理されている)


 「……祭りの進行で少し疲れてるだけです」


 嘘。

 分かってる。リリも分かってる。

 嘘は、彼女にとって最も扱いやすいデータだ。矛盾点を増やすから。


 リリは首を傾けた。

 その仕草が、同情でも好奇心でもないのが分かる。

 “校正者”の動きだ。


 「質問を変える。

  何があったの、じゃない」


 息を吸って、吐く。

 そして、彼女は“言い方”で私の足場を崩してくる。


 「シオン、何が“あったことにされた”?」


 ――言葉が止まる。


 心拍が一つ跳ねる。

 その跳ねが、見えない紐を震わせる。

 喉が、息を拒む。


 私は反射で“合理”へ逃げようとする。

 説明。状況整理。

 でも、説明は“拒絶”の前段階だと見なされる。

 あの部屋の論理は、そうだった。


 リリは、私の沈黙を“回答”として記録する。

 静かに一歩だけ横へずれる。

 私を追い詰める位置じゃない。

 “観測点を増やす”位置。


 「胸部の筋緊張が上がってる。交感神経優位。

  恐怖――だけじゃない。命令系」


 命令系、という単語が、私の皮膚の下で反響する。

 言語が、痛覚に変わる。


 「あなたは、外部からの命令に従うとき、語尾が均一になる。

  ……今日のあなたは、均一すぎる」


 私は目を逸らす。

 逸らした瞬間、リリの声が低くなる。


 「ねえ、私を“減衰材”に使うなら、今だよ?」


 彼女は、杖のグリップを握り直した。

 指先が震えているのに、目だけが震えていない。

 これは“勇気”じゃない。

 玖条家の“制御”だ。

 自分が壊れることを織り込み済みで、なお動く。


 「あなたの背後、今日――同じ周波数で鳴ってる……誰?」


 私は、名前を言えない。

 言おうとした瞬間、喉が閉じるのを、もう知っている。

 だから私は、別の言葉を探す。


 「副会長、それは――」


 その瞬間。


 喉の奥が、きゅ、と締まった。

 音が“外へ”出ようとした瞬間に、見えない指が押さえつけたみたいに。


 ――声が、途切れる。


 リリの目が細くなる。

 怒りではない。

 確信の収束。


 「今、閉じたよね……?

  ……あなたの意思じゃなく」


 彼女は私の喉元を見たまま、言う。


 「バインド……しかも“言語”に反応するタイプ」


 私は、笑みを崩さない。

 崩せない。

 この顔は、生徒会長の仮面であり、檻の鍵でもある。


 「……副会長。祭りは、明日が本番です。自宅に戻りましょう」


 私は、逃げるように歩き出す。

 リリは追ってこない。追えない。

 でも追わない代わりに、言葉を投げてくる。


 「シオン……。あなた、今――**“観測者”じゃなくて“観測対象”**になってる」


 背中に刺さったその一文が、骨まで届く。

 私は一瞬だけ、足を止めかける。

 止めかけて、止めない。


 止めたら、私は“確認”してしまう。

 確認は、相手に“確定”を与える。


 だから私は歩く。

 完璧な仮面で。

 震える内側を隠して。


 そのとき――廊下の角から、別の気配が差し込んだ。

 冷たい空気の刃。

 論理の匂い。

 そして、怒りを“温度”じゃなく“圧力”として持ち込む人間の足音。


 アスミ先輩


 最悪のタイミング。


 彼女は私とリリを見て、状況を一秒で切り分ける。

 ――私の異変。

 リリの確信。

 そして、その背後に“第三の手順”があること。


 アスミ先輩の目が、私の喉を見た。

 次に、私の瞳の揺れを見る。

 最後に、リリの顔を見る。


 「……シオン……よくもさっきは、って言いに来た。

  けど、今、誰と“同期”してる?」


 私は答えられない。

 答えられないことが、答えになる。


 アスミ先輩は、息を吐いた。

 怒りが静かに結晶化する音がした。


 「……なるほど……やっと、見えてきた」


 リリが小さく頷く。

 二人の“観測者”の目が、同じ方向を向き始める。

 ――私の背後。

 私の意志の外側。

 私を固定している、見えない手順。


 そして私は、その中心に立ったまま、何も言えない。


 私は弱い。

 そう書くと、たぶん誰かは慰める。

 でも、慰めはいらない。慰めは現実を変えない。


 私が弱いのは、心が脆いからじゃない。

 “正しい最適化”をずっと教え込まれてきたからだ。


 正しい選択。

 正しい沈黙。

 正しい服従。

 正しい笑顔。


 その正しさを、リゼ様は私の中に“紐”として残した。

 だから私は、反抗しようとすると同時に、自分で自分を止めてしまう。


 私が可哀想に見えるなら、たぶんそれは正しい。

 可哀想という感情は、観測者にとって最も邪魔なノイズなのに、それでも消えない感情だから。


 そして私は、まだそのノイズを完全には消せていない。

 ――それだけが、私がまだ“人間側”に残っている証拠だ。


 だから、書く。

 誰にも読まれない方がいいと思いながら、書く。


 このログが残る限り、私はまだ、完全には固定されていない。


 たぶん、そこが最後の逃げ道だ。


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