EP105. DAY1:心霊調査―― デッドコピーは誰のために
記録種別:監査ログ(体験者同期/シオン記述)
矢那瀬アスミ視点
双灯祭:DAY1 15:35 隔離研究棟・第4実験室
「双灯祭」の狂騒は、防音壁の向こう側で遠い残響と化していた。
本来、祭りとは、死者を弔い、生者と繋ぐはずの儀式である。
しかし、裏側で、私たちは「死」そのものをデジタル符号化し、再構築するという冒涜的な試みに手を染めている。
というより、染められしまった。
「……ねえ、シオン。確認なんだけど、このVRポッド、どうしてよりによって『棺桶』の形をしているのよ?」
私は眼前に鎮座する、黒塗りの金属製ポッドを指差した。
その形状は、どこからどう見ても西洋式の棺そのものだ。
横たわればそのまま土に埋められても文句は言えない。
「運びやすいからですよ。アスミ先輩」
「は?」
シオンは、こちらを振り向きもせず、平然と言ってのけた。
「運びやすいって……何をよ。どこへよ」
「え? もちろん、アスミ先輩を業者のトラックとか、あるいは……『向こう側』とかですかね? 冗談です」
シオンの不敵な笑みが、防護ガラスに反射して歪む。
「ねぇ!冗談はやめて。同期パラメーターが安全基準値の0.80を維持できていない!
バイオフィードバックが過敏すぎる。これ、本当に監査として成立するの??」
「先輩は少し真面目すぎます。怪異とは、不確定性があるからこそ『本物』になるんです。
先輩のその堅牢な『科学の盾』が、どこまで私の作ったアルゴリズムを撥ね退けられるか……
それとクリアリミットは『この空間上の深夜0時から朝の5時まで生き残ること』ですから頑張ってくださいね?」
シオンの指が、非情にも実行キーを叩いた。
棺桶の蓋が吸い付くように閉まり、完全な闇が訪れる。
「ちょ、待って! ストップ!! 待ってよー!心の準備まだー!
まだ論理検算が——嫌あああああぁぁぁぁぁぁっ!!」
瞬間、脳幹を直接抉るような同期信号が走り、現実の輪郭がドロドロに溶け出した。
逃げ場のない仮想の深淵。
「佐藤家」という名の呪いのコードが、私の意識を貪り始める。
おばけ苦手なのー!!
対象:監査官・アスミ
時刻:16:40〜17:00
空間座標:事故物件(旧佐藤邸)再現セグメント
16:40 境界への没入:凍結された生活
転送の白光が眼球の裏側で弾けた。
視神経が悲鳴を上げ、脳が平衡感覚を喪失する。
眩しさが残像として明滅する中、内臓を裏返されるような強烈な不快感が私を襲った。
ゆっくりと目を開けると、そこは「演出された廃屋」などという生温かいものではなかった。
ただ、ある日、ある瞬間に「生活」という名の連続性が暴力的に切断され、そのまま凍結された一軒家の玄関だった。
郵便受けには、雨に濡れてカビたチラシが、隙間を埋め尽くすように突き刺さっている。
その黄ばんだ紙片からは、廃材が腐ったような甘ったるい死臭が漂ってきた。
「佐藤」と刻まれた表札は、薄い泥の膜に覆われ、文字の輪郭が膿のように溶け出している。
「……嘘でしょ。VRなのに、この『湿度』と『死臭』……。
シオン、感覚フィードバックのパラメーター、安全基準を完全に踏み越えてる……って。
怖い、怖いよぉぉぉ! シオン許さん!」
私は、サスペンス映画の絶頂シーンのような、喉を掻き切るような悲鳴を上げた。
震える手で、空中に監査端末(HUD)を展開する。
【ステータス:高度同期モード】
・同期率: 0.85(指数関数的に上昇中)
・心拍数: 115 bpm
・警告: 長時間(10秒)の硬直を確認。
・脳への負荷が致命的です。
・10秒間の無行動は「仮想死」を招きます。
「はぁ……!? なによこれ! 10秒止まったら死ぬの!? マグロ? 私はマグロなの!?」
パニックになりながらも、私は強制的に体を動かさざるを得なかった。
このシステムは、観測者の脳波を餌にして、霊障の演算精度を動的に高める自己増殖型AIなのだ。
16:42:20 因果の浸食:暗視の罠と老婆の襲撃
私は標準装備の高輝度サーチライトを握りしめた。
だが、光を当てれば当てるほど、影の濃淡が不自然に脈動し、私を値踏みしているような感覚に陥る。
ライトの円錐形の光の外側に、何かが「密集」している。
私は恐怖を振り払うため、ヘルメットに装着された**暗視ゴーグル(NVG)**を起動した。
瞬間、世界が不気味なエメラルドグリーンのノイズに染まる。
それと同時に、「それ」は視界の全てを占拠した。
「嫌あああああああああああああああああぁぁぁぁっ!! 来ないで! 寄らないで! 誰か、誰か助けてえぇぇぇ!」
ゴーグルの視界を埋め尽くしたのは、重力理論を無視して四方の壁から迫り出す、巨大な老婆の顔だった。
肌の皴一本一本に黒い泥のような執着がこびりつく。
剥き出しの黄色い歯茎が、私の鼻先数センチで「カチカチ」と音を立てて噛み合っている。
さらに、視界の上部から濡れた女性の長い髪が幾筋も垂れ下がってくる。
私の暗視ゴーグルのレンズを内側から撫でるように侵食を開始。
眼球に、仮想の髪の毛が触れる不快な感触が伝わる。
「外せ、外しなさいアスミ! これは視覚情報のオーバーレイ……ただのテクスチャ・バリアンスよ!」
NVGを跳ね上げると老婆は消えた。
だが、音の波状攻撃が始まった。
パリンッ! パリンッ!
居間の窓ガラスが、内側から爆発したように一斉に粉砕された。
飛び散る破片が私の頬をかすめ、焼けるような痛みが走る。
窓の外からは、**何十人もの「佐藤さん」**と思わしき影が、首を不自然に曲げてこちらを覗き込んでいる。
16:44:18 【システム解説:シオンの監視ログ】
(※ラボの監視モニター越しに、シオンがモニター視聴者向けに淡々と語る)
私はVR鑑賞者向けに概要を話す。
「……さて、皆様。この『佐藤家モデル』の絶望的なロジックについて解説しましょう。
双灯祭DAY1限定、VR特製、『念増幅演算エンジン』の全貌です。
この空間において、霊障は固定された演出ではありません。
体験者が抱く『強烈な怨念』や『根源的な恨み』、そしてアスミ先輩が今まさに垂れ流している『極限の恐怖』。
これらをリアルタイムでパケット収集し、スパイスとしてソースコードに混入しています。
暗視ゴーグルは、その『観測感度』を最大化するスイッチです。
先輩が老婆を見たいと深層心理で願う(恐れる)から、老婆が0と1の肉体を持って具現化します。
そして最も残酷なのは『10秒の沈黙』。
恐怖で心が折れ、観測を放棄した瞬間に、システムは体験者を『不要なデータ』と見なします。
仮想死――それはつまり、脳への致命的な電気ショックを実行します。
ゲーム内の朝の5時まで、先輩は悲鳴を上げ続け、逃げ続け、観測し続けなければなりません。
……あ、今の悲鳴、85デシベル。いい録音が撮れました」
16:46:25 惨劇の語り部:AIの困惑
不意に、部屋の四隅からAIの合成音声が響き渡った。
AI司会
『この家は、かつて佐藤家と呼ばれた四人家族の安息の地でした。
しかし、10年前の夏……父親の精神は、ある「欠落」に侵食されました。
彼は深夜、台所の包丁を手に取りました。眠っていた妻、そして二人の幼い娘……。
悲鳴は、この壁の隙間に、今も音響データとして塗り込められています』
「やめて……やめてよぉ! そんなディテール、聞きたくない! 科学的に証明できない妄想よ!」
AI司会
『父親は最後に、自分の喉を掻き切りました。
噴き出した血は、今あなたが立っているその畳に、永遠に消えない呪いの地図を描いたのです。
……ねえ、アスミさん。あなたは今、その“死の瞬間”の波動と同期しています。
窓の外を見てごらんなさい。彼らが、仲間を求めてこちらを見ていますよ?』
「嫌あああああああああああああああぁぁぁぁっ!!」
流石のAIも私のサスペンスボイスに困惑しだす。
AI司会
『……あ、アスミさん。少し落ち着いていただけますか?
あなたの悲鳴の周波数が高すぎて、バックストーリーのナレーションが音声認識エラーを起こしています』
「落ち着けるわけないでしょぉぉぉ! 背後に! 背後に誰かいるのよ!
髪の毛が! 髪の毛が私の首に巻き付いてるのよおおおっ!」
AI司会
『……困りましたね。これでは惨劇の解説が台無しです。
……あなたの『サスペンス風の絶叫』があまりに過剰すぎて……。
AIとしての演算ロジックに想定外のノイズが混入しています。
……ええい、もう勝手にしてください。ナレーション、続行します』
AIですら匙を投げるレベルの絶叫を上げながら、私はリビングを転げ回った。
床の畳からは、拭いても拭いても滲み出す黒い血のシミ。
そこから這い出してきた**「二人の子供の霊」**が、私の足首を掴んで離さない。
「離して! 離しなさぁぁぁい! 私は明日、DAY2に出なきゃいけないのよ!
こんなところで佐藤家の養女になるわけにはいかないのよおおおっ!」
16:48:34 佐藤家の新メンバー:仮想死へのカウントダウン
家全体が、巨大な肺のように「呼吸」を始めた。
不意に、肩に重みを感じた。
細くて、氷のように冷たくて、湿った感触。それは、少女の手だった。
「ひ、っ……あ、あああああ!」
耳元で、湿った吐息が漏れる。
『――見つけた、お姉ちゃん。ずっと、ずっと一緒に、朝まで遊ぼう?』
鏡の中に映る私が、私を裏切る。鏡の中のアスミは、もはや私ではない。
彼女は、鏡の中の「押し入れの闇」に向かって、引きずられるように歩き出した。
現実の私の体も、磁石に吸い寄せられるように押し入れへと向かう。
「やだ、入らない! あの中には死体があるんでしょ!? 嫌あああああぁぁぁっ!」
ゴキッ。
【システム通知】
・同期率: 1.00(完全同期)
・霊障蓄積: 限界突破
・警告: 仮想死プロセス開始。
・脳への強制シャットダウンパルスを送信します。
「……、……っ、あ……」
首の奥で、魂が千切れるような音がした。
視界が赤く染まり、HUDの警告灯が断末魔のように点滅している。
AI司会
『ようこそ、佐藤家の新メンバーへ。アスミさん。……おやすみなさい。永遠に』
嘘……? 私、死んだ……?
16:50:47 【観測の代償:現実への帰還】
「……、……っ! はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」
棺桶型のポッドが勢いよく開き、網膜に焼き付いた闇が現実のラボの照明に塗り替えられた。
私はVRポッドから這い出し、床に崩れ落ちた。
「はぁ……はぁ……、い、生きてる……? 首、首……繋がってる……?」
震える手で自分の首筋を何度も確かめる。冷たい汗が、床に水溜りを作っていた。
「なによあれ! 被験者は全員病院送り!?
死のフィードバックを同期させるなんて、どんな悪趣味なアルゴリズムなのよ!!」
私は、怒髪天を突く勢いでまくしたてる。当然だ。私は死を体験したのだ……。
しかし、シオンは困惑したように小首をかしげた。
「違います。先輩があまりにも全力で怖がるものですから……その、
AIの方が『えっ、じゃあもっとサービスしなきゃ!』って、学習暴走してしまったみたいなんです。
あの子、先輩のことが大好きになったみたいですよ。
見てください、隔離サーバーの容量、まだ増えてます。
この『怨念』、先輩の絶叫を糧に成長し続けています」
シオンは手元のコンソールをパチンと叩き、表示された「隔離失敗」のアラートを、陶酔した瞳で見つめた。
何こいつ、こんな時に限って、私と「初めて出会った時」みたいにピュアな感じ出してんのよ!
「……ふふっ、やっぱりアスミ先輩の『純粋な恐怖』こそが、このシステムを完成させました。
運びやすい棺桶にしておいて正解でしたね。いつでも病院へ直送できますから」
流石に私もブチ切れる。いやこれはブチ切れで良い案件!!
「このクソガキ……ッ!! ぶん殴ってやるからそこ動くな!!」
「残念ですが、アスミ先輩、タイムアップです。
17時になりますのでブリーフィングに行かないと。
本日のEXIT:CODEはクローズします。
続きは、また明日。
明日もまた素敵な悲鳴を聞かせてくださいね?」
「……シオン、あんただけは、絶対に、許さない……っ!」
去っていくシオンの背中に向けて投げつけた呪詛は、自分の耳にさえ届かないほど弱々しく、湿っていた。
シオンが重い扉を閉めた瞬間、張り詰めていた神経の糸がプツリと切れる。
それと同時に、内側からせり上がってきたのは、胃を雑巾のように絞り上げる猛烈な吐き気だった。
「う、ぅえ……げほっ、ごほっ……!!」
タイルの床に突き出した指先が、自分のものとは思えないほど氷のように冷たい。
VR接続は物理的に解除されたはずだ。
デバイスの電源は落ち、ポッドの蓋も開いている。
それなのに、視界の端にはいまだに「佐藤家」の薄暗い輪郭がグリッチのようにこびりついている。
首の奥では頸椎が砕けるあの不快な振動が、メトロノームのように一定の刻みで繰り返されている。
これは、とんだ学園祭の労災だ……。
「……これ、ただのトラウマじゃない。心霊デバイスによる『霊障の残留』。
フィードバック・ループが、私の神経系に直接プロトコルを確立してる……!
脳が、まだ『死』を演算し続けてる……ヤバい」
17:00 天城総合学園 NOX拠点 ノード・ゼロ
呼吸が浅くなり、視界が明滅する。
私は震える身体を引きづりなが、NOXの拠点――『ノード・ゼロ』へ這いずった。
これはあらかじめ、双灯祭DAY1の最悪の事態を想定して用意していたセーフフェーズ対策用の中継器を利用する為。
自分が使うことは、DAY1では、想定外。
「チイロ先輩……お願い、ゼロに来て……っ。対霊障ハッキング・デバイス……『Keter-X』を……!!」
スマホから、理系ミームの権化であるカスタムAI『チイロ』の声が響く。
『やっほーアスミって、大丈夫??!! こっちはスロットぶん殴ってきたとこだから、ちょっと待っとけ!』
我ながら、随分と無様な姿だ。
バイタルサインを見る限り、脳内麻薬は完全に枯渇。
代わりに未知のストレスパルスがニューロンを絶賛焼き増し中。
まるで、OSを消去したのにウイルスだけがBIOSに居座ってるみたいだ。
17:05 チイロ到着。
「状況は把握した……了解、Keter-X、ロジック・デプロイ。強制ノイズキャンセルを開始するよ」
「……ぁ、ああぁぁ……!!」
デバイスが起動し、首筋の電極から位相反転ノイズが流し込まれた瞬間、私は激しい拒絶反応に悶絶した。
それは、脳に直接熱湯を注ぎ込まれるような熱さと、神経をヤスリで削られるような鋭い痛みの混濁。
脳が「死ぬべき事実」を保持しようとする力。
そして、デバイスがそれを「ノイズ」として消去しようとする力が、私の延髄で火花を散らす。
「気持ち……悪い……! 脳の中を、泥水で洗われてるみたい……っ!」
「我慢して、もう少しだから」
喉の奥からせり上がる嘔吐感と戦いながら、チイロはEnterキーを叩いた。
「……ノイズキャンセル、完了。後輩の脳みそから消えろ!佐藤家のゴミデータ!!」
刹那、首の奥で鳴り続けていた不快な破断音が霧散した。
吐き気が引き、瞳に光が戻る。その時、ホログラム・パネルが点滅した。
シオンからの通信だ。
『……大丈夫ですか?……アスミ先輩。
でも、「死」のインストールを物理的にキャンセルしてしまうなんて……。
今日は1勝2敗で皆さんの勝ちです。
でも先輩、 明日のEXIT:CODEは、Core phaseです。
先輩のロジックすら、完全に挫くつもりですから。
……おやすみなさい、先輩』
精神汚染:カウンセリング・セグメント
通信が切れると同時に、ラボのドアが開き、白衣を纏ったミサキが足早に入ってきた。
彼女は私の顔色を一目見るなり、眉をひそめて診断端末をかざした。
「アスミ、動かないで。今のあなたは極めて深刻な『認知の剥離』を起こしている」
ミサキは私を椅子に座らせると、専門的な知見に基づいた宣告を開始した。
その声は静かだが、内容のヤバさを裏付ける重みがあった。
「いい? アスミ。あなたがさっき体験した『仮想死』は、単なる怖い夢とは次元が違う。
心理学における『PTSD』の概念すら比べ物にならないくらい超越している代物。
VR空間で五感を完全に同期させた状態での死を経験。
それは、脳にとって『自己同一性の完全な破壊』を意味するの。
その不快感は、脳が『死んだはずの自分』と『生きている肉体』の間で、激しい認知的不協和を起こしている証拠。
つまり、鏡像自己の崩壊による精神的壊死。
このまま汚染が深まれば、あなたは鏡を見るたびに『自分は死んでいる』という確信に支配される。
コタール症候群――つまり歩く死体(コタール妄想)に陥って、二度と社会復帰できなくなる」
ミサキの言葉に、流石の私も血の気の引いた顔で唾を飲み込んだ。
「そんなに、ヤバいの……?」
「ヤバいなんてもんじゃないよ。通常のカウンセリングじゃ何しても戻せないレベルの精神汚染。
シオンさんは、あなたの精神の根幹にある『生存本能』そのものをハッキングした。
そして、佐藤家のデータと置き換えようとした。これは魂のレイプに等しい行為」
すると、横からチイロが軽いノリで補足を加えた。
「要するにさ、アスミ。
今の君のメンタルは「スマホの液晶が粉々に割れたまま、無理やりYouTubeを再生してる状態」なわけ。
ミサキが言いたいのは、そのまま使い続けたら火を吹いて爆発するよってこと。
シオンは、君の脳を「呪いのHDD」にフォーマットして、佐藤家の家族写真を全部上書き保存しようとした。
マジでエグいよねー」
「フォーマット……。私の脳を、あいつらの居場所にするつもりだったっていうの……?」
私は『Keter-X』を握りしめた。
ミサキの語る「精神的壊死」の恐怖が、逆に私のプライドに火をつける。
「……ミサキ、ありがとう。どれほど危険か、よく分かった。
でも、だからこそ、私は一度、あそこに戻らなきゃいけない」
「アスミ! 正気なの?」
「正気よ。脳が『死』を計算し続けているなら、その計算式を根底から解体して、エラーコードに変えてやる。
……チイロ先輩、Keter-Xの出力をさらに引き上げて。『佐藤家』をただの廃墟(空きデータ)にするわ」
私には、死の淵を覗いた者だけが宿す、冷徹な殺意に近い意志が感じ取れた。
私はミサキの警告を振り切るように、コンソールに向き直った。
科学者としての矜持が、得体の知れない「呪い」に屈することを拒絶していた。
いや、単に心霊が嫌いなだけだ。
「……納得いかない。所詮は0と1の集積でしょ? 論理が通じないはずがない。
チイロ先輩!実験する。手伝って。
『ノード・ゼロ』経由で佐藤家の基幹サーバーに、高負荷の論理矛盾を直接流し込む。
霊障の演算基盤そのものをクラッシュさせる」
「はいはーい。了解、アスミ。バグにはバグを、呪いにはヌルポインタを。
論理爆弾、パケット射出準備完了……いっきまーす!!」
チイロが「Execute」キーを叩いた瞬間、ラボの空気が凍りついた。
「なっ……!?」
モニターには、見たこともないような赤黒いグリッチが走りだす。
スピーカーからは地獄の底を掻きむしるようなノイズが溢れ出し、次の瞬間、物理的にはあり得ないことが起こる。
モニターの液晶画面が、内側から「ボコり」と膨らんだ。
「嫌ああああああああああああああああっ!!」
私は、また悲鳴を上げてしまった。
画面の「向こう側」から、泥にまみれた、青白い人間の腕が突き出してきたから。
それはデジタルな映像などではなく、確かに質量を持った「実体」として現実空間に侵食している。
私の手首をミシリと音を立てるほどの力で掴み上げた。
「熱い……! 嘘、冷たいのに、焼けるように熱い……! 離して、離してよ!!」
「アスミ!!」
ミサキが叫び、すぐさま私の体を引き剥がそうとする。
「強制遮断!! 回線物理切断!!」
チイロが叫ぶと同時に、ラボの電源ユニットが火花を散らして爆発。
モニターの光が消え、腕は霧が消えるように霧散した。
私の手首には、どす黒い指の跡がくっきりと残っていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ。……今のは、何? 映像じゃなかった……。
物理干渉なんて、VR(仮想現実)の定義を逸脱してる……!」
私はガタガタと震えながら、赤黒く腫れ上がった手首を抱えました。
ミサキが慌てて応急処置を施す中、チイロがかつてないほど真剣なトーンで口を開く。
「……アスミ、もう認めなよ。あの空間は、もうただの「デジタル空間」じゃない。
今の実験で確定した。シオンが作ったのは、ネットの海に浮かぶ「本物の地獄の出張所」だよ。
限りなくW1に近い」
「……地獄の、出張所?……W1より?」
「そう、例えるならさ、今の「佐藤家」は**「OSのバグを利用して現実のハードウェアを物理破壊してくる。
まあ、超絶悪質なランサムウェア」**のオカルト版。
プログラムの中に怨念を流し込みすぎて、デジタルとリアルの境界線が完全に溶けちゃってる。
ロジックボムなんて流したら、逆にその負のエネルギーを「餌」にして、こっち側に逆流してこれるってこと。
マジで「無理ゲー」の領域だよ、これ」
チイロ先輩の言葉に、私は力なくうなだれた。
科学の盾が、物理法則すら無視する怪異の前に無力であることを突きつけてくる。
「……今のままじゃ、勝機ゼロか」
「そうね、アスミ。一人で抱え込むのは限界よ」ミサキが包帯を巻き終え、私の肩を優しく叩く。
「シオンさんの暴走を止めるには、多角的なアプローチが必要。
心理学、科学……そして、現場の『勘』。……ユウマやミナト、レイカとトウタも呼びましょう。
NOXブリーフィングをして、DAY2の戦略を練り直すの」
私は深呼吸をし、痛む手首を見つめる。恐怖はまだそこにある。しかし、私は独りではない。
「……分かったわ。ユウマに連絡して。双灯祭DAY2――今度はこっちが、シオンの想定外を叩きつけてやる」
私の瞳に、科学者としての意地と、女子高生のプライドが光を帯びた。
《影村学園・VIP室》
影村学園、VIP室。
祭りの喧騒から完全に切り離されたこの空間は、静かすぎるほど静かだった。
吸音材に覆われた壁。低く唸る冷却装置の音。
最高級の調度品――すべてが、「外界は存在しない」という前提で配置されている。
私は、この部屋が嫌いじゃない。
音も、人の気配も、余計なものが削ぎ落とされている。
観測するには、ちょうどいい。
壁一面のモニターに映るのは、矢那瀬アスミ。
仮想死から帰還した直後の姿だ。
床に崩れ落ち、叫び、呼吸のリズムすら制御できず、無様にのたうち回っている。
クールな理性は、もうどこにもない。
その光景を前に、白衣姿の男――
この心霊デバイスを開発した会社。
《エイドス・テック》のチーフが、淡々と口を開いた。
「皆様には、少しだけ“中身”をお見せしましょう」
私は黙って頷く。
どうせ、聞かなくても始めるタイプの男だ。
彼がタブレットを操作すると、モニターの一部が数式と波形に切り替わった。
「被験者は、この空間を“VRホラー”だと認識しています。しかし実態は違う」
声は落ち着いている。
余計な感情が混じらない。
技術者としては、悪くない。
「ここは、理論・心霊・物理――三つの層が相互干渉する、閉じた事象系です。完成した特異点、と言っていい」
完成、ね。
私はグラスを指先で回しながら、続きを促す。
「第一段階。理論的側面です。
『佐藤家』の基盤は、再帰的に自己更新する深層学習エンジン。
用意された演出は存在しない。
体験者が恐怖を自覚した瞬間を起点に、脳波、心拍、視線移動を同時解析。
その人間が最も忌避する概念を即時生成します」
画面に、老婆の影と、黒髪の塊が重ねて表示される。
「矢那瀬アスミが視認した存在は、彼女自身の生理的嫌悪の可視化です。
この空間では、恐怖心そのものがソースコードになる。
逃げれば逃げるほど、アルゴリズムは肥大化する」
ふーん。なるほど。
だから、あれほど綺麗に折れた。
「第二段階。心霊的側面。
我々のデバイスは、空間中の残留思念――霊的素粒子を増幅・選別します」
数値が跳ね上がるグラフが映る。
「観測問題と同様、霊障も観測された時点で確定します。
彼女が腕を掴まれたと“認識した”瞬間、デジタル上の怨念は現実側へ干渉した。
虚像と実像の区別は、すでに意味を失っています」
彼は、淡々と結論を落とす。
「ここには、偽物は存在しません」
私は、少しだけ口角を上げた。
嫌いじゃない言い切り方だ。
「第三段階。物理的側面です」
画面が切り替わり、脳幹の活動マップが映る。
「棺桶型VRポッドは演出ではありません。
被験者を“生と死の境界”へ固定するための物理的触媒です。
この状態で仮想死を迎えた場合、脳はそれを不可逆の事実として処理します」
「死の信号は神経系に直接ベイクされ、心停止を誘発する。
十秒間の沈黙は、生存意思の欠如として削除フラグに変換される仕様です」
説明が終わると、部屋に沈黙が落ちた。
私は、ゆっくりと脚を組み替え、クランベリージュースの注がれたグラスを傾ける。
深紅の液体に、モニター越しのアスミの泣き顔が揺れた。
「……相変わらず、趣味の悪い完成度ね」
誉め言葉半分。
皮肉半分。
彼の説明は、どこにも破綻がない。
だからこそ、私は別の場所を見ている。
「ただし」
グラスを、静かに置く。
「この進行、少し妙だわ。DAY1の時点で、ここまでの飽和は想定外でしょう?」
彼は一瞬だけ、間を置いた。
「……観測値は、すべて計画内です」
ええ。
“観測値”は、ね。
その日の夜、私は、シオンに施している《蹂躙》の回路を、ほんの一段階だけ深く沈めた。
制御権を奪うためではない。
ただ、彼女が「何を見ているか」を、逆照射で覗き込むだけの操作。
――その瞬間。
思考の裏側が、反転した。
視界が、音もなく溶け落ちる。
空間が、上下の区別を失う。
前触れもなく、粘性のある暗色の液体が出現し、私の足元からせり上がった。
胃酸に似ている。
だが、匂いがない。
熱もない。
ただ「溶かす」という結果だけが、確定している。
逃げようとした思考が、そこで途切れた。
身体感覚が先に裏切る。
皮膚が、形を保てなくなる。
痛みは遅れてくる――いや、来ない。
代わりに、「自分が素材として処理されている」という理解だけが、冷静に流れ込んだ。
次の瞬間、場面が切り替わる。
私は、椅子に固定されている。
金属製のフレーム。
可動域を完全に奪う拘束。
座面の形状から、それが尋問用のウルフチェアであることを、私は即座に理解した。
電流が走る。
衝撃は一度きりではない。
間隔を置き、強度を変え、神経の反応を試すように繰り返される。
悲鳴を上げる余地すら、計算のうちだ。
そして、また切り替わる。
今度は、白い空間。
扉が閉まる音。
これは、エアロック。
警告音は鳴らない。
カウントも表示されない。
空気が、静かに失われていく。
苦しさより先に、焦燥が立ち上がらないことが、異常だった。
呼吸できないのに、パニックが起きない。
ただ、意識が薄くなっていく過程を、第三者のように眺めている。
――ここで、私は理解した。
これは「攻撃」ではない。
「復讐」でもない。
シオンが、無意識下で自分自身に用意している未来像だ。
私は、即座に回路を遮断した。
思考を引き剥がし、現実へ戻る。
胃の奥に、冷たい不快感が残る。
……趣味が悪い、という言葉では足りない。
あれは恐怖ではない。
あれは――自己処理の設計図だ。
だから、私は確信した。
シオンは、明日のDAY2で、私の知らない「デスゲームではない何か」を仕込んでいる。
しかもそれは、誰かを殺すためのものではない。
――彼女自身を、壊すためのものだ。
私は、ゆっくりと息を吐いた。
あのビジョンの中に、装置はなかった。
ログも、演出も、観測値も存在しなかった。
ただ一つ、混ざっていた。
因果に接続しない、説明不能な、男の気配。
……なるほど。
だから、私は嫌悪したのね。
世界の管理外で、人の破滅だけを“見ている存在”を。
……不愉快。
胸の奥で、久しく動いたことのない部位が、はっきりと軋んだ。
私は、デスゲームを否定しない。
むしろ、肯定している。
生と死を天秤にかけ、選択を迫り、選ばせ、その結果として「死が発生する」こと――
それ自体は、ひとつの美学だ。
選択的殺害。
意思を持つ者が、意思を持ったまま、切り捨てられる構造。
そこには最低限の秩序がある。
恐怖は、必ず“個”に帰属する。
死は、意味を持つ。
だが――
さきほど私が覗いたビジョンには、その前提が、どこにも存在しなかった。
溶解。
拘束。
通電。
窒息。
そこにあったのは、試験でも、裁定でも、選別でもない。
ただ、無差別に展開される暴のシーケンス。
誰が悪いのかも、なぜ罰せられるのかも、どうすれば回避できるのかも、一切定義されていない。
それは、デスゲームですらない。
――ただの、虐殺だ。
しかも、意思を伴わない。
観測されるだけの破壊。
選択肢を与えられない死。
私は、ワイングラスを強く握っていた。
力を入れすぎて、薄い音が鳴る。
……ふざけないで。
それは、私の流儀じゃない。
私の舞台じゃない。
私の管理下で、許容している種類の暴ではない。
怒りが、明確な輪郭を持って立ち上がる。
感情としては久しぶりすぎて、自分でも驚くほどに。
そして、あの気配。
あの、どこにも属さず、因果にも、設計にも、ログにも接続しない――男の存在。
理解した瞬間、すべてが一本に繋がった。
だから、私は嫌悪した。
だから、私は激昂した。
あれは、誰かが選ばれて死ぬ世界ではない。
誰かが壊れる様子を、消費するための世界だ。
……そんなもの。
この双灯祭には、必要ない。
私は、静かに立ち上がった。
怒りは声にしない。
だが、決定は下した。
もし明日のDAY2で、この「無差別の暴」が表に出るなら。
その瞬間――
私は、ルールそのものを破壊する。
デスゲームの美学を汚す存在は、観測される前に、排除する。
たとえそれが、“設計者の外側”にいる存在であっても。
おめでとう、見知らぬ人。
そして、さようなら。
ミネルヴァ教育機構特使 ――鏡ヶ原リゼ




