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第9話:「時の狭間、過去との邂逅」

書庫を出たユークとシエルは、崩れかけた神殿の回廊を進んでいた。外からの光が差し込む瓦礫の隙間から、彼らの足元に塵が舞い落ちる。神殿全体が、まるで巨大な墓標のように沈黙している。しかし、ユークの心は、書庫で得た情報によって、かつてないほどの波紋を広げていた。


「神殿が隠蔽してきた真実……勇者の存在が、因果の歪みだなんて」


ユークは呟き、握りしめた古文書の表紙をなぞる。彼の知る神殿の歴史は、全てが偽りだったのか。調律官としての自分の存在意義すら揺らぎかねない、根源的な問いだった。


シエルは、ユークの隣を歩きながら、その複雑な感情を察したように静かに言った。


「真実というものは、常に多面的なものよ。誰かの正義が、別の誰かにとっては悪となり得る。重要なのは、何が起こり、なぜそれが起こったのかを、あなたの目で確かめること」


その言葉に、ユークは顔を上げた。シエルは、彼を責めることもなく、ただ事実を見つめるよう促している。


回廊の先に、薄暗い空間が広がっていた。そこは、かつて神殿の最も神聖な場所とされていた「時の間」だった。時間調律の儀式が行われる場所であり、神意を読み解くための「予言の石板」が安置されていた場所でもある。しかし、今はその全てが破壊され、石板は粉々に砕け散り、空間全体に時間の流れが停止したかのような異様な静寂が漂っていた。


「ここもまた、『虚無の螺旋』の力が作用しているのね。時間の流れが、完全に停止している」


シエルの声が響く。宙に静止した石柱の破片、永遠に途絶えた蝋燭の炎、そして、壁に描かれた古代の壁画。その全てが、時の中に閉じ込められている。ユークの視線は、砕け散った予言の石板の残骸に釘付けになった。かつて、世界の未来を映し出すとされた聖なる石板は、もはや意味のない砂と化していた。


その時、ユークの脳裏に、断片的な映像が閃いた。それは、書庫で読んだ「予言の石板の再解釈」に関する報告書の内容と、彼の個人的な記憶が混じり合ったものだった。


――幼い頃、彼は父である先代調律官の背に隠れて、この「時の間」の片隅から、調律の儀式を覗き見したことがあった。その時、父が、予言の石板からある「声」を聞き取ろうとしているのを見た。その声は、神意とは異なる、別の何かを告げているようだった。


「父さん……あの時、何を……」


ユークは、無意識のうちに呟いた。すると、彼の目の前に、揺らめく光の像が現れた。それは、父である先代調律官の姿だった。停止した時間の中で、過去の残像が具現化したかのように、半透明な姿で立っている。


「ユーク……お前が、ここまで辿り着いたか」


幻影の父は、静かに語りかけた。その声は、遠い記憶の彼方から聞こえてくるようだ。


「私は、長年、神意の真実を探求してきた。予言の石板が示す未来が、本当に神の意志なのか、それとも、我々調律官が作り上げた幻想なのか、と」


父の幻影は、砕け散った石板の残骸に目を向けた。


「そして、私は知ったのだ。予言は、世界の因果の鎖を映し出す鏡でありながら、同時に、その鎖を断ち切る可能性をも秘めていることを。勇者の存在こそが、その『特異点』だった」


ユークは、息をのんだ。父の言葉は、書庫で読み解いた真実と完全に一致していた。


「神殿は、勇者の力を恐れた。彼らが、世界の因果を乱す『異物』であると断じ、その存在を消し去ろうとしたのだ。禁忌の術式を用い、彼らの存在そのものを、因果の表層から抹消しようとした」


父の幻影は、ユークの瞳を真っ直ぐに見つめた。


「だが、私は信じた。勇者は、世界に新たな道を開く『希望』であると。だからこそ、私は、ある『仕掛け』を残した。勇者の死が、真のメッセージとなるように」


ユークの頭の中で、全ての点が線で繋がっていく。父は、神殿の意図を知りながらも、勇者を守ろうとし、そして、その死を通して「真のメッセージ」をユークに伝えようとしたのだ。


「あの『虚無の螺旋』は……父さんが残した、『真のメッセージ』だったのか?」


ユークの問いに、父の幻影は微笑んだ。その微笑みは、彼の記憶の中の優しい父の姿と重なった。


「全ては、お前が真実を見つけ出すための、道標だ。この神殿の真の姿を、そして、因果の彼方にある自由を、お前自身の手で掴み取るのだ、ユーク」


父の幻影は、徐々に薄れていく。停止した時間の中で、過去との邂逅は、あまりにも唐突で、そして、あまりにも多くの真実をユークに突きつけた。


「父さん……!」


ユークの手から、古文書が滑り落ちた。父の言葉が、彼の胸に深く刻み込まれる。勇者の死は、単なる悲劇ではなかった。それは、父がユークに残した、最後の、そして最も重要な「遺言」だったのだ。


シエルが、静かにユークの肩に手を置いた。


「過去は、真実を囁き始めた。さあ、因果の彼方へ、歩みを進める時よ」


砕け散った予言の石板の残骸が、ユークの足元で静かに輝いているように見えた。父が残した「真のメッセージ」を胸に、ユークは、因果の鎖に囚われた世界の真実を、そして、その先に広がる未来を、自らの手で切り開くことを決意した。

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