第7話:書庫の沈黙、過去の囁き
ユークは、崩れた神殿の奥、かつて神殿調律官たちが記録を保管していた書庫へと足を踏み入れた。停止した時間の中、舞い上がった埃は宙に静止し、光の筋となって降り注いでいる。その光景は、まるで時が止まったままの、過去の墓標のようだった。
「ここもまた、因果の檻ね。過去の記憶が、そのまま封じ込められている」
シエルが、ユークの隣で囁いた。書庫の棚は、無数の古びた書物や巻物で埋め尽くされている。神殿の歴史、神意の解釈、因果律の法則、そして歴代の調律官たちが記した報告書。その全てが、この場所に眠っている。
ユークは、慣れた手つきで棚の間を歩き始めた。彼の目は、不自然な空白や、埃の積もり方が異なる場所を探す。犯人が残した「真のメッセージ」が、この膨大な記録の中に隠されているはずだ。
「神殿の術式を熟知し、『虚無の螺旋』を扱える者……」
彼は呟きながら、指先で古文書の背をなぞった。その時、彼の指が、ある一冊の書物で止まった。それは、神殿の調律術式に関する最も深奥な知識が記された、通常は厳重に封印されているはずの秘匿書だった。しかし、その書物は、棚の奥に、わずかに傾いて置かれていた。まるで、誰かが急いで戻したかのように。
ユークは、その書物を引き抜いた。表紙には、神殿の紋章が刻まれているが、その紋章の縁に、微かな擦り傷が残されている。そして、その書物の隣にあったはずの、別の書物が、ごっそりと失われていることに気づいた。
「この書物……『因果の連鎖と禁忌の術式』。そして、その隣にあったはずの『予言の具現化と神意の解釈』が、ない……」
ユークの声に、微かな震えが混じった。失われた書物は、予言と因果律の最も深遠な秘密を記したものだ。そして、残された書物は、禁忌の術式について詳述している。犯人は、この二つの書物を参照し、あるいは持ち去ったのだ。
シエルが、ユークの手元の書物を覗き込む。彼女の瞳が、その内容を瞬時に読み取ったようだった。
「『因果の連鎖と禁忌の術式』……これは、禁忌の術式を発動させるための『触媒』の選定方法や、その代償について記されているわ。そして、失われた『予言の具現化と神意の解釈』は、予言の石板がどのように世界の因果に組み込まれているかを詳述しているはず」
彼女は、ユークの顔を見上げた。
「犯人は、この二つの書物から、勇者の『存在』を一時的に消滅させ、殺害するための方法を導き出した。そして、この『虚無の螺旋』の痕跡を残した……これは、単なる知識の流用ではない。犯人は、この神殿の『真の姿』を、あなたに知ってほしかったのかもしれない」
ユークは、書物を抱きしめた。神殿の術式、禁忌の魔術、そして予言の真実。これらが全て、勇者の死という一点に収束している。そして、犯人は、この書庫の沈黙の中に、自らのメッセージを刻みつけていた。それは、彼が知る神殿の歴史とは異なる、もう一つの「過去の囁き」だった。
因果の檻は、その深淵の記憶を、ついに開示し始めたのだった。
執筆が終わった話の掲載分が終わったので、完結済みにしておきます。
明日以降執筆が終わり次第、再開します。