6章 通り雨
——森の中で、何が起きたのか。
魔獣の群れが、スレンとユリックに襲い掛かってくる。
スレンが怯ませて、ユリックが止めを刺す。
二人の連携で、次々と魔獣を倒していった。
……そんな時だった。
突然、スレンに向かって魔法が飛んで来る。
反応が遅れたスレンの前に、ユリックは身を乗り出した。
そして、ユリックはスレンを庇って魔法を浴びた。
腹部は溶け始め、体から血が流れ出る。
慌てて駆け寄るスレンの背後には、一匹だけ残った魔獣の姿があった。
最後の力を振り絞り、ユリックは魔獣を斬る。
必死に魔法を唱えるスレンだったが、ユリックの傷は塞がらなかった。
薄れ行く意識の中、ユリックはスレンに生きて欲しいことを伝える。
そして、事の顛末を知るサラカに、スレンの命を託して息を引き取った。
***
「スレン様」
「……」
「スレン様」
スレンに呼びかけるも、反応が無い。
まるで魂が抜けたように、ただ一点だけを見つめていた。
「お食事はこちらにご用意しております」
「少しだけでかまいません。召し上がってください」
「……」
しかし、スレンは何も答えなかった。
「私はやることがありますので、失礼いたします」
「何かあれば、すぐに私をお呼びください」
そう言い残し、ネファリスは部屋を出ていった。
「……」
(ユリック……なんで……)
(約束……したのに……)
(死ぬ時は……一緒だって……)
膝の間に顔を埋める。
しばらくすると、外から雨音が聞こえてきた。
(私……どうすればいいの……)
(教えてよ……ユリック……)
——スレン様。
「!」
ユリックの声が聞こえ、顔を上げるスレン。
しかし、そこにユリックの姿は無かった。
「……」
——スレン様、こちらへ。
「……」
「ユリ……ック……?」
声に導かれ、スレンは部屋の外へ出る。
「ユリック……やめてよ……」
「隠れてないで……早く出て来てよ……!」
——こちらです。スレン様。
どこからか聞こえるユリックの声を、スレンは必死に追いかける。
「はぁっ……はぁっ……」
いつの間にか城を抜け出し、雨の中をただひたすらに走っていた。
「ユリック……!ユリック……!」
名前を呼び続けるスレンの先に、雨の中を歩く人の影が目に入る。
そこにいたのは、傭兵団を率いるサラカの姿だった。
「あっ……」
サラカの姿を目にし、足が止まるスレン。
同様に、サラカの目にもスレンの姿は映っていた。
「……」
しかし、スレンを無視して歩き始めるサラカ。
「待って……!」
「……何でここにいるの」
「言ったはず。もうあたしに関わらないで」
「……嫌だ」
「私も……連れていって……」
「断る」
再び歩き始めようとするサラカの手をスレンは引っ張る。
「お願い……」
「……」
「!」
スレンの手を振り解き、そのままスレンを突き飛ばす。
体勢を崩し、スレンはその場に倒れ込んだ。
「……死にたいんだったよね」
「さっきの続き、ここでしてあげる」
サラカは剣を抜き、静かにスレンに向かって歩き始める。
「だめです!サラカさん!」
一人の女性が、慌ててサラカにしがみついた。
しかし、サラカの動きは止まらなかった。
「い……や……」
手に持った剣が、スレンに向かって振り下ろされる。
スレンはその場から動けず、反射的に目を閉じた。
——キーン
突如、金属同士のぶつかる音が聞こえる。
恐る恐る目を開けると、そこには剣を止めるネファリスの姿があった。
「……なんでここに」
「なぜスレン様を殺そうとするのですか?」
「……その子が望んだことだから」
「あたしの質問にも答えてくれる?」
「……スレン様の、御身をお守りするためです」
「もう、ユリック様はいらっしゃらない」
「——」
ネファリスの一言に、スレンは息を呑んだ。
「随分酷いこと言うのね。それでも王様の従者?」
「……まあいい。あなたが面倒を見てくれるならそれで」
「早く連れてって」
「かしこまりました」
「スレン様、どうぞこちらに」
「……嫌」
「私……ついていく……」
「はぁ?」
倒れたまま、スレンはか細い声で答える。
「なあ、あんたはどうしてそこまで団長にこだわる?」
「こんな仕打ちを受けて、普通は団長に近付きたくなくなるだろ」
「……」
「ユリックが……連れて来てくれた……」
「あなたの……ところに……」
「……意味が分からない。彼が連れてきてくれたって何?」
「あたしはあなたを連れて行く気は無い」
「彼女と一緒に、早く城へ帰って」
「……」
黙り込むスレン。それを見つめるネファリス。
少しの沈黙の後に、ネファリスは刀を構えた。
「サラカ様」
「私と戦って下さい」
「はあ?」
「私が勝ったら、スレン様の同行を許してください」
「断る。あたしに何のメリットが?」
「私が負けたら、どんな命令でも従います」
「あんたがどれほどの腕かは知らないが、やめておいた方がいい」
「そうです、姉さんは強い。やる前から結果は目に見えてる」
「いえ。やってみなくては分かりません」
「……」
ネファリスは、ただ真っ直ぐサラカを見つめていた。
「例えば……あなたにその子を殺せって言っても、従うの?」
「……はい」
「!」
「そう……呆れた」
サラカは剣を構える。
「守るって言ったくせに、案外その子の命なんて何とも思ってないんだ」
「それなら今のうちに謝っときなよ」
「殺すことになってごめんなさいって……ね」
サラカがネファリスに斬りかかる。
——キーーンッ
雨の中、激しくぶつかり合う剣の音が響き渡る。
初撃を受け止めたネファリスは、サラカの攻撃をかわし続けていた。
「私の動きを見切るつもり?」
反撃する様子が無いことに気づき、サラカは攻撃を止めた。
「それなら私から攻撃はしない」
「そちらからどうぞ」
「……では、参ります」
「消えた……!?」
ネファリスの姿が一瞬で消える。
周囲の傭兵たちは、その姿を捉えることが出来なかった。
「……後ろね」
しかし、サラカはネファリスの姿を捉えていた。
死角からの一撃を防がれ、ネファリスは一度距離を置く。
「通用しませんか。ならば……」
次の瞬間、ネファリスは三人に分身した。
「こちらはどうでしょうか」
「驚いた。そんな芸当ができるんだ」
「でも……」
分身はそれぞれ異なる方向から、サラカへ向かって攻撃を仕掛ける。
それに対し、サラカは体勢を低くして剣を構えた。
「!」
直後、サラカはその場で周囲を斬り払う。
サラカの剣は、的確に分身だけを切り裂いた。
(分身だけを狙って……)
振り切ったサラカの剣は、真っ直ぐネファリスの方を向いていた。
——ドクンッ
「!」
身の危険を感じるネファリス。
その瞬間、ネファリスの心臓が強く鼓動した。
(だめ……出てきては……)
思わずその場に膝をつく。
見上げたその先には、剣を振り上げたサラカの姿があった。
(しまっ……)
咄嗟に刀を構えるネファリスだったが、首元に冷たい感覚が生じる。
サラカの剣は、ネファリスの首に触れて動きを止めた。
「気が済んだ?」
「……私の負けです」
ネファリスの手から刀がこぼれ落ちる。
「何なりとお申し付けください。サラカ様」
「いや……だよ……」
スレンは座ったまま後ずさる。
その怯えた表情を、サラカは目にしていた。
「……」
「殺せ……なんて言わない」
「目の前で殺されても、あたしは気分が悪いから」
「だから、あなたはその子が死ぬまで面倒を見なさい」
サラカは剣を収めて歩き始める。
傭兵達も、皆サラカの後ろをついて行った。
「……」
残された二人は、しばらくその場から動くことが出来なかった。
「スレン様……申し訳ございません」
「私が、不甲斐ないばかりに」
「なんで……」
「はい?」
「なんで……そこまでして私のこと……」
「……それは言えません」
「……」
「……くしゅん」
「いけません、風邪を引いてしまいます」
「城へ戻りましょう。私がお連れいたします」
スレンを抱き抱え、道なりに歩いて行くネファリス。
いつしか、雨は静かに止み始めていた。
***
その翌朝。
雨は止み、澄んだ青空が空一面に広がっていた。
港町では支度を済ませ、サラカたちが船に乗り込もうとしていた。
……そんな時だった。
「……何でいるの」
「サラカ様に同行するためです」
サラカ達の前には、スレンを連れたネファリスの姿があった。
「あんたは王様の従者でしょ。こんな所にいていいわけ……」
「アルヴェン様には許しを得ています」
「それに、スレン様も昨夜からずっとこのご様子です」
「サラカ様から、離れるわけには参りません」
「……」
サラカに睨まれ、ネファリスの後ろに隠れるスレン。
「死ぬまで面倒を見てと言ったはずよ。早く帰って」
「はい。確かにそのように命令を受けました」
「ですが、ついて来るなとは言われていません」
「ぷふっ……」
傭兵の一人が思わず噴き出した。
「ははっ、あんたも中々頑固だなぁ。団長を言い負かせるとは」
「あんたは団長ほどでは無いが、腕は立つ」
「ついてくるなら、もちろん傭兵の仕事も手伝ってくれるんだろ?」
「はい。サラカ様に従います」
「これは諦めるしかないですな、姉さん」
「……はぁ。命令すること間違えた」
頭を抱えるサラカ。
「分かった。でもついてくるならこれだけは守って」
「あなた、あたしの前では喋らないで」
「……嫌なことを思い出すから」
「……(こくっ)」
ネファリスの後ろに隠れながら、スレンは静かに頷いた。
「ふふっ、なんだか急に華やかになりましたね」
「ああ、むさくるしさは減るだろうな。良いことだ」
「おいおい、セルディスもこっち側だからな?」
「ブラッツ程じゃないだろう」
「……いいから出発するよ」
「了解だ、姉さん」
「ほら、あんたたちも乗った乗った」
ガルムに連れられ、スレンとネファリスは船に乗り込む。
波の音に見送られ、一同は大陸を後にした。
「……」
船上で空を見上げるネファリスは、一人サラカの言葉を思い出していた。
(サラカ様の嫌なこと……)
(過去に、何かがあったのですね)
「……」
(それを、知ることが出来れば)