19章 断罪の刻(とき)
「スレンさん!スレンさん!」
「ううっ……」
「……ティーナ……さん?」
慌てた様子のティーナが、スレンの顔を覗き込んでいた。
「よかった! 気がついたんですね!」
「ごめんなさい!新しく覚えた魔法だったので、加減が分からなくて……!」
「どこか痛むところはありませんか!?」
「う、ううん……大丈夫」
「それより、ネファリスは?」
「まだ気を失っていますが、命に別状はありません」
「そっか、よかった……」
「——来るなっ!」
「!」
突然、背後からアルヴェンの声が聞こえてくる。
声の方へ目をやると、そこにはアルヴェンを追い詰めるサラカの姿があった。
「……散々やってくれたわね」
「あたしは言ったはずよ、あなたに危害は加えないって」
「それを拒んだのはあなた」
「全部……あなたが望んだこと」
「文句があるなら、あの世で言ってよね」
徐々に距離を詰めるサラカに、アルヴェンは後ずさっていく。
「まだ……終わっていない」
「私は、この国の王だ」
「最後まで……あがいてみせる……っ!」
アルヴェンが落ちていた剣を拾い上げ、そのままサラカに斬りかかる。
「はああああぁぁぁっ!」
「……」
「あなたの負けよ、アルヴェン」
鋭く放たれた一撃が、アルヴェンの剣を弾き飛ばした。
「!」
目前に迫る刃に驚き、アルヴェンは思わず転倒する。
サラカの剣は、アルヴェンの頬をかすめて止まった。
「……あなたはネファリスに何をしたの?」
「何の目的があって、彼女の身体を作り変えたの?」
「答えてくれるよね……王様?」
「傭兵風情が……私を脅すのか……」
「脅してるように見える?」
「あたしはただ、説明してほしいだけなんだけど」
「ならばその剣を下ろせ」
「それは無理。変な真似されたら困るから」
「見ての通り、私は武器も何も持っていない」
「傭兵サラカに生身で勝てるほど、私は強くない」
「だから安心しろ」
「……」
サラカは一瞬、倒れたネファリスの方に視線を向ける。
「……はぁ、分かった」
「あなたといいネファリスといい……」
「なんでこの国の人たちは、あたしに剣を下ろさせるのかしら」
ため息をつきながら、サラカは剣を収める。
「これで満足?」
「聞かせてくれる?あなたがしてきたこと、全部」
「場合によっては……許してあげないこともない」
「……」
しかし、アルヴェンは無言のままだった。
「このまま黙ってるつもり?」
「それなら最初から、剣を下ろさせないで欲しいんだけど……」
「お姉ちゃん、待って」
背後から聞こえた声に、サラカが振り返る。
そこには、ゆっくりと歩み寄るスレンの姿があった。
「スレン?」
「王様、教えてください」
「ネファリスのこと……」
「あの力、あの人格は……いったい何なんですか?」
「……」
「お願いします……王様」
スレンはまっすぐアルヴェンに頭を下げた。
「……」
「スレン殿には……悪いことをした」
「え……?」
その姿を目にしたアルヴェンは、一息ついて静かに語り始めた。
「ネファリスの力」
「それは……私たちの国に伝わる召喚術だ」
「召喚術……?」
「魔獣や魔物を自由に呼び出す術だ」
「父はその術を用いて、この国を守ろうとした」
「だが、召喚術は体に凄まじい負荷がかかる」
「普通の人間では、到底耐えられるものではない」
「だからネファリスの体を作り変えたってこと?」
「そうだ」
「……最初に目を付けたのは父上だった」
「私はその日記だけを頼りに、幾度となく実験を繰り返した」
「それから数年が経った頃だ」
「私たちは、父上を殺した人物の手がかりを掴んだ」
「それが隠者……ネファリスの一族だった」
「だから私は、ネファリスを実験台に選んだ」
「奴らに、父上を殺した復讐をするために」
「……」
「その結果、その実験は遂に成功した」
「その時に生まれたのが、ネファリスのもう一つの人格だ」
「だが……実験は成功しても、召喚術は未完成だった」
「魔獣を呼び出すことも出来なければ、体も負荷に耐えられない」
「それからまた時を重ね……ついにその時が来た」
「遠く離れた地で、ネファリスは魔獣を召喚した」
「それって……まさか……」
「……ああ」
「エルドリオンが治める地で、私たちは魔獣を召喚した」
「それから先のことは……スレン殿自身が体験した通りだ」
「——」
スレンは膝から崩れ落ちる。
「そんな……王様が……」
「お父様を……お母様を……」
「ユリックを……殺したの……?」
「……スレン殿には、本当に申し訳ないことをした」
「申し訳ないで済むと思ってるの?」
「あなたのせいで、どれだけの人が不幸になったと思う?」
「よくもまあ……平気な顔してスレンの前に立ってたわね」
サラカの言葉からは、静かな怒りがにじみ出ていた。
「もう話を聞くまでもない」
サラカはアルヴェンの首元に剣を当てた。
「あなたを殺して、ここで全部終わらせる」
「……」
「——サラカ様、お待ちください」
「!」
サラカの剣が振り上げられる直前、その動きが止まる。
そこには静かに歩み寄るネファリスの姿があった。
「ネファリス、邪魔しないで」
「いいえ。サラカ様はお下がりください」
「私がやります」
ネファリスは刀を抜き、二人の間に割って入った。
「ネファリス……お前……」
「アルヴェン様、あなた様には感謝しております」
「私を生かしてくださったこと」
「私に、力を与えてくださったこと」
「もちろんそのおかげで……スレン様の運命が変わってしまいました」
「……」
「ですがこの二つがなければ、私はスレン様やサラカ様……」
「傭兵団の皆様と、出会うことはありませんでした」
「今の私は、スレン様の家族です」
「スレン様と、ともに生きることを決めました」
「だからこそ、もう一つの人格を……私の中から排除しなければなりません」
「あなたがいなくなれば、もう命令に従う必要がありませんので」
ネファリスが刀を構える。
「サラカ様は剣を収めてください」
「ここで起きたことは、私が全て責任を負います」
「あなた方は……ただこの場所に居合わせただけです」
「ネファリス。お前は決めたのだな……」
「ならば、最後に伝えておこう」
「——命令だ。こいつらを排除しろ」
「!」
——ドクンッ
「ネファリス!」
心臓を押さえ、ネファリスはゆっくりと目を開く。
その瞳は、再び赤色に染まっていた。
「ネファリス!だめっ!」
スレンは慌ててネファリスの足にしがみついた。
「……」
「——スレン様、足を離してください」
「え……?」
「——私はネファリスです。安心してください」
赤く染まった目を見つめるスレン。
その目は優しくスレンのことを見つめ返していた。
「な、なぜだ……っ!?なぜ意識を保っている!?」
「——アルヴェン様」
「——私はもう、あなたの人形ではありません」
「——スレン様とサラカ様」
「——そして、傭兵団の皆様とともに歩み続ける……」
「——ネファリスという名の、一人の人間です」
そこにいたのは、間違いなくネファリス本人だった。
「——スレン様、少し目を閉じていてください」
「——私はここで……過去を断ち切ります」
ネファリスは刀の切っ先を、アルヴェンの方へ向ける。
「——どうか、安らかにお眠りください」
「やめろ……ネファリス!」
「——アルヴェン様」
「やめ——」
その言葉を遮るように、ネファリスはアルヴェンの首を斬った。
そしてアルヴェンの体は、力なくその場に崩れ落ちた。
「……」
「ネファリス、後片付けは頼んだわよ」
「あたしたちは港町で待ってるから、やることが終わったらあなたも来て」
「……かしこまりました、サラカ様」
「ほらスレンも立って」
「後ろは見ちゃだめだよ」
「う、うん」
アルヴェンの最期を見届けたサラカは、スレンを連れてその場を後にした。
「……」
「全て、終わったのですね」
一人残されたネファリスは、動かなくなったアルヴェンを見下ろしていた。
「一族の仇」
「そのはずなのに……不思議です」
「あなたを見ても、怒りも憎しみも……何の感情も湧いてきません」
ネファリスは静かに膝をつき、アルヴェンの体を抱き上げる。
「ですが、今はそのおかげで助かりました」
「私は……道を踏み外さなくて済みそうです」
アルヴェンを抱え、ネファリスは歩き始める。
「死ぬはずだった私が、この場所を歩いているのは……」
「紛れもなく、アルヴェン様のおかげなのですから」
「……今はただ、そのことに敬意を称しましょう」
静けさに包まれた玉座の間に、ネファリスの足音だけが響き渡る。
まっすぐ前を見つめるその瞳は、穏やかな元の色へと戻っていた。




