1章~始まりの青~
「……」
屋敷の一室で、リオナスは物思いにふけていた。
「エルドリオン様は、なぜそこまで私を……」
——二日前、リオナスはエルドリオンの下を訪れていた。
「お前の政策は素晴らしいものだ、リオナス」
「いずれはこの国の王になる器だと……」
「そのように噂をされる程にな」
「勿体なきお言葉です、エルドリオン様」
「ですが、これは私一人では成し遂げられなかったことです」
「私を信じ、支えてくれる民や仲間がいる」
「その者たちの思いに、私は応えなければなりません」
「お前の良いところが出ているな。殊勝な心掛けだ」
「ありがとうございます」
「……だがな、リオナス」
「少しばかり、他の者の意見を軽んじているのではないか?」
「軽んじる……?」
「長らく王家を支えてくれた者たちからは不満の声が上がっておる」
「お前の生い立ち故、納得いかない者もいるのだろう」
「平民だったお前が、今や国の方針を決める立ち位置にいる」
「それは素晴らしいことで、皆から称賛されるべきだが……」
「少しだけでも良い。彼らの意見にも、耳を傾けてはどうだろうか」
「……」
リオナスは少し考える。
「……申し訳ございません、エルドリオン様」
「皆様の仰ることは、私が一番理解しています」
「元々平民である私は、皆様の考えとは違うかもしれない」
「ですが私たちが取り組んできた政策を、ここで曲げるわけにはいかないのです」
「今だけは私の行いを……許していただけないでしょうか」
「ふむ……」
エルドリオンは少し考える。
「……よかろう。他の者には私から話しておこう」
「ありがとうございます」
「この御恩、必ず結果でお返しいたします」
「では、私はこれで……」
「待て」
退室しようとしたリオナスを、エルドリオンは呼び止める。
「エルドリオン様?」
「リオナス、もう一つ確認しておかねばならないことがある」
「確認?」
「そうだ」
「——お前、領内で魔獣を飼いならしていないか?」
「魔獣……?」
「先日目撃された謎の光」
「その光と共に、魔獣が現れるようになった」
「どうやらその出どころは、お前の領内だそうじゃないか」
「わしはお前を疑っておる」
「私を……?」
「そうだ」
「魔獣の出所を調査に向かった私の家臣が消息を絶った」
「家臣はお前の政策に意見を申していたからな」
「それが気に入らず、魔獣をけしかけたのではないか?」
「そんな……私は決してそのようなことは……」
「それに、私は魔獣を見たことがありません」
「何かの間違いではないのでしょうか……?」
「間違いであれば、このようなことにはなっていない」
「先日、私は腕の立つ傭兵団を雇った」
「今はその者たちが魔獣の掃討を行っている」
「もし、今回の事件にお前たちが関わっているとすれば……」
「お前の命は無いと思え。分かったな」
「……」
「……失礼いたします」
リオナスは頭を下げ、その場を立ち去った。
「……」
「貴族の儲けを民に分け与え、国全体を豊かにしていくか」
「……はっ、いかにも平民らしい考え方だ」
「民たちの感触は良いかもしれぬが、貴族から反発があるのは当然だろう」
「魔獣も丁度良い時に現れたものだ」
「忠臣とはいえ、あやつは死んで正解だった」
「……これを機に、奴にも退場してもらおう」
「奴が消えれば、他の者たちからの不満も減るだろう」
「リオナス……お前はここで終わるのだ」
——翌日。
「あなた、本当に王様がそのようなことを……?」
「ああ」
「……どうやら私は、エルドリオン様に目をつけられているらしいな」
「私がやってきたことは、間違っていないと信じたいが……」
「こうなってしまった以上、今は身の安全が最優先だ」
「エラニア。今日から当分、スレンと一緒に夜を過ごしてくれ」
「え?」
「……胸騒ぎがするんだ。気のせいかもしれないが」
「スレンには、このことを伝えないの?」
「そのつもりだ」
「……これ以上、スレンを苦しませたくないからな」
「あなた……」
「……分かったわ。スレンには、一緒に寝たくなったってお願いする」
「でも、事情はそれとなく伝えておくからね」
「一人にされたら、スレン拗ねちゃうでしょ?」
「……ははっ、これは手厳しいな」
「その辺はお前の判断に任せるよ」
「二人でスレンを守ろう」
「ええ、もちろんよ。あなた」
——その夜、エラニアの寝室にて。
「すぅ……すぅ……」
「……」
スレンの方へ手を向けるエラニア。
優しい光が、スレンの体を包み込む。
「うっ……ううん……」
「!」
一瞬、身をよじったスレンだったが、再び静かな寝息を立て始める。
「すぅ……すぅ……」
(……良かった、眠ってる)
エラニアは安心したように、そっとスレンの頭を撫でる。
(どうか……スレンを守って……)
心の中でそう祈りながら、彼女はスレンのそばに静かに寄り添っていた。
***
——グオオオオオオォッ!!
「!」
屋敷の奥から響く謎のうめき声。
ユリックはすぐさま外へ飛び出した。
「今の声は、まさか……!」
音のした方へ駆け出し、辺りを見渡す。
だが、そこに魔獣の姿はなかった。
「……」
(確かに魔獣は存在している)
(だがなぜだ?なぜ私たちの前に姿を見せない?)
(……何かがおかしい)
屋敷へ戻ろうと身を翻した、その瞬間だった。
ユリックの目に、別の影が映る。
(誰だ?なぜこのような時間に……)
ユリックは剣を抜き、その人影を追う。
視界にあったそれは、屋敷から離れる方向へと進んでいく。
しかし、その人影は突如として姿を消した。
(いったい何が……)
——ガシャーン!!
!
轟音と共に突然、背後から赤黒い光が差し込む。
即座に後ろを振り返るユリック。
目の前に広がっていたのは——炎に包まれ、燃え上がる屋敷だった。
「まさか火を……!」
「リオナス様!エラニア様!スレン様!」
三人の身を案じ、ユリックは屋敷へ向けて全力で駆け出した。
——同時刻、屋敷内部にて。
「ううっ……」
熱風に顔を撫でられ、スレンは目を覚ました。
「!」
「なに……これ……?」
立ちのぼる火柱、崩れかけた天井、熱気に揺れる空気。
視界に広がるのは、炎に包まれた部屋だった。
「お母様……!」
おぼつかない足取りで立ち上がり、後ろを振り返る。
「え……?」
恐怖がスレンの胸を締めつけ、全身の血の気が引いていく。
視線の先には、——瓦礫に挟まり血を流すエラニアの姿があった。
「い……いや……」
「いやああああああ!!」
思わず部屋を飛び出るスレン。
(嘘……嘘だよ……)
廊下を駆け抜け、自分の部屋へと戻る。
震える両手で、棚に入れていた短剣を取り出した。
(これは夢……夢だから……)
(目が覚めたら……全部、元通りに……)
自らの腕を切りつけるスレン。
鋭い痛みとともに、腕から血が噴き出した。
「ああ……あああああっ!!」
「痛い……痛いよ……」
(夢じゃ……ない……)
流れ出る血を押さえ、スレンはその場に座り込んだ。
(なんで……)
「……」
「光……よ……」
優しい光が、スレンの傷口に触れる。
いつかと同じ癒しの力が、彼女の腕を包み込んだ。
「……」
(お父様の……ところへ……)
力ない動きで立ち上がり、扉に手をかける。
その瞬間、足元が大きく揺れた。
「な、なに……!?」
「!」
スレンの頭上から瓦礫が降ってくる。
咄嗟に身を躱したが、その足元から感覚がなくなった。
「えっ……?」
瓦礫の重みで床が崩れる。
気づいた時には、全身が宙を舞っていた。
「きゃああああああああ!!」
背中から床に激突し、鋭い衝撃が全身を貫いた。
「あっ……あぁぁっ……」
息が詰まり、視界が霞む。
飛びそうになる意識を、必死でつなぎとめた。
しかし、体勢を変えようとした瞬間、倒れた棚が全身にのしかかってきた。
「——」
声にならない悲鳴が喉から漏れる。
充満した煙に巻かれ、視界はじわじわと歪んでいく。
(嫌だ……嫌だよ……)
(なんで……こうなっちゃったの……なんで……)
涙が零れ、頬を濡らす。
(熱い……苦しい……)
(お父様……ユリック……助けてよ……)
薄れゆく意識の中、ふたりの姿が頭に浮かぶ。
スレンの意識は、静かに煙の中へと沈んでいった。
***
「まずい、こんなところまで火が……!」
ユリックがたどり着いた時には、すでに屋敷全体が炎に包まれていた。
「リオナス様!エラニア様!スレン様!」
「どなたかいらっしゃらないのですか!!」
——反応がない。
炎の音だけが、屋敷中に響き渡っていた。
「くっ……私だけが生きていても意味がない……」
「必ずお救いいたします……!」
息を大きく吸い、ユリックは階段を駆け上げる。
熱気をかき分け、エラニアの部屋の前へとたどり着いた。
「エラニア様!スレン様!」
扉を開けるユリック。
——ゴォッ!!
「!」
爆ぜるように炎が噴き出す。
咄嗟に身を引き、間一髪で炎を避けた。
「まさか……お二人は中に……」
部屋はすでに火に呑まれ、近づくことすらままならなかった。
「くっ……申し訳ございません……」
奥歯を噛み締め、ユリックはリオナスの部屋へと走る。
「リオナス様!」
扉を開けた先には、ベッドにもたれかかるリオナスの姿があった。
「リオナスさ……」
「!」
——両足が見当たらない。
床に滲んだ赤い染みが、すべてを物語っていた。
「……」
ユリックは思わず息を飲んだ。
慌てて駆け寄り、リオナスの肩を揺さぶる。
「うっ……うう……」
「!」
「リオナス様……!」
「おお……ユリックか……」
リオナスが目を開ける。
「リオナス様、すぐに外へお連れいたします。私の手を……」
「……だめだ。私は血を流し過ぎた」
「ここを出たとしても……いずれ死ぬ……」
「ユリック……スレンを助けてくれ……」
「ですが……スレン様は……」
「先ほど……スレンの叫び声が聞こえた……」
「スレンの部屋からだ……」
「おそらく……そこにいる……」
「!」
リオナスは、かすかに笑みを浮かべながら続けた。
「頼む……ユリック……」
「スレンを……」
「あの子の命を……お前に託した……」
「そばで……支えてやってくれ——」
微笑を浮かべたまま、リオナスは静かに息を引き取った。
ユリックは一度だけ目を閉じ、深く頭を垂れる。
「リオナス様……」
「……お任せください」
決意の表情を宿したまま、リオナスの部屋を後にした。
リオナスの言葉を頼りに、ユリックはスレンの部屋へ向かう。
扉を開けたその先には、大きな穴が空いていた。
「!」
見下ろした先にスレンの姿を見つける。
「スレン様!」
呼びかけるが、スレンの返事はなかった。
(確か……スレン様の部屋の下は倉庫だったはずだ)
すぐさま階段を駆け下り、倉庫の扉を開ける。
そこには、瓦礫に埋もれたスレンが横たわっていた。
「スレン様!目を開けてください!!」
瓦礫を必死にかき分けながら、ユリックは声を張り上げる。
「……」
(ユリ……ック……?)
かすかに聞こえるその声に、スレンの意識がわずかに戻る。
(前が……見えない……)
声の方へ手を伸ばすスレン。
その手をしっかりと掴み、ユリックはスレンを抱き起こした。
「良かった……!スレン様!」
ユリックはスレンの身体を抱きかかえ、燃える屋敷を走り抜ける。
(あ……あぁ……)
(良かっ……た……)
安堵とともに、スレンは再び意識を失った。
(リオナス様……エラニア様……)
二人のことを思いながら、屋敷を脱出したユリック。
その直後、屋敷が轟音を立てて崩れていった。
「……」
ユリックは振り返らずに歩き続ける。
炎の海と化したその場所には、もう、誰の姿もなかった。
——昨夜の出来事から一夜が明ける。
「ううっ……」
まぶたの裏が明るくなる。
朝日が差し込み、スレンは目を覚ました。
「ここって……ごほっ……」
(喉が痛い……煙を吸い過ぎたのかな……)
地面に手をつき、重い体を持ち上げる。
視線の先には、眠っているユリックの姿があった。
「ユリック……」
静かに歩み寄り、優しくユリックの肩に触れた。
「ユリック……起きて……」
「!」
スレンのか細い声に、ユリックがはっと目を開いた。
「スレン様……?」
「良かった……気がつかれたのですね!」
「お身体は?どこか痛む場所はありませんか?」
「うん……げほっ……大丈夫……」
「スレン様、もしかして喉が……」
「煙……吸い過ぎたのかも……ごほっ……」
「無理に話さないで下さい。今は喉を休めましょう」
「……」(こくっ)
スレンは静かに頷く。
少しの間を置いて、ユリックが話し始めた」
「……スレン様、昨夜のことです」
「屋敷を離れていた間に、怪しげな人影を見ました」
「おそらく、あの者が火を放ったのだと思われます」
「……もしかすると、エルドリオン様の兵かもしれません」
「!」
(王様が……?どうして……?)
「エルドリオン様は、リオナス様のことを疑っていました」
「魔獣を消しかけ、エルドリオン様の家臣を殺害したと」
「ですが、私たちは魔獣を目撃したことがありません」
「それなのに、今回のような横暴に出たということは……」
「……リオナス様は、何らかの理由でエルドリオン様に疎まれていたのかもしれません」
「……」
(なんで……お父様が……)
「……スレン様」
「こんなことを言いたくありませんが……」
ユリックの表情が曇る。
「——この国を、離れた方が良いと思います」
「え……?」
思わず声が漏れだす。
「今の状態で、この国に留まるのは危険です」
「私たちが生きていると知れば……」
「再び、命を狙われることになるでしょう」
「……」
「だめ……だよ……げほっ……」
「お父様も……お母様も……」
「全部……置いていくなんて……げほっ……」
「スレン様……」
「……」
しばしの沈黙の後、ユリックは静かに語り始めた。
「……私はリオナス様に、あなたの命を託されました」
「この国に留まれば、スレン様が安心して暮らせる日は訪れない」
「どこか、遠い場所へ」
「——私たちの……安寧の地を見つけに行きましょう」
「あなたは私にとって、残された最後の光なのです」
「どうか……」
「……」
(こんなユリック……初めて見た……)
「ごめ……んね……」
「わたしの……せいで……げほっ……」
「そんな……スレン様のせいではありません」
「確かに私は、スレン様のことを託されました」
「ですがそれは……私自身が選んだ道です」
「命を賭けてでも、あなたを守り抜くと」
「……」
「……だめ」
「え?」
「だめ……だよ……」
スレンはおもむろに、自身の首に手を当てた。
「スレン様?何を……」
「……」
「ひか……りよ……」
スレンの手に白い光が集まり始める。
そのまま、自身の喉元をやさしく包み込んだ。
「……」
「ユリックも、私と一緒に生きなきゃだめ。
「!」
ユリックが目を見開く。
「スレン様、声が……」
「ユリックがいなくなったら……私、一人になっちゃうから」
「スレンは静かに、ユリックへと手を差し出した」
「だから、約束して」
「——死ぬ時は……私も一緒だよ」
「!」
スレンから放たれた言葉に、ユリックは動揺した。
「……」
沈黙の後、彼はゆっくりとスレンの手を取る。
「……かしこまりました」
「それまでは必ず、私があなたをお守りします」
「……うん」
「約束、だよ」
スレンは、かすかに笑った。
「……」
(スレン様、申し訳ございません)
(……あなたとの約束、私は守ることができません)
(あなたのためなら、私の命など……)
「ユリック?」
「……いえ、何でもありません」
ユリックは微笑み姿勢を正す。
「そうと決まればスレン様、すぐにでも港町へ向かいましょう」
「……追っ手が現れては、いけませんから」
「う、うん?」
二人は身支度を整え、森の外へと歩き始めた。