0章 夜明けの前に
(熱い……苦しい……)
(お父様……ユリック……助けて……)
***
「ふわぁ……」
ある日の朝。
太陽に照らされ、スレンは目を覚ました。
「……うん、今日も良い天気」
窓の外を眺めて伸びをする。
着替えを済ませ、スレンは部屋を出た。
「おはようございます、スレン様」
この執事の名はユリック。
スレンの父、リオナスに仕える忠実な従者だ。
「おはよう、ユリック」
「ねえ、今日はお出かけしてもいいでしょ?」
「ずっと街に行ってないからさ……ね?」
「だめです。今日はエラニア様とのご予定があります」
「魔法の勉強をなさるのでしょう?」
「ううっ、魔法は苦手だよ……」
「お母様の言ってること、難しくて分からないんだもん」
「ねえユリック、今日も剣を教えてよ」
「剣の訓練は体を動かせるから楽しいの。勉強は退屈だし……」
「ね?それならいいでしょ?」
「……スレン様?」
ユリックがスレンを睨む。
「うっ……」
思わず肩をすぼめるスレン。
あの目はもうすぐ怒ってしまう。スレンは直感した。
「分かった……お母様のところへ行くよ……」
「はい。その意気ですよスレン様」
「朝ごはんの支度が出来ています。食堂へいらしてください」
ユリックは微笑んで食堂へ歩いて行った。
「……」
逆方向へ歩き出すスレン。
「ちょっとくらいなら……」
「ス~レ~ン~さ~ま~?」
「!」
スレンの肩に手が触れる。
「どちらへ行かれるのですか?」
「は、ははっ……間違えただけだよ……!」
方向転換して食堂へ走るスレン。
(ううっ……今日は諦めるしかないか……)
(明日こそは……必ず……!)
「……」
「全く……スレン様は油断出来ませんね」
「さて、私も領内の見回りに行って参りますか」
***
「おはよう、お父様」
食堂に入ると、リオナスが食事をとっていた。
「スレン、おはよう」
「起きて早々、ユリックの手を焼かせていたようだな?」
「ち、違うよ」
「ずっと街に行ってなかったから、ちょっと遊びに行きたかったの」
「でも、今日はお母様との魔法の勉強があるって……」
「そういうことだったのか」
「すまないな、スレン。本当はもっと自由にしてやりたいのだが……」
「ここのところ、良くない噂が流れていてな」
「噂?」
「ああ」
「少し前に、領内で騒ぎがあっただろう?」
「お屋敷の周りが、ピカーッて光ってたこと?」
「そうだ」
「その光が発生してから、近くで魔獣が現れ始めたらしい」
「だが、私たちは魔獣を見たことがない。見回りに出たユリックを含めて、だ」
「しかし、それを調査をしに来たエルドリオン様の家臣が、領内で消息を絶ってしまったんだ」
「それが原因で、私が命を奪ったと疑われてしまってな……」
「どうにか疑いを晴らさなくては、安心して街へ行かせてやることが出来ないんだ」
「何、心配しなくてもいい」
「すぐいつものように、街へ出かけられる日が戻ってくる」
「それまでは退屈だと思うが、皆と一緒にこの家を守っていてくれ」
「……それが終わったら、遊びに行ってもいいんだよね?」
「ああ、もちろんだ」
「良かった!」
「それじゃあ、今日はお母様と一緒に魔法の訓練を頑張るよ」
「その調子だスレン」
「それじゃあ、私は少し出かけてくるよ」
「今回の件が落ち着いたら、母さんとユリックと四人で出かけよう」
「王都で美味しいものを食べて、演劇を見て……」
「今まで出かけられなかった分、みんなで満喫しようじゃないか」
「楽しそう……!」
「うん、絶対だよ。約束だからね!」
「いってらっしゃい、お父様」
「ああ、行ってくるよ」
リオナスが部屋から出て行った。
***
「うーん……」
魔導書をじっと見つめるスレン。
「やっぱり難しい……書いてることが分からないよ」
「焦らないでスレン。少し休憩しましょう」
エラニアはスレンの隣に座った。
「お母様は、これ全部読んだの?」
「ええ、ずいぶん昔のことだけどね」
「実は私も、勉強は苦手だったの」
「お母様が?」
「そう」
「でも、国のために怪我を負ってしまう皆を見て、じっとしていられなかったの」
「戦うことが出来なくても、役に立てることがある……」
「そう思って、私は治癒魔法を学び始めた」
「もちろん最初から上手くいくなんてことは無かったわ」
「少しずつ学んでいくうちに、ようやく少しの怪我なら治療出来るようになった」
「その時に自信がついたの。やってきたことは間違いじゃなかったって」
「だからスレンも、少しずつでいいの」
「投げ出さずに続けることが大切。だから、一緒に頑張りましょう?」
「お母様……」
「……うん、分かった。少しずつ、頑張ってみるよ」
「痛っ……!」
スレンの指から血が流れる。
「スレン、大丈夫?」
「ごめんなさい。本で指を切っちゃった……」
「……」
エラニアがスレンの手を掴む。
「お母様?」
スレンの手を傷口に近づけるエラニア。
「スレン、やってみて?」
「え?」
「教えたこと。ね?」
「あっ、そっか」
「……」
スレンは目を閉じて集中する。
「……」
「光よ……傷を癒して……」
スレンの手を優しい光が包み込む。
「……」
ゆっくりと目を開けるスレン。
「……あっ!」
「傷が……治ってる……!」
「やったよ!お母様!」
エラニアに抱き着くスレン。
「ふふっ、凄いわスレン。あなたにも出来たじゃない」
「これが最初の一歩。今の感覚を忘れないようにね」
「うん!」
「絶対、お母様みたいになってみせるから!」
***
「……」
屋敷の一室で、リオナスは物思いにふけていた。
「エルドリオン様は、なぜそこまで私を……」
——二日前、リオナスはエルドリオンの下を訪れていた。
「お前の政策は素晴らしいものだ、リオナス」
「いずれはこの国の王になる器だと……」
「そのように噂をされる程にな」
「勿体なきお言葉です、エルドリオン様」
「ですが、これは私一人では成し遂げられなかったことです」
「私を信じ、支えてくれる民や仲間がいる」
「その者たちの思いに、私は応えなければなりません」
「お前の良いところが出ているな。殊勝な心掛けだ」
「ありがとうございます」
「……だがな、リオナス」
「少しばかり、他の者の意見を軽んじているのではないか?」
「軽んじる……?」
「長らく王家を支えてくれた者たちからは不満の声が上がっておる」
「お前の生い立ち故、納得いかない者もいるのだろう」
「平民だったお前が、今や国の方針を決める立ち位置にいる」
「それは素晴らしいことで、皆から称賛されるべきだが……」
「少しだけでも良い。彼らの意見にも、耳を傾けてはどうだろうか」
「……」
リオナスは少し考える。
「……申し訳ございません、エルドリオン様」
「皆様の仰ることは、私が一番理解しています」
「元々平民である私は、皆様の考えとは違うかもしれない」
「ですが私たちが取り組んできた政策を、ここで曲げるわけにはいかないのです」
「今だけは私の行いを……許していただけないでしょうか」
「ふむ……」
エルドリオンは少し考える。
「……よかろう。他の者には私から話しておこう」
「ありがとうございます」
「この御恩、必ず結果でお返しいたします」
「では、私はこれで……」
「待て」
退室しようとしたリオナスを、エルドリオンは呼び止める。
「エルドリオン様?」
「リオナス、もう一つ確認しておかねばならないことがある」
「確認?」
「そうだ」
「——お前、領内で魔獣を飼いならしていないか?」
「魔獣……?」
「先日目撃された謎の光」
「その光と共に、魔獣が現れるようになった」
「どうやらその出どころは、お前の領内だそうじゃないか」
「わしはお前を疑っておる」
「私を……?」
「そうだ」
「魔獣の出所を調査に向かった私の家臣が消息を絶った」
「家臣はお前の政策に意見を申していたからな」
「それが気に入らず、魔獣をけしかけたのではないか?」
「そんな……私は決してそのようなことは……」
「それに、私は魔獣を見たことがありません」
「何かの間違いではないのでしょうか……?」
「間違いであれば、このようなことにはなっていない」
「先日、私は腕の立つ傭兵団を雇った」
「今はその者たちが魔獣の掃討を行っている」
「もし、今回の事件にお前たちが関わっているとすれば……」
「お前の命は無いと思え。分かったな」
「……」
「……失礼いたします」
リオナスは頭を下げ、その場を立ち去った。
「……」
「貴族の儲けを民に分け与え、国全体を豊かにしていくか」
「……はっ、いかにも平民らしい考え方だ」
「民たちの感触は良いかもしれぬが、貴族から反発があるのは当然だろう」
「魔獣も丁度良い時に現れたものだ」
「忠臣とはいえ、あやつは死んで正解だった」
「……これを機に、奴にも退場してもらおう」
「奴が消えれば、他の者たちからの不満も減るだろう」
「リオナス……お前はここで終わるのだ」
***
——そして、事件が起こる少し前。
リオナスは城であった出来事を、エラニアに話していた。
「あなた、本当に王様がそのようなことを……?」
「ああ」
「……どうやら私は、エルドリオン様に目をつけられているらしいな」
「私がやってきたことは、間違っていないと信じたいが……」
「こうなってしまった以上、今は身の安全が最優先だ」
「エラニア。今日から当分、スレンと一緒に夜を過ごしてくれ」
「え?」
「……胸騒ぎがするんだ。気のせいかもしれないが」
「スレンには、このことを伝えないの?」
「そのつもりだ」
「……これ以上、スレンを苦しませたくないからな」
「あなた……」
「……分かったわ。スレンには、一緒に寝たくなったってお願いする」
「でも、事情はそれとなく伝えておくからね」
「一人にされたら、スレン拗ねちゃうでしょ?」
「……ははっ、これは手厳しいな」
「その辺はお前の判断に任せるよ」
「二人でスレンを守ろう」
「ええ、もちろんよ。あなた」
***
——その日の夜。
エラニアは、隣で眠るスレンを見守っていた。
「すぅ……すぅ……」
「……」
スレンの方へ手を向けるエラニア。
優しい光が、スレンの体を包み込む。
「うっ……ううん……」
「!」
一瞬、身をよじったスレンだったが、再び静かな寝息を立て始める。
「すぅ……すぅ……」
(……良かった、眠ってる)
エラニアは安心したように、そっとスレンの頭を撫でる。
(スレン……)
(あなたの身に何があっても……)
(私が……必ず守るわ)
心の中でそう祈りながら、エラニアはスレンを静かに抱きしめていた。