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第04話 シャンソン死す

 私たちが持ち場に着くと、遠くから青白い燐光が揺らめきながら近づいてきた。その光は、まるで闇の中でうごめく亡霊のように、不気味に迫ってくる。

 山の端に昇っていた月は今や厚い雲に覆われ、闇が一層深まる中、燐光だけがその不吉な輝きを放ち、夜の静寂を切り裂くように進んでいた。

 その光が近づくにつれて、胸は次第に高鳴り、戦いの予感が、じわじわと私の体を包み込んでいった。恐怖と興奮が交じり合い、心の中をグルグルと渦巻く。

 村人たちは、ただ息を殺してそれぞれの持ち場に身を潜めている。小石一つ落とす音も許されない緊張感が辺りを支配していた。

 私は高台の岩陰に隠れ、周囲の動きを見守っていた。10才以上の者は全員この戦いに参加している。総力戦だ。

 じっとりとした夜風が頬を撫で心の中の不安を煽る。汗が額から流れ落ち、手のひらは湿っていた。

 燐光がさらに近づくにつれ、その源が徐々に明らかになる。明かりに照らされて、周囲に気を配りながら進む男たちの姿が浮かび上がった。


 彼らはその身なりからしてただの旅人ではない。短剣や斧を携えた者たちが、不気味な笑みを浮かべて行進していた。血に飢えた獣のような目つきで、彼らは獲物を探している。

 その中にあって、私は一人の人物に強い気配のような物を感じた。他の野盗とは明らかに違う威圧感と殺気が漂っていた。

 彼の右頬には、深く刻まれた傷跡があり、村長が見せた首領の人相書きと完全に一致している。その冷徹な眼差しは、まるで獲物を狙う猛禽類のようだ。私は汗ばんだ手でカチューシャを撫でた。

 野盗たちは、ゆっくりと小道に足を踏み入れた。そして低い声が緊張した空気に絡みつく。


「それより、お前、覚えてるか? 前の村で小屋に隠れてた連中。火をかけたら、すげえ勢いで叫んでたな」

「あぁ、村長も往生際が悪かったな。『どうか子供達だけでも助けてくれ』だとよ。助けてやったさ、これから何の心配もしなくて良いように」


 冷徹で無慈悲な言葉。その声に込められた非人間的な嗜好を帯びた響きからも、命を奪うことに何のためらいもない存在であることが伝わる。下卑た笑い声には、人の痛みを愉しむような残虐性が滲んでいた。


「さて、次の村はどうだ? 噂のブドウ酒は潤沢か?楽に楽しめそうか?」

「問題ねえ。どのみち、抵抗する奴は容赦しねえさ」


 そんな言葉が、夜の闇に溶けるように響いた。

 村人たちはまるで時間が止まったかのように微動だにせず、視線だけが鋭く光る。誰一人として動じることなく、ただその時を待ち構えていた。

 野盗は、最初二列縦隊で進んでいたが、道幅が狭くなるこの場所の手前で、一列に隊列を変更し慎重に歩を進めている。その動きは淀みがない。

 野盗たちはついに我々の居る陣地の手前に足を踏み入れた。そして、道が谷側に傾斜した場所に差し掛かる。息を殺して茂みに隠れる村人の正面を悠々と歩いている。

 目の前で燐光が揺れるたびに、男たちの顔に浮かんだ残忍な笑みも、薄暗がりの中で妖しく揺れる。

 ジリジリとした緊張感。汗が村人たちの背中を伝い落ちる音すら聞こえるような気がした。

 その時、


「うわっ!」


 油とブドウの皮で滑りやすくなった地面で足を滑らせ、野盗の一人が悲鳴を上げながら谷底へと転落していった。岩にぶつかる湿った音が夜の静けさを切り裂く。


「なんだ!?」

「誰か落ちたぞ」


 野盗たちの動きが止まり、谷底をのぞき込む。

 その混乱を好機と見た槍隊が動き出す。茂みから一斉に槍が突き出され、野盗たちの背中に襲いかかる。即席の粗末な槍ではあったが、村人たちの決死の覚悟が込められていた。


「今だ!家族のために!村のために!」


 一人の老農夫が叫ぶと、皆の動きが一層激しくなった。私の母と姉もその中にいる。日頃は畑を耕す手が、今は命を守るために武器を握りしめている。

 それに呼応して、高台から油とクズ魔石を詰めた壺が投げられる。地面に叩きつけられると、バチバチと激しく火の手が上がり、野盗たちを照らす炎の壁となって退路を塞いだ。

 中にはその直撃を受けた野盗もいて、火だるまになり落下すると、谷底を明るく照らした。


「押せ!押すんだ!」


 村人たちが声を上げる。みんなの顔に決意の色が浮かんでいた。命を賭けて戦っていた。

 戦いは予想以上に順調に進んだ。不意を突かれた足場の悪い野盗たちは抵抗する間もなく、次々と谷底に突き落とされ、悲鳴を上げながら闇の中へ消えていくか、村人の槍の前に倒れていく。


「いける!」


 村人たちの間に勝利の予感が広がった。


 しかし、そこまでだった。


「貴様らッ!」


 突然、首領が怒号を発し、腰の鞘から黒く輝く剣が音もなく抜かれた。刹那、凍てつくような気配が広がり、人々の動きが止まった。

 その刃はただの鉄ではなかった。黒い剣身の表面に浮かび上がる不気味な紋様が、炎の赤い光に照らされ、うごめくように見え、禍々しい気配を放っていた。


「この程度の小細工で俺たちを止められると思うなよ!」


 首領の怒号と共に、剣が振るわれた。鋭い閃光が走り、先ほどの老農夫が吹き飛ばされる。その異様な威力に村人たちは息を呑み、動きが止まる。

 次に剣を振るうと、空気が歪み、首領の周囲に不気味に輝く霧のようなものが渦巻き壁を作る。そして投てきされた壺を跳ね飛ばす。


「この人……ただの野盗じゃないかも……」


 その圧倒的な存在感と力は、単なる野盗の首領のものではなく、もっと危険な何かであることを感じさせる。首領の目が一瞬、私の方を向き、その赤く光る瞳と目が合った気がした。


 …あれは人間ではない


 次の瞬間、首領の持つ黒い剣の鞘に嵌った4つの宝玉が青白い燐光を帯び、剣は不気味に脈打ち始めた。

 首領が剣を振り上げると、空気が震え、周囲の光が剣に吸い込まれるように闇が濃くなる。

 その漆黒に縁取りされた肉体を、不吉な輝きが脈打つように駆け巡った。

 村人に動揺が走り距離を取る。

 そして彼は、真顔から悪鬼のような形相となり。続いてブルりと身震いすると、なんとも不気味な笑顔となった。


「がはは、あはは、うふふふふ……あぁ、力が満ちる!

そして、なんとまあ これはこれは……美しき光景だ。

はい!緊急で動画を回しておきます!


小さき手が、木の棒を握ってる。しがみついております。

まるで終わりを待つ子どもたち……

あるいは屠殺台へ列をなす仔羊たち……ふふ、ふふふふ。


俺様は芸術家なんだ。僕は芸術家。

戦場の雷鳴と共に咲く血の花、踊る炎、響く断末魔

――これこそ創作なんだよ、真の創作だ!


挑むのか?挑むのね?

嗚呼、それは美しい……眩しい、青い――希望という名の泡沫。

精一杯、叫ぶがいい、

その声ごと、俺様が抱いてやる!


そしてお眠りなさい――深く、静かに、まどろむように、

天の果てへとパチンと跳ばしてやる。雷鳴のように、あっけなく。

痛くないよ、怖くないよ、

だって、それって僕の愛なの

……がはは、うふふ、うふふふふ……」


 そんな長い狂気じみた言葉を発し終えた首領は、もう一度ブルりと身震いすると、まるで別人のように急に真顔となって剣を振るった。

 その一閃はまるで天から落ち、地を裂く雷光のごとく炸裂した。光は大地を這うように広がり、槍隊の足元を吹き飛ばす。砂塵と血しぶきが舞い、半数の村民が悲鳴とともに沈んだ。

 それに勢いづいた野盗たちが、村民達の所まで一気に駆け上がる。

 母が、姉が、無惨に蹂躙され、血に染まっていく。

 野盗たちの笑い声が、炎のはぜる音に溶けて響く。私は息を詰まらせながら、それでも震える手で投石する。狙いは正確だった。だが、


「遅い、遅いわ、遅いね!」


 そんな言葉とともに、首領が黒い剣をかざす。次の瞬間、まばゆい閃光が弾け、私の視界が白く塗りつぶされた。


「…あっ……!」


 私の投げた石は、その圧倒的な光の前で、まるで雪のように儚く砕け散った。粉々になって、蒸発するように消えていく。


 そして次の瞬間、私の全身が灼熱の炎に包まれた。

 皮膚が裂けるような、いえ、皮膚が実際に焼けただれていく痛み。筋肉が溶けていくような、骨が砕けるような、今まで経験したことのない苦痛が全身を駆け巡る。

 息をすることもできない。熱すぎて、頭がおかしくなりそうだった。

 私は声にならない悲鳴を上げながら、膝から崩れ落ちた。

 地面に倒れても、痛みは止まらない。意識が薄れていく中で、野盗たちの笑い声が聞こえ、やがてそれも止んだ。


◇◇◇◇



 気がつくと、私は遠くから、自分が焼かれる姿を眺めていた。まるで他人事のように。戦場のただ中にいるはずの私を、もう一人の私として眺めていた。


 遠くで、弦楽器を調律するような音がする。

 ここはどこだろう? 見覚えがあった。そうだ、町にいる父を訪れた際に、一度連れて行ってもらった大衆劇場に似ている。粗末な長椅子が並び、床には古びた絨毯が敷かれていた。私はその長椅子のひとつに腰掛け、ぼんやりと舞台を見つめていた。


 舞台の上では、地獄のような光景が繰り広げられていた。

 母が、姉が、村人たちが、蹂躙され、すり潰され、消えていく。あまりにも呆気なく、あまりにも簡単に、ただ無意味に命を落としていく。


――私のせいだ。


 敵の戦力も把握せず、適当な作戦を立て、ただ勢いで戦い、そして負けた。この私の愚かさが、家族を、村を、破滅へ導いたのだ。


――全部、私のせいだ


 座席の縁をぎゅっと握りしめる。指先が震えているのがわかる。


 ふと、舞台の端で、ビロードのカーテンが静かに動き始めた。音もなく、ゆっくりと閉じていく。その動きに深い切なさを感じた。

 人生の幕引きとは、きっとこういうものなのだろう。どうしようもなく、取り返しがつかず、ただ見届けることしか許されない。


 終わりだ。

 何のために生まれ、何を成すべきだったのかもわからないまま、私はただ無駄に消えていく。


 カーテンが閉じ切り、あたりを静寂が包んだ。


 そして、頭の奥にいつか夢の中で聞いた声が響いた。どこか落ち着いた響きの、静かな声だった。


「リハーサル終了――。本番を開始します」


 そして、カーテンがゆっくりと開く。

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