結果と事実
黒板中央の丁度真上に位置する掛け時計は、まもなく下校時刻を指そうとしている。
「……という事で、あれからあの時計で二十分経過したわけだけど、何の音沙汰もないわね」
「そりゃあ、教室内にあんだけ俺の声が響いたんだぜ? 当然だよな」
検証の結果、九司郎の絶叫は校庭には響かず、教室内に響いていたことが判明した。
位置的には出入り口のある北側、壁の上部に設けられた高窓付近からだった。
二人はその後、他の三箇所の窓も順に検証を行い、検証箇所は計四箇所にも及んだ。
高窓の形状は横長で、高さは違えど対面する南側の窓とほぼ同じような間隔で四つ並んでいるのだが、検証を重ねていくに連れ明らかとなったのは、例えば一番黒板に近い南側の窓から叫ぶと、黒板に近い北側の高窓から声が聞こえる。更にその横の窓から叫ぶと、高窓も同じように黒板に近い高窓の横の高窓から声が聞こえるのだ。つまり、どの窓から叫んでも自分の声がほぼ真後ろから聞こえるといった具合だ。
南側の窓と北側の高窓それぞれが対面している窓と連動している、というのが結論である。
「それにしても……フフッ……だめ、思い出しちゃうわ」
葵の思い出し笑いを見て、またかよ! と、九司郎は不貞腐れた態度を取る。
「フフフッ……何よ、あの……言い方……」
葵は悪いと思いつつも、どうにも笑いを堪え切れないのか、手で顔を隠しながら肩をフルフルさせている。
「もういいだろっ!? イジるなよっ! 俺だっていっぱいいっぱいだったんだぜっ!?」
九司郎は堪らず葵に言い立てた。
「そうよね……いやほんと、ごめんなさい。でも、校内一イケメンと称されている九司郎クンがあんな顔して叫ぶのが意外過ぎて……」
いやいや、俺からしてみれば、あの十浪屋があんな高笑いすることの方が意外だったのだが……。
ってか今、十浪屋が俺のこと、下の名前で呼ばなかったっけか? これって、十浪屋との仲を一歩前進したんじゃないか!?
もしそうだとしたら、醜態を晒した甲斐があったってもんだ!!
そう思ったのも束の間、いつの間にかこちらに目を向ける葵の表情が険しくなっていることに九司郎は気が付いた。
どうしたのかと九司郎が尋ねようとした時だった。
「何? そこまで九司郎クンの気を悪くさせることだったかしら? 一応、謝罪したつもりだったのだけれど、謝り足りなかったかしら?」
いかんいかん。どうやらつい舞い上がってしまうあまり十浪屋を凝視し過ぎて反感を買ってしまったみたいだ。
「あっいや、そのことはもう全然、どうでもよくなったから」
「そっ、ならよかったわ。それよりも……」
「ああ、コレな……ほんと、どうなってんだろうな?」
九司郎は呆れながら辺りを見渡す。
ここまでの検証の過程で、十代の活気めいた声や、周辺地域の生活音以外にも、教室の外の状況について更に詳しく知ることができた。
教室の外はというと、人の気配も、風も、温度すらも、何もかも感じなかったのだ。ただ、時の流れだけがいつもと変わらず移ろいを見せているのだ。
「まるで映像を観ているような気分ね」
窓の外を眺めながら話す葵の見解が妙にしっくりくる。しかし、日常から切り離されたという意識が強まっているのか、言葉を選ぶようにそう表現したようにも思えた。
突如、『ウェストミンスターの鐘』が室内の放送スピーカーから鳴り響き、定刻を報せる。
十七時三十分、下校時間だ。
本来なら校内に残っている生徒は、ここから十八時の最終下校時間までに下校しなければならず、いつもなら何の気兼ねもなく教室を後にするのだが、今日はそうはいかない。
いつもの聴き慣れたチャイムなのだが、今は目に見えないものに追われている感覚が一段と鋭くなっているせいか、まるで、自分たちを嘲笑っているかのように聴こえる。
チャイムが鳴り終わると、時計を見上げていた葵は溜め息混じりに言った。
「このままだと予備校に間に合いそうにないわ」
普段口数の少ない、というか誰とも関わりを持たない陰キャの十浪屋がこれほどまでたわい無い会話を持ち掛けるのは、裏を返せばやはり不安の表れなのだろうか。と九司郎は思った。
「へ、へ〜、十浪屋は予備校行ってんだな」
「一応ね。これといって苦手科目もないのだけれど、受験生にもなって何もしてないってのは格好がつかないじゃない? それに、自分の実力でどの志望校を狙えるのかを知っておきたくて」
「受験生……か」
九司郎は少し気鬱な葵を見て、自らもそうだったな、というような口振りで話した。
これまでウンザリするほど耳にしている高校三年生の代名詞とも言える言葉。その言葉を聞いてホッとするのは今の状況のせいだろうか。
「九司郎クンは何かやってるの?……って、常に学年成績トップで、つい先日の全国共通テストも各科目A判定のあなたのことだから、習い事なんて必要ないのでしょうけど」
葵はやや嫌味ったらしく九司郎に言った。
「ん〜〜……学習サプリをやってるくらいかな」
「えっ? それだけ?」
「それだけ。俺はほぼ毎日色んな知り合いから遊びに誘われるからさ、隙間時間にできるやつが俺は性に合ってんだ」
「ウッ、できる奴の発言……!」
葵は嫌悪感を露わにする。
たったそれだけの対策で成績上位をキープしてるんだから堪ったもんじゃない!
同時に、彼を見ていると毎度の事ながら"天は二物を与えず"という言葉は嘘なのだと思い知らされるのだ。
となると、さぞ順風満帆な日々を過ごしているのか思いきや、当人の表情はどこか浮かない。
「どうしたの? 何か不満そうね?」
「いやさ、やっぱみんな受験生になってから付き合いが悪いんだよなぁ……だからさ! 今日久し振りのカラオケだっからさ、めっちゃ楽しみだったんだよ〜。でも、こんな状況じゃ無理だわなぁ……」
ガックリと肩を落とす九司郎を見つめて、葵はやれやれと溜め息をついた。
葵は九司郎に対し少しばかり気掛かりに思うところがあった。それは九司郎が意図的に自分を取り繕っているように思う点だ。
本来の性格なのか、それとも意図的なのか。もし、後者だとすれば、自己顕示欲の高さ故に、世間に顔向けできないような後ろめたい何かがあるんだろうかと、葵は妙に勘繰ってしまう。
「九司郎クンって上っ面な人っていうか、八方美人なところあるわよね? あっ、別に否定してる訳じゃないの。過去の経験を踏まえたりだとか、そう思われるように努力を沢山しているのでしょうし、悪いことでもないと思うの。実際、九司郎クンは周りからとても親しまれているし……」
葵の言葉は九司郎の胸に強く突き刺さる。はっきり言って図星だった。
葵には本来の自分を曝け出すのが苦手ということを見透かされているみたいだ。思わず狼狽える。
「お、俺のことはどうだっていいだろっ!」
「そうね。どうでもいい。私はそういう人、はっきり言って苦手だし」
「に、苦手!?」
まさか自分が相手に面と向かって否定されるなんて考えもしなかった九司郎は、唖然としてしまう。
「……けど、九司郎クンが普段見せない、さっきみたいな素の感じ? 私はそっちの方が好ましく思うわ」
そう言って葵は蠱惑的に微笑むのだった。
"ある日"を境に偽りの自分を演じてきた九司郎にとって、本来の自分を受け入れられた瞬間、久しく味わったことのない自己肯定感に心が満たされる。
「好ましく、か……」
九司郎は一考する。
葵にとって有りの儘の自分が好ましく映るのであれば、自分の特別な感情をそれとなくアピール出来るのではないかと。
「でで、でも、と、十浪屋が……俺のこと気にかけてくれるのは悪くねー……かなぁ……なんて……」
九司郎は相手に胸の内を悟られぬよう、反応を伺いつつ、わざとらしく仕掛けた。
「えっ? ごめん、何か言った?」
九司郎の『葵と更にお近付きになろう作戦』は一瞬にして失敗に終わり、すぐさま事態の収拾にかかる。
「いやいや、こっちの話!……あ、あ〜あ、今頃誘ってくれた奴らに、なな、何て言われてっかなぁ……」
「ホラっ! すぐそうやって人の目を気にする!」
挙動不審な態度を取る九司郎は、ぎこちない動きでブレザーのポケットの中に手を伸ばす。
まだまだ素の自分を曝け出すには時間が掛かりそうだ。
……などと考えていた時だった。ポケットの中に入れた指先が"ある物"に触れた瞬間、現状打開に繋がる一手が閃いた!
「ああっ!! コレだあぁぁぁぁっ……!!」