01─black-rainy─
空を見上げる。
黒一色に染まった空。これを、果たして空と呼べるのだろうか。ふわふわしていそうなイメージも全くわかず、その分厚さは見た目だけではまるで地上から手を延ばせば届くのではないかというくらいのもの。
雷様がお怒りになられたか。
今まさに、人々に鉄槌を下さんとしているようだ。
「そろそろみんな死んじゃうね」
黄土色の髪をした、中高生ほどの青年が笑みを浮かべて呟いた。
そこは一見車を出し入れするガレージのような場所。暗く、電気スタンド一つで全体を照らしている。たたみ十五畳ほどの広さで、勉強机に似た形の机が一つ、その上にはA4サイズの紙が数枚バラバラにおかれている。
「速く死んじゃえばいいのにね」
赤黒い髪をした、中高生ほどの青年が笑みを浮かべて返事を返した。
黄土色の髪の青年は、机の前に設置されている椅子でくるっと一回転すると、先ほどは背を向けていた窓の外を見つめた。
今はまだ昼時だというのに、外は真っ暗だ。まるで、太陽が失われたかのような暗さ。闇。日は差し込んでは来ない。
「神雲。これで、ぼくらは神になれるんだ……」
赤黒い髪の青年が言葉を漏らす。
それを聞いて反応したかのように、黄土色の髪の青年が再び窓に背を向ける。
笑みは失われていた。
そして無言のまま、上着のうちポケットに手を延ばし、何かを手に取った。
拳銃。
「『ぼくら』じゃない。オレが、だ」
引き金が引かれた。
目を見開いた状態で、自分に空いてしまった紅い穴を見る。どんどん、赤血球と白血球と組織液の混ざった液体が溢れてくる。それら以外の物質も含まれているだろうが、そんなどころではない。
「どうして、兄さん……?」
もうろうとするであろう意識の中で、懸命に出せたのはほんの小さな声で一言。
「神様は、二人も必要ないからだよ。今までオッサンのフリしててくれて有り難う、『店長さん』」
倒れ行く体を面白そうに見つめる、兄さんと呼ばれた青年。
抜け殻となった死体と甲高い笑い声を残し、ガレージを去っていった。
しとしと。
冷たい雨。
しとしと。
漆黒の雨。
しとしと。
目の前に広がる人の脱げ柄。
しとしと。
漆黒の雨を吸いきった白い服は既に黒一色へと変わり果てている。
しとしと。
木の葉は雨のせいなのか、どれを見てもしわしわにかれているような見た目。
しとしと。
また、何処を見ても死体しかない。
ざぁざぁ。
生き残ったのは、おれだけ?
耳に届く音は次第に勢いを増していくようだった。
電化製品店を出てすぐに、この雨は降り始めた。
家に向かう途中に、気付いたのだ。落ちてくる雨の色が、『黒い』ということに。制服の黒にまぎれて最初は全く分からなかったのだが、内側に来ているカッターシャツの色が黒いことに気付き、考えにふけっていた自分を現実世界に引っ張ってみればこのありさまだ。
何を考えていたのだろうか。
自分の将来か?
今まで何の興味も示さなかったジャンルなのに、自分の身の回りに起こっている出来事にさえ気付かないほど考えに集中できるとは。
やはり自分は頭がいいのか。
だがしかし、今そんなことに気を配っている暇など無い。
今は大丈夫だが、後から来るタイプのアレかもしれない。
死にたくない。
全力で走る。
顔に雨が当たる。冷たい。
目に入らぬよう注意しながら、手に持つ鞄を雨避けにする。それでも、容赦なく雨は浅田 翔悟の体に降り注ぐ。まるで、呪い殺さんとするように。
雨が、右目へと入った。
一瞬にして、視界がさえぎられる。
激しい痛みが襲ってきた。
「痛ってぇッ!?」
驚きと痛みと混乱が一気に翔悟を襲う。
右目を押さえ、もだえた。雨避けに使った鞄を道路に放り投げ、ただただ痛みに耐える。
目の神経を走りぬけ、そしてどんどん腐食されていくような感覚。今までに味わったことの無い異常なものだ。小さな子供なら一瞬でその痛みに耐え切れず死んでしまうかもしれない。
だが、いつまでもこうしているわけにもいかない。
投げ捨てた鞄を拾い上げ、再び走る。今度は細心の注意を払って走る。
雨はどんどん勢いを増していく。
それと同時に、家に近づくにつれて道路に転がっている死体の数が増えてきている気がしてならない。
自分以外に、走り回っている人がいない。動いている人がいない。沈黙しかない。もしかすると、小さなアリ、いや、しぶとく生き残る細菌でさえも生存していないかもしれない。
どうしてこんなことが起こったのか。
空を支配する漆黒の雲か。それから地上に降り注がれるこの黒い雨なのか。黒い雨といえば、原子爆弾が爆発した跡に振ってくるあの放射線か。
違う。
そんなものだったらまずこんなに人がすぐバタバタドミノ倒しみたいに死にはしないだろうし、そもそも原子爆弾が投下されていないではないか。されていたら、とっくに自分は吹き飛んでいるだろう。
雨はどんどん勢いを増してくる。
これはヤバい。
荒らしの真ん中を通っているかのごとく、雨はすさまじさを増していた。
これでは家に着くどころか、それまでに左目にも雨が入ってしまう。
目?
気付いた。自分はつくずく反応の鈍い男なのだなと気付いた瞬間だった。二つのことに一度に気付くとは。いや、やっぱりすごいのかもしれない。
話を戻せば。
右目の視界が開けていない。
気付かなかった理由としては、視界が徐々に薄れていったからなのかもしれない。本当に少しづつに、だ。
一体何なのか、この雨は。
自分の体の表面に当たってもなんとも無いこの液体。他の人間たちは皆死んでしまっているというのに。体内に入ってきた場合は異常なまでの激痛にみまわれたが、死んでいるのはそのせいなのだろうか。それにしては、不自然すぎる。皆が皆、体の中に液体が入ってしまって激痛かその成分により死亡したのなら、自分だって死んでしまっているはずだ。体中に穴はたくさん、細かい小さいものがあるのだから。
それならば、建物の中に居る人は生きているかもしれない。
そろそろ足も疲れてきており、これ以上こんなに激しい雨の中にいられなくなってきた。何処か建物の中に入ろう。
そう思い、ふと右側手を見た。
学校。
翔悟の通う学校だ。その学校のすぐ前グラウンド。そこに、たいそう服を身にまとった生徒数十人に加え、保健体育のジャージを着た教師が倒れている。
急いで駆け寄り、息があるかを確かめる。結果は目に見えていた通りだった。
雨に触れることで命を奪われることについての真偽を確かめることと同時に、自らの命の保障を確保すべく急いで校舎へと向かった。
しかし。
玄関のドアには鍵が閉められており、完全密閉と化していた。
おそらく、外の危険を察知した教師達が取った行動なのだろう。
玄関の前には屋根が出っ張っており、それが雨避けになってくれている。
まだ、触れ続けるよりはマシだった。
ドアにもたれかかって尻をコンクリートの地面につけると、大きくため息を付いた。
目の痛みは引いた。案外速いな、そう思う。
コレは夢だと思いたい。
さきほどの目の痛みが、そうではない、と教えてくれた。教えられた。知らされた。
この世界は、一体どうなってしまうのだろうか。
翔悟の心に、不安の塊となった漆黒の雲がうずまいていた───。