prologue ─漆黒の雲─
プロローグ
第一話~三人を中心とした物語。
今から約二百年前。
世界は漆黒の雲に覆われ、人類の半分以上が死に至った。
だが、それがどんなに恐ろしいことだったのかは、現代に生きる人々の記憶には全く無い。どこで途切れたのかは分からないが、語り継がれることもなくなってしまった。
どうして、そんな大事件とまでいえる出来事が忘れ去られてしまったのか。
謎。
雨雲とは違う、その深い深い黒。
漆黒の雲。当時、それは神雲と呼ばれ、人々から恐れられていた───。
西暦2321年。
三百年以上前と比べれば、その風貌とくれば全く異なってしまっている。
当時、最先端技術で作られた薄型液晶テレビも今では透明なフィルムなようで、リモコン操作も必要ない。
流行のゲームといえば、立体3Dで楽しめるハイクォリティのアクション。
その体験版に夢中となっている少年 浅田 翔悟。
高層ビルが多く立ち並ぶこの都市にある電化製品店のゲーム売り場で、中学三年生にもなるというのに学校をサボってはここへ来ている。
そのおかげで、その電化製品店の店長とは親しくなり、売れ残ったゲームなどはいただけるようになったのだが。
サボっているワリには成績が良いわけでもなく、悪いわけでもない。出席日数ギリギリまではサボるつもりでいる。と、本人は思っている。
「なぁ、店長。もっといいゲームとかないのぉ?」
体験版ゲームを画面に表示しているハードのコントローラを握り締めて、商品を飾るガラスケースの向こう側に居る店長に話しかける。
店長は、そんな翔悟を見るなりため息をこぼした。
「いい加減ここに来るのやめたら? 受験控えてるんだし、勉強もしていかないとヤバいよ?」
その表情は本気で心配してくれている両親のようにも見える。
薄くなってしまった頭は、まさにアニメや漫画で見る『バーコード』と化していた。そおれに加えて四角いメガネときたもんだ、お人よしの店長は『怒り』というものを知らないのではないだろうか。
「大丈夫だって。おれだって、それなりに頑張ればテスト順位一位取れるさ。証拠に、去年一位とったし」
言い逃れのようにして、我が物顔でハードの電源をポチリと消す。まるで人生の終わりを告げるかのようにして何も表示しなくなったフィルムテレビの画面には、翔悟のうかない顔が反射されていた。
「店長、そろそろおれ帰るわ」
学校にも行かないのに制服を着ている翔悟は、床においていた学生鞄を手に取ると、ゆっくりと出口に向けて足を進めていく。
「家に行かないで学校に行けっての」
苦笑交じりに別れを告げる店長に愛想笑いを浮かべると、曇り空の下へ身を出した。
電化製品店の出入り口前でふと、空を見上げた。その見上げた視線の先、一面が漆黒の雲に覆われている。
辺りは暗く、まるで夕方の紅をそれだけ抜いたような感じだ。いや、『黒い太陽が沈みかけているような状態』の方がわかりやすいのかもしれない。
ただ、真昼としてはそれほど不自然な光景になっているのだ。
いやな予感を胸に抱きながらも、自宅に向けて歩を進めていった。
何処まで行こうとも、何一つ変わる様子の無い景色。実際には、身の回りにある全てのものが同じ場所にあって幾つも連なっているわけではない。ただ、似たような景色が何処までも続くという意味で、誠にそれはつまらないものである。
同じような店が幾つもあり、同じような格好の人が何人もゴロつき、同じような場所にしか行くことのできない自分。
ただ、いつも違うものを見せてくれる空だけが自分に味方してくれていると感じることができる。
だが、今はそんな風に感じられない。みじんも、だ。
黒い、雨雲とは違う雰囲気をまとった『漆黒』が青空を掻き消し支配しようとしている。
五時間目の授業は、いつになく変わること無い数学の時間。この時間が最もな強敵であり、自分はその強敵の魔の手に何時捕まってしまうのか心配で心配で仕方が無い。ただ、今はその魔の手もおびえてしまうような闇が学校を覆っているのだった。
グラウンドの方から、生徒の掛け声が聞こえる。
いつもは冷静な数学教師でさえも、その目を疑っているように窓の外を覗き込んだ。
その行動にシンクロするように、魔の手から逃れることのできた少年 正輝 孝治は窓の外を、眼鏡レンズを通して眺めた。
今までに見たことも無い光景。
ふと、一人の友人の顔を思い出した。
浅田 翔悟。
幼馴染。
彼は、孝治が知っている限りでは成績は優秀な方だ。女子からの人気も高い。学校をサボらなければ。
翔悟の学校をサボった場合での行動パターンは既に記憶している。孝治も一度、成績ががた落ちした場合に学校をサボったことがある。その時に、翔悟と一緒に都市中を歩き回ったのだ。
『おれ、いつもココに来て時間潰してんだ』
その言葉と共に翔悟が指をさした場所が『スモールカメラ』という、その名の通り小規模な電化製品店だ。加えて、その日歩き回った場所は翔悟がいつも通っているルートらしい。時間帯的には、丁度スモールカメラを出た辺りか。それならば、この怪しいけしき空を彼も眺めたことだろう。
「ちょっと、孝治君。いつまでも外ばかり見ていてはいけないですよ」
文字だけで表すと男か女か分からない敬語を使用する数学教師は、れっきとした女である。
気付けば、教師も既に窓から目を放している。今では、教室中の生徒は教師の書いたチョークの粉に目を釘付けだ。
急いでノートに写そうと、皆の仲間入りとなる。
今にも折れそうな芯を動かしながら、心の奥に黒くざわめく予感を、どうにか消し去ろうとする自分に戸惑うのだった。
おもむろに取り出した小説本を手に取り弄びながら、自分を加えて今居る席の回りにたむろする友人をうっとうしがる少女。
自習にすればこのような状況になると分かっているくせに、教師はこんな行動を取る。
客観的に見ても、いかにもうんざりしていそうな表情をあらわにしているのは、秋野 真紀15歳。
幼いときから男子とばかり遊んでいたせいか、性格は年頃になった今でも男勝りなようで。それでも、友達が居ることには居る。仲の良い親友っぽいのが二、三人。それ以外はテキトーな存在とでも認識している。
幼いときに遊んでいた男子といえば、浅田 翔悟と正輝 孝治である。家が近所というだけあって、親もよくそれ同士で話をしていた記憶が有る。今でも男子とでは結構話をする方だ。小学校からも一緒で、クラスは違うものの帰り道は同じなので偶然と言いつつ供に帰り道を歩く。最近は翔悟が学校をサボり始めているというわけで、いつも孝治と二人っきりだ。そのおかげで、変なウワサが流れているという情報もちらちらと耳にする。そんな関係では決して無い。
目の前に移るメス豚ドモにうんざりとし、ふと窓の外に目をやった。黒い空。いつも姿を見せているはずの白い雲、青い空、空を自由に翔る鳥たちは一切無かった。あるのは、漆黒の雲オンリー。
グラウンドには、体育の教師が走らせている生徒が息を切らせている様子が分かる。
次の瞬間に、その当たり前のような光景がまるで変わってしまうとは誰も想像していなかった。
漆黒の雲───神雲は、世界中に生きる全ての生命を見下さした。その高さから、存在から、全てを消し去ろうと行動を起こした。
二度目。
一度目は、何故失敗した?
人間は進化しすぎた。神雲から逃れる術を学んでいったのだから。
人間には人間を。
長い年月をかけて、人間の記憶から神雲に関する全ての出来事を消し去った。
そして今、再び。
神雲が、全てを消し去る───。