第十三番歌:擬せた者語(壱)
壱
師走四日、十四時一分。五人と、一人の戦いが始まった。
空満神道本部前の大通りにて、はなびグリーンとこおりグリーンの蹴りが交差した。
「っ! かってえっ!」
脚を先に引っこめたのは、はなびグリーンだった。
「骨は骨でも、鉄骨なんじゃねえのかっ!?」
冗談を抜きにして、そうだと思った。
「ひゅひゅっ、栄養状態の差がつきましたのっ!」
こおりグリーンが、次の蹴りを繰り出す。
「でりゃああっ!」
負けじとはなびグリーンが、両の前腕をくっつけて受け止めた。
「大同小異っ、ちんちくりんにゃ五十歩百歩だろがっ」
「笑止千万ですのっ!」
こおりグリーンの正拳突きが、二発、四発決まった。吹っ飛ばされたはなびグリーンが尻もちをつく。
「こおり緑が最強、はなび緑は最弱っ!!」
やつの、どでかい縦巻きの髪二本が、笑い声とともにゆさゆさしていてうっとうしい。はなびグリーンは奥歯を噛みしめた。
「肉弾戦がちょいとできっからって、調子に乗るなっての!」
ヒロイン服のスカート状になった部分の裏地から、ピンポン球大の武器をつかんだ。はなびグリーンといえば、火力勝負。火力勝負の道具といえば、花火玉。
「くらえっ!」
まっすぐに投げられた三個の花火玉が、こおりグリーンへ炸裂する。常磐色の火花と、緑の煙が相手を飲みこんだ。
「風を味方につけたんだっ、痛えけどバトってんだから、ガマンしろよなっ!」
こおりグリーンは、激しい咳をして片膝をついていた。墨色のセーラー服に、焦げてあいた穴があちこちにできており、柳色の襟と、胸のリボンがくすみ、腹部から裾にかけてあしらわれた細かなレースはみすぼらしく破けていた。
「……はなび緑、さっきの火は、なかなかの温度でしたわ……っ」
雪のように清い頬についた煤をグローブで拭って、こおりグリーンが立つ。
「氷は火に弱いんだっ、てめえとあたしの名前だけになっ!」
「ナンバーNMの時は、たいして活躍していなかったくせに、ほざきますのっ」
「てめえ、もう一回くらうかっ!?」
ひゅひゅう、と北風のまねっこみたいな笑いが、大学附属空満参考館と空満神道教庁の連絡通路の下に響いた。
「こおり緑は、熱いものが大嫌いですのっ。二回も三回もいりませんわっ」
「寒いってのに、冷やし中華とメロンフローズン頼んでたかんなっ。レディは身体を冷やすもんじゃねえんだぞっ」
「レディは……アヅサユミが教えたことですのっ?」
「おうよっ、アヅサユミってか、安達太良まゆみだけどな」
ひゅうひゅう、ひゅひゅひゅひゅ、ひゅう! 氷の少女は、おなかを抱えた。
「あんな神が、人にアドバイスを、ですのっ? ひゅひゅ、ひゅひゅう、野卑滑稽ですのっ!」
「まゆみは、あたしの先生だっ! 野卑滑稽なんかじゃねえっ!」
アヅサユミの子孫であり、二代目候補だ、とは揚げ足を取られそうで言うのをやめた。
「神が先生ごっこですのっ! 吐き気がしますのっ!」
こおりグリーンは目の端に浮かんだ水滴をこすり、底意地の悪い笑みを浮かべた。
「……ますます、アヅサユミを冥土に送らなければなりませんわっ」
空満大学・高校側の大路にて、とよこピンクが破れたこうもりマントを翻して宣言した。
「えせ絶対天使★ ユーは火刑ヨリ磔刑ニしテヤるゼ★」
「エセえせうるさいデス、とよピンこそ、エセ必然悪魔じゃナイっスか!」
六芒星の眼帯、南京錠をぶらさげた鋲付きのチョーカー、ぼろぼろの格好は、アニメ「必然悪魔 ★ ミニマムジインパルス」の主人公になりきったものだった。もえこピンクが熱狂するアニメ「絶対天使 ☆ マキシマムザハート」の裏番組であり、主人公ハートの正義感に食傷ぎみとなった視聴者が鞍替えし、「ハート派」と「インパルス派」に分かれて、大論争が繰り広げられたとかそうでないとか。
「ミーの恨ミ、骨髄・延髄★ コノ『ヴィヨンの未亡人』モ、憎悪ニ唸ッテいるゼ」
棘だらけの黒き十字架は、ミニマムジインパルスの堕落邪器「ヴィヨンの未亡人」であった。十字架の先に、躑躅色の太い針がついており、槍にも使えそうだ。
「ピンクが浄化シテあげマスよ!」
「吠エ面カカせるゼ!」
「ヴィヨンの未亡人」を地へ五回突き、とよこピンクが朗詠した。
「胸に手を当テ、響を感じロ★ とよこサモン!!」
十字架の周辺に、黒い煙が発生する。
「穴に住みて日を見ず、ソトバ★コマチ」
煙が、黒瑪瑙を吐き出した。土砂がまぶされた醜い老婆が彫られていた。
「生キ埋メにスるゼ!」
地面から卒塔婆が飛び出し、もえこピンクを串刺しにしようと襲いかかる。
「アツい血汐、ふれてくだサイ☆ もえこチェンジ!!」
撫子色の光が、もえこピンクを包み、ハート柄とレースで愛らしくした着物と袴に装いが改まった。空満神道礼服で祈る、オキヨメモードだ。
「悪しきものこと 清めはらひて 助けたまへ 空満王命」
両手を外へ、内へ返して踊り、腐った卒塔婆を新品に再生させた。いきいきした卒塔婆は、おとなしく土に還った。
「浄化技カ、小癪ナ!」
とよこピンクは「ヴィヨンの未亡人」を頭上で水平に回し、別の黒曜石を呼んだ。
「金の桂に額まけて、キンカク★ジ」
なよやかな僧を彫った暗黒の人形が、金粉をまいた。
「ミーの五大フィギアルノのフタつメだゼ!」
「フィギアルノ……とよピン、フィギュアマニアなんスか」
「理解ガ早いナ、おるそう、キンカク★ジは、ユーの信仰トハ相容レナいゼ! れっつ・ごー! オ寺ミサイル!」
金箔が貼られた闇の寺が十三宇、躑躅色の線を描いて、降下する。
「もえこチェンジ・カンフーモード☆」
礼服が中国式ドレスに、後ろでひとつに束ねた黒髪がシニヨン+ツインテールに変化した。跳躍して、スリットから健康的な脚が現れる。道行く中高生男子には、かなり刺激があった。
「ホアチャー!!」
邪な寺を足がかりにし、じぐざくに高く、高く、天へ昇る。
「ゴホウシモード☆」
聖なる光で身を包み、格闘娘が、猫耳メイドに転身した。お徳用を超越した大きなケチャップボトルで、標的を見失った寺を狙う。
「ポンデローザ・キュンキュンレーザー☆」
トマトよりも赤い光線が、十三宇の寺をデコレーションする。金箔ははげて、本体の闇が薄れて、炎上して崩れ去った。
「隠シ味は、萌えキュン ☆ マジックっス」
「調子こくナ! 人のこゝろよ清き泉たれ、ホウジョウノ★ウミ」
墨を溶かした水で覆われたダイオウイカのフィギアルノが、主のマントに弾んだ。
「すぷらっしゅ・せぴあ!」
イカのフィギアルノが、小ささに反した量の墨を吐く。
「汚レテ二度ト着ラレないヨウニするゼ」
「プチ嫌ガラせデスな。もえこチェンジ・クノイチモード☆」
メイド服を脱いだら、お色気網タイツの忍者になった。水走りの術で、イカスミの上を颯爽と駆け、
「オトメヅカモード☆」
舞台映えする中世の西洋騎士に切り替わり、サーベルでダイオウイカを捌いた。
「イカ刺しピンクも、オツっスね」
「ミーの、ミーのコレクションを、またマタくらっしゅシたナ…………」
眼帯に爪を立てて、とよこピンクは苦しみ悶えた。
「ふぃーる・そう・ばっど…………ユーを、アヅサユミへの手向ケにシテやるゼ…………!」
十四時一分二秒。いおんブルーは腰に提げていた空気弾ピストルを引き抜いた。
「…………!」
異常な事態になっても動じないいおんブルーが、思わず息をのんでしまった。十五秒に満たないというのに、ねおんブルーが接近していたのだ。
「……そう、私、あなたと、親交、結びたい」
鼻のあたまがぎりぎりひっつくぐらいの距離で、ネックウォーマーのヒロインはぼそぼそ言った。
「……?」
なぜ、戦いの場で「友達になって」と頼むのか。人と感覚が違う…………?
「……握手、して、シェイキング、ハンド」
沼みたいな瞳が、いおんブルーを搦め捕る。親しくしたいと思われることは、嫌ではないのだが、いきなり寄りつかれたらどう反応すれば良いのか分からない。握手をして……みるか。
「……私と、あなた、お友達」
いおんブルーは手をねおんブルーに差し出さず、銃にかけた。
「……なぜ、してくれない?」
「画鋲を、仕込んでいるため……です」
漏斗を逆さにしたような袖の内に、針の先がのぞいていたのをいおんブルーは見逃さなかった。危害を加える人とは、お友達になりたくない。
「…………私、ショック」
袖をめいっぱい振って、激しく踊るねおんブルー。言葉と動作がちぐはぐだ。集団行動をしていて、はみ出し者にならないのだろうか。他人のことを評する立場ではないけれど、この人は友達がいないのでは?
「……そう、私、ひとりぼっち、ぐすん」
構う前に、撃て。彼女はまゆみの敵だ。いおんブルーは、トリガーを引いた。薄い青に色づいた空気の塊が、踊り続けるねおんブルーに命中した。
「……痛い、やられた」
盛大に倒れて、痙攣するねおんブルー。わざとらしくて、不快である。
「なぜ、避けなかった……ですか」
「……痛い、もう一回」
おきあがりこぼし顔負けの起きさばき(?)で、ねおんブルーはわざわざおねだりしてきた。
「無駄な、攻撃は、しない……です」
空気を利用するため、弾切れの心配はない。何発でも浴びせることは可能だが、今回の作戦において、意味をなさない動きだ。
「……そう、あなた、いじわる」
相手は、柱の陰に膝を抱えて、石畳の床に「の」の字を書いていた。
「……いじわるな、あなたに、喜んで、もらうには、何をする?」
情緒が安定しないヒロインである。どんな人とでも付き合える、親友の額田きみえでも定規を投げるのではないか。……定規? さし? …………さじ、か。さじは何の別名だっただろう。また調べなければならない事項が増えた。
「……そう、アヅサユミを、排除する、いおんブルー、喜ぶ」
「逆効果……ですね」
ねおんブルーはネックウォーマーをつまみ、顔面を隠した。
「……博士、アヅサユミを、排除したい、排除すれば、望みを、叶えて、もらえる」
情報をつかめる機会だ。いおんブルーは、相づちをうっておいた。
「……シラクモノミコト、博士の、大好きな人、生き返らせて、くれる」
「その条件が、アヅサユミを、消す……ですか」
「……そう、アヅサユミは、博士の、大好きな人を、消去した」
「大好きな人は、誰……?」
ネックウォーマーを下ろして、ねおんブルーは首をゆらゆらさせた。
「……誰かは、聞いていない、でも、アヅサユミは、悪い神」
「シラクモノミコトが、言った……ですか」
いおんブルーは、銃のホルダーの内ポケットに指を入れた。早いうちに「これ」を設置できるかもしれない。
「……そう」
「前髪の、アクセサリーは、ベンゼン環……?」
自然を装って、ねおんブルーの真ん前まで行けた。
「……そう」
「珍しい、デザイン……ですね」
自分のことを良く言われたら、気持ちが舞い上がるものだ。順調にいけば、作戦は成功だ。いおんブルーは、ベンゼン環の髪飾りに手を伸ばした。
「ルールを定めとくわ。一般人に手ェ出さへん、以上や。いけるかァ?」
「いけます」
せいかイエローは、ゆうひイエローの技量を試すために戦う。
「あんたから来ィやァ!」
うちの持てる力を、フルに発揮するんや! ゆうひイエローは髪飾りのリボン「結び玉の緒」を長くし、鞭にした。
「はあぁっ!」
相手を拘束し、地に叩きつける。単調だが、確実にダメージを与えられる戦法だ。黄色い帯が、せいかイエローの左腕に届く……。
「カスドース級に、甘いわァ!」
右手を丸めて、リボンを払い、切り裂いた。よく見ると、カチューシャの両端をカッターとして使用していたのだった。
「あたいのいッチ信頼できる武器『頭の真柱』や。真ん中を持っていたのを、くるりと返して手にかぶせるとォ!」
せいかイエローが倒れかかるように殴ってくる。急いで下がって避けたが、山吹色のカチューシャをはめた拳が、石畳を削り、その粉がかかった。
「ナックルダスターになるんやでェ」
「いわゆるメリケンサックゆう物やな……近接格闘タイプかぁ……」
リボンをちぎり、諸手にぐるぐる巻いてゆく。
「パンチにはパンチを、あんた、チャレンジ精神あるんや」
「硬さは互角にしましたよぉ!」
口笛を吹き、せいかイエローはカチューシャを一つ増やした。どこぞのビスケットみたいに割って二つにしたのではない。
「うちのと一緒で、戦闘時には何でもありなんやね」
「せやでェ。深く疑うべきにあらず、やからなァ!」
学園アイドル風服の女子達が、ボクシングをしている。大学・高校ではちょっとした話題になっていた。特に、日本文学国語学科(略して日文)で学んでいる者は、優等生・本居夕陽の意外な一面を垣間見たと衝撃を受けたり、我らが「癒しの女神」にライバル「セクシー女番長」が!? とファンの威信をかけて観戦(目の保養を、かっこつけた表現にしている)したりやっていた。
「ゆうひイエロー、あんた、くたばらへんなァ! 鈍やと思っていたら、けっこうやるやんかァ」
「母によう言われてきたんやよ、せやから、人の倍は努力しているんやぁ!」
「あたいの視線で、どこからパンチが来るんか予測しているんやろォ」
「分析してはったんやね、せいかイエローさん。当たりや。ふぅ、ふぅ……」
「息あがっているなァ。身体が頭についていけへんなっているんとちがう?」
せいかイエローが、カチューシャを捨てて、ゆうひイエローを突き放した。
「次は想像力対決や。息整えやァ」
建物の柱にもたれて、ゆうひイエローは休ませてもらった。
「あんたはイメージが豊かや、て博士から伺ったわ。五人の中で、二番目に強いんやてなァ」
「二番目……? そんなぁ、うちは…………」
せいかイエローはゴーグルを外し、息をふいて長いスカートでレンズを磨く。
「謙遜せェへんでえェんやでェ? データがはっきり示しているんや。副将のあたいもあんたを見込んだんやから、シャキンとしィやァ」
平田清香は、ヒロインに変身した際、隊員を剣道の五人試合の名で呼んでいた。「先鋒」は、こおりグリーン。「次鋒」は、とよこピンク。「中堅」は、ねおんブルー。最後の「大将」は、彼女のマブダチだ。その名は、博士が与えた初期値と、清香が調べた現在のデータを総合して強い順につけたものである。
「もうえェんかァ? ここからはぶっ通しやでェ?」
「えぇよ。うちは、すぐにバテへんねん」
根性はいッチあるやん。せいかイエローは、ますますゆうひイエローを知りたくなった。
「あん……?」
空満大学・高校側で、炎があがっていた。躑躅色のきらめきを伴った闇の炎だ。
「えらいことをしでかしたなァ」
肩を回して凝りをほぐし、せいかイエローは「頭の真柱」を増産した。
他のヒロインがしのぎを削っているというのに、ふみかレッドとうずめレッドは、身じろぎひとつしなかった。
「どうしようかな。先攻、後攻、やりたい方を選んでよ」
「私は、どっちでもいいんですけど」
はねさせた髪を叩いて、うずめレッドが「よっし!」と声をあげた。
「じゃあ、私からいくね!」
紅色の襟が風にめくれ、ふみかレッドの顔面めがけて拳を振るう。ふみかレッドは、たまたまそばにあったバケツで防ぐ。
「えい!」
「…………うう」
バケツに当たったけれど、つい目をつぶってしまう。大丈夫、前を向こう…………!
「え、ええ!?」
うずめレッドがにこにこして待っていた。そんなことでびっくりしたのではない。バケツの穴ごしに、うずめレッドがいたからだ。
「ごめんよー、有り余っちゃって」
「いや、ちょっ、ちょっと……」
相手の尊厳を傷つけたくなかったが、ふみかレッドは思った。「この人、人間なの?」
「私たち、戦っているんだよ。のんびりしていられないんだから!」
派手なパンチとキックが、来る。ふみかレッドは、焦りつつも、経験を活かしてかわしていった。
「やあ! それ! ほおっ!」
「はあ、はあ……!」
「やだなあ、序盤で疲れていたら、面白くないよ。よけてばっかりだし」
「あ……当たったらひとたまりもないからでしょうが!」
「うん、言えてる」
うずめレッドは、地響きをあげてひとまず下がり、左手首の数珠を外した。
「紅色の……ビー玉!? あなたが私たちを!」
「そうだよ」
無邪気に答えるうずめレッド。霜月三十日に研究棟の屋上にて、日本文学課外研究部隊を際まで追い詰めた「ふみかに似せた声」の正体が、たやすく明らかにされた。
「前回は、ヒロインに変身していなくて、散々だったけれど、今日は楽しませてくれるよね?」
数珠の紐をほどき、八個のビー玉がうずめレッドの手のひらへこぼれた。
「あなたは、おはじきなんでしょ」
「余分に持っていて、正解だったよ」
ふみかレッドは、ベルトに結わえつけていた網を開いた。練習用のおはじきを六枚、握りしめる。
「必殺技は、終盤にとっておいてよね」
うずめレッドが、紅のビー玉をこすり合わせて、じゃらじゃら鳴らした。
「もちろん。けりをつけなきゃならないもの」
ふみかレッドが、緋のおはじきを回して、ひゅんひゅんいわせた。
「ことのはじき・六花閃!」
「ことのたま・八方拝!」
おはじきを六枚を同時に弾く。放射線状に異なる方向へ飛ぶ赤い閃光に対し、
「坎、艮!」
ビー玉が二個まとめて投擲されて、撃ち落とす。
「なんのこれしき、二花撃、三花撃!」
「震、巽、離!」
めげないで次の六枚、さらに六枚、ふみかレッドは弾いてゆく。うずめレッドも負けまいと、三個で応じる。
「四花撃!」
「坤、兌、乾!」
十九枚目から二十四枚目のおはじきが、六個目から八個目のビー玉に散る。傍で観ている者どもには、緋色と紅色の光が激突している様に見えていた。
「いけるかも! 五花撃!」
「まだまだ! ……って、あれ!?」
うずめレッドが、袖をまくって右手首を確かめるも、何も付けていなかった。
「しまった、予備の八方拝用、置いてきたんだった! わあ!!」
六花閃・五花撃をすべて受けて、うずめレッドは花壇に背を打ちつけて倒れた。
「女は在庫の管理を怠るな、母方の祖母から三代続いた教訓だよ。六花撃!!」
ふみかレッドは、ふらつく相手に締めの六連発を発射したのであった。
「霧詠・巻第十五・第三五八〇番歌! 君がゆく 海辺の宿に 霧立たば 吾がたちなげく 息としりませ!」
日本文学課外研究部隊の司令官・安達太良まゆみが掲げた指示棒の先より、霧が吹く。銀の輝きがちらつく、真っ白な霧であった。
「先生方、童心に帰って鬼ごっこと致しましょ!」
踵を鳴らして、まゆみは近松初徳教授と森エリス准教授に背を向けて走った。
「ふむ、学生思いの優しい子だ。しかし、私には君の足取りがきれいに見えるよ。まやかしの霧は通用せぬのでね」
まゆみが行使した、現を超えた奇跡を叶える「呪い」は、士族の近松には効かないのである。
「森君、ついておいで」
「はい」
近松がエリスの手をつなぐ。呪いの無効化は、士族の体に触れている者にも及ぶ。エリスの視界を遮っていたものは、除かれた。
「研究棟の中庭かね……。奥の雑木林とは、考えたものだなあ。あそこで、数えきれぬほどの男女の語らいを」
後頭部が痛んだ。エリスがフルーレの柄で殴ったのだ。金属は、拙い。三途の川でのアバンチュールは、もっと後にとっておきたい。
「暴力はならぬよ、暴力は」
「勤務態度を改めるべきであると判断した」
「君は時折、悪魔になるね……」
一人と一人になり、まゆみの左右にまわって、同時に切りかかった。
「風詠・巻第一・第五十一番歌采女の 袖吹き返す 明日香風 京を遠み いたづらに吹く」
まゆみをぐるりと守るように、純白の風が吹きすさぶ。『萬葉集』全四五一六首を諳んじて望みを叶える呪い―詠唱は、安達太良のお家芸だ。
「森君!」
風に浮かされるエリスを、近松が抱き留めた。彼のところには、歌の効果は及ばない。
「やはり……でしたわね」
まゆみは、無効にされることを予想していた。斬れる機会をふいにしてまで、部下をかばいにゆくことも。エリスへの執心は、無類の女性好きで名が知られている近松にしては、めずらしい。
「重いですけれど、耐えてくださいませ!」
近松らに、枝と葉、丸太がたくさん覆いかぶさった。まゆみは、林を少しばかり伐って二人の動きを止めるために歌を詠んだのであった。
「隊員のもとへ、急がせてもらいますわ」
「Was(何、)? Wohlhabend, hm(富貴。)?」
凜として硬質な声が、丸太の丘から聞こえた。続いて桜色の光が漏れて、半透明のドームが丘を押し上げ、散らばらせた。
「あらー、頑丈なのですわね」
「当然である。持久戦の魔術として、運用されてきたのだ」
フルーレを、枯れぬ花に戻してエリスが言う。独国語の文章で構成された半球状の盾は、西洋の呪い「魔術」が生んだ。
「前々からあやし、と思っていたのですが、森先生の術だけは、近松先生は受け入れられるのですわね」
「魔術は、士族の無効化対策に入っていなかったためである。自分の魔術は、呪いを本歌としたものだが」
盾を収めて、エリスは冬空の月陰のような冷たいまなざしをして答えた。
「再びのふりだし、困りましたわー」
あまり喜ばしくない状況でも、まゆみは夏の真っ昼間の陽光に劣らぬまぶしき笑顔だった。
「白妙の 吾が衣手に 露は置きぬ!」
空中にできた、あまたの露が、
「いづく漏りてか 霜の降りけむ!」
すさまじい速さで凝固し、近松とエリスを突き刺さんとする。巻第十一・第二六九〇番歌の上の句、巻第十・第二二三八番歌の下の句で攻めの手を作った。通常、呪いは略すると威力はその分減る。しかし、詠唱は例外であり、極端な略し方だと、そらんじないで奇跡を起こせるのだ。
「休ませてくれぬものさね……」
エリスの膝裏に太い腕を通し、大切に抱えて近松は後ろへと跳躍した。ぽつんとある亀の甲羅のような岩に着いたが、霜がかかっていて滑ってしまった。
「近松先生に影響はなくても、他はみな、私の術が及ぶところですのよ」
「そうだね…………。君は、日文の教員で抜きん出て戦闘能力が高いのだった」
みっともなく転げ落ちたが、女性に傷ひとつつかなかったので結果はよろし。
「安達太良さん、私は君を高く評価するよ。有能な教師かつ術士だ。それと等しく」
近松は、まゆみを悪鬼に対するかのように、睨んだ。
「君の存在を、厭わしく思うよ」