第十二番歌:似せた物語(四)
四 師走四日
日本文学国語学科主任・時進誠の研究室は、本の密林と化していた。さまざまな書物が、平積みに、段ボールの中へ無造作に詰められ、棚にはみ出て今にも落ちてきそうな物まであった。研究以外は不器用な時進のため、妻や附属高校教諭の三男、附属図書館の司書である五男が定期的に清掃してくれる。今回は二度も入室を拒んだため、混沌たる有様になったのである。
「最後の処理は、まだなのかい?」
本の荒波をかき分けて、和舟は執務机へ到った。
「期限まで、様子をみておりますので……」
寝ぐせのついた髪をなでつけて、時進はかれた声をしぼった。赤いちゃんちゃんこを経ても、地毛は黒々と茂っている。孫の生気を吸っているからだろうか。
「ほこりくさいね、奥さんにストライキでもされているんかい」
「妻は……愚息の家を転々としています」
「ふさがっているんだろう、時進くん」
和舟がブラインドを巻いて、窓を開けた。
「あなたは慎重で、仕事は最終日までじっくり取り組むんだよ。まゆみちゃんの封印をすぐにしないのは、それとは違うね」
「何を、仰りたいんですか」
「業務規定にあるからせざるを得ない、と諦めているあなたと、後進の才能を奪いたくないあなたとがせめぎ合っているんさ。はっきりしたらどうだよ、肩書き持ちなのに、小者だね!」
和舟が机を叩くと、新書本の山が倒れた。
「小者だからこそ、責任の重い役割をいただくんです……。同僚の今後がかかっているんですよ。安易に決断を下せません」
「くだらない理屈をこねるのは、やめな! 人に訊ねないで、本にばかり答えを求めて、狭い男だよ!」
憔悴した主任の頬に、活力が宿る。
「調査報告書だよ。この地と、安達太良家の先祖についてまとめた」
ステープラ留めされたA4用紙の束を、時進は飢えた犬が餌にありつけたように手にした。
「まゆみちゃんが欠けては、未来が途絶えるよ。あなたが注目している『日本文学課外研究部隊』のお嬢ちゃん達もね」
時進は表紙を先頭に戻して、ようやく腰を上げた。
「棚無和舟先生。貴重な情報をいただき、ありがとうございました。主任として、命じます。安達太良まゆみ先生を解放してください。午後一時四十八分現在を以て、特例観察処分とします」
「了解さ!」
弟子は、『萬葉集』の注釈本に集中していた。
「精が出るね」
「和舟先生………………!」
本に紐をかけ、弟子はスーツに袖を通した。白か。暗かった娘時代が、しのばれる。
「やつれてはいないようだ。ただでさえ、まゆみちゃんはスリムだからさ」
「同僚に、身の回りの世話をしてもらっていたのですわ」
「近松くんのパートナーだね」
呪いの発動がお早いこと、まゆみは口元に指を添えて息を漏らした。
「隊員達が、シラクモノミコトの仲間と接触するよ」
まゆみの目つきが、険しくなった。
「司令官はあなただよ。私の案内は、ここまでさ。特例観察処分の事は、主任が正式に発表するけれど、もたついている。脱出するなら……」
「ふふっ、和舟先生ったら。私に考えがありますわ」
豹のごとく敏捷に、まゆみは窓枠に跳び移った。
「レディの品性においては、不可にするけれど、度胸においては、文句なしの優だよ!」
「先生に優をいただいたのは、二十年以来ですわね」
ごきげんよう、と会釈して、まゆみは外と個人研究室との境界を越えたのだった。
「舵は、まゆみちゃんに託したよ……!」
空満神道本部の正門と並行になるように、大路は通っていた。大路を越えると、だだっぴろい通りに出る。そこには花壇(黒はっぴの信者が、麦わら帽をかぶって日々手入れしている)が縦に並び、歩道と車道に分けていた。さらに直進し、大学附属空満参考館と空満神道教庁をつなぐ渡殿の真下に、陣堂女子大学・高校の五人娘がいた。
「わあ、ちょうど五分前だ。こんにちは! 来てくれたんだね」
うずめを中央に、一列横隊をなしていた。
「うずめちゃん……」
「似合うでしょ、ふみか? 私たちの衣装だよ」
五人娘は、墨染めのセーラー服をまとっていた。襟の色と装飾品、スカートの丈はばらばらである。
「私たちの名乗り、聞いてね」
うずめの「せえの!」という掛け声が、通行する人を止めた。
「心の岩戸、開けてみせるよ! うずめレッド!」
「……歌の本意は、有心の躰。……そう、ねおんブルー」
「罪障は、雪ですわっ! こおりグリーン!」
「こひこひて 有経し大人の 面影を、せいかイエロー!」
「をみなにて 又も来む世ぞ 生まれまシ★ とよこピンク!」
『みな人よ 心に示せ 文学を! 五人合わせて……グレートヒロインズ!』
人々の喝采を浴びて、うずめレッドはたいへんはしゃいでいた。
「パクりじゃねえかよっ!」
華火が、犬歯を光らせる。
「君負ケルことナカレっス! 萌子タチも、やりマスよ☆」
「士気を高めな、押されてまうで」
萌子と夕陽に、唯音が黙して賛同した。
「で、ですよね」
ため息を我慢して、ふみか達はグレートヒロインズ! を見すえた。
「やまとは国のまほろば! ふみかレッド!」
「原子見ざる歌詠みは、いおんブルー……です」
「花は盛りだっ! はなびグリーン!」
「言草の すずろにたまる 玉勝間、 ゆうひイエロー!」
「こよい会う人みな美シキ☆ もえこピンク!」
『いざ子ども 心に宿せ 文学を! 五人合わせて……スーパーヒロインズ!』
特撮同好会の野外ショーなのかと、人が集まってゆく。ふみかレッドは、穴があったら入って埋められたい気分だった。
「スーパーヒロインズ! と、グレートヒロインズ! 夢の対決だよ!」
天に両手を広げて、うずめレッドがはやしたてる。白・黒、どっちつかずな空模様であった。
「……そう、最も、危険な、戦い」
「こおり緑が最強って事実を、しもやけするほどくっつけてみせますのっ!」
こおりグリーンがねおんブルーにおぶさって、騎馬ごっこをした。
「夕陽ィ、恨むんやったら、アヅサユミを恨むんやなァ。こないなってもろたんは、因縁なんや」
「ミーのりべんじ、えせ絶対天使ヲ火刑ニするゼ★」
せいかイエローがゴーグルを装着し、とよこピンクは破れたマントを風に舞わせた。
「じゃあ、戦おっか!」
「ちょ、ちょっと待って」
ふみかレッドが、双方の間に立った。
「一分、音楽がやむまで、どうかこのままでいて」
ぽかんとするうずめレッドに、
「大将、郷に入っては郷に従う、やでェ」
せいかイエローが諭したのだった。
木を伝ってキャンパスに足を着けたまゆみは、うつけだった、とこめかみを小突いた。
「和舟先生に、場所を伺っておくの忘れちゃっていたわ」
かっこよく去ったのを、ぶさいくにいたすまい。まゆみは、ふみか達の居所を「引い」た。
「良し、あちらの大通りね!」
「Alle meine(余が)Krankheiten(病は) sind(全く) geheilt worden(癒えぬ).」
桜色をした三日月型の光が、まゆみのつま先をかすった。
「やあ、安達太良さん。缶詰めの暮らしには飽きたのかね」
近松初徳が、まゆみの行く手を阻んだ。彼のそばには、副官の森エリス准教授が控えていた。普段まとめている巻き髪をおろしており、百合の花を鍔にしたフルーレを構えていた。
「缶詰めは食べ物に限りますわ」
「ははは、お見事なジョークだね。森君のかいがいしさに、酔わされたかい」
「しらふですわよ、おほほほほ」
まゆみは、射抜くような視線を二人に向けた。
「森先生。鴎外『舞姫』の術、攻撃にも行使できますのね。近松先生。短刀といえども、学生の前でちらつかせるのは、よろしくありませんわ」
「君がおいたをするから、いけないのだよ」
「安達太良先生、至急、個人研究室に戻ってもらいたい」
かつては「侍」であった士族・近松と、本来は治療・防御専門である軍医の末裔・エリスが、武を以てまゆみを止めんとする。
「外出の許しは、時進先生にいただいています。教え子が危ういのです、通してくださいませ」
呻く風が、研究棟に駐めてあった自転車を将棋倒しにした。
「主任は、甘いのだよ。私ならば、捕らえ際に四肢をたたっ斬っておくがね」
短刀が血をすすりたそうにぎらぎらしている。
「いみじく虚しいものですわね…………」
上着から銀色のペンを抜いて、伸ばす。まゆみ愛用の指示棒だ。
「安達太良さんとは、命を懸けた手合わせを望んでいたのさ……ふぬ、十四時か」
講義であれば、続けるのだが。近松は六十秒、耐えることにした。
世界有数の宗教都市・空満市は、十四時に音楽が流れる。空満神道を開いた教祖がこの世を出直した時刻を、告げるのだ。一分間、この地は静かになる。信者は言うまでもなく、古参の住民は慣れで、通勤・通学の者は見よう見まねに、作業を中断して、黙祷する。音楽が終わると、三回手を叩き、一礼する。初めて来た人は、異界に迷いこんだのではないかと、戸惑うだろう。
♪~♪~♪~♪~ ♪~♪~♪~
「負けないよお!」
「私だって、負けないんだから」
紅色の華麗ヒロインと、緋色の雑草ヒロインは、どちらも勝利を譲ろうとしなかった。
♪~♪~♪♪~♪~
「……そう、あなた、後悔する」
「後悔は、しない……です」
藍色の劇薬ヒロインと、露草色の理系ヒロインは、目を交わす。
♪~♪~♪~♪~♪~
「こおり緑が最強、はなびグリーンは最弱ですわっ!」
「へっ、口だけなら、どーとでも言えるっての!」
柳色の凍結ヒロインと、常磐色の爆発ヒロインは、いつでも攻めかかれそうだった。
♪♪~♪~♪~♪~♪~
「ゆうひイエロー、あんたの根性、あたいが見極めたるわァ」
「胸を、お借りします」
山吹色の天才ヒロインはゴーグルに、蒲公英色の秀才ヒロインはメガネに、お互いをくっきり映していた。
♪~♪~
「ミーは闇、ユーは?」
「愚問っスね。答エナくトモ!」
躑躅色の最凶ヒロインは棘付きの十字架を、撫子色の最終ヒロインは羽が生えた星を戴いたハート付きの杖を、携えた。
♪~♪~♪~
「私達の首を取るつもりで、来なさい」
「いいえ。私は、説得のために」
好色男と舞姫を越えるべく、司令官は『萬葉集』を引用する。
―十四時一分。いざ、戦闘開始。
〈次回予告!〉
「やれやれ、おぶね先生は暴れ放題ですな、時さんや」
「お元気でいらして、良かったです」
「愚痴のひとつぐらい、こぼしてみなはれ」
「棚無先生とは関係ありませんし、愚痴ではないんですが……。妻に帰ってきてもらいたいんです。家の事が全然片付きません」
―次回、第十三番歌 「擬せた者語」
「ふぉふぉ、そちが迎えに行ったらええのや。花束抱えて、すまなんだと詫びれば、ほろりや」
「土御門先生、花はどこで用意するんですか。種から育てては、数ヶ月はかかります」
「そち、花屋ちゅうもんを知らへんのかや!? お代金を払えばすぐですぞ」
「財布のしまい場所が、分かりません。妻にすべて任せていますので」
「生きた化石に遭ふた心地よの……」