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第十二番歌:似せた物語(二)

     二 師走二日

 寒くても、夕陽は日陰を選んだ。朝の陽が、母親をいやでも想起させるために。

母親は、敬っているとともに、忌んでいる存在だった。

「夕陽は、頭も、気立ても、お顔もえぇお嬢さんやなぁ」

「お母さんが、一生守ったるでぇ」

 昨日の朝は、娘に甘かった。ヘアアイロンをあててくれて、とっておきのチークを塗ってくれた。

「ほんま、(どん)やな!」

「こんなんやったら、雇うてもらえる会社ないわぁ。せやから、公務員志望なん? ちょこんて座って、判子ついて、お茶でもしながら雑談すればお給料入る、お気楽な仕事やろぉ? あんなん仕事ていわへんねん。畜生でもまともな芸して稼ぐわ。夕陽は畜生以下や!」

 父方の祖母へのバースデーカードをポストに投函するのを、うっかり忘れただけで、こってり絞られた。今日でも、まだ間に合うというのに。母は両極端な態度で、夕陽に接するのだ。

 妹の真昼は、しっかり者で世渡り上手。だから、多少ほったらかしてもえらいことにならない。姉の夕陽は、世間知らずでふわふわしている。自立に時間がかかりそう。常に親の目が届くところにおいておかなければ。そう父にいきまいていたところを、偶然目撃した。

「お母さんかて、疲れているんやわ……。うちがいつまでもちゃんとしてへんから」

 優秀な母親でいようとして、無理をしているのかもしれない。夕陽が生まれつき間が悪いせいもあるだろう。

「せやのに」

 程度が軽くていいので母に天罰が下ってほしいと願う、悪人の自分が住んでいる。万人の子が抱くものなのだろうか。

「皆に、聞いてみたいわぁ」

 ふみかと唯音、華火に萌子。サークルの仲間になら、話せる。あまり親しくない相手だと、流されるのが想像できた。

「おっ、夕陽じゃねえかっ、おっ、はっ、よっ、と!」

 日なたでけんけんぱをして、華火がやってきた。

「華ちゃん、おはよう。えぇことあったん?」

「出る前に、過去問解いたら、全部丸だったんだっ」

 受験勉強が、はかどっているようだ。どこの大学かは、内緒にされているが、合格して素敵なキャンパスライフを送ってもらいたい。

「さっき、担任と会ったんだけどよ、やつれてたんだよな」

「あらま。どないしはったん」

「夕べ、母親が家に転がり込んできたんだってよ。夫婦で映画を観に行く約束をすっぽかされて、怒髪衝天ってワケ」

(とき)(すすみ)先生が? 意外やね」

 華火の担任は、夕陽の学科主任・(とき)(すすみ)(せい)の三男である。

()っちゃん、書斎から一歩も出てこねえんだと。思い詰めた時のクセなんだって。母親と嫁が長夜(ちょうや)之飲(のいん)してて、家事と育児がいきなり回ってきて、担任は右往左往っ。コレ、二週間は続くみてえだぞ」

「えらいことやなぁ……」

 時進先生が思い詰めている、なんと珍しい。イレギュラーな事態でも、先生は落ち着いて対処されそうなイメージなのだが。もしかして、安達太良先生の件に関係が? 考えが飛躍しているか。

「そーいや、オリエンテーションあっただろ。結局何だったんだ?」

「せや、なぁ…………」

 歯切れの悪さに、華火が眉にしわを寄せる。

「ごめんやで、言うてえぇんやろかて悩んでいたんやけど……決めた。安達太良先生が、うちとふみちゃんの担任やなくなったんやよ」

「……マジなのか」

 嘘偽りはしない。メガネの弦を上げながら、夕陽は「せや」と答えた。

「ご病気で休職てなってな、代わりの先生がいらっしゃったんやわ。棚無和舟先生、ハンサム・マダムやったよ」

「棚ぼたか、『やまなし』か、アナナスかは興味ねえけど」

 華火は、スポーツバッグを殴った。

「まゆみの、病気ってのは隠蔽工作だろっ!」

「うちも、おかしいと考えているで。日本文学国語学科にとって、都合がようないのかもしれへん、て」

 霜月三十日のビー玉事件で、夕陽は、「ふみかに似せた声」以外に、誰かの気配を察知していた。まゆみを監視しているようだった。

「あたし、ひろこに訊いてくるっ!」

「宇治先生に?」

「あたしに任せろい、しっぽつかんでやるっ!」

 有言実行っ! と華火は、疾風のごとき速さで去った。

「ぶつからへんようになぁ」

 いつの間にか、日に当たっていた夕陽。母親とのいざこざと、いけずな自分は、空の彼方に放られていた。



 ハンサム・マダム和舟は、窓枠にはまったガラスの揺らぎを、水面のようだと讃えた。

「叡智の聖域は、相も変わらずだ」

 賑わいはじめる空満大学国原(くにはら)キャンパスで、附属空満図書館だけが静けさを保つ。

「フライングであがらせてもらって、悪いね。()(ぶち)先生……だったかい?」

「はい。僕の特権ですから」

 閲覧室に、気味悪いほど目を細めている男が入った。()(ぶち)丈夫(ますらお)、和舟が所属する日本文学国語学科で国語学を教える准教授であり、ここの司書を兼務している。

(そら)(だい)に体を慣らしてゆきたくてさ。年寄りのおねだりを聞いてくれたものだよ。感心、感心!」

 真淵は、恭しく礼をした。

「棚無先生には、心ゆくまで過ごしていただきたいのですが、お目通しを強く願う者がおりまして。よろしいでしょうか」

「呼んでおいで」

「……とのことですよ。かくれんぼはそれまでにされてはいかがです? 公園ではないのですから。それとも、目的を果たす前に退去させられたいのですか?」

 にこやかな態度を崩さない真淵の後ろで、靴音がした。

「そそそそ、それはやめてください! 私、棚無先生に言わずにいられないのですよ!!」

 度のきつい眼鏡、漆黒の上着とひだ付きスカートに革靴を鎧のように着た、いかにも「学級委員長タイプ」の女だった。左腕には、臙脂色の腕章。金色の糸で「文学部日本文学国語学科」と縫われてある。まだ伝統を守る教員が残っていたか。

「あなたが、音に聞く『腕章の女史』宇治(うじ)紘子(ひろこ)先生かい?」

「覚えていてくださって、光栄です!」

 紘子と真淵を照らし合わせて、和舟が軽快に笑った。

「あなた達が、貝おほひ弐の壇だね」

 日本文学国語学科の専任教員は、裏の業務にあたる際、主任と、壱から参の壇まである二人組「貝おほひ」で組織されていた。

「申し遅れましたことを、お詫び致します」

「いちいち紹介するほどのものじゃないさ、真淵先生。それで、本題は?」

 鮮やかなスーツに惚れ惚れしていた紘子が、思い出したように姿勢を正した。

「私達、棚無先生と競争するのですよ!」

「五〇メートルまでなら、いけるよ」

「競争といっても、走るのではありません!!」

「まゆみちゃんをめぐって、だろう?」

 わざわざ図書館に招待したのだ。呪いに頼らなくとも、分かっていた。

「弐の壇は弐の壇で、安達太良先生を救い出します! 先生には、まままま、負けませんから!」

「ひたむきさが伝わって、よろしいね! 受けてたつよ」

 和舟は、紘子に握手を求めた。

「恨みっこなしだよ」

「もちろんです!」

 年配の(かた)なので加減していたのだが、なかなかの握力だった。紘子は誠意を表して、ぐっとやり返した。

「偵察と庶務の部門に追い抜かれては、壱の壇は荒事部門を引退しないとならないね。さ、始業だ。真淵先生」

「はい」

「閉架図書の閲覧、受け付けてもらおうか」

 彫金された笑顔で、真淵は今日一番の利用者の入館証を預かった。



「あれま、華ちゃん」

「おう、ゆうひっ。ひとりかっ? そんなら隣こいよっ!」

 昼休みの食堂は、国原キャンパスの学生・教職員のほか、海原キャンパスに通う体育学部生、附属高校の者、空満神道信者も訪れていた。

「姉ちゃんは、自宅で洗車してる。あきこは、本殿で行き倒れの面倒みてるんだった」

「唯音先輩、運転しはるんや」

「マニュアル、去年の春になっ。船舶も持ってるっつったか」

「そうなんやぁ」

「ふみかは?」

「講義、しばらく終わりそうにないんやって。政治学の先生がなぁ、ご自宅の柿泥棒と法廷で争ったそうやねん。先週からそのお話なんやわ」

「大学の授業って、雑談聞かされるんだな」

 華火は、わかめと長ネギのスープをひとくち飲んだ。

「中華定食にしたんやね。かに玉とえびチリなんかぁ……おいしそうやわ」

「分けてやんよ。ゆうひ、卵料理好きだろ」

「おおきにぃ。お礼にオムライスあげる」

 二人でお皿を交換する。

「デミグラスだっ!」

「きのこクリームも捨てがたかったんやけど、両方は食べられへんからねぇ」

「姉ちゃんとまゆみみてえな、底なしの胃袋欲しいよなー」

 他の定食が、本日どんなおかずだったかを教え合っていると、

「そちら、相席してもかまへんかァ」

 女子二名が、前でトレイを持って立っていた。

「えぇですよぉ」

 華火に同意を求める夕陽。知らない人が苦手だが、混雑しているので華火はしぶしぶ許した。

「あたいは、平田(ひらた)(せい)()

 ひとりは、山吹色のカチューシャをつけた、気のきつそうな女性だった。首に飛行機乗りが愛用していそうなゴーグル、へそを出したトップスの上に、襟と裾にファーが付いた革ジャケット、デニムのホットパンツがやけに扇情的である。周囲の男子学生が、鼻の穴を広げて赤面していた。砲弾のような胸と、ババロアのような太ももが視線の的だ。

冬籠(ふゆごもり)凍莉(こおり)ですのっ、お見知りおきを」

 もうひとりは、雪の結晶を象ったヘアピンを前髪の左右に留めた、お嬢様然とした少女だった。ソフトクリームを逆さにしたような長い巻き髪がふたつ、オリーブグリーンのブレザーとスカート、胸にはアップルグリーンのリボンが結ばれていた。通りかかった女子学生達が「かわいい制服ね」「女子校かしら」「エリートじゃない?」と口々にささやいていた。

「本居夕陽と申します。文学部日本文学国語学科の二回生です」

「……夏祭華火、ここの附属校、高三っ」

 夕陽は、清香が学生時代の母親に、とても似ていて驚いた。

 華火は、顔と体型が、ムカつくぐらい自分にそっくりで唇を噛んだ。

「どこから来たんかが、スポンと抜けていたなァ。あたいは、陣堂女子大学文学部英文学科三回生や」

「私は、陣堂女子大学附属陣堂女子高校特進コース三年生。生徒会長を務めていましたのっ」

「陣堂女子大学ですか。うちの妹も通っているんですよぉ」

 清香のトレイに、夕陽はまたもびっくりした。オムライスが二皿だったのだ。デミグラスソースと、きのこクリーム。一人で食べきれるのだろうか。サラダとスープも二人前だ。

「ヘビーやろォ? けどなァ、あたいは食べたい物は全部食べる主義なんや。いッチ頭脳と体をフル稼働させているんやからなァ」

 両手にスプーンを持って、大きめにすくう清香。味わう様は、至福に浸っていた。

「けっ、寒そうなメニューだな」

 凍莉が注文した物は、冷やし中華とメロン味のフローズンドリンクだった。季節柄、お声がかからない品だ。調理のおばちゃんにごねたのではないか。

「よそ様の食事に、いちゃもんをつけるものではありませんのよっ。 至極当然ですけど、あなたにはあげないですのっ!」

「へい、へい……」

 本当は、うらやましかった。メロン味の飲み物を追加したかったのだが、お小遣いが足りなくなるので、断念したのだ。裕福な家庭で育った華火は、祖父と両親の豪遊ぶりを反面教師にしている。

「夕陽ィ」

「ふえ!?」

 母に呼ばれたみたいで、つい、おどおどする夕陽。顔を上げると、きのこクリームオムライスの端っこが残った皿が置かれた。

「あげるわ。食べさしやけどな」

「すみません、うち、物欲しそうにしてましたか……?」

 清香は、ふんぞり返って足を組んだ。

「あたいの善意や。文句、あんのォ?」

「いえ、そないなぁ!」

 夕陽は、懸命に手とリボンを振る。

「おんなじ年代やねんやから、フランクにせェへん? あんたァ、食べるん遅いみたいやけどォ、仕事トロいタイプなん?」

「あはは……。母もよう言うんです、はう、言うんやよ」

「よう噛んで食べるんは、身体に優しいんやけどなァ」

 母としゃべっているようだが、何かが違う。口調は荒くても、(じょう)のムラが無いのだ。

「そうなんさ、しっかり噛まないと、消化不良を起こすんだよ」

 夕陽の右隣で、棚無和舟先生が丼を召しあがっていた。

「海鮮かき揚げ丼、昔は天つゆだったんだけれどさ、塩だれもありだね」

「揚げ物、お好きなんですかぁ」

「美肌の秘訣だよ」

 白湯をはさんで、棚無先生はたれのかかったご飯に箸をつけた。

「ここの先生かァ?」

「うちの担任やよ。『萬葉集』を教えているんやわ」

 あまり興味なさそうに口笛を吹く清香だった。

「せや、夕陽ィ。大学のいッチオススメスポットへあたい達を連れていってェやァ」

 フローズンドリンクを飲み終えた凍莉が、うなずいた。

「初めて参りましたのっ。自慢できる場所を教えてほしいですのっ」

「おすすめ、なぁ……華ちゃんはどこやと思う?」

 後輩に、輪の中に入ってもらいたかった。

「あんで、あたしに訊くんだよ」

 失敗だった。

「せっかく遠くまで来てもろたことやし、空満図書館を紹介しよか。閉架式の図書館は、全国で珍しいんとちがうかなぁ」

「えェやんか!」「賛成ですのっ」

 清香と凍莉が喜んでくれた。館内にたどり着いたら、なおのことだろう。

「では、出発しよかぁ。…………あら?」

 トレイの横に、貝殻があった。櫛のように細いとげがついている。

「ホネガイ、やね?」

「少しの間、持っておいてくれるかい。本居さん」

 おしぼりで指先を拭いて、棚無先生が言った。

「この後、事務処理があるんだよ。かさばってしょうがなくてさ、万が一、人に刺さったら、嫌だろう」

 研究室などにしまっておけばよろしいのでは? 夕陽が提案する前に、担任は、ホネガイを夕陽のリュックサックに収めた。

「さ、行ってきな」

 担任の唇が、夕陽にはとても印象強かった。食後だというのに、ルージュが落ちていなかったのだから。



 清香と凍莉を、つつがなく送り届けて、華火と夕陽は図書館とキャンパスとを結ぶ階段を降りていた。

「あたし、先、二〇三で留守番してるっ!」

「助かるわぁ。講義済んだら、早よ行くからねぇ」

 顧問の安達太良先生は不在だが、「日本文学課外研究部隊」の活動は続けたい。師走初回となる今日は、隊長のふみかを入れて三人で行う。

「姉ちゃんが久々に家帰ってるってな……」

 華火のいとこ・唯音は、ほとんど毎日、夏祭邸で過ごしていた。

伯母(おば)さんと、ちょいとは話せるようになったんだってよ。まゆみがきっかけをくれたっつってた」

「ご家族と、特にお母様とは、折り合いが悪いて伺っていたもんなぁ」

「まゆみが親子の縁を引っぱって、結びなおしたんだっ! 特別な力じゃねえよ、まゆみが元から持ってたやつなんだっ!」

「うちも、先生の真心に、励まされたわ」

「まゆみは、ヘタな(かみ)(ほとけ)よりも誰かを救ってる!」

 瓶覗に染まった空を、華火はきゅっとつかんだ。

「お? なんか取れた」

 虫だったらヘコむなーっ、と手をパーにすると、四枚の平たい葉が破れていた。

「柿……やろか」

「この辺、柿植えてねえだろ」

「なんで落ちてきたんやろう?」

 アスファルトの地面に、柿の(へた)が、敷き詰められていた。

「こんだけ大量にあると、気持ち悪いなっ」

 華火が数枚蹴ると、蔕が回転して膝小僧を切りつけた。

「華ちゃん!」

 リュックを開けて、絆創膏を出す夕陽に、

「いらねえよ」

 と華火は断った。

「皮がめくれただけだっ。んなこたより」

 夕陽を押して、脇の石碑へ隠れた。

「こいつらは、化けもんだっ!」

 プロペラのように、たくさんの蔕が勢いよく回って浮上した。

「安達太良先生は、力をコントロールできはるよ?」

 蔕のひとつが、人間ではまず出せない高音域で叫んだ。

【ヲカシ! ナンバー・NM(エヌエム)―09、ヲカシ!】

「をかし、NM……ふみちゃんが戦ったてゆう」

 昨日の出来事を、ふみかが隊員専用の通信機で皆に知らせていたのだ。

「倒せば一件落着なんだろっ、よっしゃ」

 華火がジャージの上着を捨て、セーラー服の胸当てにあるスナップボタンを外す。

「華ちゃん!? あかんて!」

「変身しねえと始まらねえだろが。夕陽、ヒロイン服忘れたのかっ?」

 下着があらわになるのを、夕陽がジャージを拾ってかぶせた。

「持ってきているけど、や! 人の目があるやんか!」

「今はいねえじゃねえかよ。ほら、変身しろいっ」

 淑女が慎むべき事を、母親に教育されてこなかったのか。女性として生きる人は皆、心得があると信じていたのに。

「せぇへん!」

「こんの、頑固一徹ゆうひっ!!」

 華火が変身を続けていると、

《ハッハ! 勇ましいお嬢ちゃんだよ!》

 夕陽のリュックから、棚無先生の声が聞こえた。

《心意気には乾杯するけれどさ、節度は守らないとだめだよ。いつ、けだものがうろついているか分からないだろう?》

「変やわ。携帯の電源は切っているんやけど」

《ホネガイさ。私が(まじな)いを行使することは、ふみかちゃんから聞いているね?》

 夕陽は、ファスナーを下ろして貝殻を大事に抱いた。

「これは、貝殻で電話する術ですね」

《当たり! 貝は私の手元にさえあれば通じるんだけれどさ、電話の雰囲気がしなくてわびしいんだよ。ホネガイは差しあげるよ、お守りにしな。さ、本居さん。相手の対策は、ばっちり予習してきたかい?》

 夕陽は『伊勢物語』と『仁勢物語』の第九段を、頭の中で参照した。

「実践するのみです」

《素晴らしい! 本居さん、あなたも変身しな。ホネガイに隠れ蓑の術を発動させたから、安全さ。私のサービスだよ!》

 紺碧の輝く粒子が、ホネガイの穴から噴き出した。

《三限の「国語表現B」は、私が時進先生に遅れると伝えるよ。焦らずに力を尽くしておいで!》

「先生のご恩に、報いてみせます」

 夕陽は、ヒロインになるため、カーディガンのボタンを外していった。



「お手並み、拝見させてもらうでェ」

 図書館の休憩室にて、カチューシャの娘は窓際でミルクティーを一服していた。閲覧に不要な物を保管しておくコインロッカーと、飲み物やお菓子の自動販売機に囲まれていると圧迫されたようで、外を眺めていたいのだ。

「哀れですわっ、NMシリーズは、破壊されるために作られていますのっ」

 凍莉は、大学の季刊誌を適当にめくっては、マスクメロンシャーベットをなめる。

「明日は我が身、や凍莉ィ。あたい達も、境遇はNMと一緒なんやから」

 つり目をちょっとだけ下げて、清香は紙コップをへこませた。

「分かっていますのっ。凍莉は、無知蒙昧ではありませんわっ」

「NMとの戦いは、予選や。サクッとクリアしてもらわへんとな」

 シャーベットの棒をもてあそぶ凍莉。

「レベル低スギの予選ですわっ」

「本戦は『スーパーヒロインズ!』が負けて当然や。なぜやったら、相手は」

 アイスクリームの自動販売機が、点灯した。

「全フレーバー試すんかァ? 真夏でもやらへんで」

「たった十八種類ですのっ!」

 凍莉が上機嫌に、抹茶味とチョコレートミント味をマラカスのように振った。

「清香お姉さまは、いかがっ?」

「オレンジレモンMIXでも、いただくわァ……」

 声に出さないで、清香は『仁勢物語』第九段の和歌を口ずさんだ。


  ()()(みち)を 昨日(きのふ)今日(けふ)も ()れ立ちて 経巡(へめぐ)(まわ)る (たび)をしぞ思ふ


 各句の始めの字は「か」「き」「つ」「へ」「た」、「柿つ蔕」となる。和歌の技法「折り句」だ。男が、自身を「えうなき者(役に立たぬ者)」と思い、(あずま)へ下るところは『伊勢物語』『仁勢物語』とも共通だ。ただし『仁勢物語』では、ひもじくて笑える旅にされている。

「夕陽ィ、近世文学を専門に学びたいそうやなァ。本物のあんたやったら、柿つ蔕を解き放ってあげられるやろォ…………」

 窓に寄りかかって、清香はアイスクリームの包みを解いた。



「花は盛りだっ! はなびグリーン、降臨っ!」

「言草の すずろにたまる 玉勝間、 ゆうひイエロー、参上やぁ!」

 五月蠅(さばへ)なす「柿つ蔕」に、二人のヒロインが進入する。

【ズタズタ! ヲカシ! ビリビリ! ヲカシ!】

「黄色、下がってろっ!」

 はなびグリーンが、花火玉を投げつけた。玉の外側に付けられた小さな突起に衝撃が加われば、爆発する構造だ。唯音が護身用に開発した。

 空飛ぶ蔕の刃に火の粉がかかり、常磐色に燃えた。

「袋に詰めて、焼き芋でもしてやりてえもんだっ!」

 どんどん打ち上げるぞっ! グリーンが武器を指の間にはさんでいたら、

【ヲカシ! メラメラ!】

 先ほどの蔕が、火に包まれたままグリーンに突撃した。

「どわっ!?」

「うちに、まかせて!」

 ゆうひイエローの髪に結ばれたリボンが伸びて、複数本に裂けて縦、横にせわしなく織ってゆく。やがて完成した蒲公英色の壁が、炎の回転刃を退けた。

「防火加工っ!」

「グリーン、コラボレーション技するでぇ!」

「ひらめいたのかっ!?」

 柿つ蔕をリボンの鞭でいなして、イエローは答えた。

「『かきつへた』には、『かきつばた』や」

 パロディから原作を知ることは、誤った鑑賞の方法ではない。似せた物語にも、独特の面白さがある。これから文学と出会う人々に、説いてあげたい。

()して、疑うなかれ! ゆうひ・はなびコラボレーション!!』

 黄色いリボンを寸断し、グリーンに花火をぶつけるよう促す。緑の玉をあるだけリボンへ当てると、リボンが花火玉をくるんで縒られて細くなった。蒲公英色と常磐色が溶けあい、草色を作る。

「から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ」

「なるほど、(あずま)(くだ)りかっ!」

 イエローが引用した『伊勢物語』の和歌にも、「折り句」が用いられている。各句の先頭にある音を並べると「か」「き」「つ」「は」「た」、「燕子花(かきつばた)」だ。唐衣が着ているとなれるように、なれ親しんできた妻をおいてきた。男は最愛の人に寄せて、旅の心を読んだのである。

 草色のこよりが、柿つ蔕に合戦を申し込む。こよりの先に、濃い青紫の火花が咲くと、蔕はしわくちゃになり、朽ちていった。

「かきつばた花火かっ、こりゃしみるぞっ!」

「空腹の旅と、涙の旅。両方、長いこと読み継がれてほしいわぁ」

 師走の燕子花は、熱く、附属図書館を彩るのであった。







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