第十六番歌:アヅサユミ、引く(序)
序
赤アヅサユミの後についてゆくと、白い広間にたどり着いた。
「雲?」
時折くすぐってくる細くて平たい物について、ふみかレッドは訊ねた。
【紙の糸なり。此の国と海の彼方にある国、昔と今、あらゆる紙より成る間よ】
「繊維なんだ……。そう言われれば、和紙やパピルス紙とかの中にいるような」
赤アヅサユミが急に止まった。ふみかレッドは、あごを引いて滞空した。
【五人揃ひき。汝は此処に】
赤アヅサユミは、素早く高きへ昇った。四柱のアヅサユミと落ち合い、ひとつに戻る。
しばらく見とれていたら、両肩と背中をたたかれた。
「あ、皆」
三角、星、下弦の三日月、ハートの形をした羽衣が、各々の祓を放出していた。
「赤さん、おめでとう……」
「あたしは、勝てるって最初から信じてたぞっ!」
低空飛行ぎみのいおんブルーと、彼女を支えるはなびグリーン。理屈から入るきらいと、体で感じるきらい、対照的ないとこであった。
「円の羽衣、日輪みたいやねぇ」
「和コスの王道ハ、赤っスな☆ センパイ、ソウクール!」
日本文学国語学科の同級生と後輩が、誉めてくれた。月はゆうひイエローにぴったり、洋のかわいさを組み合わせたもえこピンクは聖なる魔法使いのようだった。
【神無月に集ひし、五人の娘よ―】
アヅサユミが、スーパーヒロインズの前まで降り来た。
【汝らに、知らすべきことあり。この地に迫らむとする、災いを…………】
藤色の長き髪と、透ける領巾を揺らし、神は滔々(とうとう)と話した。
次の年の、弥生と卯月の間に、大いなる障り来たる。
間は、弥生の晦日と卯月の朔日のわづかな時に生まれる。
大いなる障り、春に疼き、この地を歪ませ、曲げる。理をも、情をも。
障りを浄められるは、祓のみ。
我が祓を以って、この地を守らんと思へども、我が祓、尽きたり。十二年前、祓を五つに分け、汝らに宿したゆゑなり。
障りを放しておけば、この地に飽かず、他の地へはびこり、果ては、この世まで及ぶ。
昔、我、戦ありて休みし頃、大いなる障り、大和国を腐しけり。我、子の助けにて、障りを退けたり。然れども、障りは、今となり、再び世に現れたり。
障りを祓はねば、人の心も腐り、やがて枯る。心を亡くし、身のみ残る。人は、書を読まず、技を磨かず、速さを求めて走らず、知る楽しさを何とも思はず、花や鳥、風や月、人を愛せず、ただ命尽きるまで、世を漂ふむなしき在り方をする。
汝らよ、我に代はり、大いなる障りを祓ひたまへるや?
この地を、この世を、人を、救ひたまへるや?
五人は、身をわななかせた。ある者は、立ちつくして。ある者は、雲に落ち、膝を抱えて。なりふりかまわず叫ぶ者もいれば、鼻に掛けた視力を補う道具を取って、顔を覆う者、髪を乱して天を仰ぐ者もいた。
アヅサユミは、酷なことを伝えて、申し訳なく思った。若人に、やれ世を救えだの、しくじれば人々の心が亡くなるだの聞かせれば、重く受け止めるのは、火を見るよりも明らかである。学びを深めたいだろうに、叶えたい夢があるだろうに……。恋にも興味がわいてくる時分でもある。
【汝ら…………】
袖や膝を濡らす子らを、いかにしてなだめやうか。考えをめぐらせていると、
「心を亡くさせるだって……? なんてひどい。まったくもって許せないよ…………!」
「読」の娘は、義憤に震えていた。
「好きな、ものを、好きと、思えなく、なる、非常に、寂しい……です」
「技」の娘は、胸を痛めていた。
「んな結末には、させねえっ! 親しいやつも、いやなやつも、皆あたし達で障りから守ってやらあ!!」
「速」の娘は、目を赤く腫らしながらも、闘志を燃やしていた。
「分からへんことを知ろうとする気持ち、昨日の自分に負けへんよう頑張る気持ちにもなられへん……障りは、人を人で無くす、見過ごしたらあかんものや」
「知」の娘は、己が正義を整然と語った。
「ダイスキが無イ世界ハ、明ルクありまセン! イキイキしテいナイ生活ハ、絶対イヤっス!」
「愛」の娘は、感情をストレートに表現した。
アヅサユミは悟る。五つに分かれた祓が、彼女らを選んだのではない。彼女らが祓を「引い」たのだと。
【人のためにしほたれる。人に身を献げる。あはれなり!】
大いなる障り、恐るるに足らず。我の元には、「スーパーヒロインズ!」あり。
【改めて、問ふ。大いなる障りを祓ひたまへるや?】
濡れた顔を上げて、五人は意気良く応えた。
『ラジャー!!』
うずめレッドは、意識が戻った事実を理解するのに、約一分かかった。
「壱号、僕が分かるか?」
「博士……」
誰かが、復旧させてくれたんだろうとは思っていたが、博士だったなんて。
「ね、ねえ! 皆は大丈夫!? 記憶、消えていないよね!?」
跳ね起きて、周囲を見回すうずめレッド。
「アヅサユミにやられたんだ! とても痛かったはずだよ、あいたっ!」
脳天に、げんこつをもらった。
「痛みを感じる間もなく、ダウンさせられたわァ」
後ろに、へそ出しセーラー服の大女が口笛を吹いていた。
「せ、せいかイエロー」
「よッ、ねぼすけ大将」
お目覚めやでェ、と副将が手招きする。
「……そう、赤、生きていた」
もやしみたいなヒロインが、ネックウォーマーをもごもごさせた。
「壊されてなかったもの。冗談きついですよ、ねおんブルー」
「先に神威が解けた博士が、お姉さま達を再起動させたのですわっ」
ねおんブルーの陰から、お嬢様風の小さなヒロインがお顔をのぞかせた。
「こおりグリーン! 良かった」
「アヅサユミ、マジらすぼす。えいちぴー即空ニさレたゼ★」
ひとり離れて、十字架の槍「ヴィヨンの未亡人」で雲に落書きしているヒロインがいた。
「うん、妙に貫禄あったからね、とよこピンク」
全員、損傷は残ったものの、リセットされていなくてほっとした。
「お前達、ボケナスな司令官に今までついてきてくれたものだ」
『?』
博士が、感傷的にため息をついた。
「利用されていたのだ。シラクモノミコトにな。不要な実験をしてきて、大損だよ」
「グレートヒロインズ!」は、肩をすくめたり、苦笑いを浮かべたりしていた。
「滑稽か?」
うずめレッドは、博士の文句を軽く流した。
「ううん、損とか得とか、もうどうでもいいじゃない。私は、楽しかったよ。ふみかに会えたし、強くなってもらえたし」
博士は鼻を鳴らした。
「あたいにも、収穫あったでェ? おいしい物エンジョイして、ぞっこんな男とからめたんやからなァ」
「……そう、唯音と、グミ友に、なれた」
「こおり緑はっ、汗牛充棟の図書館で自販機アイス全部いただきましたのっ!」
「年明ケ、もえ宅デ、ミニジとマキハのでぃーぶいでぃー鑑賞会するゼ」
いつぞやの誰かが言ったか、女は三人いればかしましい。そして、五人いればいっそうかしましい。
「お前達は、変わったのだ……」
「ふふっ、若人の成長には、いみじくおどろかされるわよねー」
だるさが、たちまちに吹き飛んだ。聞けなかった久しい声が、確かに近くで―
「姉さん…………、ねえね?」
髪は短めになって、まず購入しないはずの白いスーツなんか着て、避けていたお化粧までばっちりやって。でも、ここにいる人は、疑いようなく、ねえねだ。
「改めまして、ただいま。なゆみちゃん」
「まゆみねえね!」
幼少期に返ったように、安達太良なゆみ博士は、肉親に抱きついたのであった。
「博士、ついに会えたね」
姉妹を眺めて、うずめレッドは変身を解いた。ふみか達はヒロイン服に着替えなければいけないのに対して、呪い式アンドロイドの「グレートヒロインズ!」は、念じれば普段着に交替できる。博士いわく、呪いとナノテクノロジーの賜物、だとか。
「うずめちゃん!」
夕焼けに色づいた空にて、スーパーヒロインズが手を振っていた。
「うわあ、天女みたいだ! ということは、アヅサユミに……」
「勝ったよ。まだ戦いを控えているけれどね」
雲の橋を越えて、スーパーヒロインズがなめらかに境内に降りた。
「よう頑張ったなァ。顔がいッチ、シュッとしてェ」
「おおきに。せいちゃん、傷みせて。治すわぁ」
覚醒したヒロイン達を、神から守ってできた傷を、ゆうひイエローが祓であっという間にふさいだ。清香は奇跡に「上出来や」と称えた。
「ひゅう、馬子にも衣装ですのっ!」
「帰ってきてやったってのに、イヤミかよっ。へっ、豪華絢爛な緑様がうらやましいんだろっ?」
「誰が負け犬なんかにっ!」
唇を「へ」の字に曲げる凍莉だったが、すぐに喜色満面になった。
「……打ち上げ、パーティ、する?」
「全部、済んでから、しよう……です」
お友達に提案を受け入れてもらえて、音遠は海藻あるいはたこ踊りを始めた。
「マキハの全ふぉーむヲ超越しタでざいんだゼ★」
「和装アレンジがイイ味出シテるんスよー☆ 巫女ッてカンジ猛烈デス☆」
豊子ともえこピンクが、固く握手を結ぶ。フィギアルノとコスフィオレ、果てなき道を放浪する者どうしが交差した瞬間だった。
「…………そうなのか。アヅサユミが」
仔細を耳にして、なゆみは複雑的に眉を歪めた。
「ええ。私達は、数ヶ月後に戦いへ赴くの」
まゆみが、銀の弓を象ったチャームを握りしめる。
「なゆみちゃん達にも、手伝ってほしいんだけれど、良いかしら?」
「姉さんのためなら、ひと肌脱ぐのだ」
「ありがとう! なゆみちゃんがついていれば百人力よ!」
肩をつつかれ、なゆみは頬を赤くした。
「忙しくなるわねー。学科に報告しないといけないでしょ、棚無先生にクラスの近況を伺って、今後の相談もしたいわ。春彦さんには、どう説明しようか……」
吹き出すなゆみ。十二年ぶりでも、ねえねはねえねだ。
「真弓は別に言うことないよ」
「あらー、大事な話なのよ、主人なんだから。それと、なゆみちゃん、『お義兄さん』と呼びなさいな」
「僕のきょうだいは、姉さんだけなのだ」
まゆみは、やれやれ、と穏やかに笑った。
「学生達を送っていくわね。『スーパーヒロインズ!』集まりなさあい!」
「グレートヒロインズ!」といろいろな話に花を咲かせていた五人は、きりのいいところで抜けて、司令官へと走っていった。緋色、露草色、常盤色、蒲公英色、撫子色が、雲の社に映える。
「行きましょ、弥生と卯月の間へ!」
冬を越えて、命運背負った決戦に臨むのだ。六人で―!
〈次回予告〉
弥生と卯月の間に、私たちは踏み入れる。
去年の春に返り、障りを探して祓うために。
平和そうな空満大学は既に、災いが訪れていた。
―次回、第十七番歌「卯月には 障りありけり」
ひとり、取り残されて思う。
……どうして私がこんなことに。




