第十六番歌:アヅサユミ、引く(五ー読)
五
○
藤棚の陰で、ふみかレッドは目を覚ました。
「あいたたた……」
どうやら、右肩と腰を打っていたらしい。大事には至らなかったので、そうっと起き上がった。
【藤浪の 花はさかりに なりにけり 平城の京を 思ほすや君】
赤い髪のアヅサユミが、花を挿頭にして詠った。
【藤詠・『萬葉集』巻第三・第三三〇番歌なり。安達太良に伝はる呪いよ―】
「詠唱だよね。歌に詠まれた物事を、現実にさせられるんでしょ」
私の担任・顧問であるまゆみ先生は、ただ者じゃなかったんだ。薪が無くても火を起こせるし、雷だって操れる。
【汝は、殊にまゆみに魂近し。一首か二首はいづれ詠まむ】
「予言されてもなあ……」
頭をかくふみかレッドへ、アヅサユミが領巾をかけた。甘さと爽やかさが溶けあった香りがした。
【我に陣を見せよ。これより先、我は汝が魂をうち砕きにゆかむ】
射るような目をするアヅサユミをにらみ返し、ふみかレッドは数歩下がる。
「先生の体を借りているんだもの、同じなのは当たり前だよね」
スカートのポケットをじゃらじゃら音を立てて、硝子のおはじきを六枚出した。
「砕かせはしないよ!」
手のひらに乗せ、同時に弾き、前六方向に赤い閃光が走る。アヅサユミの胸当てにすべて命中し、ちょっとだけ後退させた。
「一花撃。続けていくよ、二花撃!」
新たな六枚が、三枚ずつに分かれて領巾をはたき落とす。
「三花撃、四花撃……五花撃!」
白い袴に隠れたすねを打ち、土に着かせて脇腹と両腕を叩く。とどめを任されがちなふみかレッドにしては、積極的に攻めていた。
「六花撃!」
眉間に連撃をお見舞いして、赤アヅサユミは、頭をぶつけてひっくり返った。ことのはじき・三十六花閃、成功。
「結び、だよ」
髪留めにしていた呪いの具「敷島」を取り、右の人差し指を丸く縮めた。
「やまと歌は、天地だって動かせ」
【いかでか戦ふ】
「!?」
気絶しなかったの? 愕然とするふみかレッドに、おびただしい数の蔓が巻きついた。
【答へよ、いかでか戦ふ】
藤の花へと吊るし上げられたヒロインは、きつく縛られた痛みをこらえながら、返事をした。
「だ、誰かの、役に立ちたいから…………」
アヅサユミは、冷ややかな顔をして近づいた。
【人を憎み、避けて来し汝に能ふものかは】
額にかかった弓矢の飾りが、ふみかレッドの鼻先を指した。
【汝の憎しみは、今も残りたり。ゆゑに、書に逃ぐ。人と擦れることを恐れたる】
「ち、違う!」
【違はず! 書は、汝を謗らず、汝を遠のけず。汝が望む語らひをする。人に比べて易くかかづらはる】
ふみかレッドは、うなだれた。藤の蔓が、彼女の目を這い覆う。
【汝が埋みし暗きもの、改めて掘り起こさむ―】
銀に光る弓矢の飾りが振れて、ヒロインの時をじっくり戻していった。
どうして、私を「変わった人」として見るの?
どうして、私を指さして嫌な笑い方をするの?
私が、悪いことでもしたっていうの? あなたたちを危ない目に遭わせた?
私は、ずっとおはじきで遊んでいただけなのに。待ちに待った大会に出て、勝っただけなのに。
十二年前、登校したら、皆が私を避けた。挨拶しても、こちらを向かない。席についたら、隅で女の子たちがかたまって何やら内緒話をしていた。ときどき私を気にして、わざと聞こえるように言ったり、笑い声をあげたりする。男の子は、まだまし。面と向かって「おまえおはじきなんかしてんの、だっせー」「古い遊びじゃんか、ばばくさいやつ」ばかにしてくるから。
私が、大会で優勝したことを先生や上級生が誉めたことが、気に入らなかったのかもしれない。でも、昨日までは「赤い閃光だって、すごい!」って私を囲んでくれたじゃないか。最近、国語で習った「手のひらを返す」の意味を身をもって知ったよ。面白くないんだったら、私に直接言えばいいのに、学級を巻き込んで孤立させるなんて、卑怯じゃない? 明日から、体育館の裏かお手洗いでつねられるか蹴られるかされちゃうのかな。上履きや教科書を隠されるのかな。給食で机をくっつけてもらえなくなるとか? 授業で組を作らなきゃいけなくなったら、あぶれちゃうかもね。………………わざわざご苦労様ですよ、暇なんですか?
予想は外れて、相手にされていないんだけれどこれといった嫌がらせはされないっていう、半端な境遇におかれた。たちが悪いよね、まあ、親と先生は、面倒な案件が無い(ようにみえている)から、楽ちんだろうなあ。
では、ひとりの時間を満喫しますか。おはじきに代わるものを自宅で探していたら、本に出会った。両親は文学部出身だったし、特に父は出版社で働いていたから、本に恵まれていた。はじめに読んだのは『本朝の神話 天の岩戸』だった。
神様も引きこもるんだなあ、が感想だった。私は許してくれないけれどね、意外と皆勤賞なんだよ。他の話を読みたくなって、平日は学校の図書室、土日祝日は市立図書館へ行って、手当たり次第に借りていた。読みたい本の表を書いて、済んだら線を引いて消していく作業もなかなか楽しかった。衝動買いならぬ衝動借りもした。絵柄は魅力あったが内容がいまいちな作品、その逆もあった。
図書室の本を全部読んで(禁帯出含む)卒業した頃には、私の友人は、本しかいなくなっていた。
中学校は、他の小学校に通っていた人もいたから、私の噂は引き継がれなかった。影が薄くなっていたのも手伝ったのだろう。高校は、知らない人ばかりだったから、だいぶ息がしやすくなった。同級生の顔と名前は、覚えていない。その日読んだ本の装丁と題名は、成人しても忘れていない。兼好法師の文を借りるが、まだ見ぬ人を友にしてきたんだ。
本は、私と作者・登場人物を通いあわせる窓。
本は、私を悪口や嘲笑から守る壁。
本は、私に様々な時代や場所を旅させてくれる扉。
本があれば、私はひとりでも平気なんだ。
本さえあれば、人なんて、いらない。
【書を頼みにする汝は、人の役に立てぬ。いたづらに戦ふのみ】
スーパーヒロインだった娘の唇とのどは、乾ききっていた。
【やめよ、人に添えぬ者に、花は咲かぬ】
赤アヅサユミは、蔓に大和ふみかを封じるよう命じた。対決は、するまでもなくなった。
そっか……私、スーパーヒロインになれなくなったのか。人をまだ、憎く思っているから。いつか、またひとりになる時が来るかもって、思っているから。
誰かの役に立ちたい、なんて、身のほどしらずな望みだったんだね……。
「ばかやろうっ!」
私の頭に、手刀が落とされた。そんなことする人は、あの子しかいない。
「華火ちゃん」
「スーパーヒロイン・はなびグリーンだっ、まぬけふみかっ!」
星形の羽衣を背にして、あの子は腰に両手をあてた。
「人を憎んでる、だ!? じゃあ、あたしも入ってるのかよ? ふざけんなっ! あたしはふみかといて、居心地いいんだぞっ!」
緑のスーパーヒロインには、涙が溜まっていた。
「ふみかさんは、私達が、煩わしい……?」
三角の羽衣を四枚生やしたお姉さんが、本を閉じてこちらをうかがっていた。
「……いおんブルー」
「これ、ふみかさんが、貸して、くれた、ふみかさん、私にも、読む楽しさ、分けた……です」
青のスーパーヒロインが、題名を見せた。ふみかが読んだ一冊目の友だった。
「センパイは、レアガールっス。おとなシイ読書家ジャなクテ、勝チ気デおはじきノ達人でもアル読書家デス」
「もえこピンク」
ハートが大胆な羽衣が似合う美少女が、愛嬌ある笑顔ですり寄ってきた。
「ピンク、センパイいいナっテ。個性濃いジャないっスか。ピンクは、ふみセンパイがダイスキなんデスよ☆」
桃色のスーパーヒロインは、ふみかに手を広げた。イツでもハグしマース☆ と言うように。
「ふみちゃん」
声に振り返ると、三日月形の羽衣を輝かせた、親しき仲の人が温かいまなざしを注いでいた。
「あ…………ゆうひイエロー」
「うち、ふみちゃんのつらかったこと、初めて聞かせてもらったわ」
ゆうひイエローは、指組みして言った。
「よう堪忍してきたんやな。ふみちゃんは、ほんまに強いよ。本をぎょうさん読めたんも、『負けないエネルギー』があったからやね」
「いや、私は逃げていただけだよ」
「逃げてへんで。もっと本が読みたくて、空満大学に入って、日本文学課外研究部隊で活動してきたやんか」
黄色のスーパーヒロインは、三人のスーパーヒロインを呼んだ。
「それにやよ、うち達をつないだんは、ふみちゃんなんやで」
仲間が、私にうなずく。
「いきなり自分を変えようてせぇへんで、えぇんや。皆、ふみちゃんが読書に没頭しているところはいややない。たまに辛口になるけど、ふみちゃんの言葉、大事にしているで」
ゆうひイエローが、私の手を握った。
「アヅサユミさんもやけど、ふみちゃん自身に負けたらあかんよ」
「うん、ありがと。ゆうひイエロー、はなびグリーン、いおんブルー、もえこピンク」
先を進む四人の後ろ姿に、おなかの底が暖かくなった。
「やるよ、私」
緋色の気流が、ふみかの内にも外にも満ち満ちてゆく。大丈夫、私は負けない!
「―私は、私を信じる!」
絡みあった蔓をぶつ切りにして、ふみかレッドが封を破った。
【力余りしか……人を拒む娘よ】
「何もしていないのにつまはじきにされて、はらわた煮えくりかえったよ。でもね、世の中そんな人たちだけ生きているわけじゃない。少なくとも、大学で出会った人たちは」
「読」のスーパーヒロインの瞳に、緋色の円が浮かんだ。
「本は私の味方だ。これからも頁をめくるよ。一緒に、人とも接する!」
羽衣が円を形作り、その後ろに二重の丸ができあがっていた。祓の陣を敷けたのである。
「やまとは国のまほろば! スーパーヒロイン・ふみかレッド!」
白い着物に、緋の短い袴。胸には、白珠の護符が赤い水引に結わえつけられていた。
【やうやく、揃ひたり】
領巾で眦を拭うアヅサユミ。そうだ、赤のスーパーヒロインよ、「敷島」を持て。我が子孫が授けた「ことのはじき」に重ねよ。
「言霊の助くる国に、真幸くあれ! ふみかムーブメント!!」
辰砂のおはじきと、チェック柄のおはじきが合わさり、術者の動きに従い曲がりくねる。神を翻弄し、分離して「ことのはじき」は喉元へ、「敷島」は銅鑼ぐらいに拡大して懐へと体当たりしたのだった。
―「読」のスーパーヒロイン、登場。
【…………我の負けなり。汝が花、地に根づき冬を越ゆ】
蔓のたまり場にへたり込み、赤アヅサユミは降参した。
【此にて、五に分かれし祓、目覚めき。我に付きて来よ】
早々と空をゆく神を、ふみかレッドは慣れぬ羽衣を風に流して追いかけた。




