第十六番歌:アヅサユミ、引く(一)
一
惨たらしくも、安達太良まゆみの面影ある「弓と文学の神」は、白雲に領巾をたなびかせて人間を見下ろしていた。
【祓を、操れるやうになりけるか】
朗々と宣うアヅサユミに、ふみかレッドとうずめレッドはにらみ、ゆうひイエローは身をすくませた。
【試してみよ、我へ―】
「残念だが、お前はここで果てる!」
やつれた研究者が、墨を固めたような雲に乗って浮上してきた。安達太良まゆみの妹、なゆみだ。
「お前達、ご苦労。当初の計画では、祓でさんざん虐めてから殺す手筈だったが、変更だ。士気が落ちたお前達では、阿呆先祖にひねられる」
黒雲をアヅサユミの位置に合わせ、なゆみは短い弓を握った。
「シラクモノミコト!」
エンジニアブーツを硬く鳴らすと、墨色の幼い腕が雲より伸びた。姉を殺された憎悪を露骨に表したような暗き矢が、なゆみに捧げられる。
「なんだか、すさまじくぞっとする矢だよ……」
ふみかレッドが、自身の肩を抱く。
「神屠りの矢、だ。アヅサユミが生んだ代物なんだけれど、博士が再現したんだ。当たれば、どんな神でも消せちゃう」
説明してくれたうずめレッドに、ゆうひイエローは「えらい物騒なぁ……」とつぶやいた。
「さっさとけりつけようとしている。博士はせっかちだもの」
なゆみは神屠りの矢を番えて、鏃をアヅサユミにためらうことなく向けた。
「博士、だめ! シラクモノミコトに確かめなきゃならないの!」
「アヅサユミ、社がお前の墓場だ!!」
仇討ちの好機を前にしたなゆみには、擬者語シリーズ壱号の声なぞ、届かなかった。
毒々しい矢が、ひゃうふっ、と放たれる。アヅサユミは、憐れに思ったのか、負い目を感じたのか、潔く心の臓を貫かせた。
【……………………】
神は、射墜とされ、雲の床に清らかな身を打ちつけた。胸当ては矢によって亀裂がはしり、純白の神域には、赤黒い血が池を作っていた。
「あかん!」
ゆうひイエローが、髪に結んだ鈴に「知」の祓を含ませる。
「もう、手遅れだよ!」
「せめて血ぃだけでも止めへんと!」
ふみかレッドの制止を振り切って、鈴の音を響かせた。呪いの具「玉の小櫛」は、癒しの効果が備わっている。アヅサユミが流していた血は、巻き戻されていった。
「無傷のアヅサユミさんを、復元したんや。やけど、お命まではうちにはでけへんかったわ……」
「しかたないよ。あの矢は、桁違いの威力だから」
かすれた声で、うずめレッドは言った。そしておもむろに首をもたげて、博士を眺めた。積年の恨みを晴らした人の、なんと虚しい喜び様よ。
「私、今の博士は大嫌いだなあ」
傍らで、ふみかレッドが苦い表情をした。
「まゆみ先生だって、こんなのを望んでいないよ」
墨色の雲に目をやると、端がややのたうっていた。面白がっているように、ふみかレッドは直感した。
【ヲコナ ムスメ―】
「え?」
雲が、しゃべった? 明らかな侮蔑に、とてつもなく嫌な予感がするのだった。
「シラクモノミコト、約束は果たした。次は、お前の番なのだ」
黒雲を踏みにじるなゆみ。しかし、いくら催促しても、返しは無かった。
「ねえねを、返すと誓っただろう!」
しびれをきらしたなゆみに対して、シラクモノミコトは沈黙したままであった。
「使えないダボ神め!!」
脱ぎ捨てた白衣が、雲をすり抜けて頼りなく落ちた。
「シラクモノミコト!」
村雲神社に祀られている神は、冷淡に、なゆみも見放した。機械的に重力に従い、なゆみは逆さまになった。
「は、博士!」
「私がいくよ!」
辰砂の円いパッチン留めを外し、弾く。ふみかレッドの新しい武器「敷島」が、なゆみの下に着いた。
「受け皿になあれ!」
指で四角い枠を作り、あらん限りに広げた。「敷島」は「読」のスーパーヒロインに応えて、オオオニバス並みに大きくなった。なゆみは皿に乗せられ、安全に着地した。
「よし」
腕を振りすぎた。明日は筋肉痛と知恵熱に悩まされそうだ。「敷島」を御するには、身体のほかに神経も使う。
「どういう魂胆だ、ダボ神!」
なゆみが俊敏に起きあがり、天に叫んだ。痩せぎすの体型からどうしてそんな活力がみなぎるのだろうか。
「神の分際で約束ひとつも守れないのか? 乳くさい輩すら駄菓子の交換くらい聞けるものを、外道が!」
【―アナタ コソ ワタシ ヲ カロンジタ】
墨色の雲が、繭の形をとり、青空に爆散した。神楽を舞う着物をかぶせられた童女が残る。瞳、膚もことごとく真っ黒だったのが、人とはかけ離れた存在をくどく示していた。
【アヅサユミサマ ハ ヨ ノ ヤオモテ ニ タタレルベキ ワタシ ガ ヨミガエラセタイオカタ ハ アヅサユミサマ ノミ】
「お……ま……え…………!!」
まなこを血走らせて、なゆみが弐の矢を番えた。桔梗色がたっぷりしみた武器は、先祖を葬った物であった。
「スペアをお持ちやったんか!?」
「抜かりないんだよ」
どよめく二人をよそに、ふみかレッドは眉をひそめた。
「二の矢なんて、持っていちゃいけないよ……」
『徒然草』第九十二段にて、弓の達人が「初心者は二本の矢を持つな。後の矢を頼りにして、始めの矢にいい加減な心情がある。毎回、失敗なく、このひと矢で的に当てようと思いなさい」と教えた。なゆみは熟練していると思われるが(しくじらずアヅサユミに当てたし)、シラクモノミコトが動じていなくて、どうも怪しい。
神屠りの矢が、黒き神の胸を射た。
「ねえね、僕は、何をしてもお粗末な弓だ…………」
失意する暇は、与えられなかった。黒き神の息吹が、なゆみを縛ったのだ。
【カミホフリノヤ ハ カミ ガ カミ ヲ イル バアイ ニ キク ヒト ガ イレバ タダ ノ ヤ】
「く……腐れ…………童児……!」
足から順に黒雲が蝕み、なゆみは墨の人形と化した。
【コレ シンイ ナユミ ノ トキ ハ ナイダ タマシイ ハ ヌクカチ ナシ】
シラクモノミコトは、アヅサユミの元へ飛び移った。
【アヅサユミサマ】
ひと声で、眠りより覚める。
【なゆみは?】
【オトナシク サセマシタ】
【さやうか……】
アヅサユミは浮いて、額にかかった弓のペンダントに触れた。
【荒事は、好まねど―】
手元に、藤色に輝く、奇しき弓矢が顕現する。
【許せ】
安達太良の祖が弓を引いた。誰がために射たのか。其は―。




