第十五番歌:梓弓抄(一)
一
安達太良の主は、代々「ユミ」の名を継いできた。当代から、次の主に選ばれた女性は、十三歳を迎えると、それまでの名前を改め、「ユミ」として残りの生涯を歩むのだ。
「瀑詠・巻第八・第一四一八番歌 いはばしる 垂水のうへの 早蕨の 萌え出づる春に なりにけるかも」
第六十三代当主、すなはち私の祖母が、庭の岩を穿った。素手でしたのではない。置いた市松人形みたいな小柄なおばあさんは、そのような怪力を持ちあわせていない。和歌を唱えて、激流を起こして岩を砕いたのである。
「お祖母様、いみじきわざですわ!」
私は、なんでも信じやすい子だった。疑う、の概念が頭に無かった。夢見がちで、現実を外れた物事に惹かれる子だった。
妹は、私と対照的な性格だ。この時は、まだ生まれていなかったけれど(なにしろ、十離れているから)、もしも妹が同じ場にいたら「こんなの、奇術なのだ。仕掛けがあるに決まっている」と指摘しただろう。妹は、物心ついた頃より、祖母を「ペテン師」だと思っていたのだもの。
「まゆみ、あなたも行使できねばならないのです。今の歌を、詠んでみなさい」
「はい!」
七つになった私は、祖母に稽古をつけられた。我が家に伝わる不思議な術「詠唱」を継がせるためだ。主は、女性がなるものと決まっていた。祖母は三人の子がいたが、二人は嫁にもらわれ、一人は男だったので対象外だった。息子の名は、安達太良弓弦、私の父である。他所から来た母は、安達太良の長に据える資格は始めから無く、孫の私が、次の「ユミ」に指名されたのだ。
「あなたは、初代と同じく、藤空と白雲を連れて世に出で来ました。あなたは、安達太良の長になるべき命なのです。私が岩を八つに分けたのに対し、まゆみは岩を砂にしました。才能とは、かやうなものです」
両親にあまり褒められなかった私は、胸いっぱいになった。祖母は、私に心を尽くしてくれた。教典の『萬葉集』は、祖母の手による写本で、油煙墨のぬくもりある香りがした。私にとって、教典は「魔導書」だった。ここに書いてある歌は、どんな望みも叶えられるのだ。あな、手足のように自由に使いこなしたい。
朝、学校に行く前に、ひとつの巻を朗読する。この週は、巻第七だった。
「第一三六九番歌、天雲に 近く光りて なる神の 見れば恐し 見ねば悲しも」
「雷詠、雷を落とします。安達太良にあだなす者を、成敗するのです。ユミは、一族の弓となりて、敵の心の臓を射て、二度と攻められぬよう一本で食い止めるのです」
戦乱の世からかけ離れた時代に生きているせいか、我が家を攻めてきた人は、これまで一人もいなかった。いい年になって、初めて行使した歌だ。私のため、ではなく、私の大切な学生のために、詠んだ。
授業が終われば、まっすぐ家に帰り、庭で実践をした。寄り道は、両親にも禁止されていた。学校の子達と駄菓子屋や公園で遊ぶだなんて、もってのほか。本当は、うらやましかった。大人の顔ほどもある、というカレーせんべいを食べてみたかった。ゴム跳び、缶蹴り、皆とわいわいしたかった。だけれど、私は未来の安達太良を背負う人間、祖母を裏切ってはならない。学級では「変わり者」「お嬢様」扱いされていたけれど、仲間はずれにはされなかった。明るく挨拶する、を欠かせなかったからだろう。朗らかな人間を、嫌う人はめったにいない。
「火詠・巻第十五・第三七二四番歌 君がゆく 道の長手を 繰り畳ね 焼き滅ぼさむ 天の火もがも!」
天才なんじゃないの、と自分が誇らしくなる午後だった。私が声に表した和歌が、火をふいて、氷柱を降らせて、嵐を巻き起こすのだもの。なんにもない所に、なにかを生み出せる。私ったら、安倍晴明に勝てるんじゃないかしら。
「白き焔……。まゆみはやはり、初代の血を濃く引いています。我が一族が、本朝を治める日は近い」
まゆみ、は、祖母が命名した。「真」の「弓」、紛れもない本物の弓、欠けめのない充実した弓。たった一張りだけの弓。かりそめの名前なのに、意味が深くて、力強い。「ユミ」に改めるまで、真の弓に恥じない毎日を積み重ねよう。どこまでも純粋な私は、修練に明け暮れた。
初代当主は、アヅサユミ。なんと、神様なのだという。私達は、神様の子どもだったのだ。初めて聞いたのは、三つの時。「へえー!」と周りを憚らずに歓声をあげていたような。
「初代の輝かしき逸話を、語りましょう」
薄暗い畳の部屋で、正座してアヅサユミの生い立ちを聞いた。奥に高く、真っ白い弓矢が祀られ、しめ縄が張られていた。主と、主が許した者が出入りできる聖域だった。
神代のわが国、空満の地に一柱の神が現れた。空を藤色に彩り、穢れなき白い雲を率いて。神は、自らを「アヅサユミ」と名乗った。
神々と人々が手を取り合っていた時代、アヅサユミは、人間に正しい弓矢の引き方と、望みと生きた証を遺す術を教えた。のちに「弓と文学の」がつく由縁である。
アヅサユミは、人間をいたく気に入り、そのうちのひとりとの間に、六人の子を産んだ。五人は魂だけの存在であり、現代でいわれる「宝石」の姿をとっていた。五人は、それぞれ異なる時代に肉体を得ることとなる。末の子は、安達太良の二代目当主となり、私達へと続いてゆく。
ある年、鏡の神と、人の心をめぐって争いをした。百年かかって、アヅサユミが勝利した。アヅサユミを信じる者達が、鏡の神の住む社を壊したのだが、過ぎた行いにアヅサユミが怒り、関わった者全員を、社とともに水に沈めた。この際できた池が、古池である。古池は、空満高校の裏に残っている。
これもある年、遠き山でアヅサユミが昼寝をしていたら、寝言が矢に変わって、白い猪に当たってしまった。猪はそこの山の神だった。傷をつけられた山の神は、アヅサユミに仕返しはしないで、息吹の衣をかけて寒さを防いでやった。アヅサユミは起きて自らのしたことに気づき、山の神へのお詫びに紅葉の歌を贈った。すると、山が錦をまとったように美しくなった。山の神はアヅサユミの心遣いにほだされ、永き友とした。時折はめをはずすアヅサユミに、意見することができるのは山の神だけだ。
アヅサユミが弓を射たら、文学が生まれる。矢は、人の心に当たると、血の代わりに文章がとめどなくあふれ出る。山や川、鳥や魚、木や石、花に当たると、当たった物を目にした人が、形にせずにいられなくなる。主を退いたアヅサユミは、いろいろな地や海を旅して、いろいろな時を生きる者に「創作の道」を設ける。
文学を愛したアヅサユミ、特に韻文を好み『萬葉集』を子孫に読み継がせていた。第十一代目当主は、詠唱に『古今和歌集』と『後撰和歌集』を引用した。十一代目は、型破りなたちだったのだ。「ハイカラ当主」「じゃじゃ馬当主」で親しまれているが、三代集のうち『萬葉集』を術に使おうとしなかったことに、アヅサユミは憎らしく思い、十一代目を痴呆にさせた。以降、詠唱は『萬葉集』に限る、が当主の不文律になった。
アヅサユミは、おせっかいな所もある。何代目かの恋を実らせようと、想い人を弦で捕獲してその場で婿にしたのだとか。何代目かの息子が、いくら頑張っても志望の大学に合格できないことをかわいそうに思い、大学に矢を放ち、縁を強引に結びつけてやっと通わせたという。子孫に厳しいのか、甘いのか、その時の気分によるそうだ。恋に関しては「必ず一番愛している人とくっつかせる!」とやる気満々である。夫に一途だった先祖らしい考えだ。
シラクモノミコトは、アヅサユミに心酔する神である。アヅサユミのためなら、手段を選ばない狂った面があるけれども、普段はおとなしく、人に姿を見せずに暮らしている。シラクモノミコトが、墨色の雲であったり、墨をかぶったかのような真っ黒けな童女の姿をとっている理由は、アヅサユミの力が創る「白さ」が素晴らしくて、こちらが恥ずかしくなったため。クラクモノミコト、に改名するはずだったが、アヅサユミが「そのままでいなさい。黒くてもあなたは白雲」と言ったので、やめた。
アヅサユミの力は、真実を「読」み、雅な物を生む「技」にもなり、乱れた道でも「速」く走れて、千尋の底より深い「知」の蔵でもあり、尽きはしない「愛」をもたらす。
「私も、初代の矢に射られ、ひと夜だけの歌詠みになったことがあります」
祖母が、膝元の文箱を開いてみせた。つげの櫛に、三十一文字が刻んであった。
「変体仮名ですわね。あ……づさ……ゆ、み、でしょうか」
「その通りです。ここでの『あづさゆみ』は、枕詞なのです」
「射、射る、引く、張る、本、末、音にかかりますのよね!」
骨と脈が透けた手が、私の頭をなでた。白檀の香りがした。袂に、お香を焚いていたのかしら。
「お祖母様、結びの『弓杖』は、なんですか」
おおかたの見当はついていたが、本人の口から確かな真実を聞きたかった。
「それは…………、私の、いいえ、私が戯れにつけた雅号です」
いつも気丈な祖母が、言いよどむだなんて。私の胸の中は、もの寂しさと、がっかりしたのと、やっぱりそうだったのかとが混ざり合っていた。
「櫛は、あなたにあげましょう。先に居間へお行きなさい。甘酒があります」
甘酒に引きつけられた私は、祖母と弓杖を結びっこするのを放り投げて、いそいそとにじり口を出た。
祖母は、妹を「可愛い孫」だと思っていなかった。もしかしたら「孫」の認識さえしなかったのかもしれない。孫は何人いたって、目に入れても痛くないんじゃないの? 世間のおばあちゃんは、そういうものでしょ? もしも、私に孫ができたら、喜んで遊んであげるし、面倒もみる。私の妹は、いとうつくし、なのよ。いったい、どこに不満があるのだろうか。私の時のように、名前をつけたのだから、ちょっとは相手してもらいたい。
幼くても、好かれている・嫌われていることを察する能力はあったのか、妹も祖母を避けて、母や父になついていた。もちろん、私にも。「ねえね、ねえね」とおぼつかない足取りで追っかけてきて、だっことおんぶをしてあげたものだ。
まゆみねえね、になって二年、私は遅れて「ねたみ」を覚えた。他の家と教育方針が違っていることに納得がいかなかった時期と重なり、今まで休まなかった修練を「おさぼり」した。詠唱で作った分身に、祖母の相手をまかせ、村雲神社に家出した。
「雲詠・巻第一・第十八番歌、三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情あらなも 隠さふべしや」
人除けの術をかけ、出店のたこ焼きと回転焼き、姫りんご飴を膝の上に広げた。食べ物は地べたに置いてはならないからね。親の目が届いていないので、のびのびできそうなのだけれど、しつけというものは恐るべきほどに、体に叩きこまれている。
雲のテントで、おやつ兼夕食をとる。家族がいると、当然分け合うから、もっと食べたいのに我慢しないといけない。夢のひとり占めが叶ったのに、全然楽しくない。出店の物は、親が食べさせてくれなかった。母は衛生面を気にしていた。父は「よりおいしいお店がある」と勤め先の近くで繁盛しているお好み焼き屋さんのたこ焼きと回転焼きを、よくおやつに買ってきてくれた。お花見の時期が過ぎているし、ダメでもともとだわ。さはれ(ままよ!)と鳥居前まで走れば、ひとつだけ営業していたのだ。
「カレー味は、神掛けてお父様は食べさせてくださらないわ」
父は、変わり種をなぜか嫌がっていた。たこ焼きはソース味、カレーの具はにんじん・じゃがいも・玉ねぎ・豚肉で充分だった。教師の悪癖なのか、その考えを家族にも強いた。回転焼きだって、小倉あんもしくは白あん以外は認めなかったため、私がカスタード味にしたい、とおねだりしたら却下された。
「でも、今日はカスタードと、チョコレートにしたものね」
友達とは学校で遊ぶだけ、文具・服などの消耗品は母が補充してくれる、嗜好品は水屋に常備してある。だから、お小遣いは貯まる一方だった。五〇〇円のお買い物は、舌とおなかを満たした。カレー粉と大ぶりのたこ、甘ったるいカスタード、黒糖が加えられたチョコレート、いずれもそれなりに美味しい。でも……。
「お家で食べる時のような、ほんわかした感じはしませんわね……」
りんご飴のビニールをはがそうかためらっていたら、声が降ってきたの。
【我が、供に与らむ】
雲をかいくぐってこられる人がいたの? 私は心乱れてしまった。
「あなた……人間じゃ、ない…………?」
色が明るすぎて、伸ばすのにどれだけ年月をかけたのか想像がつかないとてつもなく長い髪。弓矢のかんざし……? 本物よね? 弓道の着物は上下真っ白で、胸当ては分かるとして、垂は剣道じゃあるまいし。すけすけの布を巻いて、武におしゃれを求めちゃって。誤った本朝文化に取りつかれた外国人でも、年中お祭り気分の仮装好きな人でも、そんな珍妙な格好はしない。
【我が名は、アヅサユミ。汝の祖なり】
「ご先祖様なの!?」
神様でしょ!? 視えない存在じゃないの? まさか、私に視えているとは。
「この世に、終わりが訪れつつあるのかしら…………」
【否!】
アヅサユミは、お顔をトマトのように真っ赤にして、怒った。
【汝が生まれし時より、我は汝のそばにをりたり】
「あらー、ずっとついていてくださったの」
【さやう】
胸を張るアヅサユミ。外見は気品ある大人の女性だったが、振る舞いは小さい子みたい。
「お姿を拝見できるようになったのには、何かありますの?」
【汝の心、我に近しくなりき】
「波長が合った、というところかしら」
【さやう】
私は、神様と心を通い合わせられるようになったのだ。アヅサユミが、畏まるべき存在というよりも、大大大……とにかくいと大おばあちゃん、お若い姿なので、大お姉さんかしら? ぐっと身近な存在になった。
「りんご飴、どうぞ」
【ありがたし】
アヅサユミが、出店のお菓子を、普通に食べている! 信じられないけれど、本当に起きている出来事に、叫びたくなった。
【はらからにも、同じき事が成せるか】
「あ……」
なんだ、簡単だった。アヅサユミに姫りんごの飴を渡したように、妹にも、私の気持ちをあげれば良し、なんだわ。妹ばかり、かまってもらえてずるい。なんてことで、頭をいっぱいにしていた私は、いみじくをこがましかった。
「ありがとう、アヅサユミ。私、皆で晩ごはんをいただいてくるわ」
息を吹き、雲を消して、私は腰を上げた。
「あなたも、よ」
アヅサユミは、くすぐられた赤ちゃんのように、にんまあっと笑った。
「明日は、詠唱の練習、するわ!」