第十五番歌:梓弓抄( )
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私の生い立ちは、アヅサユミと共にあった。
「……我こそば告らめ 家をも名をも」
【汝、『萬葉集』を好むか】
私の居るところ、行くところ、必ずアヅサユミがついていた。
「ええ。ここには、皆の『望み』がひとつに集まっているもの。生まれ育った地、性別、身の上、人間が線引きしたあらゆるものが取り払われた四五一六の歌が、二十の巻に収められている。私が私でいられる、素敵な居場所だわ」
【汝は、心に任せて生きられる身なり。枷はありや】
「思い込み、なのかもしれない。でも、なんだか手や足が伸ばしづらいの。本当は、いろんな所へ歩いて、いろんな人に出会って、いろんなことをこの身で聞いて、見て、嗅いで、触れて、味わいたい。だけれど、透明な箱の中にいるようなのよ」
アヅサユミは、子孫の私の、どうってことない話に、しっかり耳を傾けてくれた。
「七周目よ、『萬葉集』。三度読めば全て頭に入る、とユミ祖母さまは仰っていたけれど……。全然だわ。少しは行使できるようになったのよ? それでも全首覚える必要が、あるのかしら」
【詠唱は、安達太良の術なり。弓の道と同じく、その身に染みつけて、いかなる時においても放てるやうに努めるべし】
「なんだか、ご先祖様というより、先生みたいね」
私のご先祖様は、いみじく感情表現が豊かだった。私の文句に、いちいち頬をふくらませていたのを、いい年になった今でも、忘れていない。
「ねえ、アヅサユミ。また、欠けていた記憶を取り戻したわ」
ひとりにさせて。大人げない言葉が、ぽんとついて出たものだ。かえって、学生を気がかりにさせたではないか。
「あなたは、私の中にいるのでしょ……?」
弓矢を象った銀のチャームを手に、呼びかける。成人に仲間入りした日、父からいただいた物だ。あれから二十年、ずっと首にかけている。
「あの日、消えずに眠りについたのね。良かった」
十二年前、私は先祖の力を借りて「人としてならぬ行い」をした。先祖は、私を責めなかった。「望み」叶わず、悲しみに押しつぶされそうになった私の「おもひで」を閉じて、力を使い果たして散ったはずの先祖は、細々と存在していたのだ。
「アヅサユミ、再び私に力を貸して。今度は、心も引き渡す。若人を助けたいの……!」
私の名前は、真弓まゆみ。真弓春彦の妻だ。嫁ぐ前は、弓と文学、そして呪いで空満の地を裏で支えた一族にいた。旧姓は「珍しい」「読みが難しい」「変わっている」と初めて会った人にしばしば言われる。逆に考えれば、この姓を聞いただけで、どのような家の出かすぐに分かるのだ。
なぜ、この姓をもらったのかは、未だに明らかにされていない。陸奥の地方に、同じ地名があるが、関わりの有無については分かっていない。奇遇なことに、その地の産物が、私の元の名前と一緒なのである。『萬葉集』に、二首詠まれているので、引用しよう。
陸奥の 安達太良真弓 弦はけて 引かばか人の 吾をことなさむ
(巻第七・第一三二九番歌 譬喩歌「弓に寄せる」)
陸奥の 安達太良真弓 はじきおきて 反らしめきなば 弦はかめかも
(巻第十四・第三四三七番歌 譬喩歌「陸奥國の歌」)
―もう、お分かりだと思うが、念のため、改めて名乗らせてもらう。
私の名前は、安達太良まゆみ。
いざ、紐解かむ、安達太良の歴史を。