第十四番歌:雲に隠れて(五)
五
もえこピンクは、独り、暗黒をさまよっていた。
「とよピンの、バカチン!」
進んで、戻って、曲がっても、真っ暗。懐中電灯として聖なる杖「麗しのカムパネルラ」のライトを点けてみたものの、墨色の雲が許すまじと禁止を受けた。明かりが使えなければ、コンパス☆ファンクション(搭載してくれたのは、いおりんセンパイ)が役立たない。位置を把握できなければ、時間と体力を無駄に費やすだけだった。
「コレでハ、ピンクが迷子じゃナイっスかー!」
闇に魅入られて囚われた迷子を、在るべき光の楽園へ送れ。「愛」のスーパーヒロイン覚醒のミッションである。
「スカした秘技ニ身ヲ投じタラ、邪眼デ闇に堕とサレたんスよ!? 眷属のするコトは、エグいっスな」
もえこピンクのパロディアンドロイド、とよこピンクは、今頃、愉悦にひたっているだろう。寄り道してクランベリージュースのグラスを傾けていそうだ。
「天恵聖物はダメってコトは、ピンクが発光すベキなんデスよネ……」
とよこピンク情報を、不本意だが反芻する。愛は、しばしば植物のメタファーが用いられる。「愛」の祓も例外ではなく、木の性質を有する。木にこだわらなくとも、自然の神秘、生長のエネルギー等を想像するのも、あり。
「イメージはイケるんデスよ、にゃあ☆ っテ、ライトアップするピンクを描けマス。ピンクがシャンデリアにナる、モ、問題ナク、なんスよネー」
しかしbutしカシ、祓が想像についてきてくれないのだ。
「ユーの想像力ハ、らすぼす級★ 祓ハ、中盤だんじょんノざこ」
カチンとくるが、とよこピンクの分析は正しかった。
「想像力をグレードダウンしタくナイんスけド…………」
邪眼を発動する直前、躑躅色のヒロインがアドバイスしなかったか。「十二年前ノ、ユーの記憶ヲ、呼ビ覚まセ。覚醒ノひんとニなル」パンクな格好をしているけれど、仕事はそこそここなせるタイプ、なのかもしれない。
「ゴゴンゴーゴー、ゴゴンゴー♪ ゴゴンゴーゴー、ゴゴンゴー♪」
宮沢賢治『シグナルとシグナレス』にある詩の一節を歌って、もえこピンクは歩けるだけ歩く。歌っていれば、迷子が聞きつけてくれるかもしれない。おまけに、真っ暗でも陽気でいられる。
「ゴゴンゴーゴー、ゴゴンゴー♪」
けっこうな時間、歩いていたと思う。斜め右あたりに、淡い光が低く点滅していた。蛍が夜と誤って訪れたのだろうか。駆け寄って、光をすくいあげてみた。
「ポリ袋っスか。ソーリー、拝見しマスよ」
相手がいなくても、ことわっておいた。ぼんやり明るかった袋には、あぶりたての焼き豆腐が三丁並んでいた。
「木綿デスな。さしズメ、すき焼きっスね」
……待てよ、肉豆腐のルートもありえる。与謝野家では、すき焼きと肉豆腐には、木綿の焼き豆腐が定番だ。材料はほぼ一緒だが、すき焼きは鉄鍋、肉豆腐は底の深いフライパンだった。
「ピンクの人生初おつかいハ、確カ、肉豆腐ガ晩ゴ飯デシた」
空満幼稚園から、空満小学校に進級した年だったような。当時の自宅の裏に、何十代も続いている豆腐屋があって、そこで焼き豆腐を買ってきて、とお母さんがお金を持たせた。大豆みたいなつるっつるスキンヘッドのおじさんが、ねじった豆絞りをはちまきにして、水槽から木綿豆腐をひょいひょいあげていった。
「焼き、ね!」
おじさんがバーナーを豆腐の表面に吹きつけた。木綿の粗い織り目に、焦げができて、ものすごく繊細なドット柄が豆腐のカンバスに描かれる。明子の世界で、おじさんは芸術家だった。
品物が入ったポリ袋と、おつりを受け取って、お家に直行した。十五歩くらいで勝手口まで着くはずが、真っ暗闇に囚われた。おやつ時だというのに、お日様も、町も、ごっそりどこかへいってしまった。停電のお部屋みたいだった。
「お母さん、お父さん、哲兄、乾兄!」
親しき声は、返ってこなかった。うろうろしながら、三度、四度、五度、幾度かためしても、だめ。
「明子、お家に戻れないの…………?」
この世には、人間の全能力をもってしてもすっきりさせられない事件が、まれに起こる。たとえば、神隠し。神様に好かれるのは、嬉しいけれど、怖い神様は別だ。丸焼きにされて食べられるかも? 解剖されて、標本になって天界の博物館に展示されるかも? もっと怖い神様に売られて、永遠に奴隷にされるかも? 少女の想像は、やまなかった。
「いやだ、いやだ。明子、肉豆腐食べて、マキシマムザハート見たい!」
今週は、特に外せない。ハートが、愛を失って操られたアルティメットカイザーを助ける回なのだ。前世で恋仲であり、生まれ変わった姿はクラスメイトの日辻三四郎だとやっと思い出して、彼に想いを届けに鋼といばらのラビリンスを乗り越えて会いにいくのだ。
「ハートは、こんな時、くじけないけど」
私は、ありふれた、なんでもないちっぽけな女の子。暗い所から、脱出する魔法なんて、唱えられないの。失踪したって、なるのかな。お母さん、お父さん、兄達を、悲しませてしまうんだ。学校で「おはよう」って二度と教室に入れないんだ…………。
「こっちデスよ!」
いきなり手を取られて、明子はびくっとした。ピンク色に光った、フリフリの手袋をはめた手は、あったかかった。
「優しい神様……?」
「ノー、ワタシは、『愛』のスーパーヒロインっス☆」
ピンク色の光に包まれた、おねえちゃんは、私を元気づけてくれた。つやつやした、腰まである黒い髪、ミニの帽子に、レースとフリルがかわいいピンクメインのお洋服、それに、喋り方が、
「マキシマムザハート!」
おねえちゃんは、照れくさそうに眉を下げた。
「ハートにハ劣りマスが、ワタシは、皆ニ愛の光をプレゼントすルんデスよ」
「明子、おねえちゃんにキュンキュンした!」
「愛ハ、枯レまセン。闇に飲マレなカッたアナタを、光の楽園へナビゲートしマス☆」
明子は、おねえちゃんにくっついて、楽しく足を弾ませた。
「ソウ、ソウでシタ!」
おねえちゃんは、十二年後の「ワタシ」だったのだ。明子は、もえこピンクに救われたのだ。
「光ってイタのハ、ピンクひとりジャあリマせんデシた」
焼き豆腐が、証だ。蛍のような光は、明子が出していた。
「祓、小サイ頃カラ行使シテたんジャないっスか!」
もえこピンクに、撫子色の気流があふれた。暗黒の空間を和らげる、優しい明かりであった。
種ト、ダイスキな人タチに、あったかい光を―!!
闇の面積が、みるみるうちに狭まってゆく。遠くで、希望を失いつつある少女がいた。あの子に、夕食とアニメを、日常を取り返してあげるのだ。かけてあげる言葉は、決まっていた。
空満の、ある廃墟に、とよこピンクがマントで身を覆って座っていた。逆さまにしたら、眠る蝙蝠のようであった。
「光ヲ名乗リタけレバ、自己ニ勝たなイトならナイ」
周囲には、不要になった少女型のマネキンが乱雑に捨てられていた。五体満足な物もあれば、腕か脚がもがれている物、もはやどの部位か判別がつかぬパーツまで積まれていた。壁には、おんぼろの看板が立てかけられていた。塗り替えられることなく役目を終えた店の顔は、かろうじて「そらみつプリズムファッションセンター」と読めた。
「ミーは『最悪ノ失敗作』ダソうダ」
作者の博士が、吐き捨てるように言っていた。元となった与謝野・コスフィオレ・萌子のデータに反発する行動をとっていたためだ。コスプレではなくフィギュアを。「絶対天使 ☆ マキシマムザハート」の主人公ではなく、「必然悪魔 ★ ミニマムジインパルス」の主人公を。人懐っこい娘ではなく、孤高のクールガールを。
「博士にリセットさレてモ、結果ハ同ジだっタ」
半ば諦められて、豊子は安堵したし、落胆もした。ミーは、闇のヒロインにしか演じられないのだ。萌子の完璧な偽物にはなれなかった。
「天使デあれバ、相容レたカ…………?」
豊子の正式名は、山川都実子。近代期の歌人、山川登美子を意識して付けられた。萌子の本名、与謝野明子……同時期に活躍した歌人、与謝野晶子と同姓同名(字は惜しいが)だ。あの二人は、与謝野鉄幹に想いを寄せていて、競い合った。
「勝者ハ晶子。ミーは、ユーに敗レルですてぃにー」
とよこピンクは自らを嘲った。スーパーヒロインへの目覚めに立ち会ってやれなくもなかったけれど、これはもえこピンクが越えねばならない壁だったので抜けた。プライドの兼ね合いも絡んでいた、は暗黒の契約において、秘匿事項である。
「ユーの祓は、中盤だんじょんノざこきゃら★ ソレは現在のハナシだゼ」
マネキンの腕を孫の手にして、必然悪魔の契約者は銀のショートヘアをかいた。
町への道筋は、視えていた。勘、といえば聞こえはよろしくないが、理屈では探り当てられないのだ。理では説けない不思議を、もえこピンクは信じており、体験してきた。
「明子、強くて、周りに愛されるマキシマムザハートが憧れで、夢なんだ」
きらきらした表情で、少女は豆腐の袋を提げていた。
「それでね、ハートになりきれたら……」
もえこピンクを見上げて、深く呼吸をした。
「スーパーヒロインに、レベルアップするの!」
朧なる光が、「愛」の祓と同じ色を帯びた。
「明子、やれるよね?」
「イエス☆ アナタに、意思ガありマスかラ」
過去の「ワタシ」は、未来の「マイ・ドーター」のようでもあった。もえこピンクの顔が、ほころんだ。
「約束デス。アナタが大キクなっテ、闇ニ惑ウ子がいタラ、お家ニ帰シテあゲテくだサイ。ノープロブレム☆ ルートは、心ガ教エテくれマスよ」
もえこピンクは、明子に接吻を投げた。
「ゴー・アヘッド☆ ただいま、が合言葉デス」
双眸を煌々とさせて、明子は闇を脱出した。勝手口の直前まで走り、こちらを向いた彼女に、「バイバイ」した。
「にゅは! 往路ハめでたし、とシテ、復路ハどースルんスか!?」
とよこピンクにお迎えプリーズする……には、アドレス交換していない。祓で召喚するか。
「とよピン、カモン!!」
指を鳴らしたら、タクシーみたく颯爽と到着! とはいかなかった。
「麗しのカムパネルラ☆」
杖のヘッドにあたるハートのライトを灯して(禁止令は撤廃されたらしい)、SOSを送った。
「ラブ・クライシス☆ が、効かナイっス……」
天恵聖物「麗しのカムパネルラ」のありとあらゆるファンクション(いおりんセンパイが追加したであろう、キッチンタイマーと、室内なんでもリモコンは、はじめから用途がそれていた)を使うも、とよこピンクは来ず。
「タイムスリップして、居残リっスか!? 決戦デ仲間外レは、ナイないナイっスよー!!」
うわーん、空満王命様ー、マキシマムザハート様ー、まゆみセンセ様ー! もえこピンクがやけっぱちで杖を振り回すと、祓の量が増した。
「にょはあっ!?」
撫子色の光が、「麗しのカムパネルラ」をぐるぐる巻きにし、形を変容させたのであった。
「コ、コココ、コレは、エヴォリューション!?」
先端部のハートが縮小し、苺色に改装。左右には、メタリックでスタイリッシュな天使の翼が生えており、中の水晶は、灰簾石に替えられていた。棒の部分はアイヴォリーホワイトに変わり、ボタンは、小さなハート形の薔薇水晶だ。末端には、撫子色のグリップハンドルが、シンメトリーなハートをなしていた。
「カムパネルラ、じゃナイっス。ハートの歴代天恵聖物ニモ、ナイ……!」
「『共感のシグナルシグナレス』、ユー専用ノ天恵聖物、呪いの具ダ★」
破れたマントを浮かせ、黒十字の槍をついて、ようやく待ち人が来た。
「彷徨エル子羊ノ、灯台、道標、信号。ユーは、名実トモに『光』とナレたンだゼ★」
とよこピンクは、斜めにうつむき、
「……………………こんぐらっちゅれーしょん」
仏頂面して、ライバルを祝福した。
「ツンデレ属性デスか、ピンク、嫌イじゃナイっスよ☆」
「ミーは、馴レ合ワないゼ」
レザーの六芒星をわざと荒々しくはがし、左眼を解放した。
「ユー、さぽーとダ。たんざないとヲぶりりあんとニ」
「ハーイ☆」
スーパーヒロインは、「共感のシグナルシグナレス」を構えて、新たな技を唱えた。
「時空モぞっこん☆ ジュテームノッテ・リュミエール!」
天使と悪魔が、一手ひとつに。伝説に刻まれるか、歴史の芥とされるかは、神の預かり知らぬことである。