第十四番歌:雲に隠れて(四)
四
「……て、ザアッと伝えたんやけど、分からへんこと、あるゥ?」
せいかイエローは、前かがみになって訊ねた。「近道」の照明が、グラマーな彼女をいっそう扇情的にみせる。
「ありませんよぉ。……せやけど」
ゆうひイエローは、小さく笑った。
「世話焼きなタイプなんですねぇ、せいかイエローて」
「はァ?」
逆上したのではなく、照れている反応だった。
「うちのそっくりさんみたいやけど、うちの母寄りかもしれへんなぁ……て。キャンパス時代の写真と、ほんまに瓜二つなんですよぉ」
「そうやろうなァ」
急にしんみりした返しをされた。
「博士が、あたいだけに教えてくれはったんやけどな、あんたのデータと、あんたの母親のデータを混合させたんやって。勘だけは鋭いでェ、あんたァ」
「あはは……とんでもないです」
「また敬語使うてるやろォ。フランクにしてェや。あたいは、二十一歳、あんたと同い年の設定やけど、実年齢は三、四歳やでェ?」
「ごめんなさ……ごめん。だいぶしっかりしているんやもん」
縮こまるゆうひイエローの波うつ栗毛を、せいかイエローがわしゃわしゃとなでた。
「甘えられるんは、あたい、慣れているから」
「せやね」
「あたい達は、松阪公園を目指しているんや。あんたの大学、体育学部あるやろォ、体育学部さんの本拠地・海原キャンパスの裏や。えらいクラシックなロボットが遊具になっている場所な。心強い協力者もおるから、精を出しィ」
「はいな!」
黄色いヒロイン達は、サイケなトンネルをひたすら歩いていった。
協力者は、ロボット遊具の陰でにこにこしていた。
「校舎の外でお目にかかることは、初めてですねえ」
ゆうひイエローは、髪に結んだリボンまで真っ赤になりそうなぐらい、のぼせた。愛しの真淵丈夫先生が、祓の特訓に付き合ってくださるなんて。
「あんたが、真淵先生かァ。語用論がご専門なんやてェ?」
ゴーグルをカチューシャの上にかぶせて、せいかイエローは挑みかかるような視線を協力者に投げた。
「あ…………あなたは」
「どないしはったんやァ? 戸惑ってェ。なんやァ、昔惚れた女とダブったんかァ?」
真淵は、素早く目を細くした。普段のにこやかな表情に戻る。
「ご無礼を。安達太良なゆみさんが勤務されている大学に通われているお方ですね」
「平田清香、この格好やから、せいかイエローて呼んでくださればえェわ」
「承知致しました」
必要以上に深くお辞儀をした彼に、せいかイエローは苦笑いした。
「独自のルートで『知』の祓にマッチする呪いの具を得はったんやてなァ。おいくらやったら譲ってくれはるゥ?」
冗談であることに、聡いゆうひイエローは読めた。
「クス、クス……。空満参考館にも寄贈は致しかねますよ。相応しい持ち主が、決まっておりますから」
真淵はひざまずいて、黄色いリボンのヒロインに掌を向けた。
「ゆうひイエローさん。僕に攻撃してくださいますか。一度、でよろしいですから。それが叶いましたら、僕に何なりと」
「あたいのサポートは、許可していただけるかァ」
「構いませんよ、あ……せいかイエローさん」
黄色いカチューシャのヒロインが、結構強めにゆうひイエローの背を叩いた。
「戦闘や、手ェ抜いたらあかんでェ。しばいたるからなァ!」
「僕は、公園内を逃げますから、お気軽にいらしてください」
真淵は、胸元の装飾品を小突いた。蒼い石に、シックな色のリボンが下部についたブローチだ。今生の別れをした恋人が遺した物だと、学内では噂されている。
「ゆうひイエロー、先生は呪いを行使するおつもりや、油断せェへんように」
「おおきに!」
蝶結びにしたリボンの端が伸びて、とぐろを巻く。
「恨み無念の脇差しよ、蛇躰となりて斬りむすべ! 松風の舞!」
くねりくねって、黄色の蛇が対象に絡みつかんとする。
「西鶴『武家義理物語』ですか。司書も兼ねております僕としましては、秋成『雨月物語』の「蛇性の婬」もお勧めしたいものですがねえ」
獲物が突然、消失した。蛇は、空を絞める。
「テレポートの呪いやなァ!」
せいかイエローがゴーグルを装着して、着地点の予測を始める。裸眼での起動も可能であるが、趣を捨てない彼女はあえて無用な作業をするのだ。
「シーソーか、ゆうひイエロー、同時攻撃やァ!」
リボン「結び玉の緒」が八に分かれ、カチューシャ「頭の真柱」が四十八に増殖し、遊びたおされたシーソーに雨あられのごとく降り注ぐ。
「当たったやろか!?」
けがをされているかもしれないが、顧問を助けるため、鬼にならねば勝てない。
「…………ご期待に添えなくて、申し訳ございません」
『!?』
真後ろに、相手が笑顔の鉄板を貼り付けて、立っていた。ズボンには砂のひと粒も無い。
「僕の耳は、聞こえすぎてしまうのです。探知の音、お二人の技、心のお声までも」
ヒロイン達に、真淵は右手をかざす。金糸雀色の光輝が、勢いよく噴いた。
「忘れ物を取りに行ってまいります。十分後にまた会いましょう。それまで、前半戦の反省会をされてはいかがです」
真淵が言い終わると、ゆうひイエローとせいかイエローは、ブランコに乗せられていた。
「テレポーテーションに、テレパス、いッチ発達した聴覚なァ……」
「音が関わる呪いなんやろうなぁ……」
音を出さないで、心を無にして、攻める。かなり厄介な相手だ。
「あんたに、これだけは言うとくわ」
覚醒の試練とは別件や、とせいかイエローは前置きした。
「あたいは、真淵先生が好きや」
ブランコの鎖が、がちゃりと鳴った。
「ふえ、ふえええええ」
「びっくりせェへんでもえェやろ。あたいな、抜け駆けは嫌いなんや。ライバルにも許さへん。公平な恋にしたいんや」
「うち、好意には敏感なんやけど、せいかイエローが先生を想うてるて、全然気ぃつかへんかったわぁ」
ずり下がったメガネを、ゆうひイエローは直した。
「バレバレな態度やったんやでェ? あたい、惚れてもろたら、高慢な口きいてまうねん」
「そうなんやね。うちは、顔赤ぁなって、直視でけへんなって、あがってまうんやよ」
二人の視線が、重なった。
「せやねんけどな、あたいの気持ちは、あくまで博士がプログラミングしたものやから、ほんまもんやないねん…………」
ブランコを漕ぎだすせいかイエロー。
「あんたが先生を好きやから、あたいもそうなるように仕組まれているて、おかしいやんか。あたいは自主的に、先生を想いたいんや」
ゆうひイエローは、えいや、とマットを踏み蹴った。
「真淵先生のこと、どれくらい知っているん?」
「どれくらいて、あんたより少なないし、多ないで」
「ほとんど附属図書館の研究室にいらっしゃる。眉が隠れるほどの前髪をようかき上げたり、はじいたりされるくせがある。食事をとられている姿を誰も見たことがない。柑橘系のフルーツがお好き。ブローチを毎日ワイシャツの襟元に付けてはる。物静かやけど、講義では熱弁しはる。年中白シャツと白ズボン、モスグリーンのベストで夏季は麻、冬季はニット。第二週と四週に図書館のカウンターに出てはる」
「ようけい集めているやん」
ブランコの揺れるタイミングが合わさる。
「まだ深く知れてないんやわ。訊いてみたいんやけど、恥ずかしいやんかぁ……」
「ストーカーやて誤解されるリスク、ありそうやしなァ」
「せや、せいかイエロー。『知』の祓の特徴、教えてもろてえぇ?」
山吹色のヒロインは、宙返りして遊具を乗り捨てた。蒲公英色のヒロインはかかとでブレーキをかけて、聞く態勢に入った。
「五つに分かれた祓中、いッチ融通が利くなァ。金属みたいやねん。ゴールドのイメージが、行使しやすいかもしれへんわァ。よう広がって、よう伸びる。攻防、近・中・遠距離、バリエーションぎょうさんや。レパートリーはあんた次第やけど」
「限りは無いんやね?」
「あんたがそう思うていたらな」
ゆうひイエローは目を輝かせた。
「うち、ひらめいたわ!」
小走りして、せいかイエローの耳に作戦を伝えた。
「あんた…………ガッツリいくなァ」
「出し惜しみしていたら、負けてまうもん。うちとせいかイエローの戦いでもあるんやから」
せいかイエローは、やんちゃっぽく口角を上げた。
「その勝負、買うたろうやないかァ」
昼下がりの公園デート。真淵先生と、うちと清香ちゃんのトライアングル。まるで、畝傍山と、香具山と耳成山や。ごめんやけど、うち、ケーキはゆずれても、先生はでけへん。松阪公園で、先生のハートをくるくるってして、放さへんように頑張るで。うちのリボンを、黄色から金にグレードアップさせるんや。音は、恋い焦がれる乙女のときめき。心は、真淵先生で固まっている。うちと、清香ちゃんのゴールデンタイム開始やぁ!
帰ってみれば、ヒロイン二人が、頬に血を上らせて緊迫した雰囲気を作っていた。
「おやおや」
真淵は、人差し指でブローチをつつく。耳元で、紙どうしがこすり合わさっている。不快
であったが、わざわざ苛立つまでもなかった。
『真淵先生!』
ゆうひイエローは懸命に、せいかイエローは喧嘩を売るように、呼びかけた。
「ランチは弁当派なんか、食堂派なんかァ!?」「ご趣味は、何ですかぁ!?」
「クス。僕は、聖徳太子ではございませんよ。ですが、お答えできないわけではありません。
まずは、せいかイエローさんの問いかけにお返事しましょうか」
合唱にうろたえることはせず、むしろ楽しんでいる様子で、真淵は彼女らの近くにあった
すべり台に瞬間移動した。
「あたいが先かァ、ラッキーやでェ!」
カチューシャをナックルダスターにして拳にはめ、ぱんぱんに張った太腿で台を逆走
した。
「おひとりで暮らされているみたいやからなァ、倹約されているんか、贅沢してはるんか、
どっちなんやろォて!」
まっすぐに殴りかかるのを、真淵はステップを踏んでかわしてゆく。
「生活の形には頓着しておりませんよ。食堂に通う回数が多いですねえ……。業務の都合で
組んでいる方がおりまして、付き合わされるのです。困っておりますよ」
「バディは、女性やったりすんのォ!?」
「そうなのでしょうね。生物学においては。僕とは正反対の方ですよ。肉体労働が得意なよ
うです。人情に厚く、鵜呑みにしやすい傾向にありますねえ。今回の件、あのお方も参加し
ています。僕とは違って、感情で動かれているようですが」
以上です。真淵はせいかイエローに、一分の隙もみせなかった。金糸雀色に光る粒子を残
し、教え子の前に現れる。
「さて、ゆうひイエローさんのご質問ですが。趣味が研究なものですから、ますます取るに
足らない者だとお思いになるでしょう」
退散したくなるのを我慢して、ゆうひイエローは真淵のことのみを考えた。
「児童文学は、書かれないんですか……?」
「僕に、物語が紡げます?」
耳をふさぐ真淵。効いているようだ。
「昔、されていたんやないですか。アイデアが浮かぶままに。『庭の七竈』かて」
「ゆうひイエローさん、あなたはもしや」
真淵は、金縛りに遭った。天地、四方、硬質なリボンでがんじがらめにされていた。
「音の正体は、こちらだったのですか」
公園の風景を反射させたリボンは、黄金の光沢を帯びた。
「松阪公園を、『結び玉の緒』でコーティングしました。祓は、時間も超えるそうで、すぐ
終わりました。耳障りやったかもしれませんでしたが、わざとリボンを摺らせたんですよぉ」
「僕への質問は、本心からのものでしたが……罠にかけられておりましたか。クス、クスク
ス。ゆうひイエローさんは隅に置けない『参謀』ですねえ」
「優秀に決まっているやろ。天才なあたいのオリジナルなんやからなァ」
せいかイエローは、ゆうひイエローに「やったな!」のタッチを交わした。
「あんたの呪いは音、特に人の声を信号にするんやろォ?」
真淵は目を見開いた。
「ご明察を。僕の呪いは、正述陳呪。散文を用いて不思議を起こす術です。厳密に言いま
すと、僕が行使しておりますのは他述陳呪、他人の音声を用います。ゆうひイエローさんの
リボンが、空間転移を若干遅らせましたから、調整に手間取りましたよ」
「先生かて、あたふたされることもあるんやねェ。そしたら、詰み、といこうか」
「結び玉の緒」の鞭が真淵の右頬を、「頭の真柱」のナックルダスターが左頬を、柔ら
かくはたいた。二人の想い人は、攻撃に甘んじたのであった。
「かの本居宣長は、学問の旅路にての疲れを、鈴の音で癒やしたといいます」
真淵は恭しく、呪いの具を袱紗に乗せていた。「知」のスーパーヒロインに捧げる、黄金
の鈴である。
「『玉の小櫛』です。復元と破砕の効果を、あなたにもたらします」
ゆうひイエローにひざまずき、礼をする。学内でも、丁重に扱われているのだ。いわく、
「夕陽さんを崇拝している」のだとか。
畏まって、ゆうひイエローの髪に鈴をつけた。蒲公英色のリボンに、豪華さが添えられた。
「ゆうひイエローさん、あなたは努力家です。高みを目指し続けるお姿は素晴らしいですが、
時に立ち止まって、休めることも重要です」
リボンと同じ色の気が、「玉の小櫛」を起点にはき出される。才気を煥発させているかの
ようだった。
「この鈴の音で、人々を癒し、災禍をうち破ってください」
真淵は少し離れて、せいかイエローを見やり、ゆうひイエローにこうささやいた。
「本当に戦うべき相手は、神の先に…………。僕としたことが、出過ぎた真似を致しました
ねえ」
胸の蒼い石に手を当てて、真淵は跡を濁さず消えた。
「ミステリアスな殿方やなァ」
「せやろ? やから、妄想がやめられへんねん」
平熱を保っているはずなのに、体温の上昇を感じたせいかイエローだった。