第十四番歌:雲に隠れて(二)
二
いおんブルー専用「呪いの具」がある場所に至るまでの間、音遠改めねおんブルーは、ひと言もしゃべらなかった。寡黙かつ、静けさが苦にならないいおんブルーも、同様に過ごしていた。
持参した小型端末で、ねおんブルーの思考を確かめられないでもなかった。大通りでの戦いで設置した発明品「ワレカラくん」のバグで、彼女のデータを握ることに成功したのだ。司令官のなゆみが修正したつもりだろうが、あのバグはメンテナンス程度でどうにかできるものではない。いおんブルー自慢の傑作(?)だった(なゆみには当然、教えていない)。
端末はあえて使わないでいた。気が変わったのだ。理由を知りたければ、直に訊いてみれば済む。呪い式アンドロイドではあるが、女子大生だ。交流は簡単。
今度は、私が話しかける番です。
「なぜ、無言だった……ですか」
わざとよろめきながら移動するねおんブルーが、びくついた。
「私、怒って、いない……です」
ねおんブルーがネックウォーマーごしに歯を鳴らして、震えている。威圧したわけではないのだが……。
「なゆみさんの、命令……?」
それとも、あなたが選んだ行動?
「…………………………………………」
左右に身体を揺らして、ねおんブルーは長すぎる袖より小袋を出した。いおんブルーが袋に印刷された字を読みあげた。
「バリカタ、酸味マシマシ、ぷるしゅわソーダグミ…………」
ねおんブルーは上下に揺れ、口元を指し示した。
「グミを、食べていた……ですか」
嚥下する音が聞こえた。
「……そう、噛みきれない、溶かしていた」
いおんブルーは、おかしさをこらえるのに必死だった。
「グミ、好き……ですか」
「……主食に、したい、ぐらい、好き」
機体として接するなゆみに、見せつけたかった。この子は、私よりも、味のある人格を持っている。
「……次は、会話、する、許して」
「無理、しないで……です」
ネックウォーマーを引っぱり上げて、ねおんブルーは顔を隠した。くくく、くくく、という愉快な声を立てながら。
科学技術は、常に進歩しているけれども、未来の予測は、未だに不可能であった。まさか、祖父が亡くなった川を眺めて、ねおんブルーと酸っぱいグミを噛んでいる状況になろうとは。
「……………………」「……………………」
蟹の身をほじって、骨をしがんでいる方が音はある。シラクモノミコトが、アヅサユミとの邂逅を延ばしてくれていると聞いていても、だ。河原でゆっくりしていて、罰が当たらないだろうか。
「……そう、飲んだ。せっかち」
「あなたも、同じ、五十歩五十歩……です」
「……五分五分? 数、合っている?」
「五十歩…………」
正してくれるヒロインは、別行動のため代わりに指摘しよう。五十歩百歩、である。
「……そう、立浪川、仁科弦志が、溺れた、川」
「水量が、多い日に、飛び込んだ……です」
玉藻が澄んだ水にたなびく。空満市北部を流れる立浪川は、浅く、春は学生や親子がバーベキューを楽しみ、夏は子ども達が魚やえびを捕って騒ぎ、秋は友人、アベックが腰を下ろして夕暮れに語らっていた。
「……そう、命日、来週」
「今年、十回忌…………」
「……いおんブルー、悲しい?」
「悲しい……ですか」
いいえ全然、は嘘の答えだ。十一歳まで会っていたが、両親(特に母が半狂乱になって)に引き離され、翌年、永遠のお別れが訪れた。妻に先立たれ、「化学の名門が文学に現を抜かして」と一族に村八分同然の待遇におかれ、孫をかわいがれなくなって、孤独に世を去ったのだ。祖父に、著作を読み聞かせてもらい、和歌について教えてもらった。化学が単なる「仁科に生まれた以上勉強しないといけないもの」ではなくて「発見や先人が残した業を興じるもの」だと考えを変えてくれた。ガスバーナーで実験のついでにお菓子も作った。
「お祖父さんを、失って、つらい……」
でも、年月の流れが、希釈していっている。〇(ゼロ)に限りなく近くなるまで。
「……不思議、もう、骨、でも、存在が、心に、残って、いる」
ねおんブルーは、小石を川に放った。波紋を浮かべて、底の砂利に混ざる。
「忘れないこと、が、悼むこと……です」
本をたくさん読んでいる後輩に貸してもらった古典文学に、書いてあった。解釈が合っているかは、ともかく。
「……そう、仁科弦志の、お宅に、例の物、ある」
裾が広がった袖が、いおんブルーの腰に向けられる。
「……銃、『沖つ青波』、未完成」
「未完成…………?」
「……そう、設計図に、続きが、ある、完成、させれば、『技』の祓、湧く」
ぽつぽつしゃべったら、今度はスキップした。祖父宅の道だ。
「愉快な、女子……ですね」
仁科弦志の家は、まだ取り壊されていなかった。仁科の本家である「研究所」が、三角形の建物に対して、ここは円柱だった。角を立てない生涯を目標にしていた祖父に合った住まいであった。
「カードキー、なぜ、持っている……ですか」
本家の者が閉鎖して、カードキーは破棄されたと耳に入れていた。部外者が所有しているのは、ありえなかった。
「……いおんブルーの、データを、基に、作成」
「なるほど……」
「……私、あなたの、偽物」
彼女の表情に、わずかな切なさを感じたが、思い過ごしだろうか。
「……そう、あなたに、似せている、でも、年は、とらない、死なない」
重たい歩みで、ねおんブルーが先に階段を下りる。
「……あなたは、先に、老化して、停止する」
「避けられない……ですね」
卵形の扉に着き、藍色のヒロインがカードキーを通す。虚ろな目をしていた。
「……そうしたら、私、あなたに、なれる?」
本物がいなくなれば、偽物はどういう位置づけになるか。
「あなたは、私に、なれない……です」
間を空けないように、いおんブルーはすかさず息継ぎをした。
「私の、データを、持って、生まれても、あなたは、既に、別の、人格を、持っている、あなたは、佐久間音遠、仁科唯音では、ない…………」
「……つまり、佐久間音遠の、人格で、生きろ、といいたい?」
いおんブルーの頭が、縦に振られた。
「生きて、そして、私が、いなくなった後は、私を、忘れないで、いて……」
地下の研究室を背景に、露草色のヒロインが小指を立てた。
「…………そう」
鏡合わせのように、小指が並び、からみ合った。奥の、半分に切れた球型の作業台に、方眼紙が一枚寝かされていた。右上に「沖つ青波・改」と記されて―。
初めて見る図面だった。「沖つ青波」は、空気鉄砲を応用した、護身用の道具である。物づくりが上達してきた孫娘に、弦志が設計図を書いて、挑戦させた。三角形を組み合わせた、ドライヤーのような外見、メタリックシルバーのボディに、数カ所、青く塗装されている。不審者に対して撃った経験は、幸い、無かった。現在では、司令官の安達太良まゆみが宿した「引く」力の暴走を鎮めてきた相方だ。
「一番と、八番の、部品を、取って……です」
ねおんブルーが、両手両足を踊らせてキャビネットを開閉する。
「……元素周期表を、意識した、デザイン」
「お祖父さんの、遊び心……ですね」
百以上もある小箱が、十八列、七段に積まれている。一番には細長い金属の筒が、八番にはゴム製のストッパーとひと組になったねじがあった。
「改は、水を、使う……」
「……そう、『技』の、性質は、水」
「タンクは、いらない……ですか」
あらかじめ水を貯めておかねば、いざという時に使えない。設計図には、タンクはおろか、タンクと銃をつなぐ管は、書かれていなかった。
「……水は、無くても、祓で、出せる」
「祓で、水素と、酸素を、化合させる……ですか」
袖を交差させて「×」を示すねおんブルー。
「……イメージ、する、蛇口を、ひねる、ように」
部品は、たやすくピストル型空気砲に接続できた。小学生の時代は、とうに過ぎたのだ。五分あれば、組み立てられる。
「……………………?」
紙の右下が、折り返してあった。インクの跡が目に留まり、裏面を見てみる。ねおんブルーも頭を寄せてきて、端的に言った。
「……和歌」
祖父が創作した三十一文字は、こうだ。
世をわびて 弦志は水に くくるとも 沖つ青波 惑うことなし
後に、ややにじんだ文章が、等しく行間をおいて記されていた。
フラスコと筆の二刀流、仁科弦志と元素博士の面をつけて舞い、数十年。これが辞世の句になるかもしれない。外では「SFの道化師」「ショートショートの魔術師」ともてはやされ、内では「仁科の恥」「仁科のしみ」と煙たがられ、甘露も苦汁もなめさせられてきた総決算が、入水の歌だとは。だが、それが私だと、堂々と言える。技巧に長けているわけでもない、万人の心をつかむ才能に恵まれたわけでもない、運良く物理化学の世界で認められ、これもまた運良く文壇で認められた、偶然で渡れた生涯だった。
先月末から、神が見えるようになった。喪失を重ね、狂ったあまりオカルトに走ったわけではない。高等学校の現代文教諭が仰った「末期の眼」を、有してしまったようだ。美しい妙齢の女性だった。徒心は起こしていない。老いらくの恋に溺れるほど、堕ちてはいない。私は、閻魔大王に舌を抜かれても、蝉に転生しても、妻と添い遂げる。
女神は、弓と文学を司るものであった。畏れ多くも、共通点があったことに歓喜した。最近、女神と対話が可能になった。かねてより、私に告げたいことがあったそうな。優しく賢い孫娘の唯音に、水の道具を与えよ、と。唯音は、我が選びし子なのだ、と。三日分、生きる気力がわいた。かわいい唯音へ、最期の贈り物をあげよう。神道では新品が上等だとされるが、私はあえて、既存の道具に手を加えた。唯音がワルツを舞って完成を喜んだ「沖つ青波」に、水の要素を足した。使用方法は、大人になった唯音であれば分かる。そう女神は言って立浪川に溶けていった。唯音は、水をゼロから造りだせるそうだ。理屈を超えられるのか、唯音。私は、短い間でも唯音といられて幸せだった。
唯音、私は生きることを降参するが、唯音は屈してはなりませんよ。
仁科に、化学に、文学に、選ばれたために立ち向かわなければならない運命に。
「沖つ青波・改」の完成を感知したら作動する「しがらみ」を断ちなさい。
ねがわくば、唯音が愛でていた蜻蛉となって、見届けたし。
永訣の曙、仁科弦志しるす
「お祖父さん…………」
いおんブルーは、設計図をきれいに折って、腰のホルダーに差した。ねおんブルーは、ネックウォーマーで目と鼻を念入りにこすった。
《条件をクリア、起動します》
背後に、平坦な音声が流れた。正四面体の機械が十八体、青いヒロイン達を囲む。
「しがらみ……ですね」
「……私も、戦う」
「ねおんブルーは、九時の方向、仮眠ベッドへ、逃げて……」
上半身を曲げて落ち込むねおんブルーだったが、おとなしく聞いてくれた。彼女が加勢してくれるのはありがたいけれども、ドライアイス爆弾で研究室を壊されては困る。また、自傷もへっちゃらなねおんブルーには、身体を大事にしてほしかった。
「……祓、使える?」
「……………………です」
亀並みにのろく進む正四面体らを見すえて、いおんブルーはイメージを膨らませた。
お祖父さんが、教えてくれました。「水は、方円の器に従う」。夏の日、たらいに水を張ってすいかを冷やしていたのです。
「お次は、水ですいかを割ってみせよう!」
圧力をかけて細く鋭くして、お祖父さんはスイカを切り分けました。
「水は、方円の器に従う! 水は形を自由に変えられるんだ。円い器に入れたら、水は円くなってすいかを冷やす。すいかが割れたんわな、刀の器に入れたからだ」
水のような人になりなさい、ともお祖父さんは話していました。柔軟に物事を考えて、ということでしょうか。
私の祓は、水の性質を持っているようです。「沖つ青波・改」に水は注がれていませんが、水があると思えば、現実になるのですね。引き金を、引く。新しい部品から、水が出る。ホース、噴水、滝、量は多く、水圧は高く、刀の器に入れるのです。しがらみを、断ちましょう。撃つ、ではなく、切る。刀としがらみの重さを、実に感じるのです。
青い気流が、いおんブルーの身から発生し、揺らぐ。「沖つ青波・改」の内部に気流がさらさらと入り、銃口から水の刀が飛び出した。
「私に、しがらみは、いらない……!」
前に傾き、床を蹴る。横ざまに振り、二体切った。先をふさごうと群がる四体を、斜めにひとつずつ断ってゆき、一八〇度回って、六体を鉄くずに帰してゆく。警戒の反応をとった正四面体は、二体でかたまって距離をとった。
「二時、四時、六時の方向、最短の、移動で、倒す……です」
刀を長くして、圧力を最大に。手首のスナップをきかせて、銃を一二〇度動かした。合計十八体、取りこぼしせず切れた。
「……『技』の、スーパーヒロイン、誕生」
ベッドの陰で、ねおんブルーが風呂にどっぷり浸かるような調子で言った。彼女の真上には、遅れて成虫になったオニヤンマが、通気孔の網に止まっていた。