第十四番歌:雲に隠れて(一)
一
変身(といっても活動用の衣装に着替えることなのだが)は店内ですませた。戦隊物好きの店主が、写真撮影を条件に更衣室を貸してくれたのだ。衣装を着たままだった萌子以外は、そそくさとヒロインになり、上機嫌の店主に見送られ、付き添いと合流した。
「あ」
思わず声を漏らすふみか。墨染めのセーラー服五人組が、待ち構えていたためだ。
「ま、また会ったね。ふみか」
襟が紅色の娘、天野うずめが気まずそうに手を振った。アヅサユミとシラクモノミコトの代理戦争と称してぶつかりあった直後の対面であった。
「ふみか、あの……さっきは、言い過ぎて、ごめん」
暗い顔をするうずめに、ふみかは普段通りに返した。
「ううん、大丈夫。事実だし。いつかは見つめ直さないとならないことだもの」
地味で目立たず生きたいのに、どうしてヒロインをやっているのか。そう訊かれ、うずめに「けり」をつけられた。矛盾している自身を、これまで省みていなかった。
「そっか」
「私たちに、強くなってほしかったんだよね。まゆみ先生に会いたいんだ。連れて行ってくれる?」
「うん!」
うずめは、屈託の無い笑顔に戻った。
「とよこちゃん、とっておきの、お願い」
躑躅色の襟と破けたマントの娘、山川・フィギアルノ・豊子が肯んじた。
「おーらい★」
左目にかかった禍々しい眼帯をめくり、シャッターがかかった店舗に首を回した。何の変哲もないシャッターに、人が通れる大きさの穴ができる。
「ミーの秘技『愚なる世のいふ罪といはぬ悩み』だゼ。ユーをすぴーでぃニ修練ノふぃーるどニお届けスル『近道』ダ★」
「ぼけっと突っ立っていたらなァ、時間がもったいないでェ。ゆうひィ、あたいについといでェ!」
豊子を押しのけて、山吹色の襟の娘、平田清香が「近道」に入った。
「ふえ……、はいぃ」
夕陽は、躊躇するも勇気をふりしぼって清香の後を追った。
「華火、参りますわよっ」
「指図すんなっ!」
続いて、柳色の襟の娘、冬籠凍莉と、華火がかまびすしく、
『……………………』
その次に無言で、藍色の襟とアイスブルーのネックウォーマーが特徴の娘、佐久間音遠と、唯音が穴を通った。
「ふみか、じゃないね、ふみかレッド」
紅色のヒロインが誘う。
「スーパーヒロインに、なろう!」
「もちろん、うずめレッド!」
「えーっと、着いたら、武器を探してもらって、村雲神社に集まるの」
トンネルと変わらない道を、赤いヒロイン二人は歩いていた。蛍光灯の色が、怪しい雰囲気を演出していた。豊子……とよこピンクの趣味なのだろう。
「村雲神社って、大学近くの? 鶏を放し飼いしている」
「うん。シラクモノミコトが祀られているんだ」
「へえ……」
学科のお花見と、まゆみの講義で足を運んだぐらいだ。『萬葉集』の歌碑が、鳥居のそばにあった。歌聖・柿本人麻呂が詠んだ歌だ。
「神社に、アヅサユミが降りてくる。安達太良に縁があるからね。シラクモノミコトが、決戦の地に定めておいたんだ。一時間後の約束だよ」
「あ、あんまりのんびりしていられないようですけど」
「だーいじょうぶ。シラクモノミコトが、時間の流れをせき止めてくれているから。空満市全域と、任意の地点にかけているんだって。アヅサユミに見つかるまでは、じっくり覚醒の準備できるよ。普通の人は動けないし、その中でなら戦っても周りに被害は出ない。あと、解除しても、時間が通常に進んでいた地域と食い違いが生まれたりはしないって。細かいことは分からないけれど、シラクモノミコトがいるから心配いらないよ」
まるで自分がやったみたいに、うずめレッドは胸を叩いてみせた。
「もう到着だ。頑張ろうね!」
「近道」の果てに、古くて小さい二階建ての家があった。ふみかレッドが、幼い時から出入りしている所であった。
「内嶺のおじいちゃん家だ……」
母親の実家に、「スーパーヒロイン」に目覚める鍵が眠っているだなんて。ふみかレッドはおそるおそる、戸を横に滑らせたのだった。
「ごめん、先におじいちゃんと仏壇に挨拶させて」
とことわると、うずめレッドは、親指と人差し指で丸を作った。時間が止まっていても、お邪魔するのだからせめてもの礼儀は欠かさない。
「おじいちゃん、こんにちは。ふみかだよ」
居間では、祖父が座椅子でくつろいでテレビを見ていた。それだけなら、仏壇に移っていたのだが、
「んもう、今年こそやめるって約束だったのに」
こたつに、灰皿が置いてあったのだ。四本ぐらいねじって捨てている。ふみかレッドは、祖父がつまんでいたたばこを取りあげて、灰皿に落とした。
「まいったおじいちゃんだよね」
仏壇に飾られた曾祖母と祖母の遺影へとつぶやく。鈴を鳴らして、掌を合わせた。
「二階上がっとくよお」
「あー待って」
おばあちゃん、今日はもう一人来ているんだ。会って間もないんだけれど、私によく似ているの。部屋、ちょっと寄っていくね。
祖母はお茶目な人だった。高い所が好きで、旅行で泊まる部屋は必ず最上階を予約し、ベッドが二段あれば、はしごの上り下りだって厭わない。重力に逆らう人生だってわるくない、が祖母の口癖だった。
「だいぶ片付いちゃっているんだけれど、あるのかな」
「あるよ! シラクモノミコト情報なんだもの」
物色するほど物にあふれていない和室の、箪笥や戸棚を開けたり、壁にかかったカレンダーを裏返したりしていた。
「祓、だっけ。そんな大きな力? 呪い? を扱える武器って、何なんだろう」
「ふみかレッドのは、いわゆる『思い出の品』だね。『読』は、人の思い、望みを受けて豊かに育つんだ」
「ここにあるんだったら、おばあちゃんとの思い出か。うーん、一緒にいたのが短かったからなあ……」
「敷島」
「え」
「敷島、っていうんだよ。ふみかレッドの呪いの具。心当たりない?」
ふみかレッドは、表情を曇らせた。
「……あるよ。でも、敷島は私が」
うずめレッドが隣でしゃがみ、肩に優しくふれた。
「『私が、捨ててしまった』んだよね」
「そうだよ……」
「聞かせてよ。私、ふみかのデータはひと通り収まっているけれど、詳しいことは、省略されているんだ。知りたいの、ふみかの思い出。苦いものだとしても」
うつむいたまま、ふみかレッドは「敷島」の思い出を語りだした。
「おばあちゃんが、私が欲しかったおもちゃをあげる、って、箱をくれたんだ。私、おはじき遊びに夢中になっていたからね、きっとおはじきだなあって、予想していたの。それも、最新型の。七色に光って、側面のぎざぎざが回っていっぱい相手のおはじきを飛ばせちゃう強いやつ。電池で光ったり回ったりするんだけれど、私には夢のようなおもちゃだった。大会でも使えるんだよ。持っていたら絶対に負けないって思った。まだ、出場の資格満たしていない年だったけどね。おばあちゃんはさすがだ! おばあちゃん大好き! 早く手に取りたくて、遊んでみたくて、リボンと包装紙をぐちゃぐちゃにして、ほったらかしにしてね。箱まで破っちゃったな……。最新型のお披露目だ! って中を見たら、全然、最新でもなんでもなかったの。おばあちゃんのお古。工作が得意なおじいちゃんに、首飾りの宝石を台から外して、加工してもらったんだって。『敷島』、首飾りを売っていた店のある地名。見た目は同じなんだよ、でも、くれたのはただの薄っぺらくした赤い石。期待していた物と違っても、お礼ぐらい言おうよ……。小さかった私には、できなかったんだ。『これじゃない! おばあちゃん嫌い、大嫌い!』薄情な孫でしょ。お母さんがこっそり持って帰ってくれたのに、全然遊ばなくて。やけになって、油性ペンで落書きして、次遊びに行った時に捨てていっちゃった。だから、見つけられないんだよ。あの後、おばあちゃん亡くなって、謝れていないし」
まったくもって爪痕残す思い出だよね、ふみかレッドは皮肉めいた笑みを浮かべた。
「過去の私のせいで、私は強くなる機会を逃したんだ……ばかだよね」
「早く決めつけていいの?」
紅色のヒロインの言葉は、陽気だが怒りが含まれていた。
「捨てておしまい、だって本当に思っているの? 私は、そうじゃないと信じる。シラクモノミコトが云々はおいといて、ね」
「で、でも、どこに」
「まだ調べていない所があるでしょ!」
うずめレッドはすっくと立ち上がり、初音人形が入ったガラスケースの裏を探った。片手で持てるぐらいの木製の裁縫箱が現れる。面のあちこちに付いた引き出しを、上から順に確かめてゆき、
「ほら!」
子どものように誇らしく、うずめレッドが「思い出の品」を高々とみせた。表に「文歌」と書きなぐられた、円くて平べったくて、赤い石が。
「もしかして、おばあちゃんが…………?」
うずめレッドが渡してくれたおはじきを、ふみかレッドは両手に包んで胸へ押さえた。
「薄情だと思い込んでいる孫を、とっても想っていたんだよ」
「ありがと…………」
置き去りにした思い出と久々に会って、ふみかレッドはいっぱい「ごめんね」の声をかけていた。
「辰砂、だね。社交性・創造力を高める、問題を解決する、暗い考えを追い払う。ふみかレッドにぴったり」
「敷島」の情報を読み取るうずめレッド。興味深そうに観察する様子は、昔のふみかにそっくりだった。
「ねえ、どうして『文歌』なの? ふみか、ってひらがなで表記するよね。謎なんだよなあ……」
「私のお父さんと、お母さんの名前、言ってみてよ」
うずめレッドは、まばたきをした。
「簡単じゃない。お父さんは、文男。お母さんは、歌子。あ!」
「両親から一字ずつとって、『文歌』。はじめは漢字にするって決めていたんだけれど、おばあちゃんが待ったをかけたの」
漢字だと、固い印象にならないか。勝ち気な女の子なのだから、お名前はやわらかなひらがなにしないと。
「そういうわけあって、『大和ふみか』になったんだ。でも、あの頃は、文歌の方がかっこよかったのにな、ってひねていて」
「ふみからしいね」
「そうだね」
再び「敷島」を手にする。裏は、パッチン留めの金具がついていた。
「あれ、いつこうなったんだろう」
「いつかふみかに返す時のために、作り直したんじゃないかな」
仏壇へ向かって、しっかりお礼をしよう。ちょうど腰を浮かしたところに、呼び鈴が鳴った。
「ん?」
「気をつけて。ただの客じゃないかも」
二回目の呼び出しがかかる。ふみかレッドとうずめレッドは、先に仏壇へ行って、戸の前に出た。年季のある家のため、カメラも会話口も無い。
「どちら様ですか」
「担任の棚無和舟だよ」
すりガラスに、ふっくらした体が映っていた。華やかな色の服を着ている人は、この先生の他にはいない。
「家庭訪問なんて、中学校以来なんですけど」
「え、あがってもらうの?」
不満げに唇を曲げるうずめレッドを下がらせて、鍵を開けた。
「ごめんください」
和舟はよそ行きの声色で言った。
「先生、何のご用ですか」
「何ってさ……」
老婦人は、身の丈をゆうに越える櫂を握っていた。舟遊びに招いたわけではないことは、明白だった。
「抜き打ちテストだよ。真の実力を、私に余さず漏らさず出しきってみな!」
「寄物陳呪・法螺貝、『萬葉集』巻第九・第一七四〇番歌・海神の神の宮」
貝の笛が吹かれ、紺碧の水が、家に流れ込んだ。
「ちょっ、浸水させないでくださいよ!」
「私が他所様の家に粗相すると思うんかい? 逆さ。試験会場を設けているんだよ。二人とも、空気をためておくことないよ。不思議な水だ、息継ぎの必要はないさ」
和舟の術「海神の神の宮」は、特殊な空間を創造するらしい。シラクモノミコトの力についてご存知ではないのか、それとも、念には念を入れているのか。戦いやすい環境を整えてくださっているのは、間違いないようだ。
「いざ、尋常に!!」
振り下ろした櫂を、ビー玉が食い止めた。
「和舟先生、だったよね。私も試験を受けて、構いませんか」
「陣堂女子大の子かい。飛び入り参加、歓迎だよ!」
しつこく留まるビー玉を打ち返し、和舟は連続突きをご覧に入れた。
「博士の言いつけに従って、行動しているんだろう? ふみかレッドをよろしく頼む、とね!」
「くっ! 命令されたけれど、たまたま私がやりたいことと重なっただけ!」
人間では真似できない速さでかわし、うずめレッドは拳を振った。
「あなたは、アヅサユミ側なの!?」
「どちらの神にもついていないさ。私は、まゆみちゃんと、ふみかレッド達の先生だよ」
水かきを盾にして、反対の柄を槍のように使って和舟が反撃する。
「祓の出し方、説明してあげな!」
嫗の怪力が、うずめレッドを押し飛ばした。ふみかレッドがすかさず抱き止める。
「ごめんね、私、つい血が上ってしまって……」
「私こそ、どうすれば祓を使えるか分からなくて」
うずめレッドが身を起こして、緋色のヒロインに教えた。
「想像するんだ……胸の奥に埋まっているものを、放出する感じ。ふみかレッドの、やり方があると思うから、これ以上は、私は手伝えない……。でも、大丈夫。『敷島』があるんだもの。おばあちゃんが待っていてくれた、最新型より無敵なおはじきに、祓を乗せてみて。『読』は、誰かの想いをくみ取って、始まるんだから」
スカートのポケットから、ふみかレッドは「敷島」を取り出した。
想像しよう。胸の奥に埋まっているものを放出…………難しいな、卑近な例がほしい。うわ、おなかすいてきた。晩ご飯は、えっと……カレーライスだ。まゆみ先生のおかげで、カレーって聞いたら、不気味な笑いをしてしまうんだよね。そうか、鍋にかけているカレーを、底からかき混ぜて、紛れたじゃがいもを掘り返すように―!!
ふみかレッドに、赤い気流が昇りたつ。辰砂のおはじきが、気流を食べたそうにきらめいている。
「いいよ、私の祓をあげる」
「読」の気を吸って、「敷島」は、より赤く、熱くなった。
「棚無先生、合格、勝ち取ってみせるよ」
「えらい自信がついたものだ。さ、やってみな!」
ふみかレッドは「敷島」を弾いた。極めて太い緋色の直線を描いて、和舟へ駆ける。
「直球勝負ときたか。だけれどさ、小ずるい面も持っていなければ、振り落とされるよ!」
野球のバットよろしく、櫂を構えて嫗が「敷島」の軌道をとらえる!
「わ、や、やっぱりだめ! 返ってきて!」
仕切り直しは許されていないと分かっていても、櫂を振りかぶられたら負けてしまう。ふみかレッドは、意味をなさないのに掌を前に出していた。
「もらった! よいさ!!」
ホームラン確実の良き打ち所、かと思いきや、手応え無く空振りに終わった。
「え、消えた!?」
うずめレッドが視覚の精度を高める。「敷島」の行方は、なんと、ふみかレッドの頭頂部だった。
「ハッハ! しつけが行き届いているね!」
褒められたが、どうせなら粋に呪いの具をつかまえたかった。
「うう、恥ずかしい……」
とはいえ、幸運である。祓は、ふみかレッドが思ったことを実現するみたいだ。ならば、ひとつ試したいものがあった。
アルバイト先の雇い主夫婦が、先日、携帯電話を買い換えた。若者は機械物に強い、と年配の者特有の論のもと、二人はふみかに助けを求めた。
「文字を大きくしたいんだけれど、全然なのよ」
「店員のお兄ちゃんは、指を広げろというんだがなあ」
物持ちの良いふみかは、まだ旧式の物を利用していた。しかし、大学で液晶をいじくる人々をいやでも見てきたので、操作法はなんとなく把握していた。ささっとやってあげただけで、老夫婦は万歳して給料を増やしてくれたのだった。
「次は、どんな球でくるんかい?」
打者気分でわくわくしている和舟に、ふみかレッドはまたもまっすぐに「敷島」を発射した。
「職人みたいな気質だね……。伸ばしてあげたいけれども、私は甘くないよ!」
容赦なくぶった切りにいく和舟であったが、すぐに泡を食わされることとなる。おはじきが、どでかい石盤に成長してのしかかってきたのだ。
「今の大きさだったら、変化球にしたって、返されていたよ。だからね」
指三本でL字を作り、ふみかレッドは顔の前で両腕を斜めに伸ばした。
「拡大したんだ。ピンチアウト、だっけ。結構いろいろ叶えられるんだね、祓って」
「さすが、ふみかレッド! 『読』のスーパーヒロイン覚醒だよ!」
拍手するうずめレッド。巨大な「敷島」にのされた和舟も、胸打たれたようだ。
「思わぬ大波に呑まれたね。ふみかレッド、合格さ」
勝敗がついたので、縮小して担任を自由の身にしたのであった。
「お祝いに、ひとつ忠告だ。シラクモノミコトにご用心。神は、人を欺くものもいるよ」
そう仰ると、白髪に櫛を入れ、スーツのしわを整えて和舟はおいとました。帆立貝をヨットに、空へ舵を取る様は、まさに女傑だった。
『シラクモノミコトにご用心……か』
うずめレッドとふみかレッドは一緒につぶやき、「愚なる世のいふ罪といはぬ悩み」をくぐった。