第十三番歌:擬せた者語(玦)
玦
ひとりにさせて、か。まゆみ先生の口からあまり聞きたくない言葉だった。
「……まゆみ、元気なかったな」
と、華火ちゃんがスポーツバッグをつま先でつついた。ポニーテールまで、しなびてみえる。
「心を痛めていらっしゃるんやよ。うち達のせいやわ」
夕陽ちゃんは、リュックの紐をぎゅっと握っていた。夕陽ちゃんのくせなんだけど、考えすぎて、自分を強く責めてしまうんだ。
「センセに、マタ、会えマスよネ……?」
浪漫な給仕係姿の萌子ちゃんが、私に訊ねた。彼女は教科書類を共同研究室の学科サークル用ロッカーに置いているので、手ぶらだ。
「うーん……会えるんじゃないかな、たぶん」
シラクモノミコトを倒しにゆかないでよ。うずめちゃんたちに対する目つきが、人のものじゃなかった。祟ってやる、惨たらしい様にしてやる……真夏の太陽なんかありんこの、灼熱だった。先生は、『萬葉集』と記紀歌謡の講義をしてくだされば、学生のおふざけに混ざってくだされば、文学PRの監修をやってくだされば、充分なんだよ。神様の世界にもかまなくたって、旦那さんがいるじゃないか。私たちのためなんかに、怒ること、ないんだから。
「返信、あった……です」
唯音先輩が、やっとしゃべった。液晶端末をいじりながら歩くのはいかがなものかと。ご自分の発明品に自信があってもですね。
「姉ちゃん、こんな状況でメールしてんじゃねえよ。ってか、誰と」
「グレートヒロインズ! の、司令官……」
私たちは立ち止まった。どんな方法を駆使したんだ。衛星でも作っていたんじゃありませんよね。
先輩は先へ先へと進み、背を見せたまま、左手を挙げた。
「会いに、行く……です」
そんなすぐに親玉と対峙するんですか。私はかさついた唇を引き締めて、夕陽ちゃんは髪飾りのリボンを結びなおし、華火ちゃんは拳を作り、萌子ちゃんは片足を上げて大げさに驚いてから、先輩を追った。
「グレートヒロインズ!」の司令官は、空満本通りの喫茶店に来ているのだという。抜けるのに歩いて三十分もかかる本通りは、大学の通学路だった。喫茶店は、唯音先輩の行きつけなんだって。「カフェ・nation of root」、のどかな商店街に似つかわしくない名だ。「根の国」ですよ、胸騒ぎが止まらないよ。というか、全然お洒落じゃないし。
煉瓦造りの外壁に、むしってもきりがない量の蔦が這っていた。先輩が扉を押すと、上に引っかけてあった銅の鐘がじゃらん、と鳴った。
「意外ト明ルイっスね……」
「ぎょうさんランプが灯っているもんねぇ。マスターの趣味やろか」
古いなりにまあまあきれいにされている。間接照明は、ガラス、和紙、焼き物に穴をあけた物、統一感はないものの、主張しあってもいなくて、うっとうしく思わなかった。
「……あたし、顔見たらぶん殴るかもしれねえ」
華火ちゃんが、私のパーカーの裾をつまんでいた。知らない人と会う時、華火ちゃんは威嚇してしまうのだ。
「大丈夫、どうにかするから」
殴っても構わないよ。うずめちゃんたちを戦わせて、まゆみ先生の命を取ろうとしていたんだもの。それなりの痛みは、受けてもらわなきゃ。
奥のテーブル席で、腕と足を組んでいる人がぼんやり見えた。
髪を後ろに折ってまとめており、黒い服に白衣を重ねていた。まぶたは桔梗色に塗っており、頬はこけ、わざと暗い色にしているのか唇は不健康そうだった。そんなことよりも、気になった点は、
「安達太良先生に、似てはる……?」
夕陽ちゃんが代弁してくれた。先生の髪を濃く、長くして、機嫌悪そうにして、目をもうちょっと吊り上げたら、この人と一致する。私たちの偽者の他に、先生の偽者もいたんですか。
「ふっ、待ちわびたのだ」
まゆみ先生もどきは、威圧的にテーブルへひじをついた。
「お前達は、礼儀作法も学ばせてもらえないのか? 偏差値の低い学校は、教育の質も良くない。僕の時間を無駄にするな」
「は? 偏差値でものを量るんじゃねえよ」
華火ちゃんが前に出て、先生もどきのお冷やを奪った。
「水でもかけるつもりか? 割って喉元を刺す魂胆か? パターンはいくらでも想定できるが、結果はお前が損をするだけだ。何もしないことが賢明だね」
刹那的に諭され、華火ちゃんはやりきれなくて、お冷やを一気に飲んだ。
「喉が渇いているのなら、素直に言えば良かったのだ」
「だあっ、しゃらくせえっ!! てめえに説教される筋合いはねえんだよ、こんのっ、にせものまゆみっ!!」
先生もどきの表情は変わらなかった。
「お前に偽者扱いされたくないね」
椅子を引いて、私たちを見回して先生もどきがはっきりと言った。
「僕の名前は、安達太良なゆみ。三十歳、安達太良まゆみの妹だ」
〈次回予告!〉
「お前達、注文を取れ。ここは喫茶店だ、無料の給水所ではないのだ」
「そ、そうですよね。とりあえず何か頼もっか。私はホットコーヒーで」
「私も……です」
「コーヒーは、マスター特製ブレンドなんですかぁ。うちは、紅茶にするわ。フレーバーがぎょうさんあるんやね、ハッピーシトラスセレクションにしよ」
「萌子、マンゴスチン・パッションフルーツパフェと、ライチソーダにしマース」
「華火さんは……?」
―次回、第十四番歌「雲に隠れて」
「知らない人に飲食物をもらってはならない、だったか? 義兄に聞いた。僕はお前の顧問の家族だ。問題あるか」
「しゃらくせいっ、メニュー貸せ。決めたっ、あたし、キウイクリームソーダっ!」
「ダブルメロンブラマンジェはいらないのか? 瓜系統はお前の好物だと姉から聞いているのだが」
「今から注文するとこだったんだよっ!」
「思春期は鬱陶しいのだ。さあ、お前達、質疑応答の時間だ」