師走に起きよ 序
アヅサユミは、五人の心に種を蒔いた。
七歳になる前のある娘は、人生で記念すべき一回目のおつかい帰りに、暗闇の中で迷子にな
った。娘は、「もうお家には戻れない」「お父さん・お母さん・お兄ちゃん達の顔を見られないんだ」と絶望しかかっていた。
その時、娘は誰かに「こっちだよ」と手を引かれた。怖くはなかった。とてもぽかぽかしていて、この手にまかせれば安心だと思った。娘は、もといた町へ出られた。振り返ると、光に包まれた大きなお姉さんが、バイバイしてくれた。
九歳だったある娘は、とても頭が良かった。両親が賢く、教育の環境が整っており、大事に育てられ、恵まれた子どもだった。親と学校・レッスンの先生にもっと褒められたくて、リビングで予習・復習に励むのが習慣だった。下弦の月にうっとりしつつ、娘は国語の勉強を始めた。
その時、娘の頭の中が、薄荷の風を吹きつけられたかのように、透明に、爽やかになる感覚がした。なんと、目にした人・文章・写真、何もかもがするすると記憶でき、忘れなくなったのだった。入ってくる情報が、あまりにも増えてきたため、娘はメガネをかけた。
六歳だったある娘は、大きな病気を患っていた。寝てばかりの生活だった。障子と磨りガラスから入ってくる光が、外との接点だった。お部屋に籠もりきりだったので、お友達は、作れなかった。どんな名医でも、効き目の良い薬でも治せなく、家中が悲しみに暮れていた。ある日、熱がたちまち冷めるという、山の神社に湧く水を飲ませてもらい、天井を見つめていた。ひとでみたいなしみを、流れ星にして「はやく元気にしてください」と祈った。
その時、娘のずっと続いていた息苦しさ、だるさ、熱、痛み、しびれ、身体をだめにしていたあらゆるものが取り払われた。別人のように、健康になった。娘は野山を駆け回れるほどに、すっかり元気になった。
十歳を迎えるまであと数ヶ月のある娘は、理系の名門に生まれたものの、発明は失敗ばかりだった。設計図は正確に、手順は理論に忠実に作ってきたが、ひとつも成功しなかった。それでも娘はめげずに、血がつながっているだけで「父」「母」「兄」と呼ぶ人達のために機械を作っていた。
その時、娘の胸の内に、澄んだ水の平原が広がり、落ち着きを得た。娘が心の存在を認めることができた初めての瞬間だった。そうして出来た機械・食器洗い機は、娘の発明第一号となった。既製品よりも有能で、現在も改良しながら使われている。
八歳だったある娘は、学校でひとりぼっちになった。女子には「ださい」「おもちゃで遊んでいて幼稚」と陰口をたたかれた。男子には「ヘンなやつ」「ブス」と面と向かって悪口を浴びせられた。そんな娘の居場所は、本だった。
アヅサユミは、十二年前、五人の娘の心に、種を蒔いた。
種は、娘達になじみ、芽を出し、今、つぼみが開かれようとしている。
愛嬌ある娘には、「純粋な愛」の花・撫子が。
知識豊かな娘には、「幸福」の花・蒲公英が。
誰よりも速く走れる娘には、「希望」の花・松が。
巧みな技術を持つ娘には、「なつかしい関係」の花・露草が。
本を読みふける娘には、「控えめな素晴らしさ」の花・椿が。
種は、アヅサユミの五分された力が形になったもの。
アヅサユミの力は、最高位の呪い、最大級の寿ぎ。
なぜ、力を五つに分け、五人の娘に授けたのか。
ひとつは、ならぬ行いをした子孫を救うため。
ひとつは、来たる「大いなる○○○」を○○○ため。
「○○○」は、
「読」まねば解らぬ。
「読」みには、「技」が要る。
「技」あれば「速」く解る。
「速」く解れば「知」恵がつく。
「知」恵がつけば「愛」が生まれる。
「愛」が高まり、「読」みは深まり、「○○○」は○○○れる。
―いざ子ども 心に宿せ 文学を。そして、師走に起きよ。
☆こちらのイラストは、漫画家の揚立しの先生に依頼して描いていただきました☆