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09 新しい生活



 クルトが運んできてくれたのは、穀物をたくさんの水で柔らかく煮たものだった。おかゆというらしい。

 それと一緒に、水差しとコップも持ってきてくれた。

 ミミル聖教国ではパンが主食なので、初めて食べる味だ。

 最初は大丈夫だろうかと不安に思ったが、空腹だったのもあって思い切って口に入れるととても優しい味がした。

 自覚はないが三日眠っていたというのは本当らしく、すべて食べきるまでに随分と時間がかかってしまった。

 クルトはとても嬉しそうな顔で、そんな私のことを飽きることなく眺めていた。

 人に見られるのは慣れているが、彼がどうしてこんなに私のことで一喜一憂するのかは、分からないままだ。

 食事の後、いよいよこれまでのことを説明してもらうことになった。


「それで、どこまで覚えてるんだ?」


 クルトの質問に、私は少し考えた。

 まだクルトがどういう立場の人間か分からない。少なくとも、自分が聖女であることや神殿の地下での出来事は、不用意に話さない方がいいだろうと判断した。

 私は記憶喪失を装うことにした。

 過去に、記憶喪失になった人が癒しを求めてやってきたことがある。結局私の力ではその人を直すことはできなかったのだが、どんな症状だったかということは覚えている。その真似をすればいいだろう。


「ええと……ごめんなさい。洞窟であなたに起こされたことは覚えているのだけれど……」


「それ以前のことは何も覚えていないのか?」


 クルトの反応はあっさりしていた。私の身元の手がかりがないというのに、特に残念そうでもなく淡々としている。


「あなたは私の知り合いだったの?」


 やはり私のことを知っているのだろうか。

不自然にならないよう気を付けつつ探りを入れてみる。


「いや……どうだろう。知り合いと言えば知り合いだが、きっと君は知らないだろう」


 返ってきたのは、首を傾げたくなるような言葉だった。


「私が知らなかったら、知り合いではないと思うけれど」


 お互いに知っていて初めて、知り合いになると思うのだが。

 それはそれとして、クルトの言葉を信じるとすれば彼は私を知っていたということだ。

 ならば聖女だったことも知っているのだろうか。出会っていたとしたらどこで? 

 疑問が頭の中をぐるぐる回る。


「君は多分忘れていたと思う。別れたのはずっと昔のことだから」


 また不思議なことを言う。

 別れたということは、長いこと一緒にいてそれから離れたということなのだろうか。

 少なくとも私の故郷の村に、こんな身体的特徴を持つ男の人はいなかった。七年前で多少外見が変わったとしても、髪の色や目の色まで変わったりはしないだろう。

 もっとも、私はそのどちらも変わってしまっているのだが


「では、子供の頃に?」


 そう尋ねると、クルトは答えず曖昧に笑った。

 なんとなく、それ以上尋ねることができなくなってしまった。


「クルトさんはどうしてあの洞窟にいたのですか?」


 おそらく、あの洞窟は気を失う前に狼が連れて行ってくれた洞窟だと思う。

けれど私が洞窟に行った時、人の気配はなかった。短い洞窟だったから、火を焚いていたらさすがに気づいたはずだ。

 クルトはあの狼を知っているだろうか。怪我を負っていた狼がどうなったのか気になるが、記憶喪失ということにしてしまったので聞くこともできずもどかしかった。


「森に入って、君が倒れているのが見えた。近くに洞窟があったから中に入って、朝になってからここまで運んできたんだ」


 クルトは私を見つけて助けてくれたという。あんな森の奥から街まで私を連れてくるなんて、さぞ大変だっただろう。

 地理が分からないので一概には言えないが、安全とは言い難い森を人一人抱えてどうやって抜けたのだろうか。

 それに、気になることはそれだけではない。


「それは……どうもありがとうございます。どうしてそんなよくしてくださるのですか?」


 先ほどからずっと、不思議に思っていたことだった。

 故郷の森でも、稀に人が行方不明になることがあった。

 私は母に、森で怪我をして動けなくなっている人がいたら、自分でどうにかしようとせず必ず大人に報せるようにと言われていた。

 森は危険で、誰かを助けようとして共倒れになることも勿論あるし、動けなくなっている人が実は悪い人で、隙を見て私をさらっていくこともあると言われていたのだ。

 実際に、森から帰ってこない人が数年に一人は必ずいて、村では一定の期間を過ぎるとみんな死んだものといて扱っていた。

 つまり何が言いたいかと言うと、クルトのしたことがあまりにも善良すぎるということだ。それとも私が起きた後に、なにがしかの見返りを期待しているのだろうか。あるいは、銀狼国の常識では助けるのが当たり前なのだろうか。


「それは……そうしたいと思ったからだ」


 クルトは事も無げに言うと、すぐに話題を変えてしまった。なので結局、私の疑問は解けないままだった。


「それはそうと、覚えていないのなら帰るところもないのだろう?」


 突然の問いに、私はゆっくりと頷いた。

 たとえ記憶があったとしても、帰れる場所などない。

その事実が、私に重くのしかかってくる。

だがそんな鬱屈を抱える私に、クルトはあっけらかんと言い放った。


「ならここで暮らせばいい」


 あまりにも突然の申し出に、私は唖然としてしまった。


「え? ちょっと待ってください。そんな急に」


「でも行くところがないのだろう?」


 確かに、もう今まで住んでいた神殿には帰れない。

 今頃は、私が魔族と取引をしていたとグインデルが大々的に発表しているに違いない。そうしなければ、癒しを求めてくる人々に私の不在理由を説明できないからだ。

 そしてそうなれば、私は祖国の人々にとって敵だと認識されるだろう。ユーセウス聖教国に入った途端に、拘束される危険性すらある。

 今まで尽くしてきた人たちに、敵だと思われるのは辛かった。できることなら自分の無実とグインデルの悪行を知らしめたいが、今の私は余りにも無力だ。

 それに、ミミル聖教会の裏の顔を知ってしまった以上、もうあの神殿には戻れない。

 故郷の村に戻りたいという気持ちもない。あそこはもう、母と暮していた頃とは変わってしまった。

つい先日まで聖女だと大切にされていたのに、離れてみるとそれほど寂しいとも思わない私は、薄情者なのかもしれない。

 会いたい人も特にない。

思い返してみると、私はいつも遠巻きにされていた。親しい人間ができないようお付の人も頻繁に変わったし、その誰もが私と必要以上に親しくならないようにしていた気がする。

なにより、そのお付の人が私に薬を盛っていたのだ。たとえ眠り薬だったとしても、それを食事に混ぜられていたという失望は大きい。

 結局は誰も、私を人間として扱ってはくれてはいなかったのだ。

 聖女という、自分たちの思い通りにできる駒だとでも思っていたのだろう。

 神殿にいる頃はそれが普通だったのに、今になって気づくのもおかしな話だが、私は孤独だった。

 唯一身分の別なくしゃべれるのはグインデルだけだったけれど、結局彼にも裏切られていた。

 そう思うと、改めて涙が溢れた。


「ど、どうした? どこか痛いのか?」


 クルトが心配して声を上げる。

 彼にこれ以上心配を掛けてはいけないと思い、私は涙を拭った。

 くじけてばかりはいられない。運よく命は助かったのだから、これからは自分の好きに生きてみよう。

 これからは自分の足で立って、私のことを誰も知らないこの土地で生きていくのだ。そういう意味では、クルトが私を救ってくれたのは幸運だったと思う。


「大丈夫です。可能であれば、ここで働かせてください」


 勢いよく言うと、クルトが気圧されたように言葉に詰まった。


「別に無理に働かなくても……」


 善良な上に随分と裕福なのか、クルトはそんなことを言う。


「いいえ。命を救っていただいた上、帰る場所もないのにお世話になり続けるわけにはいきません。でしたら他の場所で働いて恩返しを――」


「いいや! ならここにいてくれ。仕事ならいくらでも紹介する」


 クルトは私の言葉を遮ると、鼻息も荒く請け負った。

 改めて、この人はどういう人なのだろうと不思議に思う。

 だが、その申し出がありがたいのは事実だ。


「ありがとうございます。お世話になります」


 ベッドの上から頭を下げた。

 もう私は聖女ではないのだ。これからはただのサラとして生きて行くのだ。


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