06 闇の世界
拘束された私は、そのまま先ほどの地下室へと連行された。
ガウンを纏ったグインデルと、神殿騎士二名。それに私が部屋の中に入ってくると、枢機卿をはじめ地下室にいた男たちはぎょっとしたように動きを止めた。
「どうしたのですがグインデル様? このようなところへ……」
枢機卿が近づいていくと、あろうことかグインデルは枢機卿を殴った。まさか殴られるとは思っていなかったのだろう。枢機卿は目を見開いたままあお向けに倒れて行った。
勿論私も驚いていた。グインデルが暴力をふるうところなど初めて見たからだ。ミミル聖教の教義でも、暴力は禁じられている。
「まったく。奴隷たちを見られおって」
忌々しそうにグインデルが呟いた。
奴隷という言葉の不穏な響きに、私はぎくりとした。教義どころか、奴隷はユーセウス聖教国の法律で厳しく禁じられている。
殴られた枢機卿が、頬を押さえながらゆっくりと立ち上がる。
「そ、それはどういうことで……?」
「そこの娘が、お前たちがおかしなことをしていると知らせに来た」
そう言うと、枢機卿は怯えたように私を一瞥し、叫んだ。
「まさかそのような! 人払いは完璧にしておりました。聖女様が起きてきたというならば、それは眠り薬の効きが悪かったのでしょう。私の不手際では……」
私はぞっとした。
枢機卿の話が正しければ、私は彼らの悪事に気づかないよう眠り薬を飲まされていたというのだ。
私の脳裏に、姿のなかった側仕えの顔が浮かんだ。
彼女たちに用意された食べ物や飲み物を、疑ったことは一度もない。それは言い換えれば、いつでも薬を盛ることができたということだ。
もはやどれだけの人が今日の出来事に関わっているのか、想像すらつかなかった。
グインデルは今やミミル聖教の頂点だ。彼が白と言えば、黒いものだって白くなるだろう。
「言い訳など聞きたくない。お前たち、今日の分は終わったのか?」
見ると、部屋の中には神官と枢機卿以外誰もいなかった。
私がグインデルを呼びに行っている間に、ここにいた人たちは全員黒い門の向こう側に送られてしまったらしい。
「はい。ちょうど今終わりまして黒門を閉じようというところで」
漆黒の門は、黒門という名前であるらしい。
グインデルは少し考えるように黙り込んだ後、私の方を見た。
正しくは、私を押さえつけている神殿騎士を見たと言った方が正しいかもしれない。
「おい、そいつをここへ連れてこい」
グインデルが指さしたのは、黒門の真ん前だった。
後ろで神殿騎士たちが息を呑んだのが分かった。
「早くしろ」
「は!」
そうして私は、闇が広がる不思議な門の目の前に立たされた。
「サラ。今日ここで見たことは忘れるんだ」
グインデルの言葉に、私は耳を疑った。
「何を言っているの?」
「かしこくなれサラ。その口を閉じていれば、今まで通り何不自由のない生活が送れるんだ。でなければ、お前もこの門の向こう――人を喰う魔族の国に送ることもできるんだぞ?」
体に震えが走る。
グインデルは私を脅しているのだ。今日見た出来事をなかったことにしろと。それができなければ、残忍な魔族のいる門の向こうに送るぞと。
かつての聖女のように、魔族を退ける力なんて私にはない。もし魔族の国に送られたりしたら、まず間違いなく殺されてしまうだろう。
グインデルが拘束された私の顎を片手でつかむ。もし神殿騎士に腕を戒められていなければ、恐怖のあまり私はその場に座り込んでしまったことだろう。
だが、私はどうしてもグインデルの脅しに屈したくなかった。
今まで騙されていたという悔しさもあったし、門の向こうに送られた子供の悲鳴が脳裏に残っていて、どうしてもそれを良しとすることができなかった。
間近にあるグインデルの顔に、唾を吐きかける。
「嫌よ。絶対に嫌! 送りたいなら好きにすればいい。でも私はあなたの悪事を絶対に忘れない。きっと天罰が下るわ。こんなこと許されるはずがない!」
私の叫びが、暗い地下室に木霊する。
グインデルは何事もなかったように袖口で顔を拭うと、突然大口を開けて笑い出した。
あまりにも大きな笑い声に、私をおさえている騎士たちの方が気圧されていたくらいだ。私はといえば、もう何が起きても驚けないほどの極限状態だった。
「分かった。望み通りにしてやろう。お前は魔族の国と繋がるこの門を使って、やつらの食用の奴隷を送っていた。魔族の力を得るために。そしてそれを儂に見とがめられ、自ら門に飛び込んだのだ」
そう言ったグインデルの目が、薄闇の中でほの青く光った。
いつも厳めしい顔が、どんな時よりも楽し気に残忍な笑みを浮かべる。
「グインデル、あなたまさか……」
いくら聖皇だからといっても、普通の人間の目が光ったりするはずがない。
ならば魔族の力を得たというのは、彼の事なのだろう。彼の言葉を信じるならば、さっきの人々は取引材料として魔物の餌にされたのだ。
私は耳にこびりついた子供の泣き声を思い出した。そして、門の向こうに連れて行かれてしまった人の悲鳴を。
「なんてひどいことを!」
叫んだのと同時に、涙があふれていた。
何の涙だろうか。
騙された悔しさだろうか。それとも裏切られた悲しさだろうか。色々な感情がない交ぜになって、胸の中で荒れ狂っていた。
そして更にひどいことに、グインデルは己の罪を私に押し付けようというのだ。おそらく私がいなくなった後に、信徒たちにそう説明するつもりなのだろう。間違っても、私が戻ってこないように。戻ってきても、誰も私の言葉を信じないようにと。
「ひどいと思うならば、お前が救ってやればいい」
グインデルは楽しそうに門の向こうを指さした。
「まだ生き残っている者がいるかもしれない。聖女ならば救うことくらい容易かろう」
わざと弄るように、グインデルが言う。
初代聖女と違い、私には魔物を退ける力なんてない。試したこともない。魔物なんて会ったことも見たこともないのだ。
そんな私が魔族の国に連れて行かれたところで、抵抗などできるはずがない。
絶望的な状況の中で、私はふと先ほどの白輝鳩の言葉を思い出していた。白輝鳩は私に逃げるようにと言っていた。
あの白輝鳩は、ミミル聖教会が裏で何をしているのか知っていたのかもしれない。
まさかそんなことがあるのだろうかと思いつつ、あの緑の目はこの状況を見通していたとしか思えないのだった。
白輝鳩は神の言葉を伝える聖獣。
神が私に逃げるようにと言っていたのだろうか。
考えに耽る私に、グインデルが言った。
「二百年ぶりの聖女がこんなことになるなんて残念だ。それでも、お前には感謝しているよ。お前を見つけた功績で、私は聖皇にまで成り上がれたのだから」
私が彼と一緒に王都に来たせいで、グインデルを増長させてしまったのか。そう思うと、悔しさと悲しさで頭がどうにかなりそうだった。
全てが正しいと思っていた。辛い修行も祈りの時間も、人々のためになれるならと我慢できた。
だというのに、終わりの瞬間はこんなにもあっけない。
無慈悲にも、グインデルは私を取り押さえている神殿騎士たちに目で合図をした。
後ろから押され、目の前の闇が近づいてくる。
魔族の国とは、一体どんなところなのだろう。魔族とはどんな生き物なのだろう。
グインデルは先ほどの人たちを魔族の食用と言った。魔族は人を喰うのだ。
こんなことなら、私も母と一緒に流行り病で死ねばよかった。そうすれば、こんなに寂しい思いも怖い思いも、裏切られる悲しさも知らなくて済んだのに。
私が聖女として成したことは、間違った人を聖皇にしただけだった。
「お母さん……結局誰も助けてくれなかったよ……」
気が付けば、そう呟いていた。
人々のために働いても、いいことなんて何一つもなかった。私は全てに絶望していた。
そしてそのまま、真っ暗な闇の世界へと押し出されて行った。