37 収まるべきところに収まる
白いカーテンが揺れている。
昼間寝ている時にまぶしかろうと、カレンが新たに付けてくれたものだ。
「それでね、クルトなんて泣いて泣いて大変だったんだから!」
ベッドで上体を起こしなりながら、私はカレンの話を聞いていた。
「普段は冷静なあの男がね~」
アルゴル領から戻ってきて、もう十日ほど経った。
本当なら床上げをしてもいいと医者に言われているのだが、しっかり休まないとだめだと皆に言われ、未だベッドでの生活を続けている。
まるで最初にこの部屋に来た時みたいだ。
あの時も、クルトがなかなか許さないから床上げに二週間もかかった。
けらけらと笑うカレンは、私が気を失った後クルトがどれほど取り乱したのかという話をしていた。居合わせた人々は私が死んだと思い、かなり大変な騒ぎだったらしい。
私自身、自分が生き残れるかどうかは半々だと思っていた。というか、死にたくないと力を出し惜しみしていたら、きっとボルボロスによって殺されていただろう。
本当にぎりぎりのところだったのだ。
コンコンとノックの音がして、部屋にゴンザレスが入ってきた。
彼は片手にトレイを乗せていて、その上には水差しとカップの替えが置かれている。
「そのくらいにしておいてやれ。外まで話の内容がだだ洩れだぞ」
苦笑する彼の後ろに、なんとも気まずそうなクルトの姿があった。
彼が来ていると知らなかった私は、大いに驚かされた。一方で、カレンは私だけに見えるように悪戯っぽい笑みを浮かべている。
きっとクルトの話をしていたのはわざとだ。
自分の国の王様にこんなことができるのは、カレンくらいだろうなと思う。
「ありがとうダーリン。それじゃあ私たちは二人で仲良く武器の手入れでもしましょうか」
そう言って、カレンは来たばかりのゴンザレスを連れて部屋を出て行ってしまった。
あっという間に、二人きりで取り残される。
気づいたらいつの間にかツーリに戻っていたので、クルトと会うのはアルゴル領で見たのが最後ということになる。
先ほどカレンが話していた内容のせいか、クルトはなかなか口を開かなかった。
「ええと……来てくださってありがとうございます」
私も何から話すべきか迷って、まずはお見舞いに来てくれた礼をすることにした。
「いや。もっと早くに来られたらよかったんだが」
「お忙しいのは知っていますし、大丈夫です」
多分クルト以上に、私の方が戸惑っている。
なぜかと言うと、私はサクラだった時の記憶を取り戻してしまったからだ。
その頃クルトとははっきり恋人同士だったわけではないけれど、私は彼に好意を持っていた。
それこそ、恋人同士が交換する羽飾りを、健康のお守りだと言って交換する程度には。
そんなものが後世に絵として残されているなんて、今考えると恥ずかしすぎる。できることならあの絵は外してくれと、責任者に文句を言いたい。
それにしても、私は意外に一途だったらしい。
なにせ記憶がない状態でもずっとクルトのことが気になっていたし、出会った当初から無条件に信頼していたのだから。
サラとして出会った時、狼姿の彼を無意識に治療していたのもそのためだろう。
けれど、このことをクルトたちに話すべきなのか考えると、どうしても躊躇してしまうのだ。
今の私はサラで、物心がついた時からずっとサラとして生きてきた。サクラとしての記憶がよみがえったとはいえ、サクラの人格になったとはどうしても言えない。
しばらくお互いに黙り込んでいると、耐え切れなくなったのかクルトが口を開いた。
「ああ、ダメだな。何を話していいか分からないんだ」
「私も……同じ気持ちです」
おそらく理由は違うだろうが、何を話していいか分からないのは本当だ。
「あの後どうなったか説明しないとな。カレンたちには聞いたか?」
「ええと、おおよそですが。ボルボロスが死んで、グールも壊滅状態になったんですよね?」
ボルボロスは、クルトの最後の一撃によって倒れた。
洞窟の中は私の能力によって極端に魔素が薄くなっていたので、そんな中でも強烈な一撃を与えたクルトはさすがだと思う。
「ああ。それであの洞窟にあった黒い門についてなんだが……」
私ははっとした。
銀狼国とユーセウス聖教国を繋ぐ黒門は、あってはいけないものだ。
人間と魔族は、お互いに距離を取っているからこそ平和に暮らしていられる。どんなに便利なものであろうと、あの門を残しておくべきじゃない。
「どうなりましたか?」
「ボルボロスが持っていたものだからな。その場で粉々に壊させた。心配しなくていい」
クルトが優しい口調で言った。
そう言えばこちらに来た時に助けてくれたのも彼なのだから、クルトは黒門の機能について察しがついているはずだ。
銀狼国の王として、黒門の扱いは難しいだろう。
ボルボロスはあの門によって、こちらから自由にユーセウスに行けるようになったと言っていた。
もしクルトにその気があれば、いくらでもユーセウスに攻め込み占領することができるようになったということだ。
こんなふうに考えるのは悪いことかもしれないが、世界が全て綺麗事でできているわけではない。
実際、二百年前に人間は私を使って銀狼国に攻め込もうとしていた。
今になってその逆をされても、誰が文句を言えるというのか。
それでもクルトはあの門を壊すという判断をしたのだから、人間をどうこうしようというつもりはないのだろう。
グインデルが死に、今頃あちらは大混乱だろう。
長年続いてきたミミル聖教の権勢が揺らぎかねない。
無理矢理聖女として働かされたサクラとしての記憶を持つ私は、嘘に塗り固められたミミル聖教に対して思うところが大いにある。
正直なところ、あんな宗教なくなってしまえと思わなくもない。
だが、サラとしての記憶がそれを否定する。
信徒の中には、ミミル聖教の教えを心の支えとしている人が多くいた。
教え自体は悪ではないのだ。悪いのは、それを悪用して他人から搾取する権力者の方だ。
「あと、グランもお前に感謝していた」
私が考えに耽っていると、ふと思い出したようにクルトが言った。
そういえば、私はグランの手紙をもらったことがきっかけで、クルトの指示を無視して危険だと言われたアルゴル領に向かったのだった。
つまりクルトとグランの意見は食い違っていたということで、グランが処分されていないかどうか気になった。
それが顔に出ていたのか、クルトはため息をつきながら話を続けた。
「あいつなら心配ない。命令違反で蟄居を申し渡したが、ひと月ほどだ。今頃孫と一緒に休暇でも楽しんでいるだろうさ。国のためを思っての行動だと、俺も分かっているからな」
そう言いながら、クルトは渋い顔をしていた。
「よかったです。セシルくんや護衛の方々にも、本当によく助けて頂いて……」
私が旅に同行してくれた彼らのことを褒めると、クルトはなんだかおもしろくなさそうな顔をした。
「カレンとゴンザレスがいれば、他の護衛なんて……」
「ですが、セシルくんが言ってくれたおかげで野戦病院にはいれたんですよ? おかげで大切な友達を失わずに済みました」
フレデリカはしばらく実家であるパーピーの里で休養して、こちらに戻ったら門番として再就職できるそうだ。
彼女のことも、アルゴル領に行ってよかったと思う理由の一つである。
「それはそうだが」
そう言いつつ、やはり納得できない思いがあるらしい。
「悪いのは同行をお願いした私です」
彼らに類が及んでは申し訳ないので、はっきりと断言しておく。
それにしても、ここまで歯切れの悪いクルトも珍しい気がする。
彼は布団の上に置かれた私の手の上に己の手を重ねると、じっと私の顔を見つめた。
その目があまりにも真剣なので、恥ずかしくなってしまう。そんなに見つめられたら穴が開いてしまいそうだ。
「気づいていないかもしれないが、俺はお前を好いている」
「え?」
突然の告白に、私は驚いて何も言えなくなった。
最初は茫然としていたが、後からじわじわと恥ずかしくなって、顔が熱くなる。
羽根飾りの交換すら、健康のためと断言していたクルトだ。
正直なところ、彼には恋愛感情という感情そのものが欠落しているのだと思っていた。サクラであった頃も含めて、彼が恋愛関係の言葉を口にしたのはこれが初めてだ。
いや、好きというのは友人とか妹に対しての好きということかもしれない。
恋愛ではなく人間的な好きという意味だという方が、まだ納得がいく。
「え、ええとそれは友人という意味で……」
「違う。サラの傍にいたい。口づけをかわしたいという意味だ」
好きな人に真顔でそんなことを言われたら、冷静でいられる人間なんていないと思う。
それも真っすぐに目を見つめられながらだなんて。
「お前が死ぬかもしれないと思った時、俺は堪らなく恐ろしかった。そして、もうサクラの時のような――以前の聖女が死んだときのような後悔は、したくないと思った」
クルトの口からサクラの名前が出るのは、これが初めてかもしれない。
私が死んだあと、クルトはそんなにつらい思いをしたのかと思うと、胸が苦しくなった。
「うまく説明するのは難しいな。ただ、真剣な気持ちだということは理解してほしい」
クルトの言葉に私はゆっくりと頷いた。
そして、胸元に入っていたペンダントを取り出す。ボルボロスとの戦いの時にはじけてしまったのか、羽根飾りについていた宝石ははじけてどこかへ行ってしまった。
私の手元に残ったのは、クルトの目の色をした羽根飾りだけだ。
それでも変わらず、毎日こうして首から下げて過ごしている。
「この羽根飾りの事、覚えてますか?」
突然何を言い出すのかと、クルトが怪訝そうな顔をした。
「ああ、覚えているが……」
「この羽根飾りが健康のおまじないだって言ったの、サクラさんですよね?」
クルトが驚愕に目を見開いた。どうしてそれを知っているのかと、その顔が言っている。
「でも本当は、好きな者同士が羽根飾りを交換すると永遠に結ばれるって言い伝えなんです。私の羽根飾りが、返事だと思ってください」
クルトは慌てて、ポケットから空色の羽根飾りを取り出した。
持っていてくれたのだと思うと、心がじんわりと温かくなった。
「待ってくれ。どうしてサクラが言ったと……」
不思議そうにしているクルトには答えず、私は身を乗り出した。
ベッドの上に座っている状態でも、この距離ならば簡単に届く。
私は茫然としているクルトの隙をついて、その形のいい唇にキスをした。
今回は頑張ったのだから、これくらいしても許されると思う。
「な!」
クルトが驚いて立ち上がる。そんな彼を見上げて、私は笑った。
いつも驚かされてばかりだから、こうして逆に驚かすのは楽しい。
そして悪戯ついでに、私はサクラの記憶についてもうしばらく黙っていることにした。
全てを話すこと正解とは思えなかったからだ。
私がサクラの身代わりかもしれないと悩んだように、きっとクルトも二人の聖女という存在に驚き、困惑したことだろう。
それでも彼は今、正直にサクラのことを話してくれた。
今はそれだけでいいのだ。
いつか私がおばあちゃんになったら、クルトにこの記憶の話をする時が来るかもしれない。
私は人間で、きっと彼の半分も生きられないけれど、何度でも会いに来るよとその時に伝えたいと思った。
黒門からこちらに飛ばされた日、私は自分の運命を呪った。
母を失った日、何もかも失ったのだと思っていた。
けれど違ったのだ。
私のことを、待っていてくれる人がいた。覚えていてくれた人がいた。
私は笑う。クルトも困ったように微笑んでいた。
これから先もずっと、彼のそばにいたいと思った。
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