36 再会
私たちが銀狼軍の駐留している場所に向かっていた時のことだ。深い森を歩いていると、突然轟音が響き渡った。
何が起こったのかと先を急ぐと、上空に慌ただしく飛び回る兵士を見つけた。
その方角に向かうと、森が開けた場所では兵士たちが慌ただしく走り回っていた。
「洞窟が崩れたぞ!」
「畜生! あいつら何てことしやがるっ」
彼らの叫びから何があったのかを悟り、思わず背筋が冷たくなる。
クルトは無事なのだろうか。冷たい恐怖がお腹の奥底からじわじわとにじり寄ってきた。
臨時のテントに、どんどん怪我人が運び込まれている。
いてもたってもいられず、私は飛び出した。
「なんだお前は!」
当然見とがめられ、怒号が飛んだ。
「待ってくれ」
それを収めてくれたのはセシルだった。
「私は魔公爵グラン・ド・ヴィユの身内だ。銀狼王陛下に取り次いでもらいたい!」
セシルが堂々と宣言すると、その場に居た兵士たちに戸惑いが生まれた。
彼らはグランの名を知っているようだ。
私は茫然としている彼らの横をすり抜けて、特に重症そうな患者の傍らに座り込んだ。
癒しの力を使うのは久しぶりだが、今はそんなことを言っている場合ではない。
傷口に手をかざして癒しの力を使うと、患者の傷がゆっくりと塞がった。やはり人間を癒す時より、直りが遅い。
クルトが言っていたように、魔力がある者を治すのは時間がかかるということなのだろう。
一人目が終わると、二人目、三人目という風に私は治療を進めていった。いつの間にか、カレンやゴンザレスもそばに来て私の動きをサポートしてくれている。
治療を進めていると、もう私たちを止めるような人はいなくなった。しばらくすると衛生兵らしい人が近づいてきて、重症らしい人が集まる場所に案内してくれた。
そこでもまた、同じように怪我人を癒していく。
膨大な数の患者に、あっという間に力が消耗していくのを感じた。
その時、案内された患者の中に見慣れた羽根を見つけ、私は総毛立った。
床に寝かされていたのは、華奢な体を持つハーピーだった。泥で顔が汚れていたけれど、私はすぐにそれがフレデリカであると気が付いた。
呻く彼女に駆け寄り、傷口に手をかざす。
重傷者の寝かされている場所だけあって、彼女の怪我はことのほかひどかった。
慎重に彼女の傷を癒すと、荒かった呼吸が落ち着き苦しみに歪んでいた表情がほどけて言った。
やっと傷が癒えて私が一息ついたのと、彼女がうっすらと目を開けたのは殆ど同時だった。
「あれ? 私死んじゃったのかな……友達が見えるよ」
やけに幼い口調で、フレデリカが呟いた。
私は彼女を驚かせないよう、その目を掌で覆った。今は再会を喜んでいる場合ではない。
「今はゆっくり眠ってください。目が覚めたら……またお話ししましょうね」
しばらくそうしていると、フレデリカはやがて安らかな寝息を立て始めた。
私は初めて、ここにきた自分の決断を褒めた。もしここに居合わせなかったら、もう二度とフレデリカに会えなくなっていたかもしれない。
「どうしてここにきた!」
その時、背後で悲鳴じみた声が聞こえた。
振り返るとそこには、走ってきたのか息を乱したクルトが立っていた。
***
つかつかと、クルトがこちらに歩み寄ってきた。
「クルトさん……」
そして立ち尽くす私の手を掴むと、言った。
「帰るんだ。今すぐに」
「帰るって、どこへですか?」
王都に戻っても、クルトはいない。ぐるぐるとつまらないことを考えて、クルトとフレデリカを心配する自分に戻るだけだ。
そんな自分は、もう嫌なのだ。
安全な場所で悩んでいるだけでは、何も変わらない。
どうせ自分はかつての聖女の身代わりだろうと、クルトたちを恨むだけの最低な人間になってしまう。
そんな風に思うのはもう嫌なのだ。
大切な人たちだからこそ、恨みたくも憎みたくもない。
「私は自分だけ安全な場所になんていたくない! 私にできることがあるのなら、それを果たしたいんです!」
こんな風に大声を出したことが、今まであっただろうか。
目の前のクルトも、そこにいるカレンやゴンザレスも、忙しそうにしていた衛生兵まで驚いた顔をしている。
そうだここは野戦病院なのだった。
怪我人たちを放って、騒いでいる場合ではない。
そう言おうとしたその時。
『よく来たな。聖女よ』
それは地獄の底から響いてくるような声だった。
その声に呼応するように、私の鼓動がバクバクと激しくなり始めた。息が荒くなり、その場に立っていられなくなる。
頭の中に、以前見た夢の映像が何度もフラッシュバックした。
血塗られた地面。散り散りになった人間の部品。
「ああ……ああああ」
「おい、大丈夫か。落ち着くんだ」
クルトが私の肩に手を置く。
でも私は、恐ろしさのあまりその手を振り払ってしまった。
その時の悲しそうなクルトの顔が、網膜に焼き付いた。
――そうだ私は、この光景を知っている。
まるで高熱を出した時のように体が震え、ひどい耳鳴りがした。カチカチと固い音がして、自分が鳴っているのだと知った。
「こわい! 助けて!」
思わず悲鳴が口をついた。
怖くて怖くてたまらなかった。なにがそんなに怖いのか、その時の私はまだ分かっていなかった。
「大丈夫だ!」
そんな私の手を引き、クルトが私の体を抱きしめる。
強い強い腕の力に、痛みよりも安堵を覚えた。それでもまだ泣きそうな恐怖が、身の内で絶えず暴れ回っている。
「クルト……あなたは……」
自分の中の感情の奔流を、どうにか言葉にしようとした。同時に、忘れていた記憶が呼び覚まされる。
「私はあなたに、言いたいことが――……」
その言葉は、彼に届く前に途切れてしまった。
同時にクルトの姿も周りにあった何もかも、私の前から掻き消えた。




