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33 欲望の末路


「ぐっぐっぐっぐ。とかく人の愚かさは御しがたい」


 暗がりに、醜悪な笑いが響く。

 その玉座は、広い洞窟の中にあった。明かりの類は一切ない。なぜなら彼ら(、、)は、光を必要とはしないからだ。

 濁った瞳。灰色の膚。骨と皮のような体は大きく、猫背になって歩く。

 グール。神の祝福を否定した者たち。人の血肉をすすり、享楽を愛する者たち。

 その中でも特に体の大きな個体が一体。骨を積み上げて作った玉座に腰掛け、捧げられた供物の首から血を啜っていた。

 洞窟の中には、むせ返るような血の匂いが充満している。

 ボルボロスの配下が、喜び勇んで人の死肉を食い荒らしていた。

 常ならば欲望のままにしか動かないグールだが、ボルボロスの手にかかれば彼らは極めて有能な兵隊と化す。

 ボルボロスは特殊な個体で、他のグールを思うままに動かす術を心得ているのだ。

 狂気の兵士たちは己の王に喜んで従う。彼らは待ち望んでいた。この窮屈なアルゴル領を脱し、再び生命を思うままに蹂躙するその時を。


「ボルボロス様。儂を裏切った人間どもに制裁を! そして儂を貶めた聖女に厳罰を!」


 洞窟の中、血の酔ったような声が響く。グールのものではない。

 そこにいたのは、聖皇姿のグインデルだった。


「それはお前が約束を守ってからだ。ちゃんと聖杖は持ってきたのか?」


 ボルボロスの言葉に、グインデルは這いつくばるようにして床に落ちていた聖杖を拾い上げた。

 彼の法衣が泥と血によって汚れる。だがそんなことはお構いなしだ。


「早くしろ。黒門を開放するのだ」


 グインデルの視線が、ユーセウス聖教国へと繋がる黒門に吸い寄せられる。

 この門が持つ空間を飛び越える力には、ある特殊な条件があった。それは、完全に一方通行しかできないということである。

 この機能は聖皇の持つ聖杖によってのみ制御される。

 ボルボロスの目的は初めから、この聖杖にあった。

 黒門を使って窮屈なアルゴル領から、無防備な人間のはびこるユーセウス聖教国に向かおうというのである。

 二百年の隔絶を経て、彼が目覚めたのはサラが聖女として覚醒したのと同時期であった。

 だが、サラと違い彼の体は封印によって動けない。

 ボルボロスは狡猾であった。

 二百年前の封印によって儚くなっていた己を再生するため、まずは思念体となって利用できそうな人間を探した。

 彼のお眼鏡にかなったのはが、当時司教をしていたグインデルだ。

 グインデルは当時、己の境遇に不満を持っていた。田舎の司教などではなく、王都に出て己の才覚を試したいと思っていた。

 ボルボロスはそんな彼に囁いた。サラを利用して、ミミル聖教会の中でのし上がればいいと。

 サラを神殿内に閉じ込めるよう言ったのも、ボルボロスの提案だ。ボルボロスは聖女の存在を銀狼王に隠しておきたかった。

 二人に組まれると自分の脅威になると考えたからだ。

 そして最初はそれらの事を訝しく思っていたグインデルも、ボルボロスの言う通りにすれば面白いようにうまくいくのでやがて疑いを持つのをやめた。

 聖皇となった彼は、聖杖の力で神殿の奥深くに封印されていた黒門を復活させた。

 その時はまだ、グインデルにも冷静な思考が残っていた。ボルボロスに捧げる生贄は外国から子飼いに買ってこさせ、それを黒門を使って慎重にボルボロスの許へ送り込んでいた。

 彼が素直にボルボロスの言葉に従ったのには、黒門が一方通行という特性を持っていることも関係していた。

 そうでなければ、流石に魔族の国に繋がる黒門を警戒したことだろう。

 グールに食べられた人間は、白輝鳩に生まれ変わると言われている。

 伝説の類だが、グインデルは慎重を期すため白輝鳩をできる限り捕獲し不用意に人間と接触させないようにした。

 なぜなら、白輝鳩は人間に思念を伝えることができるという特性を持っていたからだ。

 己のしていることが外部に漏れては堪らないと考えたのである。

 さて、こうしてグインデルとボルボロスの関係は互いに利益を享受していた。ボルボロスは捧げられた生贄によって力をつけ、グインデルはボルボロスの謀略によってのし上がり、更には分け与えられた力によって若さと活力を手に入れた。

 だがグインデルは知らなかったのだ。

 グールの力を分け与えられるということは、同時に己から冷静な思考を奪っていくことなのだと。

 彼が正気であれば、黒門を逆流させるなどいくら何でも実行しなかったはずだ。だが彼は、ボルボロスに与えられた力によって完全に人ではない者になり果てていた。

 聖杖が淡い光を放ち、黒門が形を変える。

 送られるのみだった門が、逆に送る側となった証左である。

 だが、性質そのものを作り替えるわけだから運用が可能になるまでには時間がかかる。

 古文書によれば、その日数はおおよそ十日ほどらしい。


「約束は果たした! だからワたしに、もっトちからを……力を!」


 グインデルが吠える。


「いいだろう。いくらでも与えてやるさ。絶望をな!」


 そう言うと、ボルボロスはもう用はないとでも言う風に己の腕をグインデルの鳩尾に突き立てた。グインデルの背から血だらけの細い腕が生える。


「え?」


 信じられないとでも言いたげに目を見開き、グインデルはごふりと血を吐いた。

 目の前の凶行を喜ぶように、周囲のグールが騒ぎ立てる。髄を啜った骨を打ち鳴らし、狂乱の笑い声をあげる。

 ボルボロスが手を引き抜くと、腹に風穴の開いたグインデルは力なく倒れていった。

 よく見れば、洞窟の床には同じように打ち捨てられた遺体がいくつもあった。法衣が破れ散り散りになり、どれもひどい有様だ。

 中には枢機卿のものであることを示す、赤いものまである。

 グールの力を得たことにより自ら人の道を外れたグインデルは、結局多数の民間人の殺害が表ざたとなり追われる身となっていた。

 洞窟に散らばっているのは、グインデルの許でうまい汁を啜り、それによって主同様国にいられなくなった者たちの末路である。

 彼らは断罪から逃れるため黒門を使って銀狼国へと渡り、グインデルによってボルボロスに捧げられた者たちである。

 その中で、今や生きている者は一人もいない。


「我らを下劣などと、よく言ったものよ。人の本性とは、獣にも劣る醜悪さではないか。だがそれがよい。罠に落ちる獲物失くしては、我らグールが飢えてしまうというもの」


 ボルボロスは戯れに手近にあった生首を拾い上げた。

 グインデルに付き従っていた枢機卿のそれには、最後の絶叫がありありと刻まれている。ボルボロスが戯れにそれを投げると、首の着地点にはグールが殺到し、首を奪い合う醜い争いが発生していた。


「そう慌てるな。いくらでも食べさせてやる」


 そう言うと、ボルボロスは高笑いをした。


「聖女よ。お前を出し抜き人の国を襲ってやる。二百年の恨みとくと味わうがいい」


 暗い洞窟に哄笑が響く。

 骨の打ち鳴らされる音楽がグールの絶叫と調和し、おどろおどろしい音楽を作り上げる。

 ボルボロスにとって、恨みを晴らす相手はサラでもサクラでも構わないのだ。忌々しい銀狼王も出し抜けると思うと、愉快で愉快でたまらなくなる。

 人を思うままに食い荒らせば、同族たちは今よりも強大な力を得るだろう。アルゴル領に閉じ込められ不遇を囲う日々は、完全に終わりを迎えるのだ。


「行くぞ同志たち! この世界を再び野蛮な暗黒へと引き戻すのだ!」


 グールの饗宴は最高潮を迎えた。

 洞窟の中にボルボロスの笑いが轟き、何重にもなって醜悪な宴を彩っていた。




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