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03 白輝鳩


 その日は、朝からあまり体調がよくなかった。

 なのですぐにその旨を申告し、その日のお勤めは休むことになった。

 聖女なのだから、癒しの力を自分に使えばいいと思われるかもしれないが、残念ながら私は自分の怪我や病気を癒すことができないのだ。

 このことは、王都にある神殿に連れてこられてすぐに分かった。

 慣れない長旅で疲れから寝付いてしまい、しばらく身動きが取れなかったからだ。

 おかげで本当に聖女なのかと疑いをかけられ、もう少しで神殿から追い出されそうになったこともある。

 なんでも、かつての聖女は自分の怪我すらも癒すことができたそうだ。

 グインデルの訴えでどうにか追い出されるのは免れ、回復した私は無事聖女として認められたわけだが。

 以来、神殿は私の体調の不調に敏感だ。少しでも不調があると、休息と最高の治療が与えられるようになった。

 自由のない生活ではあるけれど、衣食住が保障され医療まで与えてもらえるのだから、私は恵まれているのだろう。

 人々を救うという使命を果たす毎日に、充足を感じてもいた。誰かに必要とされているという事実が、天涯孤独となった私の心を満たしていたのだ。

 薬湯を飲んで眠りにつき、目が覚めたのは夜中だった。

 交代の時間なのか、お付の人もいない。部屋の中は静かで、私は久しぶりに一人きりの時間を味わった。

 そもそも朝起きてから寝るまで、常にお付の人がいることの方がおかしいのかもしれない。ふと、そんなことを思った。

 小さな頃は気にならなかったが、最近では見張られているような気さえする――。

 私は喉の渇きを覚え、部屋を出ることにした。

 お付の人はいつ戻ってくるか分からなかったし、水を飲むだけならば問題ないだろうと判断したからだ。

 正直に言うと、一人きりというこの貴重な時間を、早々に眠って浪費してしまうのは勿体ないように思えた。

 音が出ないよう、裸足のまま寝台を抜け出し部屋を出る。

 石の床はひんやりと冷たく、歩くとひたひたと足の裏にすいつくような感じがした。

 廊下には誰もおらず、まるで世界中に自分以外誰一人いなくなってしまったかのように静まり返っていた。

 明り取りの窓から、冷たい月光が差し込んでいる。

 私は中庭にあるという、井戸を目指して歩いていた。

 一度も行ったことのない場所だ。いけないと思いつつ、私は高揚していた。

 その時、私の耳にばさばさと鳥が羽ばたくような音が聞こえた。不思議に思って見上げると、天井の明り取りに白輝鳩が止まってこちらを見ていた。

 普段近づいてはいけないと言われている相手だ。

 私はぎくりとした。

 まるで白輝鳩に見張られているような気がした。そんなはずはないのに。

 でももしここで白輝鳩が騒いだりすれば、何事かと人が来てしまうだろう。

 すると私は、お付の人なしで部屋を出たことと白輝鳩に遭遇したこと。二つの規則を破っていることになる。

 最近では滅多にないことだけれど、ここに来たばかりの頃は規則を覚えきれなくて、何度も躾という名のお仕置きをされた。

 狭い部屋に閉じ込められ眠ることすら許されず祈り続けるのは、子供心に辛く思い出したくない記憶だ。

 先ほどまで感じていた高揚はしゅるしゅると音を立てて萎んでいき、私の中で葛藤が生まれた。

 本当にこんなことをしていいのか。今すぐ部屋に戻って何もなかったことにするべきなのではないかと。

 けれど、喉が渇いているのも本当だ。

 一度それを自覚してしまうと、もう水を飲まないことには眠れそうになかった。

 結果として私は、白輝鳩を無視して先に進むことにした。もしこの場を誰かに見られたとしても、白輝鳩に気づかなかったことにすればいい。

 私は更に慎重に足を進めた。

 そして明り取りの窓の真下に来た時、恐れていたことが起きた。

 白輝鳩が、私の目の前に舞い降りたのだ。

 翼を広げ、まるで自分の存在を知らしめているかのようだった。

 これではもう言い訳は効かない。今すぐ部屋に逃げ帰るべきだ。飼いならされた理性が警鐘を鳴らす。このことがばれたらどんな目に遭うか――。

 けれど私は恐怖を感じる一方で、目の前の白輝鳩の美しさに見とれていた。

 月光を浴びた白輝鳩は、まるでそれ自体が発光しているかのように白く輝いていた。

 深い緑の瞳には、鳥類とは思えない知性が感じられた。そしてその色は、今は亡き母の目の色に似ていた。


『ココニ……イテハ……イケナイ』


 途切れ途切れに、声が聞こえた。

 聞き覚えのない声だ。慌てて周囲を見回したが、そこには誰の姿もない。

 静まり返った廊下にあるのは、私と目の前の白輝鳩の姿のみだ。だが、白輝鳩が人の言葉を喋るなんて聞いたことがない。

 もしかして、魔族だろうか。

 私の脳裏にそんな考えが浮かんだ。

 魔族は、人間たちとは海を隔てた場所に住むという。時折こちらにやってきては、人を襲ったりするのだそうだ。

 二百年前の聖女は、人の国に攻めてきた魔族を打ち払い、人の世界を守った。

 以来大きな侵攻はないが、もしその時が来れば聖女は魔物と戦わなければいけないのだそうだ。

 そのため、私が受ける座学には魔族について学ぶ時間も多くあった。

 魔族の中には、人語を解したり他の生き物に化ける者もあるという。ならば目の前の白輝鳩が、そうではないと誰が言えるだろうか。

 神殿で飼われている白輝鳩が魔族のはずがないと思いつつ、ばくばくと心臓が大きな音を立て、こめかみを汗が滑り落ちた。

 私は聖女だが、できることは人の怪我や病気を癒すことだけだ。魔族を倒したことなど一度もないし、それどころか見たことすらないのだ。

 今すぐ逃げ出したい気持ちになったが、背中を向けた途端に襲い掛かられるのではないかと思うと、それもできなかった。

何より、足が震えてまともに走ることもできそうにない。

 それからしばらくの間、私は息をひそめて白輝鳩を見つめていた。あちらもまた、まっすぐに私のことを見つめている。

 いつまで経っても、白輝鳩が私に襲い掛かってくることはなかった。

 むしろどこか憐れみすら含んだ目で私を見つめ、そして言った。今度は口を動かしていたのだ。私はこの声が白輝鳩のものだと確信した。


『アナタ、ハ……ニゲテ……シアワセニ……』


 その言葉があまりにも悲し気で、私は白輝鳩に感じていた恐れが弱まるのを感じた。

 そして、気づけば問いかけていた。


「どうして?」


 返事が返ってくるという確証はなかった。

 だが、白輝鳩の言葉が無意味であるようには、どうしても思えなかった。

 私の問いに答えようとしたのか、白輝鳩が口を開いたその刹那。


「助けて!」


 遠くからかすかに、悲鳴と共に助けを求める声が聞こえた。

 私がそちらに気を取られていると、白輝鳩は瞬く間に跳び上がり、入ってきた窓から飛び出して行ってしまった。

 時間にすれば五分にも満たないだろう。

 あまりにも現実感のない出来事に、取り残された私は茫然とした。

 だがしかし、ずっとそうしていることはできなかった。

 それは先ほど悲鳴がした方角から、今度は人の言い争うような声が聞こえてきたからだ。

 静謐を尊ぶ神殿内にあって、これは明らかに異常事態だった。

 何が起きているかは分からないが、もしかしたら怪我人が出ているかもしれない。

 私は先ほどの不思議な出来事を頭から振り払い、慌てて声のする方向へと向かった。



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