28 悩みの種
深夜になり、広場の人はさすがに減り始めた。
それでも未だに明かりが煌々と焚かれ、音楽は鳴りやまない。
クルトは私からゆっくりと体を離すと、おもむろに己の仮面を外した。闇の中にぼんやりと、クルトの真剣な顔が浮かび上がっていた。
クルトは己の仮面から羽根飾りを外すと、その飾りを私の前に突き出した。
「どうかこれを受け取ってほしい」
先ほどから驚かされてばかりいるのに、この申し出にはより一層驚かされた。同時に、顔が熱くなる。
羽根飾りを交換した恋人たちは、永遠に結ばれるという。
カレンからその伝説を聞いた時、クルトと交換するなんて絶対に無理だと思った。私は彼にとってただ助けただけの相手にすぎないからだ。
それに私自身、自分がクルトをどう思っているのかよく分からなかった。
彼を思うと苦しくなる。会えないと会いたくなる。
けれどどうしてそうなるのかが分からない。最初にあった時から、どうしてかそうなのだ。彼の人となりを知るずっと前から。
だから、こうして一緒にお祭りに来れたことは嬉しい。
でも、だからと言って自分がクルトと恋人になりたいのかと言われると、それは分からない。
そもそも教義で姦淫を禁止されていたから、恋愛なんて自分には無縁だと思っていた。
「だめだろうか……?」
私の沈黙を拒絶だと受け取ったのか、クルトが悲しそうな顔をした。
その姿は、まるで大きな犬が項垂れているようだ。
それを見て私は思わず、自分の仮面から羽根飾りを外してクルトに差し出した。
けれどクルトのように、仮面を外すことはできなかった。動揺で、きっと今の私はひどい顔をしているはずだからだ。
クルトは私の羽根飾りを受け取って嬉しそうに笑った。
「ありがとう。大切にする」
その言葉には、喜びが溢れていた。
私にもクルトを喜ばせることができるのだと思うと、ただでさえうるさい心臓が更に大きな音を立てた。
私もクルトの羽根飾りを受け取り、それを見つめた。宝石の飾りがついた羽根飾りは、屋台のそれと違ってまるで芸術品のように見えた。
よく見ると、宝石部分にチェーンのようなものまでついている。わっかになっていて、ちょうどペンダントのような形だ。
「それをいつでも身に着けていてほしい。悪いものから君を守ってくれるはずだ」
クルトの言葉に従い、私はそれを首から下げた。チェーンが長いので、仕事の最中も服の中に隠すことができそうだ。胸元を羽根飾りがくすぐる。
「お守りですか?」
「ああ。そもそも羽根飾りは、互いの健康を祈って交換するものだろう?」
クルトの何気ない言葉に、私は固まってしまった。
そんな私の反応などお構いなしで、クルトが言葉を続ける。
「俺も昔、交換したことがあるんだ」
その言葉に、私の心臓がきしんだ。
「そ……うなのですか。健康は大事ですものね! きっと相手の方もお元気で――」
混乱のあまり、私はよく意味の分からない返事をしてしまった。
私の言葉にクルトは答えず、ただ寂しそうに笑うだけだった。
その表情の理由を、私は問うことができなかった。というか、それどころではなかったというのが正しい。
私の中に、猛烈な羞恥心が込み上げてきていた。
クルトは私にお守りを渡そうとしただけで、恋愛の意味で羽根飾りを交換したかったわけではなかったのだ。
思い返してみれば、グランが奥方と羽根飾りを交換した話をした時も、伝説の説明にはならなかった。それはあの場にいる誰もが、前提条件として伝説を既に知っているだろうという共通認識があったからだ。
「あの……クルトさん」
「ん?」
「……いえ、何でもないです」
かつて羽根飾りを交換した相手のことを聞こうとしたけれど、できなかった。
思ってもみない展開に、私はただただ疲れ果てるばかりだった。
そして羽根飾りを交換する意味について、私から本当のことを言えるはずがない。知られたら私は、恥ずかしさのあまりどうにかなってしまいそうだ。
上機嫌なクルトとは対照的に、私は仮面の下で羞恥心と戦っていた。
こうして初めての謝肉祭の夜は、混乱の内に更けて行ったのだった。
***
謝肉祭の翌日から、ツーリの街は普段通りの生活を取り戻した。
といっても、翌日は多くの店が閉まっていたし、開いていたとしても、二日酔いで開店休業状態のお店も多かったようだ。
だが冒険者ギルドはそうもいかないようで、ゴンザレスはいつものように朝早く出かけて行った。
カレンはというと――。
「気持ちわる……」
朝からぐったりとしていて、かなり早い段階から食堂は休みにすると宣言していた。
私が井戸から汲んできた水を、文字通り浴びるようにして飲んでいる。
二日酔のせいもあるだろうが、ウンディーネという種族は人間よりもたくさんの水が必要なようだ。
「ごめんね。普段なら自分で水を作り出せるんだけど、今はうまくいかなくて」
「大丈夫です。ゆっくり休んでくださいね」
水を運ぶために何度も井戸と往復したので、カレンは恐縮していた。
「それで、昨日はどうだったの?」
水運びがひと段落したので掃除を始めようとしていると、テーブルにうつ伏せになっていたカレンが声をかけてきた。
手を止めて、私は首を傾げる。
「どうって……」
「ちゃんと送ってもらった? 私たちが戻った時にはもう眠ってたから、起こさないでおいたんだけど」
カレンたちの帰宅は随分と遅かったようだ。
普段は仕事もあって一緒にいられないので、久しぶりの二人の時間を満喫したのだろう。
「ちゃんと家まで送ってもらいましたよ」
嘘は言っていない。ちゃんと送ってもらったのも本当だ。送ってもらったのは、窓の前までだったけれど。
「それでどうだった? 羽根飾りは交換したの?」
カレンは気だるそうにしながらも、顔に好奇心を浮かべて問うてきた。
私は昨日の出来事を思い出し、返答に困った。
確かに交換したのだが、あれを交換したと言っていいものなのかと。
返事の代わりに、私は襟からペンダントを取り出した。クルトの言う通り、確かに肌身離さずつけていた。
「へえ! 羽根飾りをペンダントにするなんて、あいつも気が利くようになったじゃない!」
カレンは感心しているようだった。
そう叫んだあと、頭に響いたのか自分のこめかみをおさえている。
「あの、でもクルトさんは羽根飾りを交換する意味を取り違えているらしくって」
「え?」
「交換すると、お互いに健康に過ごせるからだそうです……」
昨日のことを話すのに、私はどんな顔をしていいのか分からなかった。
羽根飾りを貰ったのは純粋に嬉しい。お守りだと言っていたし、私を気遣ってくれて純粋にありがたいと思う。
けれど同時に、私は自分の気持ちを直視しなくてはいけなくなった。
クルトが最初に羽根飾りの交換を申し出た時、私は驚きながらもそれを受けて自分のそれを差し出した。
つまり私は、クルトと恋人同士になりたいと思っていたということだ。
今まで、恩人によこしまな思いを抱くなんてと抑え込んでいた気持ちが、恋であると自覚してしまった。
次に会う時には、一体どんな顔をして会えばいいのだろう。その時には、ずっと仮面を被っていたいとすら思う。
 




