24 聖教会
部屋の空気が重い。
報告にやってきた枢機卿は、その空気の重さに震えていた。
「どうしてこうなるのだ!」
グインデルは、苛立たし気にマホガニーの机に拳を叩きつけた。
固いはずの木材にくっきり拳の痕が残る。それを見ていた枢機卿は、恐怖に息を呑んだ。
グインデルがどうして苛立っているのかと言うと、その原因は現在ミミル聖教会を取り巻く環境にあった。
聖女を擁し多額の寄付で潤っていたミミル聖教会は現在、聖女の不在と新しく聖皇に就任したグインデルの横暴によって、衰退の一途を辿っていた。
まずは聖女サラがいなくなったことによって、単純に治療を求めてやってきた人々に癒しを行うことができなくなった。
ミミル聖教会にとって聖女の行う癒しは外交上大変有利なカードであり、どんな権力者もミミル聖教会に強く出ることができなかった。
病気にも怪我にもならない人間などいないからだ。
ところが、聖女がいなくなったことでそれができなくなった。
最初は偽の聖女を立てお茶を濁していたグインデルだったが、治療を受けても完治しないとなればすぐに怪しまれる。
なので予定通り聖女サラを魔族と通じた魔女として公表したが、これは逆にミミル聖教会自体が魔族と通じているのではないかという疑いをもたれ、事態の悪化を加速させた。
こうして有力な信徒は一人二人と減っていき、当然寄付金も大幅に減った。
贅沢ができなくなった神官や神殿騎士の中には、グインデルの横暴に恐れをなして逃げる者すら出てくる始末だ。
更に、もともとミミル聖教会をよく思っていなかったユーセウス王室が、これを機にミミル聖教会に圧力をかけ始めた。
そもそも現在のユーセウス王は、ミミル聖教会に対して否定的な人物であったことも災いした。
これまでミミル聖教会は、税制面などにおいてかなりの優遇を受けていた。王室に対して無茶を言っても、それが通ってしまう環境があった。
ユーセウス王室は、長年煮え湯を飲まされてきたのだ。
それはミミル聖教の信徒が大陸中におり、ユーセウス王以上に諸外国への影響力を持っていたことが理由だった。
そんな状態が今、崩れ始めている。
二百年の長きに渡り、聖女を保護することで栄華を誇ってきたミミル聖教会である。
勿論ゴシップですぐさまどうにかなるなどということはないが、グインデルは思うままにいかない状況に日々いら立ちを募らせていた。
「こうなれば、もっとだ。もっと力が必要だ」
グインデルはそう言うと、身をすくめていた枢機卿に命じた。
「魔族にもっと生贄を献上しろ! 力を得てあの生意気な国王を滅ぼしてくれる」
あまりにも過激なグインデルの言葉に、今まで諾々と従ってきた枢機卿もさすがに頷くことはできず、悲鳴じみた声を上げた。
「で、ですが! 秘密裏に奴隷を買い入れるのは既に限界です。王家も怪しんでいるようで、国家間の荷物の輸送も見張られています!」
現在ユーセウス聖教国では、奴隷の売買が禁止されている。
グインデルが黒門を通して送っていたのは、奴隷の売買が禁止されていない異国からの輸入品だった。今までは荷物の移送に関しても多大なお目こぼしをされていたミミル聖教会だったが、反聖教会の国王によって税関に新たな責任者が配置されたのだ。それによって奴隷を買い入れることも簡単ではなくなってしまった。
グインデルは歯噛みする。なにもかもうまくいかない現状が気に入らないのだ。
「黙れ! 奴隷が手に入らないのならその辺の孤児でもなんでもつれてこい! うちが管理している孤児院から連れてくればいい」
「そ、そんな!」
動揺する枢機卿に、グインデルは言葉を重ねた。
「口答えなぞできる立場か? 別にお前の家族をあちらに送ってもいいのだが?」
教義で姦淫を禁じているとはいえ、それを破っている神官は少なくなかった。
この枢機卿もそのうちの一人であり、妻が二人と子が三人、王都に住まわせ贅沢な暮らしをさせていた。
枢機卿はごくりと喉を鳴らす。
共に悪事を働いているからこそ、グインデルが一度決めたら本当にやると、彼は知っていた。
「……分かりました」
そう言って、枢機卿は逃げるように部屋を出て行った。
あとに残されたのはグインデルただ一人。
グインデルは部屋の明かりを消した。最近では暗くてもよく見えるので、そもそも明かりが必要ないのだ。
むしろ、日の光を見ると苦痛に感じる。彼は暗闇を好むようになっていた。
「あの娘に黒門のことを知られてから、何もかもがうまくいかん!」
グインデルは机にのっていた書類や文鎮を払い落とし、何度も机を叩いた。机は悲鳴を上げ、ついには亀裂が入ってしまった。
かつて冷静に悪事を行うことのできたグインデルだが、魔族との取引により不相応な魔力を手に入れたことで、人格そのものが変わってしまっていた。
苛立ちを覚えることが多くなり、感情の歯止めが効かなくなった。枯れ木のようだった体は筋骨隆々となり、今では神殿騎士すら簡単に吹き飛ばしてしまう。
一方で精力も盛んになり、絶えず女を求めるようになった。
最初の頃は高級娼婦を呼んでいたのだが、暴力をふるってなぶり殺しにしてしまったのも一度や二度ではない。
挙句の果てには、もう派遣できる娼婦はいないと言われてしまった。
グインデルが今の自分を客観視することができれば、己こそが化け物のようだと感じたことだろう。
だが、今の彼からはそんな冷静さすら失われていた。
暗闇でその目が爛々と輝き、凶暴な色を宿している。
「見ていろよサラ。儂の野望は誰にも邪魔させん!」
彼は自ら放逐した聖女の名を叫び、獣のように吠えた。
びりびりと閉ざされた扉が震え、警備をしていた神殿騎士たちは震え上がったのだった。




