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22 魔公爵



 グラン・ド・ヴィユといえば、以前蝙蝠に化けて私の部屋にやってきた老人の名前だ。クルトに『じい』と呼ばれていた老人である。

 魔公爵という地位がどれほど偉いのかは分からないが、少年の態度を見るにかなりの地位なのだろう。

そしてその人が従うような態度を取っていたのだから、やはり本当にクルトは銀狼国の王なのだ。

 疑っていたわけではないが、なんだか改めて身分の差を思い知らされたような気がした。

 さて、老人の身元が分かったのはいいが、クルトもカレンもグラン・ド・ヴィユの名前に苦虫を噛み潰したような顔をしている。

 考えていた反応と違うのか、少年は不思議そうな顔をしていた。


「はあ。とにかく店を片付けなくちゃ。サラ、休みの札出してきて。今日は営業にならないよ」


 お店の中は見るも無残な有様だ。


「申し訳ありません。私がこの少年を連れてきたせいで……」


 カレンに謝ると、彼女は困ったように笑って言った。


「サラが連れてきたわけじゃなくて、勝手についてきたんでしょ。あんたのせいだなんて思ってないよ」


 サラは気丈に言ってくれるが、私が原因であることには変わりない。

 言われた通り本日休業の札を出したものの、果たして明日から営業できるのかも分からない状態だ。

 私の表情がすぐれないことに気づいたのだろう。カレンが声をかけてくれた。


「それより、あの子を助けてくれてありがとうね。死んじまってたら、流石に後味が悪いもの。それにしても、あんな治療法があるんだね」


 私は自分が聖女だとばれるんじゃないかと、ひやひやしていた。

 だがカレンは訝しむ様子もなく、人工呼吸だけで回復したと信じているようだ。

 だましているようで申し訳ないが、私はその勘違いに便乗することにした。


「ええと、なんだか咄嗟にそうしなければいけないと思って……多分記憶をなくす前に人命救助とかかわりのある仕事をしていたのかもしれません」


 我ながら厳しいかなと思ったが、カレンは感心した様子で相槌を打っている。

 一方クルトは先ほどよりもなおさら不機嫌になり、舌打ちをするとパチンと指を鳴らした。

 すると少年はまるで後ろ手を縛られたように動かなくなった。おそらくクルトの魔法によって戒められているのだろう。


「おい! 聞こえなかったのか? 俺はグラン・ド・ヴィユの……!?」


 言葉の途中で、今度は口を開くことすらできなくなってしまった。

 またしてもクルトが何かしたのは間違いないだろう。

 止めようかとも思ったが、命の危険はなさそうなので黙っておくことにした。

 これ以上クルトを刺激したくなかったというのもある。今まで見てきた中で、こんなに怒りをあらわにしているクルトを見るのは初めてかもしれない。

 私は片づけをしているカレンを手伝い、まずは散らばってしまった食器類をまとめた。ダメになってしまったものとまだ使えそうなものを分けていく。家具と違って吹き飛ばされてしまったものが多く、二度と使えなそうな物も多い。

 無心で手を動かしていると、クルトが来て私の作業を手伝ってくれた。

 少年はどうしているのだろうとそちらに目をやれば、騒ぎつかれたのかふてくされたように壁際に座り込んでいる。


「連絡はついたの?」


「ああ。すぐに来るそうだ」


 主語のない会話だが、カレンとクルトはそれだけで通じ合ったようだ。


「それにしても、アタシも焼きが回ったかねぇ。現役の頃は最初の一発で確実に仕留めたもんだが」


 店内を点検しつつ、カレンはわざと少年に聞かせるように大声で言った。

 クルトもそれが分かっているのか、意地の悪い笑みを浮かべて追従する。


「全くだな。あんな子供一人に手こずるなんて、らしくない」


「大体、水中で呼吸もできないのにウンディーネに喧嘩売るなんて自殺行為じゃない? グランの孫がどれだけ偉いか知らないけど、喧嘩を売る相手は選ばないと早死にするわよ」


 少年が溺れていたのはそれほど長い時間ではなかったが、おそらく彼は余り水が得意ではない種族なのだろう。

 カレンの様子に祖父の名前が通じないと悟ったのか、少年は顔を青くしていた。

 少し可哀相かなと思いつつ、店内の有様を考えるとこれくらいの八つ当たりは仕方ないのかもしれない。

 それにしても、片付けの間カレンもクルトも癒しの力については何も言ってこなかった。

 人工呼吸だけで少年が助かったと思ってくれているのなら、好都合だ。彼らを騙しているようで心苦しいが、聖女をしていたことを隠しておきたい身としてはその方がありがたい。

 だが、そのことに触れてこないのはいいとして、クルトの不機嫌は未だに継続中である。そういえば、いつの間にか尻尾も耳も消えている。

 それに今更かもしれないが、どうして彼が突然現れたのかも気になる。


「またこんなところにいらっしゃったのですね。それにしても何ですか。突然お呼び出しになるとは」


 休業の札をかけていたはずの扉が開かれ、見覚えのある老人が店内に入ってきた。

 先ほどのクルトとカレンの会話はこれだったのか。

 そこには気難しい顔のグランが立っている。

 そこに、カレンはずかずかと近づいていって言った。


「こんなところじゃないわよ! 誰のせいだと思ってんの!?」


 落ち着いたように見えたカレンだが、グランの言葉に怒りが再燃したらしい。確かに今の状況を考えれば、それも仕方のないことだと思う。


「いきなりなんだ。それにしても、いくら場末と言ってもこの店の有様はあんまりではないか?」


 グランの皮肉を聞いて、私まで怒りを覚えた。


「黙れグラン」


 クルトは以前のように、彼を『じい』とは呼ばなかった。

 それに驚いたのか、グランは赤い目を瞬かせる。


「こいつを見ても同じことがいえるか?」


 そう言って、クルトは自分の体の陰になってグランからは見えなかったであろう少年を前に押し出した。

 グランはモノクルを動かして目を凝らす動作をした後、驚いたように叫んだ。


「セシル! どうしてここに!?」


 グランはぴかぴかに磨かれた黒い革靴を踏み鳴らし、足早にセシルと呼ばれた少年の前までやってきた。


「こいつの能力を考えれば、なんでこの店がこんな有様なのかぐらい分かるだろう?」


 クルトの言葉に、グランは顔を険しくする。


「セシル。お前の力は未知数だ。所かまわず使ってはいけないと言っただろう。それに、ここにいることをお前の親は知っているのか? 一人でいるところを見ると――まさかまた抜け出したんじゃないだろうな?」


 老人の怒りを感じさせる低い声音に、ようやく落ち着いてきていたセシルが肩を震わせた。

 返事をしようとして喋れないことに気づいたのか、セシルと呼ばれた少年は涙を浮かべてこちらを見上げてきた。

 私が何とかしてあげられるわけではないのだが。


「クルトさん。口が……」


 一応掛け合ってみると、クルトはしぶしぶといった様子でセシルに手をかざした。

 すると戒められていた口と手が解放されたらしく、セシルは驚いた顔で掌をぐーぱーさせている。

 それが済むとよろめきながら立ち上がり、自らの祖父の前に立った。


「お、お祖父様これには訳が……」


「私に恥をかかせおって。お前は自分が何をしたか分かっているのか!」


 言い訳をする暇もなく、グランが怒鳴りつける。それが恐ろしかったのか、セシルは目をつぶり身構えていた。

 その様子があまりにもかわいそうで、私はつい口を挟んでしまった。


「待ってください。その子は万全な状態じゃないんです。まずは落ち着いて話を聞いてください」


 先ほど溺れかけたばかりだ。

 一応癒しの力を使ったので大丈夫だとは思うが、話も聞かず怒鳴りつけるのは違うと思った。

 すると、赤く光る老人の目がこちらに向いた。


「ほう? 人間風情が私に説教をするつもりか。王の寵愛があるからと調子に乗りおって――っ」


 グランは最後まで、自分の言葉を口にすることができなかった。

 いつの間に移動したのか、クルトがグランの襟首をつかんで持ち上げていたからだ。クルトは長身なので、そうするとグランの体は完全に宙に浮いてしまう。


「魔公爵たる者が、聞く耳すら持たず相手を侮辱するとは。耄碌したかグラン」


 返事をしようにもできないのか、グランは呻くばかりだ。だが、その目は赤く輝きクルトと睨み合っている。

 その場には緊迫した空気が流れ、動こうにも体が重くなったような気さえした。

 そして、私よりも先に行動したのはセシルだった。


「やめて! お祖父様をいじめないで! 僕が悪かったんだ。謝る、謝るから!」


 クルトの足にしがみついて、セシルが泣きわめく。

 私はクルトを止めに入ろうとしたが、カレンに止められた。なぜか彼女の顔には玉の汗が浮かんでいた。


「どうして普通にしていられるんだい。いいかい? あの二人が本気でやりやったら、巻き込まれてこの辺りなんぞ跡形もなく消し飛んじまう。正義感はいいが、まずは自分の身を守ることを第一に考えな」


 耳打ちされた言葉に、はっとする。

 クルトはいつも優しいから、私は油断していたのかもしれない。

 人に似た姿をしていても、この街の人々は皆人外の力を持っている。

 私から見れば十分強そうなフレデリカすら、自分たちパーピーは弱いと言っていたのだ。

 セシルの突風も、カレンの水の力も、私に向けて使われたら簡単に死んでしまうだろう。

 そう言う意味で、私はとても無防備に過ごしてきたのだと痛感した。


「でも……」


 けれど、だからといって目の前の出来事を黙って見ているのは、辛い。

 前にグランと会った時、クルトは憎まれ口こそ叩いていたけれど、二人はとても仲がよさそうに思えた。

 その二人がこの出来事のせいで仲違いしたらと思うと、黙っていることができなくなってしまったのだ。


「クルトさん!」


 私はクルトの名を呼んだ。


「私は……私はこの事件の当事者です。当事者をのけ者にして、話を進めないでください!」


 言葉尻は、震えていたかもしれない。

 とにかくこの状況を止めなければと、私は必死だった。

 クルトは私の方をちらりと見て、掴んでいたグランの襟首を離した。

 グランの体が地面に落ち、彼は尻もちを付く。セシルはすぐさま駆け寄っていって、グランに泣きついた。


「お祖父様ごめんなさい! もう二度と勝手なことはしませんっ」


 わんわん泣きながら、何度も老人に謝罪する。

 グランも頭が冷えたのか、ゆっくり立ち上がると優しくセシルの頭を撫でた。

 どうやら、更なる悲劇は回避できたようだ。私はほっと安堵し、思わずその場に座り込んでしまった。



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