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02 グインデル



 聖女としての生活は、思いのほか忙しい。

 まずは夜明け前に起きて、沐浴をする。薄衣で冷たい水に入り、身を清めるのだ。

 神殿にやってきたばかりの頃は、どうしてこんなことをしなければいけないのかと訳がわからず泣いた。

 まだ十一歳の私。幼かったのだ。

 今は、歯を噛み締めて我慢するすべを知っている。

 冬は心身が凍えそうなほどに冷たいけれど、七年も繰り返していると流石に慣れる。

 側仕えの差し出す厚手の布で水気を拭き取り、それから一時間ほど祈りの時間だ。

 子供の頃は知らなかったのだが、私が暮らしている国はユーセウス聖教国と言い、ミミル聖教と呼ばれる宗教が国教として尊ばれていた。

 ミミル聖教は近隣諸国でも信仰されていて、その宗主たる聖皇は一国の国王よりも強い権力を持つのだそうだ。

あの日私を迎えに来た軍隊のように思われた一軍は、ミミル聖教を護る神殿騎士によって構成されたものだった。なので厳密には軍隊ではないのだそうだ。

 そうして私は、ミミル聖教の聖女となった。

 祈りはミミル聖教の辿ってきた歴史をたどるものである。

 その起源は、およそ二百年前にまで遡る。まだこの国がユーセウス王国と呼ばれていた頃、突如として聖女が現れたのだそうだ。

 聖女は私と同じように黒い目に黒髪姿で、異界からやってきたと証言したという。

 彼女は私と同じように、人の怪我や病を癒す力を持っていた。それだけではなく、穢れを浄化し魔族を退けることができた。

 魔族というのは、人を食べたり言葉巧みにだましたりする卑しい種族を言うらしい。私は見たことがないのだが、遠く海を隔てた大陸に暮しているらしい。

 二百年前の昔、その魔族が海を越えて人間の国に攻めこんできたのだ。そしてそれを救ったのが異界から現れた聖女だった。

 聖女はこの国で生き、そして死んだ。

 前回の聖女と同じ力を持つ私を、ミミル聖教会は新たな聖女だと判断したのだという。

 私は異界などではなくこの国出身だけれど、そんなことは些事なのだそうだ。


「精が出るな」


 ふと、祈りの間に私のものではない足音が響いた。

 祈りの間は大理石でできているので、音を立てるとよく響く。

 かけられた声はよく知った人物のそれだったので、私は驚いたりはしなかった。

 ちょうど祈りが終わりかけていたので、私は最後の聖句を口にして顔を上げた。

 そこに立っているのは、赤い枢機卿の法衣に身を包んだグインデルだった。

 出会った時は一司祭であったグインデルも、この七年の間に枢機卿になるまでに出世していた。ちなみに枢機卿というのは、司祭の中から特別に選ばれた十人を言う。

 この十人のうちの一人が、次代の聖皇となるのだ。


「グインデル様……」


 私が呼びかけると、グインデルは日に焼けた気難しい顔を少しだけ緩めた。

 彼が日に焼けているのは、他の枢機卿たちと違い頻繁に遠方に赴き講話や祝福を行っているからだと聞いた。


「いい心がけだ。サラのおかげで信徒たちは恙なく心穏やかに暮らせよう」


 グインデルは唯一、私のことをサラと昔の名前で呼ぶ。

 その響きを聞くたびに、私は聖女という生き物ではなくただのサラなのだということを思い出す。

 私は立ち上がると、目の前のグインデルを見つめた。


「聖皇ご即位が決まったと聞きました。お祝い申し上げます」


 先日、聖皇が崩御した。すぐに十人の枢機卿による合議が行われ、昨日次期聖皇はグインデルに決定したという報せが入った。

 なので私は、グインデルに会ったらすぐにお祝いを言おうと決めていたのだ。

 するとグインデルは、驚いたのか小さな目を瞬かせた。


「なんだ、知っていたのか。身に余る光栄だが、これで我が宿願も果たされよう」


 グインデルの宿願というのは、排他的なミミル聖教の門戸を開き、もっと多くの人にミミル聖教の教えを授けたいというものだった。

 詳しいことは分からなかったが、グインデルが精力的に取り組んでいる様子を見れば、なにか大切な仕事をしているということは分かる。

 外に出ることができない私はその手伝いをすることはできないけれど、彼の望みが叶うのは純粋にいいことだと思っていた。

 この神殿にやってくる信徒たちは、ミミル聖教のおかげでどれだけ自分たちが幸せになったかということを嬉しそうに語ってくれる。

 誰かの役に立てるのは素晴らしいことだ。

 祈りと献身によって彩られた日々は味気なくどこか虚しいけれど、癒しの力を使い人に感謝されると充足感を感じることができた。


「日頃の行いは、必ず自分に返ってくるんだよ。だから労を惜しまず誰かのために働いていれば、周りの人もサラのことを助けてくれるからね」


 こうして人のために働くことこそが、きっと母の望んでいた生き方なのだ。それに村にいた頃よりももっとたくさんのことを癒すことができるようになり、私は満足していた。村を出るという決断をした自分が、間違っていなかったのだと思うことができたからだ。

 たくさんの人を癒し、私はたくさんの人に感謝された。

 一方で、ミミル聖教の後ろ暗い部分を知ることもあった。司祭や枢機卿の中には信徒から多額のお布施を要求する人もいて、グインデルはいつもそんな人たちに対して腹を立てていた。

 だから彼が聖皇になれば、ミミル聖教はもっと良くなる。私はそう信じて疑わなかった。

 それから半年後、グインデルの即位式が盛大に行われた。

 普段礼拝が行われる礼拝堂にはたくさんの人が詰めかけ、窓の外をパタパタと空を白輝鳩が飛ぶ。

 野生のそれではなく、神殿内で飼われている特別な白輝鳩だ。ミミル聖教において白輝鳩は神の言葉を伝える聖獣だとされている。

 今日は特別な日なので、白輝鳩が空に放たれているのだ。逃げてしまわないのか不思議になってお付の人に聞いたら、躾てあるので大丈夫だという返事が返ってきた。

 ちなみに普段、私は決して白輝鳩に近づかないように言われている。白輝鳩を見たのも、聖女としてのお披露目の日以来二回目だ。

 理由はなぜだか分からない。でも神殿には他にもたくさんの決まりがあるので、この決まりを私が不思議に思うようなことはなかった。

 礼拝堂に歓声が上がる。私は意識を引き戻された。グインデルを見る人々の顔は、喜びで彩られていた。これも今までの彼の活動のおかげだろう。

 壇上に立ち人々の祝福を一身に集めるグインデルは、日に焼け深い皺の刻まれた顔を今日ばかりはうっすらとほほ笑ませていた。

 式は佳境に差し掛かり、重厚なパイプオルガンの曲が流れる。

 私は聖皇の証である黄金のミトラを手に、跪くグインデルに近づいた。聖女がモチーフとなったステンドグラスから光が差し、グインデルの豪奢な法衣を赤く染める。

 私は髪の薄くなったグインデルの頭にミトラを授けた。

 彼はゆっくりと立ち上がり、聖皇であることを示す聖杖を手に両手を大きく掲げる。

 歓声が大きくなり、礼拝堂に拍手の音で満ち溢れた。

 私も詰めかけた人々と同じように、グインデルに惜しみない拍手を送った。



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