17 おつかい
その日から、ゴンザレスも一緒に暮すことになった。
さすが冒険者ギルドに勤めているだけあって、客としてやってくる冒険者の中にも、ゴンザレスを知っている者は多かった。
中にはカレンにちょっかいを出そうとして、ゴンザレスに叩き出された人もいた。
常連客には見慣れた光景らしく、私がはらはらしている横でフレデリカは愉快そうに笑っていた。
しばらくは、穏やかな日が続いた。
ある日、カレンに頼まれて市場でお使いをしていると、噴水のある公園広場に人々が集まって、木で骨組みのようなものを作っているのを見かけた。
一体何をしているのだろうと不思議に思っていると。
「あれは謝肉祭の準備だよ」
「謝肉祭?」
教えてくれたのは、私が買い物をしていた屋台の店主だった。種族はオークで、豚のような鼻の上にちょこんと丸眼鏡を乗せている。
「ツーリの謝肉祭は初めてかい? ほら、あそこに仮面の屋台が出ているだろう? 当日は皆あれで仮装して、お祭りを楽しむんだ」
確かに店主が指さした先には、大きさも色彩も様々な沢山の仮面が並べられた屋台があった。
若い女性たちが、どの仮面にしようかと楽しそうに選んでいるのが見える。
そう言われてみれば、街のあちこちに飾り付けが始まり、ここ数日で街が一斉に華やいだような気がする。
あまり出歩かないので気づかなかったが、知った途端に胸が浮足立った。
ユーセウスにもお祭りはあったけれど、大抵私は神殿に篭って儀式をしていたので、街で何が行われているのか見ることもなかった。
だが、もう私の行動を制限する人は誰もいない。
義務だった儀式もない。
だからもしかしたら、私もお祭りに参加できるかもしれない!
準備している人たちの楽しそうな顔を見ているだけで、こちらまでどんなことをするんだろうとわくわくした気持ちになる。
私は店主に礼を言うと、荷物を抱えて一目散で帰宅した。
「カレンさん! 謝肉祭について教えてください」
ちょうど店先にカレンがいたので、店の中まで我慢できず私は尋ねた。
突然そんなことを言われるとは思ってもみなかったのか、カレンは目を丸くしている。
「おかえりなさい。ええと……謝肉祭? ああ、もうそろそろだわね!」
どうやらカレンは、謝肉祭が近いことに気づいていなかったようだ。
もっとも、つい先日まで夫が任務で危険な場所に赴いていたのだから、それどころではなかったのかもしれないけれど。
カレンはどんな時でも冷静で頼りになるけれど、ゴンザレスが帰ってきてからは目に見えて笑顔が増えたし、おどけたりすることも増えた。
やっぱりゴンザレスの留守中は家を守ろうと、気を張っている部分があったのだと思う。
そんな時でも、私のことを気遣ってくれたカレンのことを、私は尊敬している。
「サラは初めてだものね。説明するわ。店の前じゃなんだから、入って入って」
カレンは夜の仕込みを、私はその手伝いをしながら、謝肉祭の説明を受けた。
「いい? 謝肉祭は乙女にとってとっても重要なイベントなの!」
包丁を握ったカレンが、楽し気に言う。
「仮面の屋台はもう見た?」
カレンの問いに、私はこくりと頷いた。
「謝肉祭で一番盛り上がるのは、なんといっても最終日の夜よ」
「夜?」
「そう! 公園広場で一晩中音楽が奏でられて、仮面をつけて種族も身分も飛び越えてみんなで踊り明かすの。それでね、好きな相手がいたら、その人と踊っている時に仮面についた羽飾りを外して渡すの。羽飾りを交換した二人は、永遠に結ばれるって伝説があるのよ」
そんな伝説があるのか。
伝説とは聖女について語るお話がすべてだと思っていた。少なくても聖教国ではそうだった。
けれどそうではないのだ。この土地にはこの土地の、地域に根付いた伝説があるのだと改めて気が付く。
「思い出すわ〜私に羽飾りを渡す時のゴンザレスの顔! 真っ赤になっちゃって、とっても素敵だった」
当時のことを思い出しているのか、カレンはうっとりしながら言った。
彼女の話は、私の想像を超えていた。
そもそも、恋というものがよく分からない。神殿ではそんなこと教えてもらわなかった。男女の関わりは汚れたものだと教えられていた。
でもカレンとゴンザレスを見ていると、恋はとても素敵なもののように思える。二人が互いに慈しみあっているところを見ると、私まで胸がぽかぽかと暖かくなる。
いつか私にも、そんな相手ができるのだろうか。
想像もつかないでいると。
「サラもクルトと踊れるといいわね」
カレンの何気ない言葉に、私は頭が真っ白になった。
「な! 私とクルトはそんな……っ。それに彼は、王様じゃないですか!」
「そう? 私はサラとクルトならお似合いだと思うけれど」
サラの何気ない言葉に、どうしようもなく顔が熱くなってしまう。けれど、私はぎゅっと自分の手を握りしめた。
助けてもらっただけで十分お世話になっているのに、そんなことを望むなんておこがましい。クルトはこの国の王様だ。王様は相応の身分の女性と結婚するものだ。少なくとも人間の国ではそうだった。
それでなくても、私なんて相手にされるはずがない。
それに私には、好きという気持ちがわからない。私もいつかは、カレンのように夢中になる相手を見つけることができるのだろうか。
聖女をしていた頃は戒律があったので、そんなこと考えたこともなかった。
だが私はもう自由だ。お祭りに参加するだけでなく、恋だってできる。なんだってできる。
カレンとゴンザレスの幸せそうな顔を見ると、恋というのはきっと素敵なものなのだろうと思う。
今はきっと、ゆっくりと外の世界に適応していく期間なのだろう。
「どうしたの?」
黙り込んだ私を心配するように、カレンが顔を覗き込んできた。
心配を掛けてはいけないと、慌てて手を振って話題を変えた。
「き、気にしないでください。あの、私にも踊れるでしょうか?」
踊りというものがどんなものかは知っている。
一度、城の舞踏会で踊る人たちを見たことがあるのだ。だが、とても自分にできるとは思えなかった。
カレンは私を安心させるように言った。
「大丈夫大丈夫。そんな大層なものじゃなくていいの。音楽に合わせて体を揺らして、楽しめばいいのよ」
どうやら、きっちりとした振り付けなどはないようだ。
そして踊り以外にも、屋台がたくさん出て遠くから行商人もくるらしい。大道芸人なんかも来るそうだ。
謝肉祭とはどんなものなのだろう。話を聞くほどに待ち遠しくなった。
「そう言えば話してなかったけど、うちは謝肉祭に毎年屋台を出してるの。サラにも手伝ってもらうからよろしくね。心配しなくても、ちゃんと最終日の夜には店を閉めて遊びに行けるようにしてあげるから安心して」
「はい! ありがとうございます」
当日の予定を告げられ、私は気合を入れた。
最近ようやく、接客の仕事も任されつつある。
まだまだうまくいかないことも多いけれど、できる仕事が増えるのは純粋に嬉しい。聖女じゃなくても人を喜ばせることができるのだと、ここにきて私は初めて知ったのだ。