16 クルトの過去
「そうだ、ちょっと待ってて」
そう言うと、カレンはそそくさと部屋を出て行った。どうしたのだろうと不思議に思っていると、間もなく彼女は一枚の紙を持って部屋に帰ってきた。
「これね。アタシたちがパーティを組んでいた時のものだよ。魔法で紙に光景をそのまま焼き付けるんだって」
見せられたのは、茶色で描かれた一枚の精密な絵だった。
いや、これを絵と呼んでいいのだろうか。魔法で焼き付けたと言うが、まるで実物を平らにしたかのようにリアルだ。
そこに映っていたのは、四人の男達だった。肩を組んだ筋骨隆々な男が二人と、頭に布を巻いた背の低い男性が一人。真ん中には、使い古した鎧に剣を差したクルトの姿があった。全員が笑顔を浮かべている。
若かりしクルトに、私の目は釘付けになった。顔はあまり変わらないが、髪は今と違って長いようだ。
そこでふと、おかしなことに気が付いた。
この絵の中には、カレンの姿がない。不思議に思って顔を上げると、懐かしそうにしているカレンと目が合った。
「あの、カレンさんは映ってないですか?」
一緒に冒険した仲間なのに、彼女だけが映っていないというのは妙だ。
そう思って尋ねると、カレンも不思議そうな顔になった。
「えー? 映ってるじゃない。ここよ」
そう言ってカレンが指さしたのは、筋骨隆々の内の一人だった。
私の視線が何度も、絵とカレンの間で行き来する。カレンが示した人物は横幅が現在のカレンの三人分くらいあり、色も茶色一色なのでどう考えても同一人物のようには見えない。
思わずランプに近づけてまじまじ見てみると、確かに髪からはみ出している耳はウンディーネ特有のヒレのような形をしていた。むしろ、共通点はそれしかないように思える。
「冒険者を引退したらそんなにご飯も食べなくなって、ちょっと痩せちゃったのよね。今は、自分で食べるより人に食べさせる方が楽しいし」
楽し気に言うカレンに、私は思わず乾いた笑いを浮かべてしまった。
だが、この絵の衝撃はそれだけではなかった。
「それでね、これがアタシの旦那さん」
そう言ってカレンが指さしたのは、絵の中のカレン?の隣に映る巨漢だった。絵の中の二人はよく似ていて、髪型と言い服装といい違いは耳ぐらいしかない。
「え? でもあの、カレンさんはクルトさんと……」
そこまで言って、慌てて口を閉じた。
聞くつもりではなかったのに、あまりの衝撃につい口をついてしまったのだ。
「やだやめてよぉ。あんな不愛想な男願い下げ。私には最高のダーリンがいるしね。今は仕事でツーリを離れてるんだけど、もうすぐ帰ってくるの」
そう言うと、カレンは絵に顔を近づけて口づけをしていた。
どうやら夫婦仲はかなりいいらしい。
それにしても、クルトが不愛想というのはどういうことだろう。どちらかというと、表情豊かなだと思うのだが。
最初に出会った時も焦った顔をしていたし、私が目を覚ました時はとても嬉しそうだった。
見ず知らずの自分が助かったことをこんなにも喜んでくれるなんてと、私は驚いたくらいなのだ。この間助けてくれた時も、私を連れ去ろうとした男に対して烈火のごとく怒っていた。グランにも厳しい表情をしていたし、やはり不愛想とは違う気がする。
私はと言えば、色々なことを一度に知った衝撃で軽い疲労感すら覚えていた。
二ヶ月も一緒にいるというのに、次々飛び出してくるカレンの新情報に翻弄されていた。更に夫を愛するカレンの様子を見て、クルトとの仲を誤解していたことを非常に申し訳なく思った。
けれど驚いたからなんなのか、悪夢を見た恐怖も気づけばすっかり吹き飛んでいた。
むしろ、つまらないことを悩んでいた自分が馬鹿らしいとすら思えた。
所詮夢は夢だ。現実の私を冒すことなどできない。
そして同時に、クルトとカレンが親密な仲ではないと知って、少しだけ安堵している自分がいた。その理由がなんでなのかは、自分でもよく分からなかったけれど。
懐かしそうに絵を見つめているカレンに、私は思わず尋ねた。
「この方も、王都にいらっしゃるんですか?」
私が指さしたのは、絵に描かれた残りのもう一人だった。
頭に布を巻いた、小柄な男性だ。他の三人がいかにも冒険者らしい冒険者なので、比較すると子供のようにも見える。
だが、私の問いにカレンは曖昧な笑みを浮かべた。
「ああ。その子はね、今は遠いところにいるよ」
その顔があまりに寂しげだったので、私は自分が聞いてはいけないことを聞いてしまったのだと悟った。
私は黙ってその絵を見つめた。初めて見る絵なのに、なぜか懐かしさを感じて目が離せなかった。
それからカレンの惚気話をたっぷりと聞かされ、明け方前に少しだけ眠った。
私の心はなんだか温かいもので満たされて、短い眠りを悪夢に邪魔されることもなかった。
***
「ダーリン!」
「ハニー!」
お互いに駆け寄り、抱きしめ合う二人。
まるで舞台のワンシーンだ。
カレンの惚気をたっぷり聞かされてから数日後。
その言葉通り、彼女の夫であるゴンザレスが帰宅した。
彼は現役の冒険者を引退し、今では冒険者ギルドで教官をしているらしい。だが時折彼指名の依頼があるので、今回家を空けていたのもその長期依頼が理由とのことだった。
「お、誰だ?」
ゴンザレスがこちらに気がついた。
身長はカレンと同じくらいなのだが、体全体が大きいので威圧感がある。
だが立居振る舞いを見るに、紳士的な人のようだ。
握手を求められ、私も彼の大きな手を握り返した。
「初めまして、サラと言います」
「クルトの頼みで、うちで預かってるの。働き者でとても助かってるのよ」
迷惑をかけてばかりだと思っていたので、カレンに褒められるとくすぐったい気持ちになった。
「お役に立てているなら嬉しいです」
それを聞いたゴンザレスが、カレンを下ろしてこちらに近づいてきた。
「そうかそうか。小さいのに頑張って偉いな」
そう言って、大きな手でガシガシと頭を撫でられる。
褒められているのは分かるのだが、力が強くて首がもげるかと思った。
「ちょっとゴンザレス。サラの頭が取れちゃうでしょ」
カレンがすぐに間に入る。私はその場でフラフラになった。
「す、すまねぇ。俺の周りにこんなか弱い娘っこはいないからよ。とにかく、だ。俺がいない間カレンを助けてくれてありがとな。これからもよろしく頼むよ」
よかった。
絵の印象で恐い人だったらどうしようと危惧していたのだが、彼は優しい人のようだ。
それにしても、彼の周りは女性でも頑丈な人が多いようだ。
それとも彼の言う通り、私が特別に貧弱なのだろうか。
そんなふうに考えたことはなかったが、銀狼国では自分が非力だと感じることも多くある。もともと人間は彼らから見ると非力な種族だそうなので、種族差もあるのかもしれない。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
ゴンザレスとの顔合わせが無事に済んで、私はほっとしていた。
もし気に入ってもらえなかったら追い出されるのではないかと、少しだけ危惧していたのだ。カレンはそんな人ではないと分かってはいるけど、ゴンザレスの人となりまでは分からなかったから。
ここを追い出されては、カレンやクルトに恩返しをするという野望を果たせなくなってしまう。
「それで、依頼のあったアルゴル領の様子はどうだったんだい?」
「アルゴル領?」
カレンの言葉を不思議に思って私が聞き返すと、カレンがゴンザレスの受けていた依頼について説明してくれた。
「ああ。ゴンザレスが受けた依頼は、グール族の住むアルゴル領を見に行くことだったんだ」
グールという名前は、私も知識として知っていた。
人肉を食らう、二百年前に人々を苦しめた悪魔として。
かつて聖女は、ユーセウスにやってきたグールを退けたという。私がグールを知っているのは、かつての聖女の行いを記した本に、その記述があったからだ。
でもまさか実在しているなんて、思いもしなかった。私の中でグールは、おとぎ話の中の存在だった。
だが記憶喪失ということになっているので、その話はしない方がいいだろう。
「グール……ですか?」
「ああ。知らないのも無理はない。あいつらはアルゴル領から出ちゃならない決まりだからな」
ゴンザレスによると、グールは銀狼国内でも危険視されており、ここから馬で二十日ほど行ったところにあるアルゴル領から出てはいけない取り決めなのだそうだ。
アルゴル領の管理はグールが行っており、むしろ他の種族はほとんどいないという。銀狼国内にある別の小さな国のような扱いなのだそうだ。
「そんなところに行って、危なかったんじゃ」
私が見る限り、ゴンザレスは体こそ大きいものの人間と同じ特徴を持っているように思う。
いくら元冒険者とはいえ、そんな危険な場所に行ってきたのかと想像しただけで背筋が寒くなった。
するとゴンザレスは、私の心配を笑い飛ばした。
「ダハハ、ありがとよ。だが大丈夫。俺は人間じゃなくて巨人族だからな。この見てくれじゃ間違っても仕方ないが」
「巨人族?」
「そうよ。ゴンザレスは数少ない巨人族の生き残りなの。すごくかっこいいでしょ?」
カレンの問いに、私は曖昧に頷いた。
巨人族というものがどういうものか分からなかったせいだ。
「まあ、なんだ。巨人族は北の方の山奥でひっそり暮らしてるんだが、俺は若い頃にそこを飛び出して冒険者になったんだ。なんせ人間くらいの大きさしかないもんで、なんでもでかい巨人族の里で暮らすには不便でよぉ」
どうやらゴンザレスは、巨人族の中では異質な存在だったらしい。その名前から想像するに、巨人族はやはり体の大きな種族なのだろう。
笑いながら言っているが、周囲の人間と違うというのは辛いことではないのだろうか。
故郷を去らなければいけなかったゴンザレスの境遇を、私はなんとなく自分と重ねてしまった。
考えていることが顔に出ていたのか、ゴンザレスが今度は優しくぽんぽんと頭を叩いた。力を加減してくれているのだろう。今度は頭が取れてしまうかもしれないと危惧することはなかった。
「心配してくれてありがとうよ。だがそのおかげでカレンと出会えた。こんな風にうまれてきたことを感謝してるさ」
そう言い切ることのできる強さが、私にはまぶしく思えた。
「やだ、ダーリンったら」
カレンが照れたようにゴンザレスに寄り添う。
「それより、結果はどうだったの? グールは大人しくしてた?」
「ああ、それなんだが……」
答えを言いかけて、ゴンザレスは何かに気づいたように私を見た。
「いや。個人的な依頼とはいえ守秘義務があるからな。内緒にさせてくれ」
「なによそれー。ダーリンったら」
話もそこそこに、カレンとゴンザレスは二人の世界に集中し始めてしまった。
久々の再会なのだからこれ以上ここにいるのはお邪魔というものだろう。私は二人に気づかれないよう、そっと自分の部屋に戻った。




