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01 目覚め



 あの頃の私は、人を疑うことを知らなかった。

 王都から遠く離れた長閑な村で、母と二人倹しい暮らしをしていた。

 父は私が生まれて間もなくに亡くなっており、暮らし向きは決して楽ではなかったが、村の人たちはそんな私たちに親切だった。

 朝早くに起きて、母の手伝いをして、母の作るご飯を食べて、眠る日々。

 当時に私にはそんな自覚なんてなかったけれど、きっとあの頃が人生の中で一番幸せだった。

 母は優しい人だった。薬草に詳しく、行商人すらめったに来ない村では薬作りの名人として慕われていた。

 母は事あるごとに、私に言って聞かせた。


「日頃の行いは、必ず自分に返ってくるんだよ。だから労を惜しまず誰かのために働いていれば、周りの人もサラのことを助けてくれるからね」


 今にして思えば、母は己の死期を悟っていたのかもしれない。

 だから一人残される我が子に、自給自足で生きる(すべ)を教え込んだのだと思う。そして村の人々との協調を教え、私が一人になっても困らないように心を砕いていたのだろう。

 そんな母も、私が十歳の冬に流行り病であっけなく死んでしまった。

 その瞬間の記憶が、私にはない。

 ただ気が付くと、母ではなく私自身がベッドで寝かされていた。


「お母さん?」


 誰もいない部屋に、私の声が虚しく響いた。家の中はしんと静まり返っていて、自分以外の人の気配が感じられない。家のどこにいてもその音が聞こえてくるような小さな家なのに。

 しばらくぼんやりとしていた私は、母の病気を思い出しはっとした。そしてベッドを降りようとして転んでしまった。


「痛たた……」


 床に手をつくと、さらりと私の髪が視界をふさいだ。よくある焦げ茶色の髪は、なぜか漆黒に染まっていた。

 私は驚いて悲鳴を上げた。

 すると玄関のドアを開ける音がして、部屋の中に近所に住むエルマおばさんが飛び込んできた。

 彼女は私を見ると、その目に同情と畏怖を浮かべた。そして私をベッドに戻すと、なにが起こったのかを説明してくれた。

 彼女の話によれば、私の記憶が途切れたのと同時刻に、村中を真っ白い光が覆ったのだそうだ。

 そしてその光が収まると、不思議なことに母と同じように流行り病に苦しんでいた病人たちが、ベッドから起き上がってきたのだと言う。

 村は奇跡が起こったと大騒ぎになった。

 そして心配して我が家を見に来てくれたエルマおばさんが、息絶えた母とそのベッドの傍らで目も髪も黒く染まった私を見つけたらしい。

 後になって水鏡で見てみると、確かに母譲りの緑色の瞳も真っ黒に染まっていた。

 そしてその日から、私は不思議な力が使えるようになった。

 人の怪我や病を、手をかざすだけで癒すことのできる不思議な力だ。

 その力は母の作る薬よりも早く、圧倒的だった。手をかざして怪我や病が治るよう祈れば、たちどころに患部が癒えてしまうのだ。

 村の人々は、私の存在を奇跡と呼んだ。

 流行り病だった人たちとその家族からは深く感謝されたけれど、彼らの目はもう村はずれのサラちゃんではなく、理解できない恐ろしいものとして私を見るようになった。

 癒しの力が噂になると、その力にあやかろうと小さな村に少しずつ人がやってくるようになった。やってきた人たちも癒すと噂が噂を呼んで更に人が詰めかけ、私の故郷は長閑な村ではなくなってしまった。

 人が集まることで村が潤うことに、村人は喜んだ。

人を癒すことで患者からもその家族からも感謝され、私は自分がしていることが正しいのだと思い込んだ。

 人を癒すたびに、その家族の笑顔を見るたびに、なんでこの力がもっと早く目覚めなかったのだろうと思わない日はなかった。

 この力で母を癒すことができれば、私はこんなにも孤独を感じることはなかっただろう。

 そう、私は孤独だった。


「サラ様。今日は遠方の村から患者が来ています」


 私の世話役になったエルマおばさんは、もう私をサラちゃんとは呼んでくれなくなった。

 重い病気や怪我を癒すほどに、感謝されるけど同時に周囲の人との距離も遠くなっていく気がした。

 それでも、私はやってくる人たちを癒し続けた。誰かに、私や母のような思いをさせたくなかった。患者やその家族が喜ぶ姿を見て、私の心は癒された。患者の数はどんどん増えて言ったけれど、私は癒しの力を使って彼らを癒し続けた。

 不思議なことに、癒しの力は尽きることがなかった。むしろ、使えば使うほどその力は強まっていくような気がした。

 そんな生活が、一年ほど続いただろうか。

 ある日突然、田舎の村に見たこともないような立派な馬車と、白銀の鎧を纏った軍隊が大挙してやってきた。

 馬車から下りてきたのは、白い法服を纏った壮年の男性だった。

当時まだ、司祭の一人にすぎなかったグインデルだ。


「お迎えに上がりました。聖女様」


 グインデルは、私を初めて聖女と呼んだ人だった。


「聖女……?」


 だが、私は聖女というものを知らなかった。それは村の人たちも同様だった。読み書きのできる人間がほとんどいないような田舎だ。伝説上の存在である聖女を知る人がいなかったのは仕方のないことだろう。

 その日の晩、私はグインデルから聖女がどのようなものであるか説明を受けた。

 かつて異界からやってきて、癒しの力で人々を救った聖女という存在がいたこと。その聖女を祀っているのがこの国の国教であるミミル聖教であり、グインデルはその司祭だということ。

 ミミル聖教がどういうものかはまだよく分からなかったけれど、グインデルの引き連れてきた軍勢を見れば子供ながらにただならぬ相手であることは理解できた。

 彼は、私を王都に連れて行くと言った。聖女としての務めを果たすべきだと。

 けれど私は迷った。母と暮した村を離れたくはなかったし、ここには私を必要としてくれる患者たちがまだまだたくさんいたからだ。

 渋る私に、グインデルは言った。


「この国には、あなたのお力を必要としている者がまだまだたくさんおります。この地では救える者にも限りがありましょう。本当にそれが正義とお思いか?」


 グインデルは私が子供だからと言って、言葉を飾るようなことはしなかった。

 この国は広く、そこに暮す全ての人を救うのは私の力でも不可能だ。それでも彼の言う通り、この小さな村に固執して遠くの人を見捨てるのは、正しいことではないような気がした。

 母もきっと、私が母との思い出にしがみついて村に残るより、たくさんの人を助けた方が喜んでくれるに違いない。

 私はグインデルと一緒に、王都へと向かう決意をした。

母の遺言通り、労を惜しまず誰かのために働くのだ。そしてもっとたくさんの人に笑顔になってもらいたい。

 村人たちには引き留められた。癒しを求めて集まる人たちのために宿屋を開いた人や、お土産屋を始めた人もいた。

 そんな人の中には、私を連れ去ろうとするグインデルに食って掛かる人もいた。といっても、彼の護衛をしていた神殿騎士たちによってすぐに押しとどめられていたのだけれど。

 後ろ髪を引かれる思いが、なかったわけではない。ここには母との思い出がある。

 けれど人々を助けたいという自分の想いに、逆らうことはできなかった。今は怒っている人たちも、きっといつか分かってくれる。

 そう思い、私は生まれ育った村を後にした。

 その日から、私は聖女として生きることになった。


久しぶりの新連載です

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