いつものように
ぽちゃん
水音を立てて池にいた魚たちが慌てて逃げていく。ペリカンのトムはがっかりするわけでも、悔しがるでもなく今はもういない魚が立てた波をぼーっと見つめていた。池はとても静かだった。トムは何かを探すように辺りを見回した。
「ぐー」とトムの腹が鳴り響く。広い池にはトムしかおらず、仲間どころか他の鳥の姿も見えない。群れの中でもぼーっとしているトムは群れに置いて行かれてしまったようだった。
『おい、置いて行かれるぞ。早く行こうぜ』
こんな時、そうやって声をかけてくれたのは幼馴染のロイだった。ロイはトムの面倒をいつも見ていた。でも今、ロイはない。ロイはトムとは逆におしゃべりでいつも動き回っているペリカンだった。ぼーっとしていて聞いているのか聞いていないのか分からないトムと、聞いて欲しいのかただしゃべりたいだけなのか分からないロイはなかなか良いコンビだった。
しかしある日、ロイは話に夢中になっているところをキツネに襲われてしまった。いつものようにぼーっとしていたトムが気付いた時にはロイはもうキツネの腹の中だった。それからトムはひとりきりだ。
トムは群れを探しに行くこともせずに、ただそこにぼーっと立っていた。どれだけそこに立っていただろうか、いつしか足元には逃げた魚たちが戻ってきていた。トムはゆっくりと口を開け魚の群れめがけて顔を潜らせる。するとトムの動きに魚の群れが散り散りになって逃げていく。トムのクチバシの袋には水しか入っていない。
『また魚に逃げられたのかよ、トムは本当にぼーっとしているな』
ロイがいなくなった日、狩りが苦手なトムに、ロイはやれやれとため息をつきながら言った。ロイは魚を捕まえるのがとっても上手だった。
『ほらいつものように俺が魚を驚かすからお前は水の中で口を開けていろよ』
トムが言われた通りにするとロイがバシャバシャと池の水を飛ばしながら歩く。すると驚いた魚はトムの口へと勝手に入っていく。トムはいつもロイのおかげでたくさんの魚を食べることができた。狩りの間、いつもロイは聞いてもいないことを延々話し続けた。
『昨日首を寝違えたんだ。不思議だよなぁ、横を向くのは痛いが上下は大丈夫なんだよ。ほら、上を向く時は痛くない。ん、あれ、見てみろよ。あの雲、亀に似てないか? 見れば見るほど亀に似てる。今日はいい天気だなぁ。そういえば太陽を見るとくしゃみをしたくなるのは何でだろうな? くしゃみといえば俺の親父はくしゃみをしてキツネに見つかっちまったんだ。くしゃみをするのも命がけだよなぁ』
ロイは食べているのか話しているのかわからないくらいに話し続けた。話している間にロイの口の中で魚がぴょんぴょんと跳ねた。
『お、元気な魚だなぁ。俺は話をするのが大好きだから本当は魚とも話してみたいんだ。ペリカンに食われる魚の気持ちはどんなだろう? 怖いのかな? 怒っているのかな? でももし魚と話を出来たらかわいそうで食べられなくなるよなぁ』
そう言って口を閉じ、水ごと魚をごっくんと飲んだ。ロイがキツネに襲われたのはそのすぐ後だった。
ロイがいなくなって群れのみんなはいつも一緒にいたトムを心配した。でもトムがいつもと変わらずぼーっとしていたので、みんなもすぐにいつものように普通に過ごした。そして群れは他の狩場へと飛び立った。群れのペリカンは誰もトムを置いてきたことに気づかなかった。ロイがトムを連れてくる。それがいつものことだったからだ。
ツンツン
見ると1匹の魚がトムの足を突いていた。魚を見たトムのお腹がまた「ぐーー」っと鳴る。トムはゆっくりと首を水面へ下ろすと水中で口を開けた。鏡のように静かな水面はトムの口ばしの周りだけ波たち綺麗な円を描いた。すると不思議なことに魚は逃げるどころかトムのくちばしの中に泳いで入っていった。トムは口を開けたまま顔を池から上げると魚は落ち着きなく泳ぎ回り、ぴちゃんぴちゃんとジャンプした。
「おい、トム! 分かるか!? 俺だよ俺! ロイだよ! キツネに食べられて気づいたら今度は魚に生まれ変わっていたんだよ!」
魚がくちばしの中で跳ねながら言ったがトムはぼーっとたまま何も答えなかった。
「魚と話してみたいとは言ったが俺が魚になるとは思わなかったなぁ! なぁ! からだにヒレがつくと水の中をスイスイ泳げるんだぜ! それに首がないから寝違えることもない。水の中は意外と便利だぜぇ」
魚は次から次へと話し続ける。トムは口を開けてぼーっとしたまま空を見上げていた。
「亀……」
トムがつぶやいた。すると魚は空を見て嬉しそうに跳ねた。
「ああ、確かにあの雲は亀に見えるな! でもこの前俺が見た雲の方がもっと亀っぽかった! あ、どんどん雲が流れてカニみたいになってきたな! カニといえばあいつら魚を食うんだぜ。まさかあんな横にしか歩けない奴から逃げる時がくるとは思わなかったな。カニに比べれば海老の方が話しやすい。でもザリガニは別だぜ。あいつらデカいハサミで魚をちょん切るんだ!」
魚の話は延々と続いた。そして群れの仲間の話になった時、魚はハッとしてトムのクチバシから顔を出した。
「おいトム、仲間達に置いて行かれているんじゃないのか?」
魚の問いにトムは答えない。魚が黙ると池はシーンと静まりかえっていた。魚は大きな声で笑い出す。
「ははは! トム、お前は相変わらずだなぁ! でもお前がいつものように俺の話を聞いてくれて俺は嬉しいんだ。群れで俺の話を黙って聞いてくれるのはお前だけだったからな。みんな俺がうるさいやかましいと言って相手にしてくれなかった。本当はみんな俺がいなくなって清清してるんだ! そして無口なお前も何を考えているかわからないとみんなにのけ者にされていたよな。俺たちは群れの嫌われ者だ」
トムは何を考えているのかぼーっと遠くを見つめていた。魚はうんうんと頷く。
「ああ、お前が何を言わずとも俺はわかっている。俺はどんな姿になってもお前と一緒にいるよ」
トムは何も言わない。その代わりに「ぐーーー」っとトムの腹が一段と大きく鳴った。
「トム、腹が減っているのか。じゃあいつものように俺が魚を集めてきてやるよ」
そう言って魚が飛び出そうとする前にトムのクチバシはゆっくりと閉じた。
「おい、トム、口を開けてくれなきゃ魚を捕まえにいけないだろう? ああ、わかった。俺がペリカンに食べられる魚の気持ちが知りたいって言ったから教えてくれているんだな。袋の中は暗いが意外と快適だぜ。一生ここで暮らしてもいいくらいだ、なーんてな。ハハハ!」
袋の中から陽気に話す魚の声がした。魚が袋の中で泳ぎ回るので袋はたぷたぷと揺れた。
ごっくん
トムは水ごと魚を飲み込んだ。食べた魚が腹の奥に入っていく。トムはなぜかロイを思い出してなんとも言えない寂しい気持ちになった。トムはぼーっと空を見上げた。カニの形をしていた雲は流れて、もうなくなって消えていた。空に輝く太陽の光は眩しかった。そしてその光を見るとトムの鼻はむずむずとした。
「クシュン」
トムのくしゃみが静かな池に響き渡った。池の水面は緩やかにゆらゆらと揺れる。トムはくしゃみの後もいつものように、ただぼーっとその場に立っていた。