小説、君、それとシチュー
たまにはこんな感じの短編でも。
だい――ぶ前に書いたのをちょこっと手直ししただけなんですけどね。
彼女のちょっと特別な日常を読みながら「こんなキャラなんだ」「こういう生活をしているんだな」とか読み取っていくと面白いかもしれません。多分。きっと。めいびー。
投稿した小説が最優秀賞を受賞し、出版されてから半年が過ぎた。売れ行きは好調も好調で、重版も決定したらしい。発売当初は大喜びし、柄にもなく大はしゃぎしていたが、今になって振り返ってみるととても恥ずかしく思えてくる。
自分の書いた文章やら思い付きやらが、たくさんの人間に買われ、読まれ、部屋の本棚に置かれたりするのだ。ちょっとした羞恥プレイのように思えて、いっそのこと捨てるか古本屋に売られて一生出回らないでほしいとさえ思えてきている。
今もこうして本屋に並べられているところを見ると、嬉しくもあり恥ずかしくもある。私が作者だということを周りの人はおろか、書店の店員だって知らないはずなのに、なんだか見られているような気がしてくる。顔に熱が溜まっていくのを感じた。
今住んでいるアパートに引っ越してから、すっかり常連になってしまった書店。店頭からは無くなってしまったものの、少し入れば分かるくらいの場所に私の小説は置かれている。
別に見る必要はないのだが、その小説の前で女子高生二人がきゃっきゃと話をしているのなら、聞き耳を立てずにはいられない。
「ね、これ読んだ? 『また春に君と桜を』」
う。
「あ、それね。まだ半分くらい。片想い相手と再会するとこ」
「そこかぁ! 一途に帰りを待ってた主人公が報われるとこ! でももうちょい行くとね、あたしののイチ押しシーンがくるからね、期待してなさい!」
うぐぁ。
「マジで? 帰ったらすぐ読むから邪魔しないでね!」
うぐぁぐぁ。
聞かなきゃよかった。
さっと書店から出て、アパートに足を向ける。
人気が出ていて、実際読んでもらった人にも楽しんでもらえるのはとても嬉しいことだ。でも目の前でそれをされるのは聞いていない。これに慣れるには何年かかり、慣れるころには、私はまだ小説を書き続けているのだろうか。
「……はあ」
こぼれたため息は白く染まり、流れ消えていく。秋の終わりと冬の始まりを感じた。
途中で目的の本があったことを思い出したが、また今度にすることにした。
周りを歩いている人たちはもうすっかり冬の服装で、コートやマフラーでもこもこと寒さから身を守っている。雪は降らないだろうが、寒いのには変わりない。私もコートを着ていることだし。
アパートに着いたところで、ふと、書店に入る前に買っていた夕飯の材料を見る。
「……ふふ」
寒さにこわばっていた口元が、少し緩む。だって、なにせ、ほら、今日は。
「こんばんは」
「ひえっ!?」
後ろから声を掛けられ、驚いて振り向くと、彼がいた。
「あ、いや、すみません。驚かせるつもりはなかったんですけど」
「い、いえ、私こそすみません。いつもこんなで……」
本当に、いつも驚いてばかりなのだ。自分で自分が嫌になる。もう少し落ち着きを持てないのか。もうすぐ三十歳なんだから。……そう、三十……、なんだから……。
「あのぅ……」
「は、あ、な、なんでもないです」
顔に出ていただろうか。恥ずかしい。
「ところで、それ、夕飯ですか?」
と、持っていた袋を指さされる。
「あ、はい。その、教えていただいた、シチューを作ろうと思って」
「ああ、この間の。気に入ってもらえたならよかったです。なにか手伝いましょうか?」
「いえ、いえ、自分で、あの、一人で、できるようにならなきゃって、それで……」
言っていてまた恥ずかしくなってきた。何歳も年下の男の子に、料理を教えてもらって、手伝おうか、なんて言われて。
「そうなんですか。おいしくできるといいですね」
彼が笑顔で言う。彼は優しくて、でも、多分その優しさは接する皆に向けられているもので、私にだけ特別なんてことはなくて、でも、そんな分け隔てなく、私なんかにも優しくしてくれて、だから、私は、そんな彼を――
「あ、そうそう。大村さん、恋愛小説好きでしたよね」
「へぁっ?」
「前々から話題になってた、あれ、読んだんですよ。『また春に君と桜を』。今更ですけどね」
「は、はぁ」
今日は厄日だろうか。
「大村さんは読みました?」
「は、はい、まぁ……」
「あ、やっぱり読んでるんですね。大学の友達からおすすめされて読んだんですけど、すっごく面白くって。それで、この『レム山』さんの本、他にもないかなって探してるんですけど、見つからなくって」
それは私が初めて出版した本でそれ以降はまだ新しいものが出ていないからです。なんて言えるはずはなく。
「そう、なんですねぇ……」
と答えるのが精いっぱいだった。
「大山さん、『また春に君と桜を』で、印象に残ってるところとかありますか?」
「印象……」
そう聞かれて、初めに思い浮かんだのは、あの場面。でも、一般的に話に上がったり盛り上がりとして書いた場面は、と考え、さっきの女子高生の会話を思い出した。
「主人公が片思い相手と再会するところ、ですかね。主人公のそれまで溜め込んでいた思いがあふれ出す場面で、読んでいて、羨ましかったです。私は、あんなに自分を表現できないので」
「あぁ、俺もそこすごく感動しました。片思い相手が、それをしっかり受け止めるのもよかったです」
違う。確かに力を入れて書いたし、納得もしてるけど、でも一番好きなのは、そこじゃなくて――
「でも俺が一番好きなのは、二人が出会ったばかりの時、主人公が図書室で高いところの本を取ろうとしてるところですね」
「え」
心臓が跳ねた気がした。
「届かなくて、でも踏み台が周りになくって。人見知りだから周りの人に声をかけたりもできなくて。離れようとしたら、片思いの彼が取ってくれるんですよね。俺、そういう少女漫画的というか、ベタな展開が好きで」
へへ、と照れながら言う彼の感想に、体が熱を持つ。一瞬にして寒さが吹き飛び、目が彼の顔を見れなくなり、うつむいた。
「そ、そう、なんですね」
「そうなんです。……って、話し込んじゃいましたね。帰りましょうか」
「そうですね」
「シチュー、頑張ってください」
笑ってごまかすように自分の部屋に向かう彼を見送る。
「……うん、がんばるよ」
笑って、アパートの階段を上り、自分の部屋に帰った。電気をつけて、買ったものを台所に置き、敷いたままにしていた布団に仰向けで寝ころんだ。
「……」
天井を見つめ、なんとなく手を横に伸ばすと、あの本の見本誌が触れた。
意識して、けれど少女漫画にありがちな、なんてことない出来事のように書いたあのシーン。けれどあれは。
「君が私にしてくれたこと、なんだよ」
起き上がり、『また春に君と桜を』を手に取る。壁に背を付けて膝を抱えながら本のページをめくる。
このアパートに引っ越して、まだ今の生活に慣れていなかったころ。あの書店で君は、初対面の私に、同じことをしてくれたよね。
君は多分、それが私だって覚えてない。けれど、私は覚えてるよ。
突然で、君はすぐに行ってしまって、けれど大切な、私の恋の瞬間。
「くふ、ふふ」
本を置き、立ち上がって、一度伸びをしてから、さてと。
「シチュー、作りますか」
ありがとうございました。