最終話
侵入者達がコトハの髪を切り取って立ち去った後、天井から長い舌がコトハに貼り付き、揺すったり動かしたり、がすんがすんと床に軽く叩きつけたりした。するとその刺激でコトハは目が覚めた。
「……うぅ、うーん。うーん?あれ?ううん?」
身体を起こすとそこは血溜まりの中だった。でも自分以外には誰もいなかったし、自分の身体をパッと見てもどこにも傷はなかった。
襲撃を受ける前、コトハは退屈のあまり城の中を歩いていた。だが、城の造りは簡易な物だから退屈凌ぎになりそうな物は何もないし、ここまで退屈になるとは思っていなかったので、何も持ってこなかった。
幾つかある部屋を見ても同じような造りだし、調度品も何もないのですぐに飽きてしまった。だから今度は城に放った遊び相手のモンスターと散歩をすると、楽しくなるかと思い可愛がっている蛙のモンスターを探しに出た。ただ、自分で発生させた霧が視界を遮り、何処を歩いているのかよくわからない状態だった。
『げこさーん、どこにいるの?』
コトハが呼ぶと必ず来てくれる可愛い蛙のモンスターは、天井に張り付き、『げこげこ』といる事を教えてくれる。ただ、この『げこさん』と呼んでいる蛙のモンスターは、とても大きい。牛くらいの大きさがあり、人も食べてしまう肉食系のモンスターだった。コトハは、食べられそうになったことはなかったが、たまたま人の死体を食べているところに遭遇したことはあった。げこさんは気まずそうに目を逸らしたが、食べる物は食べて、その後コトハに可愛らしく甘えてきたものだった。その時のコトハの心境はとても複雑だった。
その後ちょくちょくげこさんが姿を消す為、コトハは声を出しながら探した。
『げこさーん、こっち?』
するとまたげこげこと鳴き声が天井から聞こえてきた。げこさんの姿を見ると、心なしかお腹が少し大きくなっているように見えた。もしかしたら、侵入者がいるのかもしれないと思い、周囲を警戒しながら前へ進んでいくと脇腹へ何か衝撃が加わり、熱と急激な脱力感、そしてケネスから貰った身代わり人形が消えてしまい、コトハの意識もそこで途絶えてしまったのだった。
「……げこさん、起こしてくれてありがとう」
天井にいる蛙のモンスターに向かって礼を言う。すると言葉がわかるのか、げこげこと応えるように鳴いてそこから去ってしまった。それと入れ違う形で、ダッバーフが転移でコトハの元へやってきた。
「あ、ダッバーフ様、戦況はいかが……」
「良かった!コトハ!!無事だな!!」
コトハの姿を確認した途端に、思い切り抱きしめられてしまい、戦いがどうなったのかを知りたかったコトハは、言葉を詰まらせてしまった。
「ダッバーフ様、私は無事です。げこさんも居ましたし……」
「無事じゃないだろう!こんなに血が出て……。やっぱりケネスに身代わり人形頼んで良かった。……しかもあの蛙逃げたな……」
「げ、げこさんは、侵入者を食べてたと思いますよ?」
「ふん。だが、守れなかったからな。罰は受けてもらう」
「お、お手柔らかに……」
あまりのダッバーフの勢いにコトハは、げこさんは頑張っていたよ、なんて言うことはできなかった。しかもまだ抱きしめられていて少々苦しくなっていた。
「……ダッバーフ様、ちょっと苦しいです……」
「おお、すまんすまん。………よし、帰ろうか!」
「もう戦いはいいのですか?……あと、立って歩けますので降ろしてください……」
「戦はこちらの勝利だ。後は後始末だけだ」
ダッバーフは上機嫌で抱きしめていたコトハを横抱きにした。まだリザードマンの姿をしているので、軽々と持ち上げてはいるが、コトハがそれに慣れていないので、羞恥心で心が死にそうになっていた。
ただ、ダッバーフにはコトハの周りにある血は間違いなくコトハが流したものであることは匂いでわかった。そしてコトハが受けた傷は、ケネスが渡した身代わり人形が肩代わりをし、その身を消していた。そして、身体の中から失われたものは戻しようがなく、コトハは気づいていないが、顔色が明らかに悪く座っていても身体が左右に揺れていた。
ダッバーフは身内には優しく、敵には厳しい。身内、その中でも最も愛しく可愛らしい人の子に傷をつける者はどんな相手でも許すわけにはいかなかった。ケネスが作製した身代わり人形は、身代わりになるだけではなく人形が発動する切っ掛けを作った相手、いわゆる犯人に印をつけることができる。ケネスが戻っていないのは、その犯人の追跡をしているからでもあった。
「ひいぃっだ、駄目ですよ!こんなところ誰かに見られたらお嫁にいけなくなるかも……」
「お!?おま!?はあぁ!??嫁に行く相手いるのか!?」
「い、いませんけど!!いませんけどね!?今後、出会いがあるかもしれないじゃないですか!?」
「……ぶはっ今後の話か!そうかそうか!……コトハは可愛いな!」
「……出会わないと思ってますよね?」
「おいおい!俺と出会ってるからいいだろう?」
「……え?……えぇ!?………うえぇぇえぇえ!??ど、どういう意味!?よ、余計に降ろして欲しいんだけど!?」
コトハは真っ青な顔をしながらも、何だか恥じらい頬を染めて、嫌々しているのを見ていると余計に虐めたくなってしまう。
「コトハ、大分血流してるし、多分立てないぞ?だから大人しく抱かれとけ」
「ん?んん?だ、抱かれ……?……あー、なんか言われてみると何だかぎもぢわる…………、おえぇっ………ぐ、ぼえぇっ」
「うおぉ!?またか!?だ、大丈夫か!?コトハ、死ぬなよ!」
コトハは吐きながら、こんなにおえおえ吐く様な女性なんて幻滅だろうな、と思い心がずきん、と痛んだ様な気がしながら、意識を手放していった。
***
戦いはダッバーフ達の圧勝であった。
何しろ、ダッバーフ達が小競り合いをしている間、彼らと敵対している小国が隣国である豊かな国に併呑されてしまったからだ。
その知らせが小国の兵達にもたらされた時、彼らはこれ幸いと戦線を離脱していった。中には脱走した者達もいるかもしれなかったが、彼らは自分達の故郷の小国へと向かっていった。
ダッバーフ達が戦っている間、小国ではダッバーフ達との戦況を遠見の魔法で見ていたので、それ以外のところが疎かになっていた。反対の方角から、豊かな国の兵が目視できるところで、ようやく自分達に危険が迫っていたことに気づいた。圧倒的な物量を前に彼らは、戦うことなく無条件降伏となった。王族達は辺境にて生涯の幽閉となり、民は支配される国が変わるが、何も変わるまい、と思っていたが、税金が安くなり、犯罪者の取り締まりも強化されることになり、この変化を喜んだ。
小国が何かを企んでいる事は元々ダッバーフの覗き見でわかっており、その情報を豊かな国へ渡していたのだった。小競り合いになった時も情報のやり取りは行なっており、彼らは小国の隙をついて、併呑することができたのだった。
彼らはやりすぎた。
元々魔の森の抑えとして、豊かな国より騎士の一部が独立して興した国であった。魔の森を見張り、その脅威から皆を守る為に興された小さな小さな勇者達が集まる国だった。
だから豊かな国は、その小国を常に親のように見守っていたが、いつの頃からか、疎まれてしまったようだ。その豊かさを妬み、その繁栄を妬み、燻っていった。
そして魔王が、魔の森近くに住まいを移してきたことも彼らには許されなかった。
魔王ダッバーフは、魔の森を鎮めるため、豊かな国の王に請われてやってきた。
魔王ダッバーフは『管理人』と言われるほど、魔物の管理、制御を徹底していた。大規模な魔物の襲来は近年はなりを潜めているのは彼のおかげと言われている。時折暴れて仕方のないモンスターがいたりすると、自ら回収しに行くこともあるという。
豊かな国の王は、たまたまダッバーフと出会い、酒を飲み交わし、彼が愚痴をこぼすと魔王だとわかり、なんだかんだといい含め、魔の森近くに居を構えさせた。ダッバーフはなんだかんだで人がいいので、文句をいいながらも数少ない友人の頼みは断れなかったのだった。
魔王の存在を嫌がる者達は少なくない。
そして小国もそうだった。
彼らは魔物を毛嫌いし、駆逐しようとしていた。共存は許されず、生きるか死ぬかの選択肢しかなかった。それは彼らが魔の森の見張りと脅威を祓う役目を担っていたからかもしれない。魔の森の脅威とは、すなわち魔物。魔王もその延長線上に捉えられていたのだった。
だから魔王を倒す為勇者召喚をし、失敗した後、再度今度は聖女召喚を行った。これらは本来ならば、複数国で行い代償を複数国で分割する代物であるが、他国の賛同を得られず、彼の国一国で強行したのだった。しかしながら、一国で行うにはやはり大きな代償であったため、小国の大地はやせ細り、数年間は実りは厳しいと言われていた。
豊かな国は小国を併呑し、その土地の回復に努めるつもりであった。
他国からも小うるさい小国をどうするか、扱いに困っていた。だから、元々一国だったので一気に畳み掛けて併呑する、という豊かな国の王の言葉に、他の国の王達も賛成して全てを一任してくれた。そしてこれが今回の騒動の顛末だった。
犠牲になった聖女はまだ目覚めない。
「……なかなか起きませんね」
「時々起きそうになるんだけどな」
「まあ、男性の目の前で二回もしっかり吐きましたからね。恥ずかしくて起きられないのかも知れませんよ」
「俺は気にしない!」
「俺は気にしなくとも、コトハは気にするんですよ」
コトハは気絶してしまった後、時々薄らと目を開けることもあるが、まだ完全な覚醒とまでは至っていなかった。心身ともに緊張状態にあったところに、大量の出血があり、未だ快調していないんじゃないか、というのが医者の所見であった。ゆっくり休み、栄養をとれば目を覚ますのではないかとのことで、ダッバーフは日がな一日、コトハの世話に明け暮れていた。
目覚めそうで目覚めないコトハは、ずっと夢を見ていた。
遠くから声が聞こえて来る。聞いたことのある優しい声だ。
「コトハ、お前ずっとここにいろよ。帰るなんていうなよ。……寂しい思いなんてさせないからよ」
優しく優しく頭を撫でてくれるその手があまりに気持ちよく、ずっと夢現を彷徨っていた。
「コトハ、ここで新しい家族を俺と作ればいい。元の家族のことだって思い出してもいいし、泣いたっていい。……だからずっと側にいてくれよ」
温かく大きな手が気持ち良く、思わず離れがたく手を握り返した。そこから段々と意識が浮上してくるようだった。
「……コトハ、起きるのか……?」
「………うう、ぐぬぬ、に、人形が……、は、も、申し訳ありません!!に、人形を紛失してしまいまして………あ、あれ?」
カッと目を見開いたと思ったら、いきなり謝罪を始めたコトハに、ダッバーフと紅茶を淹れて戻ってきたケネスが驚いた顔をしていた。
「人形は構いませんよ。役割を果たしたようですから。それより体調はいかがですか?」
「は、あれ、なるほど?はい、えー、体調、問題なさそうですです……」
「左様ですか」
そう言って手が何だか温かいな、と思ってみるとダッバーフの手を握っていた。
「ご、ごごごめんなさーい!!!て!手握って……」
「………お前なぁ、目覚めの第一声がそれか……」
「らしいじゃないですか」
呆れ顔のダッバーフにしたり顔のケネス。ケネスはダッバーフにコトハの世話を任せ、そのまま何か軽食を持ってこようと部屋をでる。
「………あれ?ここ私の部屋ではない?」
「俺の部屋だぜ。……お前何日も寝てたからな」
「ああああ!も、申し訳ございません!ダッバーフ様にご迷惑をかけてしまって………」
「気にすんな。お前が目覚ましてよかった……。本当に」
そういうと、コトハを抱きしめた。コトハはあわあわしていたが、次第に落ち着いてきたのかそっとダッバーフの背中に手を回した。
「……げこさんは元気ですか?」
「あいつは何人食ったのか知らんが、元気だ。ったく、仕事言いつけてもすぐ片付けてくるからな。罰にもならん」
「ふふふ。元気なら良かったです」
顔を上げるとすぐそこには、ダッバーフの綺麗な顔があり、思わず下をむいてしまった。そして、倒れる前に吐いた事を思い出してしまった。
「ダッバーフ様……、あの、その……、お、お話が……」
「話?なんだ?」
「……あの……何回も吐いてごめんなさい……」
「………なんだそんなことか。そんなこと気にすんなよ」
「懐が大きいですね」
「そうか?まあ、魔王だからな」
ダッバーフは少し冗談めいた様子で言い、コトハの笑いを誘った。そしてコトハの背に回している手に少し力を入れた。抱きしめる力が強くなり、コトハは喘ぐようにダッバーフに話しかけた。
「……ダ、ダッバーフ様?」
「なあ、コトハ。俺な、お前が刺された時怖かったんだよ。………戦い自体は終わって周囲を警戒していた時にな、ケネスが冷静に、身代わり人形が発動しましたって言ってな。何で冷静なんだよって思ったけどよ、血の海に立ってるお前見た時、頭から血がひいて冷静になったよな。お陰でお前の顔色の悪さとかふらふらしているのとかよくわかった。人間は弱いからな、俺なんか人間に刺されたって平気なんだけど、お前は死にそうになってたしな」
一息ついて少し力が弱まったので、コトハは身じろぎをする。少し上を見るとルビーのような瞳がコトハを見つめていた。目が合うと恥ずかしくなり顔が赤くなってしまうので、慌てて下を見る。
「目見ろよ」
「え……恥ずかしいから……」
「うおぉい!………ほら、目あ、わ、せ、る!」
そういうとコトハの両頬を片手で掴み、無理矢理ダッバーフの方を向かせる。
「ちょっちょっ……にゃめちぇ」
「ぶふっ何言ってるかわからないし、面白い顔!こりゃいいな」
「こりゃ!ぢゃめ!てはにゃちて!!」
「じゃあ口付けていい?」
「は!?」
ダッバーフのあまりのやりように、上司と部下として出来るだけたてて(たと思うし)、言葉づかいも丁寧に(していたと思うし)対応してきたが、思わず素が出てしまった。
今は片手で顎を上向きにされ、親指で唇を柔らかく揉まれたり、触れられたりしている。
「コトハのこと、ずっと守ってやる。利用しようとするやつは叩き潰すし、やっつける!嫌なことだってしない。元の世界に帰りたいなら……協力するつもり……だ」
「それは……どういう……つもりなのか……。あの、こ、ここ、ここここい?び………と?」
「恋人じゃない!結婚したい!」
「……色々吹っ飛ばしてない?」
「恋人だとまどろっこしい!十分な守りを与えられないし、たっぷりと何も誰にも気にせず触れ合いたい」
「………さ、左様で」
ダッバーフの潔い言い方と欲望丸出しな感じには、何だかなぁと思うコトハではあるが、コトハもなんだかんだ言ってダッバーフのことは嫌ではなかった。
この世界に落とされ右も左もわからないところを助けて、とりあえず会話に不自由なくしてくれて、文字や魔法も教えてくれる。寂しい時はずっと側にいてくれて、優しくしてくれた。美味しいご飯だって食べさせてくれるし、やりたいことは危なくないように色々お膳立てしてから、やらせてくれて、コトハの様子を見ながら次第にできることを広げていってくれる。
何より短い間ではあるが、ダッバーフの側にいて居心地が良かったのだった。元の世界のことは忘れられないが、ダッバーフのことも離れがたい。だからコトハは元の世界に帰る方法よりかは、自由に行き来できる方法があればいいのに、とは思っていた。
そして何となくではあるが、元の世界には戻れないかもしれないと感じてもいた。
「なあ、いいよな?」
「ちょ、ちょっとまって!!……ま、まだこういうことは早いと思うんです!ダッバーフ様」
「様はもう要らない。早くもない。まてない」
「まてまてまてまてまてまてまてまてまて!!」
一度こういうことを許してしまうと、なし崩し的に一気に最後までいきそうなので、そう簡単に許すことはできない。
「わ、私もダッバーフさ……、ダッバーフのことは嫌じゃないというか、何というか……。でも、その、元の世界では、こういうことは順序立ててゆっくり進めるものであって、あまり性急にことを運びすぎてもよくないって言われてるから……」
「……コトハからこんなに良い匂いしてるのに。この匂いはいつでも良いってことだろう?」
「え?ええ?匂い?」
「フェロモンだよ。フェロモン!コトハからいつもこの匂いがするから、すっげーたまんないんだ……」
首筋に顔を埋めるダッバーフに、顔を真っ赤にしながらなんとか剥がそうとするが剥がせず。そこにケネスが戻ってきて、助けを求めるも、ごゆっくりと言いながら、更には程々にという、コトハにとっては助けにもならない言葉を残して去ってしまった。
その後ダッバーフの猛攻を何度か交わすも、日を追うごとに煽られるような触れ合いや甘い言葉に。抗えなくなっていったのだった。
***
この世界には魔王がいた。
魔王は魔物を統べる者として、その頂点にたっていた。
その魔王は聖女を見初めた。
それは異世界からきた聖女。
魔王にとっては元の世界が恋しいと泣く、可愛い可愛い女の子だった。
聖女は優しい魔王に絆され、その魔王の伴侶となった。
聖女はその力を使い魔王を助け、魔王はその力を持って魔物を統べた。
彼らが治める間、魔物の被害は驚く程少なく、魔物の討伐で食っている冒険者が苦情を入れるほど。
彼らの間に子はできなかったが、多くの眷属達が彼らの子であった。
二人は多くの眷属、子ども達といつまでもいつまでも幸せに暮らしたとさ。
おしまい。
読んで頂きありがとうございました。