4話 百鬼女帝
「お姉ちゃん、怖いよ……」
「大丈夫よ、大丈夫。楽しいお話をしようね?」
「うん……」
千羽家本家屋敷。母の去った真っ暗の寝室。布団にくるまり震える智鶴と慰める智秋。自分たちの他に誰も居ないのか、広い屋敷の中、物音1つ聞こえてこない。物心付いた頃から常に誰かは屋敷に居た。家族以外にも多くの人間が出入りするから、こんなにも静かなことは初めてだった。
「智鶴は、ぬいぐるみが好きよね」
「うん好き。特に、お父さんが去年の誕生日にくれたイッチーが1番」
「じゃあ、ここにイッチーも連れてこよ。一緒なら怖くないよね?」
「うん。でも、1人でお布団から出るのも怖い……」
「じゃあ、お姉ちゃんと手を繋いで行こう」
智秋は智鶴の手を取ると、布団から抜け出し、手を引いた。部屋の隅で椅子に座らされている、Tシャツを着た大きなテディベア。そこまでベッドから数歩、2人でそろそろと歩く。家の中は安全と分かっていても、部屋まで鬼気が迫っていなくても。状況だけで怖さに足がすくむ。
「んしょ……」
自分よりも大きいぬいぐるみを、必死に抱きかかえ、姉と併走して布団に飛び込む。
「えへへ。私の方が早かったよ」
「負けちゃった。イッチー抱いてたのに、早かったね」
ふわふわで包容力のあるイッチーを抱きしめて、姉と駆けっこをして、気が紛れた智鶴は、すっかり笑顔を取り戻していた。
「あ、そうだ。智鶴、聞いて。小学校でね――
楽しい談笑が始まった。
*
ぬらりひょんがカメラ虫を通じて見ていた通り、鼻ヶ(が)岳の空に妖の群れが飛来した。
「と、智喜様! こんな時にあろうことか、百鬼夜行です!」
紙鬼に向けて呪符を、攻撃が迫る味方には護符を、的確に投げ続ける智喜の元に、偵察隊の1人が飛んできたが、彼は顎から滴る汗を手の甲で拭うと、ふんと鼻で笑って返した。
「そんなの見れば分かるわい。あれは味方じゃて。お主は知らぬのか? 吹雪会の一角を担う、人の身で百鬼を従える女性呪術師、百鬼女帝の事をのう。それに、本物の百鬼もこの事態、見物に来とる様じゃぞ。全く、見世物じゃないんじゃがのう」
智喜は近くに飛んでいたカメラ虫を捕まえると、ぶちゅっと握りつぶした。
「百鬼女帝……! ほ、本物ですか!? それに、他の百鬼もって……」
その質問は空から降ってきた声にかき消された。
「智喜様~~~~。遅くなってごめん~~~~~」
青い蛟――美夏萠――から人が飛び降りたのが見えた。一直線に智喜の居るところへと落ちてくる。その人影は重力落下による慣性を無視して、ふわりと着地した。
「吹雪会傘下十所家当主、十所求来里、只今到着しました! ちょっと牡丹坂寄ってたら、遅くなっちゃったよ。牡丹坂の咲良ちゃんと一緒に、救護所を拝殿の所に作ってきたから、伝令を回してねっ」
求来里亡き今、没落し、除名処分となった十所家だが、かつては吹雪会に所属する大家であった。契約術により百鬼を従える様から、百鬼女帝の名を欲しいままにする彼女は有名人であり、ともすれば千羽智房並びに千羽家よりも、全国の呪術師たちに名が知られていた可能性すらある。
そんな彼女の登場だ。門下生一同も、色めき立ち、心に余裕が出て、士気が回復していくのが分かる。
「よいよい。これで一気に戦力アップと救護班まで。ありがたい限りじゃ。お主、通達じゃ。怪我をした者は拝殿まで降りよ。牡丹坂の者が救護所を拵えておるとな」
偵察班の門下生は、「はっ」っと返事をすると、まるで消えるような速度で、通達を回しに行った。
「求来里様~。あの鬼を倒せば良いんですか~?」
空に浮かぶ妖の群れから、背中に大きく蛇の目紋が刻まれた一つ目鬼が大声で尋ねた。
「智喜様、いい?」
「勿論じゃ」
求来里は大きく息を吸い、
「みんな~~~~。かかれ~~~~~!!」
空に居る従者目がけて、大声を張り上げる。すると空から、雨・霰の如く、百を超える妖が紙鬼の元に降り注いだ。
それに続き、智喜も再び拡声の呪符を喉に貼り、
「蛇の目の妖は味方! 共に戦うぞ!」
と大声を張った。
妖と共闘する者、妖に担がれて救護所へと運ばれていく者、また妖に場を預け、仲間を担いで撤退する者。求来里の従者が現れたことによる増員は、形勢を立て直すきっかけとして十分すぎる程だった。
「ふふん。やっぱりウチの子たちは頼もしいね~~」
自らの従者たちが、各々力を振るう姿に、溢れんばかりの笑顔を向ける主人。
「また妖が増えとらんか? 全くお主は、よくもそう妖に好かれるもんじゃのう」
少し呆れたような目線を、求来里に投げる。
「へへん。良いでしょ~」
だが、彼女にとっては、どうしても褒め言葉にしか聞こえないのだった。
「それと、智喜様。1つ報告が」
「なんじゃ?」
「ウチの周りでも、牡丹坂さんを拾いに行った時も、どっちでも感じたけど、今日は各所で異常に悪い妖が湧いている気がするよ。もしかして、みんな来られないのも、自分の領地で妖が湧いて、それの対処に追われているのかも」
「そうか……。全く、運の悪い事じゃ」
これは後に分かった事であるが、まるで吹雪会傘下の者が治める領地を狙ったかのように、幾体もの上級妖が湧いていたという。今宵駆けつけられなかった者や、遅れてきた者に問いただすと、全員が全員、揃ったように同じ事を言ったのだった。「どうにも妖が湧いて、対処に手間取った」と。
これについて不信感を抱いた智喜は、勿論調べに調べ尽くしたが、これと言った証拠は見つからず、結局は魔呪局の調査結果としても、「ただの不運」ということで片付けられてしまったのだった。だがそれでも、智喜はこのときの事が今となっても腑に落ちていない。
紙鬼が、荒れ狂う真冬の吹雪の如く紙吹雪を四方八方に飛ばし、人も妖も境無く自分に向かってくる者をどんどんなぎ払う。それはただの紙片として飛んでくる事もあれば、剣や小槌の形をして襲ってくるものもあり、みなそれを避けるのに必死となる内に、攻撃が疎かになるし、攻撃に集中すると、背後・真上・真下等、死角から不意に飛んでくるものだから、どうにもこうにも戦いにくく攻撃を出す隙がなかなか作れないのだった。
「おい! 偵察班!」
智喜が呼びつけると、さっと近くに1人現れた。
「サムハラの符じゃ。民間信仰の札じゃが、効果はあるそうじゃ。皆に配ってやれ」
サムハラはかつて戦時中の千人針にも刻まれていた、民間信仰による災難よけの呪いである。これを身につけると、鉄砲の弾が当たらないとか、転んでも怪我をしないなどと言われているものに、智喜の呪力を練り込んだ特別製の護符である。
「ありがとうございます。早速」
偵察班が去ったのを確認すると、智喜は鬼気の出力を上げ、紙鬼の元へと飛び込んでいった。
「来たれ雷獣! 速記術 雷山符!」
智喜が放った呪符から迸る雷の矢が紙鬼に突き刺さる。求来里が現れる前と同じく、更にどんどん様々な呪符を作り出しては投げ、また攻撃が当たりそうな者には護符を投げ、八面六臂の投擲は、分かりやすく戦況を好転させていく。
それに続く門下生も求来里の従者も、みな一丸となって紙鬼を頂上に押し戻した。
士気がぐんぐん高まる。
それを感じ取った美代子が、土地自体に呪力底上げの呪いを掛けた。本当なら妖力も上げて、求来里の従者も応援したかったが、それをすると紙鬼もパワーアップしかねない。
「餓狼術 顎門」
攻撃班の門下生の1人が、両手の爪を鋭く変化させ、まるで狼が獲物を食いちぎる様に、上下から紙鬼の太ももを抉り取った。
戦闘が始まりすでに3時間が経った今、その攻撃が初めて鬼の身体に傷を付けた。
太ももから鬼気と邪気を噴出させ、苦しそうにうめき声を上げる。その声の不気味さに、みなヒヤリとした汗を背中に感じつつも、攻撃が通り始めたと、餓狼術の彼に続き、特技を披露していく。
「よし! その調子じゃ」
呪符と護符を放っていた手を一旦止め、現状を把握すべく、ひときわ高い杉の木に登る。
見下ろす戦場は凄惨なもので、幾つか死体も見受けられる。
そんな彼の真横すれすれを美夏萠に跨がった求来里が通り抜けた。それによって生じた乱気流に、木から振り落とされそうになりながらも、鋭くした紙を木に刺す事で、間一髪何とか持ちこたえる。
「もっと当主に気を遣わんか!」
「ごめんごめん~~~~」
求来里の声はいつも明るく楽しそうで、戦場だと言うことを忘れそうになるほど緊張感に欠けるが、それが逆に皆の心を追い詰めず、良い清涼剤となっていることも事実である。
「美夏萠~~~~いけ~~~~~」
蛟の口から、大量の針と化した水が飛び出、鬼を襲う。流石は本物の竜と言ったところか、超級の妖が放つ攻撃は、同じく超級の鬼に、しっかりとダメージを刻みつける。
「ワシかて負けとれん」
智喜は木の枝から紙に乗り移ると、紙鬼の居るところから遙か上空まで飛び、瞬間的に鬼気を暴走させる。そしてそれを呪符に集約すると、
「速記術 天照」
ボソリとつぶやき、あっさりと呪符を手放した。
それは空気の抵抗を受けて、ゆらゆらと舞い落ちながら、徐々に淡く光りだす。最初は蝋燭の明かりほどの光だったそれも、落ちていくに従って、神々しい輝きになっていく。輝きが頂点に達した時、呪符が爆ぜた。術が発動したのだ。呪符の消えたとこからは、大きな大きな太陽を思わせる、灼熱の炎を纏った隕石が現れ、紙鬼目がけて落ちていく。
「ひゅ~。さっすが~」
隕石が紙鬼に落ちていく様を見て、求来里が下手な口笛を吹き、下に居た門下生や従者たちは、巻き込まれないように逃げ、自身に結界を張り、身を守る行動に出た。
勿論、紙鬼もそれに気が付いた。この程度、容易く対処できると判断したのだろうか、拳を固めると、無謀にも隕石に向かって突き出した。
――ズドン――とこの世の終わりを思わせる程の衝撃音が鳴り響く。
見下ろすと、術によって作られた隕石は消え去り、落ちた跡は木々も消滅して、クレーターになっていた。
その窪みでは、腕を焦がし、滅茶苦茶に折れ曲がらせた紙鬼が地に伏して、動かなくなっていた。
終わった。
皆が安堵し、ホッと息をついたことで一拍空き、ワッと歓声が上がった。
やれやれと智喜は、痛む腰を手で摩りながら、伸びをした。
「やれやれ、久々にやり過ぎたわい。こりゃ、修復が大変じゃて。魔呪局になんて良い訳をしようかのう」
暢気な言葉を吐いた。
だが、皆の安堵とは裏腹に、紙鬼の魂はまだそこで揺らめいているのだった。
どうも。暴走紅茶です。
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