3話 覚悟の女と見物者
すっかり日は落ち、夜の帳が降りた頃。紙鬼が智喜の業火に焼かれた際と同じ様に、だが今回は何の前触れも無く、雄々(お)しい叫び声を上げた。それにより発された鬼気は、鬼を起点に、同心円状に広がった。どうやら力を取り戻しつつあるようで、先程とは段違いに威力を増している。その証拠に、多数の門下生が高濃度の鬼気に当てられ、次々泡を吹いて倒れていった。
人の身に、鬼気は毒である。
竜の発する竜気も、神の発する神気も、そして鬼の発する鬼気も、人の霊気や一般妖の妖気よりも純度が高く、高貴で高位で人を寄せ付けない。余程備えて鍛えていない限り、触れただけで、吐き気を催したり、卒倒してしまったりすることはざらである。
雄叫びが止んだと同時に、紙鬼が重たげに足を持ち上げ、一歩前進した。ついに活動を始めたのである。
「藤村、大事はないか?」
紙鬼が動き出したのとほぼ同時に、智喜は藤村馨というスキンヘッドが特徴的な古株の門下生の元へ駆け寄る。
「平気です。なんとか持ちこたえました」
とは口ばかり、顔面は真っ青に血の気が引いており、玉のような汗が顔面を伝っていた。ただ意識を失っていないだけである。
「悪いが、今の咆哮で消耗した戦力を取り戻したい。持っているだけの治癒符を出してくれんか?」
「全部ですか? それは、この先に不安があります」
「では、取り敢えず半分くれ」
「承知致しました」
藤村は蒔画の施された優雅な茶筒をキュッポンと開けると、そこから100枚ほどの治癒符を取り出し、智喜に手渡した。
どこにそれほどまでの収納力がと、疑問に思うのも無理は無い。この茶筒こそ藤村の術そのものであり、神髄であり、骨頂である『歴史的遺物呪具』その名を『無窮の茶筒』という。これは彼の家に代々受け継がれるもので、歴史に名を残すとして魔呪局に登録されたものであり、一子相伝の術により、持ち主の霊力量に応じて、茶筒に一部を入れられさえすれば、ありとあらゆる物を仕舞える代物である。
当主は受け取った治癒符を偵察班兼治療班の者らに配ると、散るように命じた。
「不味いのう。戦力は戻るとしても、紙鬼が動き出しよった。街に出られては大事じゃて……」
智喜は『拡声』の意味を込めた呪符を喉に貼ると、
「良いか! 絶対に一角鬼を街に出すな!」
大声で、山中に散る千羽の者たちに指示を出した。
門下生たちに緊張と責任感が走る。ただ攻撃をするだけでなく、その方向や威力を調整して、山から出ないよう、牽制と挑発を繰り返す様な攻撃に移り変わっていく。
それに釣られ、まんまと山頂の方へ歩き出したり、はたまた下山し始めたりを繰り返し、山の中という戦場を出ない動きを見て、智喜は門下生の頼りがいに胸を撫で下ろした。
と、その時。
「お義父さん、遅れました」
美代子が駆けつけてきた。いつものお母さん然とした出で立ちとは異なり、今は黒を基調とした和装の戦闘服に身を包んでいる。
「おお、ご苦労さん。ここへ来たからには、きちんと働いてもらうぞ。では早速で悪いが、この山の結界を紙鬼との戦闘仕様にしてくれんか?」
「お安いご用です」
美代子が腰のポーチから、翡翠製の環状の石に組紐が通された呪具を取り出すと、身体の正面でそれを構えた。
「先ずは元ある結界を……」
そう呟くと、呼応して呪具がポッと緩やかに黄色く輝く。するとどうだろう、鬼気に当てられ綻びが生じていた結界が元に戻り、また元から掛けられた意味が書き換えられていく。術の効果は覿面かつ速効であり、紙鬼の発する鬼気・瘴気・邪気という類いの悪い気が街へ流れ出るのを堰き止め、更には外部から一般人の侵入を禁じた。
ちなみに結界には大きく2種類あり、1つはしめ縄などの呪具を使って空間を仕切り張るもの、もう1つは呪力によって壁を作り上げ、空間を作り出すものだ。前者は練習をすれば、誰にでも習得することが可能であるが、後者は才能が無いと、まず習得することが難しい。美代子は後者のタイプだった。
「次は、足止めを……」
続く呟きに、玉は青い光を示す。
先ほどの術が、元から張っていた結界の補強だったのに対し、今回は新規作成。まるで火事の際に防火シャッターで区画を分断するように、紙鬼の立っている山頂を中点として、正八角形の結界が三重に聳えた。こちらの呪的意味はただの足止め。人も鬼気も通すが、紙鬼だけは通さない。
さっそく目と鼻の先に張られた結界を破ろうと、鬼が必死になってそれを殴っている。
「流石じゃのう」
「まだいけますよ」
美代子は更に呪力を練り上げ、翡翠の呪具に追加で紅玉の呪具を取り出すと、両手の人差し指に、それぞれに1つずつぶら下げ手印を結ぶ。
美代子の術に特徴を見いだすとすれば、それは術名を発さないことだ。誰しも術のイメージを固めるために、使いたい形を言葉にして規定するが、美代子はそうするとイメージが固定されすぎてしまうと忌避している。誰に何を教わろうとも、幼少の頃より、彼女は彼女の頭に描いた自由な発想を、そのまま術として行使してきた。その天才ぶり、何故跡目を継がずに、嫁入りしているのか不思議に思うくらいである。
赤と青の明かりは新たな術を展開し、山裾をなぞるように聳える結界が呼応して、極彩色に煌めき出す。その術は結界により溜まった悪い気を逃がす効果を発揮、吹きだまり、淀んでいた空気が、空に流れて清浄化されていく。
「取り敢えずこんなもんですか」
腰に手を当てて、ふぅと一息つく。余りに高度な術の展開に、美代子のことを余り知らない新参者は、何が起こったのかと度肝を抜かれていた。
*
戦闘時間が刻々と刻まれていく。夜は妖の時間。早くどうにかしないと、紙鬼が本領を発揮しかねない。不安が募るも、皆、今自分に出来る攻撃を続ける事しか出来なかった。
美代子の結界により、紙鬼の足止めには成功しているが、依然状況が好転してはいない。
門下生たちの攻撃により、体力を削れてはいるようだが、それも微々たる物。目立った損傷は無く、結界を殴りつける威力にも衰えは見られない。
この1時間以上に渡る膠着状態は、紙鬼の側から破られることになる。
なかなか壊せない結界に嫌気が差した鬼は、天に向かって両手を突き出し、一気に振り下ろした。その動きに同調して、何も無いところから紙が現れ、鋭い紙吹雪の礫が、マシンガンのように結界を襲う。
美代子は結界の要であるから、危険があってはならないと、鳥居の前まで後退させられていた。そこで呪具を構え、各種呪いの維持に務めていたが、紙鬼の猛攻に1枚目を呆気なく壊され、反動をモロに食らってしまった。
「術をまた上書きしなくては……」
片膝をつかされても尚、諦めること無く、フラフラ立ち上がると、再び呪具を構え、残り二枚の足止め結界に、軟性の意味を上書きする。1枚目は堅くしすぎた。次は柔らかくして、威力を受け止める作戦だ。
「上手くいってよ……」
皆から離れ、美代子が独りで戦いを続けていた頃、他の場所で智喜が呪符を握っていた。
*
1枚目の結界を破った紙鬼が、ズドン、ズドンとゆっくり闊歩し始めた。どうやら山から下りる為に、2枚目も破ろうとしているらしい。
それを感じた智喜が再度注意を促すと、門下生は攻撃をすると言うよりも、あの手この手で下山させまいとそちらに注力し始めた。引っ張り上げようとする者、押し上げようとする者、空に浮かそうとする者……どれも効果は薄く、しかも、紙鬼はどうも結界にご執心の様で、他の攻撃には目もくれないから、挑発して山頂に誘い出すことも叶わない。
「応援はまだなのか……? おい! 藤村!」
吹雪会の面子が遅れている事に、苛立ちを隠せない智喜は、最初、連絡係として動いていた藤村を呼びつけた。
「はっ。何用で?」
「吹雪会の奴らはどうした!? 連絡はついたから、ここにきたんじゃろ?」
「はい。ですが、皆様自分の領地から人を集め、戦闘準備をしてとなると、時間がかかってしまうようでして……」
「チッ。そんなこと分かっておる。くそう、ワシの攻撃すら大きなダメージを与えられん……」
智喜だけでは無い。他の者たちも、ただ徒に呪力が減っていくだけで好転しない現状に、士気が下がり、自分の攻撃が上手く通らないことに、イライラし始めていた。中には渾身の一撃を打ち出すも、かすり傷のみという結果に、茫然自失として意気消沈する者もいた。
「智喜様、失礼ながら。主ともあろうお方がその様では、士気が下がります。どうか、堪えてください。美代子様はまだ全く諦めていない様です」
藤村の不躾な物言いに、睨み付けることで応えたが、彼の言うとおり、結界はまだ2枚目以降破られて居なかった。それは、鳥居の前という離れた所から、一切諦めずに様々な術を上掛けして抵抗している女性が居るからに他ならない。それを考えると、自然、自分もこんなじゃいかんと、気が引き引き締まる思いがした。
「すまぬ。取り乱した」
「いえ、出過ぎた真似でした。失礼します」
智喜が、藤村の言葉と、美代子の結界に励まされ、1つ深呼吸をすると、落ち着きを取り戻した。
「ワシもまだまだ若い者に負けとれんのう」
ニヤニヤと楽しそうに笑うと、自分の掌を見つめる。
「藤村、折角じゃ、見ておけよ。これがワシら紙操術師の骨頂じゃ」
智喜は紙鬼回帰の状態で、鬼気を異常なまでに練り上げると、大気の塵と反応して、火花が散った。
その状態で空中に片手を差し出すと、何も無かったそこから複数枚の紙が現れた。
「紙鬼に出来て、紙操術師にできぬことはない……」
紙を作り出したくらいで、智喜の鬼気は衰えない。
「ゆくぞ、速記術」
紙に文字が走った。
*
宵闇に漂う濃い邪気は、蝶が蜜を求めるように、甘美に、蠱惑的に、邪な妖を寄せ付ける。丁度鼻ヶ岳にも、そうして新たな妖の気配が近づいてきた。
「ほう、面白そうな気配だな。邪気が強い」
百鬼を連れた主が、闇夜の空を、月明かりに照らされながら飛んでいた。
「ぬらりひょん様、近づいてみますか?」
側近の妖が尋ねる。
「そうだな。見物にいくか。おい、酒はまだあるか?」
「へい。この間沼狸の旦那から勝ち取ったのが、まだ一樽ありやすぜ」
別の妖が、宴だ~! と騒ぎたてる。主はそんな様子を見て、楽しそうに笑った。
「おお。そうか、ならそれを開けよう。カメラ虫を蒔け! 麓の林に降りるぞ!」
「おお!」
妖は隙あらば酒盛りを始める。こうして闇夜を飛ぶのも、肴になる珍事を探しての事なのかも知れない。
山麓の林は、その中心。ぽっかりと開いた草原に、腰を落ち着けると、早速白い布を張り、映写鬼によって鼻ヶ岳の様子を映し出す。
「ぬらりひょん様! 映りましたよ!」
準備に奔走していた小物妖が、嬉しそうに報告した。
「さて、どれ。何が起こっているのか」
百鬼夜行の面々が見つめる映像には、大きな鬼とまるで虫のように集まる、細かな人間が映し出されていた。
「来るにはちと遅かったかもな」
「どうしてです?」
主の盃を満たしに来た小鬼が尋ねる。
「見てみい、もう士気が下がっておる。盛りは過ぎた後か」
「いや、よく見てください! 何やら空に影が。あれは……百鬼夜行!? 我らの他にも見物ですかね」
小鬼の発見に、前のめりに画面を凝視し、それを確かめようとした。自分たちの他に百鬼夜行を名乗る妖の群れは、現存する中であと2つくらいしかないから、知った顔かと思ったのだ。だが、直ぐに画面から身を引くと、くいっと盃を呷る。
「いや、あれの主は人だ。純粋な百鬼夜行ではない。見間違えたな、小鬼」
「え!? 本当ですか!?」
「ああ、本当だとも。我の目に狂いは無い。……これは面白くなるかもな」
どうも。暴走紅茶です。
今話もお読みくださりありがとうございます。
最近小説を読めていない&書けていないので、なんだかソワソワします。
早く時間を作って続きを書きたい、読みたい~。これからどうなるのか、作者自身きになっています。
では、今週はこの辺で。
また次回!