14話 鼻ヶ岳にて
「いぃっやぁぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――
空気がビリビリと震えるかのような悲鳴が上がった。どうやら百目鬼の居る方向――拝殿を正面に視て左側、稲荷社のある辺りからのようだ。
竜子も木人も身動きが取れなくなり、互い攻撃も防御も一時不能になった。
これは、その悲鳴が上がる数十分前の事である。
百目鬼と文学妖妃は向かい合い、双方相手を見つめながら、言葉を交わす。
「ねえねえ、あなたが私と戦うの? ねね、どんな術を使うの? 因みに彼女はいるのかしら? 学校は楽しい? 友達とはどんなことをするの? ねぇねぇ、教えてよ~」
「うる、さい」
見た目相応の、女子高校生らしい若く溌剌とした声音で、百目鬼を質問攻めにするが、その間も決して文庫本を顔から離そうとしない。まるで何が何でも顔を見られたくないように、どうしても物語の先が気になるように。
「うるさいって何? ねえねえ、私、うるさい? うるさいか~じゃあ、もっとうるさくしよう」
そう言って文学妖妃が文庫本を手にしていない方の手を振ると、百目鬼の周りに、数冊の開かれた本が現れた。それがスピーカーの役割を果たし、大音声で様々な声音が、男も女も老いも若きも関係なく綯い交ぜに、叫びを上げた。
「何……これ……」
あまりの騒音に耳を塞ぐ、だが、塞いだとて、音は漏れ聞こえてくる。
鼓膜が揺れ、脳が揺れ、そして全身が揺れて、吐き気を催し目が回る。
本とは事実・虚実に関係なくストーリーが存在し、その中では様々な人物が言葉を発する。登場人物は大小少なかれ何かを主張し、読者へ語りかける。この術はそんな『声』を増幅させ、現実に引っ張り出したものである。
「動け、ない……」
つらそうに、上目遣いで妖を睨む。
そんな彼を見て、文学妖妃はケラケラと笑い、ゆっくりと近づいてくる。
「これで、捕まえられるね~。お手々繋いで、お友達ね~~~」
この妖は、生前病を患っており、一日の大半を病室で本を読んで過ごしていた。ただ人生という時が流れるのを、やがて死が訪れるのを、じっと待っているだけの毎日だった。それは幼少の頃からずっとであり、だから学校へは行ったことも無かった。ましてや友達と手を繋ぎ、語らうなんてことは――
「はい、つ~かま~えた!」
妖は、耳を押さえる百目鬼の右手首を掴むと、嬉しそうに笑った。楽しそうに笑った。
「……うおおぅっ!」
妖に手首を掴まれた数秒後、百目鬼がおかしな声を上げた。そして、ゆっくり耳から手を離すと、文学妖妃に掴まれた腕を振り上る。妖は軽々と宙に浮かされ、彼のもう片方の手で、眼前にある文庫本を取り上げられた。
「顔を、見せ、ろぉ!」
そう叫ぶ彼の耳からは、血が滴っている。そう、妖に手を掴まれながらも、決死の覚悟で自ら鼓膜を破ったのだ。それが再生するまでの数秒間、爆音から解放され、耳鳴りだけの世界にて自由を手に入れたからこそ、この状況で動けたわけである。
「ヒャッ」
妖が仰向けに倒され、小さく悲鳴を上げた後、場が静まりかえった。時が止まった様な、気持ちが悪いほどの静寂が流れる。
文庫本をひっぺ替えされ、顔面が露わとなった文学妖妃、その顔は、皮膚が輪郭までしか無かった。髑髏顔を縁取るように皮膚が張り付き、髪が生え、耳が生えている。
妖はその顔をペタペタと触りり、わなわなと震えだす。
次の瞬間――
「いぃっやぁぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――
妖術で作り上げた大音声とは、また違った大騒音が、宵闇の鼻ヶ岳に響き渡った。
駄々をこね、仰向けのままジタバタとわめく声は、高音かつ、広域に、大音量で響く。本をスピーカーとした攻撃とは比べものにならないほど強烈で、大気をビリビリと震わせ、周りの木々もざわめき立つ。
それを間近で聞かされた百目鬼は、自分で破ること無く、再生した鼓膜が弾け飛び、脳震盪を起こして、白目を剥いた。それでも、何とか気力だけで立ち、意識を飛ばさぬよう、必死に耐えた。
その音は少し離れた所で竜子の命を拾い、
また他の場所では、智鶴が2人の居る方向を把握する一助となった。
この音、どうにか、しないと……。そう思うも、余りの衝撃に脳が機能しない。考えがまとまる以前に、考える事が出来ない。
しかし、妖は不意に沈黙した。
ずっと耐えてきた衝撃に、腰が抜けそうになるが、何とか踏みとどまった。
どうしたのかと、百目鬼がゆっくり顔を上げると、紙で口を塞がれ、モゴモゴそれを剥がそうと抵抗する妖の姿があった。
そして背後から「百目鬼~~~」と、彼を呼ぶ声もする。
「……! 智鶴!」
無事、だった、の? と言葉を続けようと振り向いた……が、彼女は黒い何かに追われているようで、彼女の背後、走ってきた軌跡には、大量の黒い穴が出現していた。
「え、ちょ、ちょっと! 何、それ」
智鶴が無事で安心したのは本当であるが、正直なところ、百目鬼としては、あの智鶴に来られたら、戦況が更に悪化して不味いとの考えで、頭がいっぱいだった。
「こっち、来な、いで、お願い! こっち、来、ない、で!」
精一杯の拒絶をしてみるが、百目鬼の声量では、まるで届かないようだった。彼女が笑顔で駆け寄ってくる。……が、突如拝殿の裏より放たれた水柱に吹き飛ばされ、再び今来た林の中へと飛んでいった。
「智鶴ーーー!?」
彼の背後では、文学妖妃がまだ紙と格闘していた。
*
「oh……。すごい悲鳴だね」
木人が呆れた様にそう言う。
「文学妖妃だっけ。あなたのお仲間、危険なんじゃ無いの? 助けに行かなくていいの?」
「これはこれは、ご心配無用さ。ガ~ル。ああなった妖妃は~ん~もう! 誰にも! 止められない! のさ!」
木人に目は無いが、何故かウインクされたような気がした竜子は、なんだか自分まで恥ずかしい気持ちになってきた。そんな時だ。
「百目鬼~~~」
と、智鶴の声がした。彼女はついそちらを見る。そこには先ほど百目鬼が見たのと同じ光景が広がっていた。
「よそ見かい? ガ~ル」
木人が迫ってくる気配に驚き慌てて、美夏萠と境界霧化で繋がり、流水砲を放った。
「おっと危ない」
妖はすんでの所でそれを避けると、的を無くした水の攻撃は、敵の後方へ飛んでいき……。タイミング悪く智鶴を打ち抜いた。
「智鶴ちゃ~~~~~ん!」
木人は「仲間割れかい? ガ~ル」と呆れていた。
*
「あ痛ててて……? そうでも無いかしら」
先ほど竜子の術に吹き飛ばされた智鶴は、ギリギリの一瞬で紙服を硬化させていたが、それでも木々にぶつかった衝撃があるはずなのに、それほどダメージを受けておらず、気味が悪かった。まるで何か緩衝剤にでも飛び込んだようである。
「竜子のヤツ……外してんじゃないわよ。も~~~。絶対後で文句言ってやるわ」
智鶴がちゃんと目を開き、辺りを見回すと、そこは真っ暗で、また影の世界に捕らわれたことを知った。
「吹き飛ばされたところを、キャッチされたみたいね」
やれやれと、智鶴は首を振り、そして今一度と、腕を組んで脱出方法を模索する。
「そもそもここに閉じ込めるだけじゃ、確かに戦力は減らせるかも知れないけど、戦闘不能にしたことにもならないし、所謂鬼ごっこでの捕まえたにはならないから、敵方の勝利に直結はしないのよね……。はぁ、回りくどいやり方だわ、全く」
と、文句を吐いてもどうにもならない。
「う~ん。それでも仕方ないか~。出なくちゃ始まらないしね。ここなら、誰にも見られないし良いわよね」
ブツブツ独り言を呟きながら、念のために気配を探ってみるが、影狐のすら感じない。
――紙鬼、紙鬼、起きて――
智鶴は静かに目を閉じ、魂の紙鬼に語りかける。
――なんだ、私か。どうした、今日は紙鬼回帰も殆ど使っていない様だが――
――ちょっと困ったことになっててね、まだ『その時』では無いけど、力を貸してくれないかしら――
――ああ、構わないさ、試運転といこう――
――じゃあ、また知識を貸してちょうだい――
智鶴がそう胸中で言うと、言葉を発すること無く、紙鬼回帰状態になる。
彼女の脳内に先人たちの歴史がなだれ込む。
「この感じ、慣れないわね、全く」
脳がパンパンになる感覚というか、重くなる感覚というか、どこか鈍痛も感じ、無意識にこめかみを指先で押さえる。
「何か良い方法は無いかしら……」
あれでもない、これでもないと、智鶴は脳みその中身を片っ端から閲覧していった。
「……!」
解法を閃いた彼女は、静かにほくそ笑む。
「いいじゃない、これをこれで応用して……うん。出られるわね」
彼女は腰の巾着から紙を抜き取った。
*
智鶴たちがぬらりひょんのゲームに苦戦している頃、千羽家では智喜の元に伝令が伝わっていた。
「鼻ヶ岳の状況を報告致します。拝殿を中心に四角い結界の様なものが張られ、中に入る事が出来ない模様。また、無理矢理こじ開けようともしましたが、もしも中に智鶴様らが居りました場合、何か障りがあるといけませんので、断念致しました」
門下生の1人が、跪き、そう口早に告げた。
「そうか……ご苦労じゃった、下がって良いぞ」
そして智喜は一呼吸置くと、広間にて準備を済ませ、待機している門下の者共に向かって、言葉を放つ。
「待機継続じゃ」
ザワッと不満の気が流れる。
智喜はドカッと腰を下ろすと、目をつむり、屋敷の後方に構える鼻ヶ岳を想った。
どうも。暴走紅茶です。
今週もお読みくださりありがとうございます。
日に日に忙しくなります。も~わけわからん。
ですが、来週も更新しますので、是非!