8話 襲撃
化け猫捕獲の一件から、千羽家の警戒態勢が厳しいものとなりつつあった。夜は普段、当番制で智鶴と百目鬼の日もあれば、門下の者が修行代わりにパトロールする日もあった。だが、今は毎日智鶴と百目鬼が見回りの任に就き、門下の者も当番制で非常時に備え、寝ずの番をすることになっていた。
だが、なかなか件の監視者は現れず、千羽家一同は寝不足と警戒態勢という息の詰まる環境に只疲弊していくだけだった。門下の中からは不満の声も上がっているが、そうして気を緩めたときに襲われてしまっては元も子もない。
結局はどうする事も出来ぬまま、緊急時に備え、警戒態勢を崩さない事だけが、千羽の面々に出来る事だった。
「おう百目鬼! 帰ろうぜ!」
そして、その「動き」はある日の放課後から始まるのだった。
放課後、百目鬼がクラスメイトの佐藤 斎と下校した時の事である。
「お前ってさ、時々千羽さんと居るけど、どういう関係なん?」
歩きながら斎がそんな事を問う。
「……どういう? う~ん」
「はっきり言えない関係なのか!? 千羽さん可愛いもんな~。そりゃ側に居たら、なぁ?」
斎が爛々(らん)と目を輝かせそう言う。
「何が、なぁ? だ。そうじゃない。それに、アイツが可愛い? 眼科に行った方が良い」
百目鬼はいつもよりも数割増しに語気を強める。
「そんな事言っちゃってま~。じゃあ、何なんだよ~。教えろよ~」
「何だろ? 幼……馴染み?」
「何で疑問形なんだよ」
「……こう、上手く言えない」
「とにかく付き合いは古いんだな?」
「……うん」
「で、結局のところどうなんだよ」
斎が面白がっている様に聞く。
「……どうって?」
百目鬼がきょとんとした様子でそう答える。
「好きなのかって事だよ!」
「……」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする百目鬼。
「まさか、ずっと一緒に居て、一度もそういう事考えた事ないの!?」
「……(コクコクコクコク)」
無言で首肯のみの返事をする。
「まじかよ」
「大マジ。オレと智鶴は、そういうの、じゃない。本当に」
友達とも違う。ましてや恋人なんて。
「まあ、あんまり長く居ると兄弟みたいな感覚になるって言うもんなぁ」
「……まあ、そんな感じ」
でも、家族とも違う事には違うんだよ。と、百目鬼は一人胸中で呟いた。
「じゃあ、また明日な!」
斎が駅の方へ、百目鬼は家の方へ足を向けた。そうして、少し歩いた時の事である。
路地の影から何かが百目鬼の腕を掴んだ。それは何だか青くて……。
気がついた時には引きずり込まれ、押し倒されていた。
目を開くと、そこには狩衣を模した水色の洋装を身に纏い、長い髪を一つに束ねた少女が腹の上に跨がっていた。
「あなた、百目鬼君だよね? 千羽の」
「お前、誰?」
百目鬼が常時気を張っているのは彼を中心に半径5メートルだった。それは、それだけの距離があれば奇襲に備えられるからだったのだが、今彼に跨がる少女はそれに気取られる事なく、奇襲を掛けてきたのだ。
「私が誰かなんて、そんな些細な事どうでも良いの。今大事なのは、君が千羽家の百目鬼君かって事」
「……」
「答えないって事は肯定と取るね!」
「何の用だ」
悲しいかな、百目鬼には攻撃型の術者ではない。体術はそれなりに訓練しているが、何故か上手く力が入らない。
「抵抗しても無駄だよ。妖の動きを鈍らせる護符を貼らせて貰ったから」
「……オレは。人だ」
「そうだね、君は確かに人だ。でも、妖の匂いもちゃんとするんだ。それに、護符が効いた。やっぱり先祖返りなんだね」
「……」
百目鬼にとって妖として扱われる事はこれ以上無い屈辱だった。
頭に血が上るけれども、何も出来ない。やきもきしても始まらない。
「そろそろ本題に入ってもいい?」
「……」
睨む事が精一杯の百目鬼を余所に少女は話を続ける。
「君、千羽から私に寝返らない?」
「……どういうことだ」
「千羽には、黒い噂がある。それを確かめてみないかって話」
「黒い噂? 何のことだ!?」
語気がだんだん強まる百目鬼を見て、少女はクスリと笑う。
「千羽の人は何も知らないって、本当なんだね」
「教えろ! 何のことだ」
「ははっ。私の側に着くなら教えてやらなくもないけどね」
「……そんなの願い下げだ!」
百目鬼は言葉で威嚇する。
「なら、力尽くにでも!」
怪しい光が少女の手を包む。
「私の従僕になりなって!」
迫り来る掌底に対抗し、百目鬼が咄嗟にポケットから一枚の紙を取り出す。それは智喜特性の呪符だった。霊力の操作が苦手な百目鬼のために、力を流すだけで発動させられる様、術式が組まれている。その意味は『吸収』相手の力を吸い、貯める事が出来る。
今百目鬼が封じられているのは妖力、妖者が振るう力だった。一般的な妖ならそれで身動き一つとれなくなるだろう、だが、先祖返りの百目鬼には妖力だけで無く、霊力も微量ながら流れている。それを振り絞れるだけ振り絞る。
「……発動っ」
妖力用に調整された呪符では微力な霊力では、その効果の全てを発揮することは出来ない。だが、ハッタリには十分だった。
「くッ……」
少女に渋面が広がる。そのまま跳ねる様に立ち上がると、後ずさる。
「今日はこれで帰るね。でも、もし気が変わったら教えてほしいな。きっと探してくれたら、私は君の側に居るから」
少女は飛び上がると、そのまま中空に姿を消した。
「……くそッ」
百目鬼は彼女の霊力を吸い取った呪符を握りしたまま、暫く立ち上がる事も出来なかった。
ういっす。紅茶ッす。
うっす。うっっす。2月はまださみぃっす。
うっす。じゃあ、また来週。