12話 束の間の……
残暑の気配もだんだんと薄れ、時折吹き抜ける冷たい風に、次の季節を感じ始めた9月の終わり。翌週に文化祭である『清涼祭』を控えた清涼高校は、生徒たちが一年で一番浮き足立っており、放課後に居残って各クラス出し物の制作を詰めている。帰宅部の智鶴は、普段ならもう下校している時刻であり、初めて放課後の学校というものを堪能していた。
「あ、智鶴、お疲れ」
自販機に飲み物を買いに行ったところで、百目鬼にバッタリ出会った。
「アンタもサボり?」
「ち、違う。休んで、って、言われた、から」
智鶴と同じく、部活に入っていない百目鬼も、初めて放課後の学校を経験して、ソワソワしている様だった。
「あ~。楽しいけど、帰って修行したいわ」
「わかる。楽しい、から、こそ、ちょっと、不安に、なる」
「そうね。まあ、最近色々立て込んでたし、束の間の休日って事にしましょうか」
「うん、そうだね」
2人が連れ立って教室に戻る途中で、中庭を挟んだ向こう側の校舎に、竜子の横顔が見えた。クラスメイトだろうか。智鶴の知らない誰かと、仲睦まじく談笑しながら歩いている様子だった。
「元気なのよね……」
智鶴は百目鬼に聞こえないほど小さく呟く。
雪ヶ(が)原で様子がおかしかった件について、竜子にまだ何も聞けないでいた。もしも何か、最悪の答えが返ってきたら、無視されたら……と思うと、話しかけても、怖くなって違う話をしてしまう。もう今となっては、仲間をただ信じて想うことしか出来ないのだった。
教室に入ると、委員長が日曜日に登校して来られる人を募っていた。
「千羽さんと百目鬼君! どこに行ってたの? 2人は日曜日来られる?」
土日とも夜の仕事がある2人は、どうしようかと迷ったが。
「夕方くらいまでなら」「俺も」
というラインで妥協した。
正直なところ、人付き合いが苦手な智鶴は、最初こそこの『高校の文化祭』『みんなで盛り上げる雰囲気』という、如何にも“発言力の高い人らがこれ見よがしに楽しむイベント”としか思えないものに、嫌悪感すら抱いていた。彼女にとって友達は日向とついでに静佳だけでいいし、仲間の百目鬼と竜子だっている。これで世界イッパイ、お腹イッパイだった。だから、仲良くなりたいとも思わないクラスの有象無象と戯れるなんて……。と感じていたのが初日の事である。
クラスの出し物『13日の金曜日』をイメージした、コンセプトカフェの準備として、血糊を作ってみたり、チェーンソーを動かしてみたりというのを、名前もちゃんと覚えていなかったクラスメイトと共に行う中で、徐々に楽しいという感情が芽生えだし、また新たに数名顔と名前が一致する人も増えた。
今も積極的に参加するというスタンスは、恥ずかしいから取れないものの、修行や仕事に支障が出ない範囲内で、できる限り参加していた。
「ちーちゃん楽しそう」
隣で血しぶき飛び散る看板に色を塗っていた日向が、からかう様に言葉を向けてきた。
「そ、そんなことないわよ」
智鶴は意識を逸らそうと、慌てて看板にペンキを塗りたくる。
「別に隠さなくてもいいのに……」
「隠してなんかいないわ。早く帰りたいわよ。本当に」
「も~。天邪鬼なんだから~」
「あんな妖と同じにしてほしくないわ」
「え?」
「何でも無いわよ!」
あら、うっかり失言をしたと、智鶴は顔が赤くなる。
「ま~いいや」
日向は智鶴からかいに満足したのか、意識を血しぶきに向け始めた。
夏の夕日が優しく教室に差し込んでいた。
*
だが、智鶴が何気なく言った「束の間の休日」は本当に束の間で終わってしまう。
アイツは本当にいつもいつも突然やってくる。千羽に住まう全ての術者が、誰一人として歓迎していないのに。
その日の夜、文化祭の準備で疲れた智鶴は、夕食後に修行そっちのけで居眠りを貪っていた。いや、智鶴だけで無い、百目鬼もまた、疲れからウトウトしていた。時刻は夜の9時を回ったところである。妖が湧くにも中途半端な時間。……だったが、2人はほぼ同時にピクンと跳ね起きた。直ぐに着替えると、家を飛び出す。
そう、智喜に止められる前に。
智鶴と百目鬼が飛び出した後の千羽屋敷は、蜂の巣を突いたような騒動に包まれていた。
スッパーーーンと壊さんばかりに襖を開け放ち、智喜が広間に飛び込む。
そして一声。
「出られる者は準備を急げ! 智鶴と百目鬼はどこじゃ!?」
そう叫んだ。
「智鶴様と百目鬼は先ほど血相を変えて、家を飛び出していきました」
「あ、アイツら……」
彼は頭を抱えると、不安げな様子で鼻ヶ(が)岳の方向を睨んだ。
「智鶴ちゃん! 隼人くん!」
鼻ヶ岳に向け、全速力で駆ける2人を呼ぶ声が降ってくる。
「竜子!」
智鶴が空を見上げ叫ぶと、蛟・美夏萠の背から仲間を見下ろす彼女の顔が見えた。
「この邪気! まさかまた!?」
「多分ね。百目鬼も居るって言ってたわ」
走りながら、彼はコクンと頷いて見せた。
「先に行ってるよ!」
「直ぐ追いつくわ!」
美夏萠がグンとスピードを上げる姿を見て、いつも通りだわとホッと胸を撫で下ろした。でも、今はそんな時じゃ無いと、心に一発平手を打ち込み、気持ちを切り替えると、百目鬼と共に夜の千羽町を駆け抜けた。
参道の石段を駆け上ると、丁度拝殿から鳥居の方を向いて、妖が群がっていた。そして、その先頭にはそう、智鶴の宿敵ぬらりひょんが仁王立ちして待っていた。
「思ったより早いお出ましで」
「今日こそ滅してやるわ」
売り言葉に買い言葉。戦いが始まる前触れの様な、一触即発の雰囲気の中、ぬらりひょんの背後から、一体の如何にもチャラついた格好をした人型の妖が右手を挙げ、「よう、ドーメキ、元気にしてたか!?」等と声をかけるものだから、場はより一層凍り付いた。
「メダカ、さん……? なん、で?」
「百目鬼!? 知り合いなの!?」
「知り、合いも、何、も、俺の、師匠……」
「え?」
「金峰山、で、鱗脚と、メダカさんに、術、教えて、もらった……。え? 何で……?」
百目鬼は悪魔に胃を捕まれたかのように、お腹がキュッと痛んだ。次いで、心臓がドクドクと早鐘を打ち始める。
吐き気と共に、自責の念がこみ上げてくる。自分は誰に術を教わっていたのか、それすら知らなかった自分に対して。その正体が、まさか大事な仲間の宿敵の一味であった事に対して。
「おお……。メダカ、良かったではないか。ちゃんと覚えててもらって」
「ぬらりひょん様、そりゃまだまだケツの青い子供ですぜ? 記憶力は良いはずだぜ」
そんな会話すら、耳に入って来ようとしない。
「理解が出来ないわ。何故、敵に塩を送るようなマネをしたの!?」
「まあまあ、それもこれも全部含めて話そうじゃないか。でも何だ。無料で聞かせるのも、面白くない」
ぬらりひょんは彼女を値踏みするように、そう言うと、腕を組む。
「お金でも取る気?」
「ははは。馬鹿を。強くなったのだろう? 我は弱き者に事を教える気は毛頭無い。だから、我とゲームをしろ。もしも勝てたら、メダカの事も、……そうだな、10年前の真実も話そうでは無いか」
「ゲームって何よ。それに、10年前って、何なの!?」
「知りたいのなら、ゲームに勝つのだな。我に言えるのはそれだけだ」
「……」
智鶴は眉根を寄せて、思案顔を作る。下の様子が気になったのか、竜子が降りてきたところで、小声で百目鬼に話しかけた。
「あのメダカさんは、信用できる?」
「わ、分か、らない……」
百目鬼は意気消沈しており、自分の言葉に何一つとして、責任を持てないでいた。
「シャキッとしなさい。アンタは強くなったんでしょ。今はそれで、十分じゃない!」
智鶴が落ち込む彼の背を思いっきり平手で叩き、檄を飛ばす。
「あ、痛っ!」
少し涙目になるほどの威力だった。それでも、ようやく目が覚めたのか、少しはマシな表情になった。
「ごめん。そう、だね。そうだ……」
あの期間、自分がどれだけメダカに世話になったか。どれだけ自分を気にかけてくれたか。それを思いだし、精一杯、過去の自分を肯定した。
「うん。メダカさん、は、信用、出来る」
「竜子はどう思う?」
「ごめんね、断片的にしか聞こえなかったけど、ゲームにのるかどうかって話で合ってる?」
智鶴がコクリと頷いて見せる。
「私は乗って良いと思うよ。だって、この数の上級妖、普通に相手できる数じゃ無いもん」
「でも、ゲームの内容が分からないのよ? 百鬼とのバトル・ロワイアルだったらどうするのよ」
「多分、一般的に、それは、ゲーム、じゃない。蹂躙」
「だけど……」
「智鶴ちゃん。アナタの宿敵だよ? 迷うのもいいけど、決断するのはアナタだよ。私たちは、それに必ず協力する」
竜子が百目鬼に目配せをすると、彼は頷き、真剣な顔で智鶴を見た。
「……」
「いつまでだらだら話しておるのだ? のらぬなら、我らは去るぞ。今日は主らとゲームをしにきたのだからな」
ぬらりひょんが待ち切れなくなってきた様子で決断を迫る。
「……っ分かったわよ。うっさいわね! のるわ。それで、ゲームの内容は!?」
「鬼ごっこだ」
「お、鬼ごっこ、ってあの?」
意外な提案に、智鶴が拍子抜けて、声が裏返ってしまった。
「そうだ。だが、ただの鬼ごっこではない、……そうだな『相対オニ』とでも名付けるか。ゲームは我が百鬼から3体対お前ら3人で行う。ルールは簡単。1時間以内に、ここに居る、『定礎』という妖の作る範囲内から出たら負け。敵に1分以上捕まれたら負け。気絶や死亡など戦闘不能になればそれも負け。どうだ、簡単だろう」
要するに、互いが互いのオニである鬼ごっこという訳だった。だが、人の視点からすると、鬼がオニをする鬼ごっことは、冗談にも笑えない事だと、3人は同じ事を考えていた。
「いいわね。要するに捕まらず、全員滅したら良いんでしょ?」
「そういうことになるな。まあ、我が百鬼の一員、そんなにヤワでないがな」
ふっと鼻で一つ笑い、智鶴たちをどこか小馬鹿にした様子を示す。
「それでは、定礎、頼めるか?」
「御意のままに」
四角いコンクリートブロックが組み合わさって出来上がった様な、西洋妖怪ゴーレムを思わせる2足歩行の妖が前に進み出てきた。振り上げた拳で、地面を一発殴ると光が走り、拝殿を中心とした300メートル四方の囲いを作った。その中には拝殿は勿論のこと、山の森や砂利で覆われた境内も含まれ、地形を利用した戦術も取れそうであるが、同時に死角が多く、逃げるのも捕まえるのも大変そうである。
「これが、範囲だ」
それだけ言うと、定礎は百鬼の群れに戻っていった。
「ここでは定礎がルールだ。先ほどの負け要素を感知すると、範囲外に出される様になっている」
「ついでに俺も、監視・実況させてもらうぜぇぇぇぇぇええ」
メダカが意気揚々と声高に叫んだ。
「では、こちらからのオニ役を紹介させてもらう。では、お前ら前に出ろ」
呼ばれて進み出たるは3体の妖。左から順に『文学妖妃』『隠狐』『木人』という、どれも上級の妖である。
それに、どの妖も……
「なんでこんな顔が見えないヤツばかりなの!?」
そう、文学妖妃は葡萄茶式部という、明治時代の女学生然とした格好をしており、手に持った文庫本で顔を隠していた。隠狐はそもそも真っ黒で顔のパーツすら見分けも付かないが、狐と分かるシルエットであり、木人は高級紳士服店に展示される、木製のマネキンのような、デッサン人形を大きくしたような見た目で、顔らしい顔が見受けられる妖は一体も居なかった。
「不気味……」
百目鬼ですら、気持ち悪げに呟く。
「人を惑わし、追い込み、捕まえるのに特化して選んだ逸材ばかりだ。そうそう簡単に逃れられると思うなよ、千羽のお嬢さん方」
「私たちだって強くなったのよ。ナメてると痛い目見るわ!」
「そうかそうか、それは見物だ。それでは始めようか……定礎」
面倒くさそうに、かったるそうに、百鬼の中から出てきた定礎が、一声。「開始!」と叫んだ。
ゲームの幕が上がった。
どうも。暴走紅茶です。
今週もお読みくださりありがとうございます。
最近土日に予定が入りがちで、早めに予約投稿しています。いやはや、便利な機能ですね。
では、また来週!