10話 敵、現る
「え? 百目鬼様、一体何が? あちらには椿姫が」
百目鬼の指示を破り、桜樺が小声で不安げな声を漏らす。
「待って、まだ、結界、保ってる」
「声は漏れないんじゃいの?」
「いい、から、黙って」
桜樺の言葉を皮切りに、全員声を潜めつつも現状を知ろうと、百目鬼を質問攻めにし始めたが、再びの注意喚起に、場が沈黙し、それと同時に彼はスッと集中を深める。
知らない人影の数は2つ視えた。これが敵だった場合、傷ついた雪見入道を回収しに来たか、止めを刺しに来たか……どちらを考えても最悪だった。
隠形、かな、良く、視え、ない……。
もっとよく見るために、万里眼に切り替える。千里眼では影位にしか捉えられなかった姿も、ハッキリ人物として見えた。
来訪者は男女であった。男は背中に大剣を、女は両腰に中サイズの細剣をぶら下げている。その形から、十中八九呪術者であると言えるが、術の系統までは分からない。歳の頃は14~17くらいだろうと予測できる見た目だが……更に観察を……。
だが、そこへタイミング悪く、結界の現状確認に、門弟が戻ってきてしまった。しかも、ふらっと出てきたのは、来訪者の目の前だった。
「あ、ヤバい」
百目鬼が一声あげると、慌てて立ち上がり、結界を飛び出して、門弟を思いっきり突き飛ばす。
敵は容赦なく大剣を振り下ろした。
門弟は百目鬼に突き飛ばされ、擦り傷だけで済んだが、百目鬼は右膝から下を何らかの技で切り落とされた。
彼の膝下が宙をくるくる回り、ドスっと地面に落ちた。
「いでらsrfが」
余りにも突然のことに、言葉に聞こえない悲鳴を上げてしまう。
「ん~? どっから出てきた? まあ良いか。今ので見つけたし」
百目鬼の足は直ぐに再生繊維が伸びると、その形を再現させたが、素足になってしまっては、機動性に欠ける。と、そんなことを考える間もなく、目の前の光景が急展開する。
敵の攻撃は、彼の足を切り落として尚、その威力を落とすこと無く突き進んだ。それは結界を作るしめ縄を切り破ったところで止まったが、中にいる倒れた妖を露呈させた。
「何、者、だ!」
百目鬼は立ち上がると、敵に相対する。
振り向くこと無く、背後の様子を視ると、どうやら雪見入道も、椿姫も、他のみんなも無事のようだった。
百目鬼の背後からは彼が飛び出していったことと、結界が破られたことに驚いて、千羽サイドの面々がゾロゾロと出てきた。
「誰? 何しに来たのかしら?」
百目鬼の隣に立った智鶴が、腕を組み、相手に尋ねた。
「そっちこそ、誰だてめえら。雪見入道を寄越しやがれ!」
男の方が、智鶴たち一行の背後に横たわる雪見入道を指さして怒鳴った。
「渡す訳ないじゃないの! 先ずはあなたたちの素性を話しなさい!」
「おいおい、人にモノを尋ねる時は、自分から名乗れよ。チビ」
「チ……。ふんっ」
突発的な怒りを飲み込むと、言葉を続ける。
「私は千羽智鶴よ。ここへは雪見入道を助けに来たの」
「千羽かぁ……。丁度良いなぁ。鴨が葱背負ってきてら……まあいい、冥土の土産に教えてやる。俺は刑部真虎、こっちは妹の白斗だ」
「刑部……?」
そう名乗った名前を聞いて、相生が顔を青くする。
「どうしたんですか。何か心当たりでも?」
丁度彼女を守るようにして構えていた雫が、わなわなと震える顔に問いかける。
「剣を持っている……違いない。刑部は、物部の傘下です……。まさかこんなタイミングで出遭うとは……」
「そっちの姉ぇちゃんは博識じゃねえか。そうさ、俺たちは物部様の命で、ここに、この山に、雪見入道を回収し……」
とそこまで言った所で、後ろに居た妹の白斗が声を上げた。
「お兄ちゃん! あれ!」
彼女の指さす方には、漢九郎が雪見入道を背負って逃げる後ろ姿が見られた。
「さ、せ、るかぁぁぁぁぁぁぁああああ」
真虎が担いでいた両刃の大剣を一気になぎ払うと、その剣筋が炎の刃となり、彼に迫った。先ほど百目鬼の足としめ縄を切り落としたのは、この技だったようだ。
「させないのはこっちも同じよ」
それに合わせて、右側を突き進む剣筋に向け、智鶴が右手を払うと、大量の紙吹雪が舞い、紙壁を作った。力がせめぎ合い拮抗するも、彼女が紙鬼回帰を発動。紙壁に鬼気が流し込まれることで、炎の刃は呆気なく霧散した。
「なかなかやるようだなぁでも、そう簡単に諦める訳にいかないんだよ! 白斗、お前が追え! ここは兄ちゃんに任せろ!」
「あ、待ちなさい!」
「行かせるか!」
真虎の大剣から、再び斬撃が飛ぶ。それを防ぐために、智鶴はその場に足止めされてしまった。
「智鶴様! 私が追います!」
杏銃が白斗を追って駆けていった。監査役としてどうかと思うが、今はなんとも心強い言葉だった。
「百目鬼! 竜子! 援護しなさい! 雫は相生さんを守って!」
「了解!」
智鶴の指示が飛ぶと、すかさず雫が声を発した。
「雪華術 氷之章 氷壁展開!」
自身の目の前に氷で出来た壁が広がる。雪ヶ原家の術、雪華術の応用技だった。この術には主に雪之章と氷之章と呼ばれる区分けがある。前者が基礎編、後者が応用編とされている。雪之章だけを極めた強い術者も居るため、一概には言えないが、氷之章を13歳という最年少で会得した雫は、紛れもなく才覚があり、次期当主として一目置かれる存在である。
守りが固まったところで、智鶴たち3人と、真虎が睨み合う。
敵が肩に担いだ大剣をゆっくりと構えると、その剣身に炎が迸った。それはどんどんと燃えさかり、炎の剣を形成する。
「行くぜ。雪見入道は返して貰うからなぁ!」
智鶴は迫り来る大剣の樋に鬼気で包んだ紙吹雪を当てると、その剣筋をズラす。重さから素直に軌道がズレ、彼女の横手に切っ先が落ちた。だが、それも予定調和だったかのように、一気に下段からの振り上げで追撃を繰り出してくる。これには退避で避けるしか無く、後方に大きく宙返りをして距離をとった。
智鶴に気を取られている隙に、百目鬼が攻撃を仕掛ける。横っ腹目がけたストレート。しかし、それは突如として現れた炎の盾に防がれる。
「自動防御ね。やっかいだわ」
百目鬼も後方へ退避し、それぞれの距離関係は振り出しに戻った。
油断、したら、やら、れる。と判断し、対人では封じている手袋の呪具を填めた。
「竜子! 何をボサッとしてるのっ!」
構えた格好の竜子はそれ以上の行動をすること無く、ただ呆けて戦闘を眺めていた為に、智鶴から檄を飛ばされる。
「ゴメン! ボッとしてた くさりん!」
直ぐさま鎖鎌の付喪神ことくさりんを顕現化させると、境界霧化を発動。それに呼応するようにして、従者の形状が鎖鎌から、大鎌に変化した。
それを構え、敵との間合いを詰める。
「ちょっと、突っ走らないで!」
竜子は声を掛けられると、どこか焦ったような表情になり、急に攻撃を繰り出した。咄嗟に智鶴と百目鬼が援護に回るが、こんな思いつき一辺倒の突発的な動きをされては、連携も何もあったものではない。
結局一撃も食らわす事が出来ぬまま、竜子は退避し、再び智鶴の背後に戻ってきた。
「どうしたのよ。らしくない」
智鶴の言葉にも「ゴメン……ゴメン……」と彼女はそう繰り返すばかりである。くさりんを杖代わりにすると、不甲斐なさげに下を向く。
「もう良いわ。相生の守りに回りなさい! ここは私と百目鬼で何とかするから!」
竜子の発作的な攻撃に、退避、それを隙にと手数を披露する真虎……急な場面展開に、何とか紙吹雪で合わせたつもりだったが、上手くリズムに乗りきれず、どこかぎこちない攻防を繰り広げてしまう。その時だった。真虎が大きく後方へ飛び退り、智鶴たちから距離をとると、燃えさかる剣身に手を突いた。
「何とかなるといいなぁ」
不気味にそう言うと、更に言葉を発する。
「剣舞術 添加 羽化」
見た目に変化の無いまま、再び剣を構え間合いを詰めてくるが、先ほどとは明らかに振り回すスピードが、段違いに速くなっている。
刑部家の術、剣舞術は剣を扱う上での効果付与を得意とする術である。中でも剣身に炎を纏わせる『炎纏』と、軽量化の『羽化』は彼の十八番だった。
「ダッ。クソッ」
智鶴は短く悪態を付くと、素早く百目鬼と入れ替わる。早い攻撃を避け、いなすのは、万里眼を習得した彼にとって、朝飯前の事である。
「ちょこまかと……。剣舞術 炎纏 爆!」
切り上げながら敵がそう唱えると、剣身に宿った炎が爆散した。爆風に吹き飛ばされる百目鬼だったが、既に智鶴が次の手を用意していた。
「紙操術 紙吹雪 針牢獄!」
今まで針地獄として放ってきたモノとは比べものにならない質と量の紙針が、真虎の方を向き、構えていた。
智鶴が両腕を振り下ろすと、それに伴い、紙針が降り注ぐが。
あ、ダメ。殺すのは……! 彼女の中に躊躇いが生まれ、寸手の所で攻撃が止まった。
「あれあれあれ? 人に向けて術を使うのは初めてかぁ? 温室育ちのお嬢さんは暢気なもんだなぁ。ケッ虫唾が走る。羨ましさすら湧いてこねぇよ」
真虎は自身を中心に、球状の炎を展開すると、紙針を燃やし尽くした。
「……!」
智鶴がハッとした顔で、動揺し、立ち止まった。
「戦闘中にボサッとしてんじゃねえよ!」
我に返った時にはもう遅かった。目の前に迫る敵の姿に、つい怯んで身体が強ばり、動きが取れない。
真虎は、まるで練習の的でも切るかの様に、遠慮なく、思いっきり上段から振り下ろし、智鶴を袈裟切りにした。
ブシャッっと鮮血が舞い、彼女の白い紙服を赤く濡らした。傷自体は肩口までで止まり、後手で発動した紙服の硬化と自動防御で、胸部以降への侵入は防いだものの、切り裂かれた肩に激痛が走り、うめき声と共に、膝から崩れ落ちた。
「ちづ――!」
今すぐに駆け寄り、守りたいのに。ただ見ているだけの自分を恥じ、仲間の名前すら呼ぶことの出来ない竜子は、一歩踏み出すも、その場で固まり、暗澹たる顔色を浮かべた。
そんな彼女の脇をすり抜け、雫が氷の刀――氷刃――を生成し、素早く躍りかかる。また、その死角からはワンテンポずらして百目鬼も襲いかかる。雫が派手に斬りかかった隙に拳を脇腹にねじ込んだ。敵の自動防御すらも貫き、一撃を決めた。
雫と鎬を削っていた真虎は不意の攻撃に、「ふごっ」っと空気の塊を吐き出す。
「よくも、よくも、よくもよくも! 智鶴、を、傷、付けた、な……」
百目鬼の眼が、顔だけでは無い。全身の眼が爛々と怒りに怪しく光る。ゆらり……百目鬼が一歩踏み出した所で、フッと彼の姿が消えた。
「どこに消え……」
「妖術 瞬歩」
百目鬼は目にもとまらぬ足運びで、真虎の死角に回り込むと、背中から心臓目がけて掌底を放つ。更にうつ伏せで倒れようとしている敵の前方に回り込み、鳩尾目がけてのアッパーで体を浮かせ、素早く立ち上がると、背中の中心に拳槌を打ち込んだ。
何が起こったのか分からぬまま敵は白目を剥き、そのまま地に伏したが、百目鬼もまた、力尽きてぶっ倒れた。
百目鬼のこの術は、鱗脚に習った加速法を、古武術の瞬歩にヒントを得て再考し編み出した技であるが、万里眼状態でないと使えない上に、如何せん妖力の消耗が激しく、今日みたいに仲間が多くないと、倒れた後の危険があり、なかなか使えない技である。実は、初めて修行以外で使ったのだった。
「ああ、百目鬼……」
未だ血の滴る肩を押さえて、這いつくばつ智鶴が、地に伏す彼に手を伸ばす。雫と相生もまた、彼らの元に駆け寄った。
竜子はそれすらもただ眺めているだけで、一歩も動こうとしなかった。
*
一方その頃、漢九郎と杏銃は白斗と向かい合っていた。
雪見入道は側の木立に下ろし、牡丹坂姉妹に託す。
「嬢ちゃん。お兄さんたちは、別に君と戦いたい訳じゃ無い。ただ、この妖を安全な場所に運びたいんだよ。なあ、見逃してくれねぇか?」
「何を言っているの? そんな事通用するわけ無いじゃないか! さっさとその妖を寄越せ!」
白斗が叫び、両腰から2本の細剣の柄に手を掛け構える。長い赤髪がブワッと膨れ上がったかのように見える程、イライラとした怒りに、霊気が乱れていた。
「なあ、杏銃よ。お前、非戦闘員だなんて嘘だよな」
「まあ、あれはちょっとしたハッタリですよ」
敵から目を離さず、漢九郎が問いかけ杏銃が応えた。彼女がロングジャケットの胸元に手を入れ引き抜いたものが、金属性の光沢を日に照り返した。
その手にはS&W社製.50口径のリボルバー銃、M500をベースとして作られた呪具が握られていた。一度シリンダーを展開すると中を確認したが、弾を込めることなく、また元に戻す。
「頼もしいぜ。俺が盾になるからよ、後は任せた」
「任されました」
「ごちゃごちゃと何を話しているんだ。雪見入道を渡せっ」
怒りに任せ、白斗が踏み込みながら抜剣する。その華奢な腕からは想像が出来ないほど素早く上段から振り下ろされた2振りの刃は、しっかりと漢九郎の肩口にめり込んだが、彼の体は既に霧となっていた。その程度の物理攻撃は痛くも痒くも無い。
「どうしたどうした。そんなんじゃ俺の敵になれねぇぞ」
漢九郎は退避した白斗へ拳を振るうが、それは右の剣で弾かれ、左の剣が彼の脇腹を薙いだ。
「だっから、効かねえの」
余裕綽々(しゃく)の表情で、敵へ追撃を入れる。単純なラッシュをかけて術すら使わせないのもアリだったが、彼はあくまで盾であり、囮である事に徹した。殴り弾き切り弾くそんな攻防が繰り広げられたが、百目鬼との組み手同様、どちらも傷一つ負うこと無く無駄に体力だけが削られていく。
だが、戦闘の最中、白斗の唇が小さく開閉したのを、彼は見逃さなかった。
「…………剣舞術 蝶舞」
警戒した漢九郎が間合いを取ったが、ふわりと重力を感じさせないステップでそれを詰められると、細剣が怪しい黄色の光に包まれる。
蝶のように舞、蜂のように刺すとは言うが、彼女の攻撃は蝶のように舞い蝶のように切り裂いてくる。まるで捉えどころの無い剣筋が、漢九郎の防御を掻い潜る。
「ふん。それはつい先日食らったところなんだ!」
白斗の細剣に込められた光の正体を、恐らくは霊力の塊だと、そう判断した漢九郎は先日行った百目鬼との組み手で、同じようにして術を破られた経験を思い出した。狙いはきっと百目鬼と同じと直感した彼は、思いっきり細剣の軌道と同じ方向へ飛び退る。
そんな彼の背後には杏銃の姿があった。漢九郎は彼女の更に背後まで下がり、攻撃権を譲った。
「囮役、ご苦労様でした」
彼女は愛機『魔銃真羅』の引き金を2度引いた。爆音のごとき発砲音が響く。
ダブルアクションで作動したそれは、撃鉄が起き上がり一気に振り下ろされるも、薬莢を叩いた様子は無く、よって爆炎も硝煙も上がることは無い。その代わりに杏銃の黒い呪力が爆炎の如く迸った。すると銃口からは、圧縮された彼女の呪力が弾となって打ち出され、目にもとまらぬ早さで白斗の肘を打ち抜く。見事に腱を打ち抜かれた彼女は、カランと音を立てて細剣を取り落とすと、痛みに悲鳴を上げた。
「クソ……クソ……何でだよ、何で……」
「一丁あがりですね」
嘆き叫ぶ白斗を見下ろしながら、杏銃は銃の先に残る霊気を、フッと一息で吹き飛ばした。
*
「何でだよ、何でハズレを引いたのに、俺は今こんな目に遭っている? おかしいだろ!」
「ハズレってなんですか?」
智鶴の紙縄で木に縛りつけられた真虎が目を覚まし、激しく悪態をついた。そんな彼に、雫が問いかける。
「雪見入道だよ。あの妖、上級の中でも、全然位が高くなかった、ハズレだ。なのに物部様は連れてこいという、わっかんねぇよ。何で俺はハズレを拾いに来ただけで、こんな目に遭わなきゃならねえ!?」
「お兄ちゃん、しゃべりすぎ」
「……」
妹の白斗も同じくお縄に付いていた。肘の傷は応急処置がなされ、痛み止めも効いてきたのか、もう取り乱しては居なかった。
「彼らの身柄は、私たち魔呪局で預からせて頂きます。もし、彼らの供述内容で新たな情報が出た際には、千羽様にも報告がいきますので、よろしくお願い致します」
「ありがとう。そうしてくれると助かるわ」
智鶴は肩の傷を牡丹坂姉妹に治療して貰い、左腕を吊っているものの、もう痛みは引いたようで、平生を保っている。
「で、雪見入道は……」
と、彼らがそう話していた時だった。急にゾッとする気配が刺すように溢れだし、皆が一斉に刑部兄妹の方を向く。すると兄妹の足下に黒い影が広がり、2人はそれに飲み込まれ、落ちていく様子が智鶴の目にしっかりと映った。
「待ちなさい!」
反射的に駆け出そうとする彼女の首根っこを、漢九郎が押さえる。
「まて、迂闊に近づくな!」
「賢明な判断だ。余り深い入りするなよ。深淵を覗く覚悟が無いお嬢さん」
影から響く、老若男女の判断が付かない声が、不気味に広がるのと反対に、影はスッと縮まり、消えてしまった。
「……」
重い沈黙が流れる。
それを振り切るように、雫が極めて明るい声を発した。
「まあ、なんと言え、とりあえず状況終了です。お疲れ様でした!」
その声にほんの少し励まされた面々は、口々に力なくお疲れ様と言い合った。
一旦雪見入道は別の地点に移され、そこに新たな結界を張った。雪ヶ原屋敷にてこれからの打ち合わせを詳しくする算段となり、皆山を下り始める。
もう直に麓という所で、初めて智鶴が口を開いた。
「ねえ、百目鬼。あなたはどうして、グローブを填める覚悟が出来たの?」
彼女は刑部真虎との戦闘の事を言っていた。
「やら、なきゃ、やら、れる、と、思った、から」
「そ、そうなのね……。私、ダメみたい。妖なら数え切れないほど倒してきたけど、まだ人に向けて術を使う覚悟が、出来てないみたい」
「焦ら、なくて、大丈夫、俺も、竜子も、みんな、ついてる、から、頼って、よ」
「うん、ありがとう……」
ずっと守っていると思っていた彼の頼もしい言葉に、嬉しさ反面どこか申し訳ない気持ちがあるようで、表情を翳らせる。
その後はまた閉口し、結局屋敷で会議が開かれるまで、誰も口を利こうとはしなかった。
*
帰りの新幹線、窓の外をせわしなく流れ去っていく景色へ、ただ呆然と視線を向ける智鶴。他の皆も大差は無く、行きのような和気藹々(あい)とした空気感は消え去っていた。様子が変だった竜子を問い詰めたい気持ちや、百目鬼にもっと対人戦の話を聞きたい気持ちはあったが、この数日間で起こったことを考えると、不安な気持ちが湧き上がって、言葉を出すのもしんどいのだった。
あの後の会議によって、雪見入道は、暫くの間結界内にて過ごして貰う運びとなった。そのため、簡易的な詰め所が山の中に設置され、門下生を中心に魔呪局員や傘下の呪術者たちで警備・保護を行っていくそうだ。これから先、異界へ移って貰うのか、現状を維持するのかは、まだまだ話し合いの余地があるようで、雪見入道とも話し合いながら、慎重に事を進めるそうだ。
相生はまだ雪ヶ原家待機になるそうで、智鶴たちの帰り際も、電話に出ながらパソコンとタブレットを操作して、大いに忙しそうだった。
「今回の件では助かったわ。ありがとう」
智鶴は窓から視線を外すと、隣に座る杏銃と漢九郎に声を掛けた。因みに竜子と百目鬼は通路を跨いだ反対側の2人掛けに座っている。智鶴の席からはよく見えないが、うたた寝でもしているのだろうと思われた。
「監査の一環で付いて来たつもりだったが、まさかこんなことになるとはなあ」
「監査報告の日の吹雪会は荒れますよ、きっと。報告なんてちゃんと聞いて貰えるんですかね……。あ、資料も作らないとですね……」
2人とも予想外の事態に巻き込まれ、これからの対応に胃をキリキリ言わせている様だった。
「話は変わるんだけど」
智鶴は何と無い風を装って、まるで雑談する様に言葉を発した。
「2人の家にも伝承はあるでしょ? 現在に至るまでの歴史書とか、術の体系変化とかそういうの。もしも、もしもよ? それが全部嘘だったら、どう思うかしら?」
実際、雑談のつもりだったのかも知れないが、ふと切り出した話題は彼女が今一番根底に抱えている不安だった。最近不安なことが積み重なりすぎて、それはジェンガのように不安定になったり、逆に変な格好で安定したりしていた。
「そうだなぁ。考えたことも無いけど、俺は別にどうでも良いな。兄ちゃんに付き従うってもう決めてるしな。漢吉朗はすげえんだ。獺祭家の歴史上でも、習得した人の少ない術を扱って、それはもうかっけぇんだ。そんな兄ちゃんが纏める獺祭家の為なら、俺は人参でもピーマンでも食べる覚悟だぜ」
漢九郎は人参とピーマンが苦手の様だった。
「そっか……。杏銃は?」
「私ですか? そうですね……。そもそもウチは家自体の歴史はそんなに語り継がれていないんで、ピンときませんが、呪具作成記録書に嘘が書かれているとしたら、滅茶苦茶困りますね。それこそ、記録書が信じられなくなりますし、そうなれば何を寄る辺に呪具を作って良いのやら。オリジナルを作るにも、基盤となる積み重ねが必要ですから。でも、突然どうしたんです? ああ、それと智鶴様はどういう意見をお持ちで?」
「最近色々不安なことが多いじゃ無い? この間、倉で書物を読んでて、もしもこれが嘘でも、私はこの家に居たいのかなとか考えちゃって、でも、結局そんなことになっても私は紙操術を使う生き方しか知らないから、きっと何とか嚥下して理解あるフリをしちゃうのかなとか考えてたわ」
「ふふ、高校生らしいですね」
杏銃が急に姉のような表情で笑いかけてくるモノだから、智鶴は不意に恥ずかしくなって、耳を赤くした。
「な、何よ。それ……」
「私も智鶴様くらいの年の頃、そんな言うに言われぬ不安を抱えて、家出したんですよ」
「え、そうなの?」
「ええ、父は外に漏らしていないので、ここだけの話にしておいてくださいね。でもその時、私、こんな家捨ててやるとか息巻いていたくせに、作りかけの呪具を無意識で鞄に詰めてて。山の中の洞穴に入って、落ち着いてから無意識に取り出してて、そんな自分に気が付いたら、なんか笑えちゃいました。そうしたら、そんな悩みなんてどうでも良くて、早く家に帰って、ちゃんと制作の続きやりたいなぁって、結局一日も経たずに帰ったんです」
後半、自分で話していても堪えられなかったのか、笑い声を交えながら、そう語った。
「ああ、そう言えば俺もそんなことしたな。当時はまだ反抗期でな、兄ちゃんばかりみんなが褒めるもんだから、修行する意味が分からなくなって、家を飛び出したんだよ。でも、一番に見つけてくれたのは兄ちゃんだったんだ。大分遠いところまで行ったのに、迎えに来てくれた時は、なんか泣いちゃってな。俺は2番でいい、この人を支えられる術者になろうって、その時決めたんだよな」
誰も彼もが通りる道だったと聞いて、智鶴はフッと笑みを零した。まだどこか幼さの残る笑顔につられて、オトナの2人も笑顔を作った。
「なんか、その話聞いてたら、私も悩むのが馬鹿らしくなってきたわ。そうか、みんな通りる道なのね。はは」
「でも、なんだ。あの時に悩んでなかったら、俺は家を捨て、外に出ていたかもしれんし、もっと言えば呪術の道から外れていたかもしれん。まあ、今はいっぱい悩むと良いと思うぞ」
「そうですね。私もあの時に気が付けたから、今もこうして、まだまだ半人前ですけど、呪具を作り続けている訳ですし」
「……」
また智鶴が難しそうな顔をする。
「ああ、すまんすまん。困らせたな」「ごめんなさいね、困らせる気は無かったの」
2人が同時に取り繕う。
「あ、いやいや、違うのよ。なんかね、今を生きるしか無いんだなって思って。まあ、なるようになるわ。また悩んだらいっぱい考えて、そしていっぱい考えてる内に、良くも悪くも、事は進んでいくのよね」
「そうですね……」
それぞれが暫く感傷に浸って静かにしていたら、かすかに智鶴の口元から規則正しい寝息が聞こえてきた。
そんな彼女を見て、何となく過去の自分と彼女を重ねてしまう年長者2人は、それに倣って、先のことは先に考えるとして、今は仮眠を取るのを選んだ。
どうも。暴走紅茶です。
今週は長いのに、よう最後までお付き合い頂きまして、誠にありがとうございます。
後書きを書いている今、絶賛ポンポンペインの体調不良でして、もう寝ます。おやすみなさい。
では、来週も宜しくお願い致します。