8話 鬼気と危機と雪の屋敷
監査が始まって、2週間と少しがたった頃、智鶴が修行をしていると、屋敷に訪ずれる者があった。来訪者は門をくぐると、第一声に「魔術呪術管理局である」と大声を上げた。
道場に居た者らが、なんだなんだと声のするの方へ顔を向け、覗き込むと、丁度千羽家当主・千羽智喜が玄関から現れた所だった。
「これはこれは、魔呪局の役員殿。今日はどういったご用件で?」
グレーのスーツに身を包んだ女性役員が、眼鏡の居座りを正すと、訪問の旨を告げた。
「当主自らお出でくださり、ありがとうございます。こちらの屋敷、及び深夜の千羽町から、未登録の鬼気を検出しましたので、その調査に伺わせて頂きました」
大声を上げた女性は、当主が大人しく出てきた事で張っていた気を緩めたのだろうか、要件に続けて局員証を提示し、「魔術呪術管理局登録者管理部呪術者課の金城です」と名乗った。
「ああ、すっかり忘れとったわ。すまぬのう」
智喜は素直にペコリと頭を下げると、近くに居た門下生を呼びつけ、智鶴を連れてくるようにと指示を出した。
「立ち話も何じゃし、どうぞ中へ」
彼は客人を屋敷の中へと招くと、客間に通し、中央に備え付けられた机を挟んで、向かい合うように座った。
少しして、美代子がお茶を出して去るのと入れ替わりで、智鶴が入ってくる。
「こんにちは……」
魔呪局員が私に何のようなのかしらと、彼女は不安が隠せない様子だった。前にコビトや国外呪術使用の件でお世話になった事はあるが、それは既に解決したはず……と、脳内で理由を探るも、特にこれと言った解は見い出せなかった。
「こんにちは、智鶴さんですね。魔呪局の金城です。ご当主から事情は伺っております。今日突然お邪魔させて頂きましたのは、智鶴さんの鬼気が未登録だった為です。手続き自体はそんなに時間のかかるものではありませんので、お付き合いください」
「鬼気の登録? そんなルールがあるなんて知らなかったわ」
本当に知らなかった智鶴は、一驚を喫したようで、目玉を丸くしていた。
「まあ、そうですよね……。そもそも鬼気を発する術者など、魔術・呪術界全体を見ても一握りくらいですし、余り知られていないルールです」
「登録自体は勿論させて貰うけど、何でこんな手続きが必要になってくるの? 一応聞かせてほしいわ」
「それはですね、そうですね……。簡単に言いますと、鬼気が危険なものだからです。例えるなら、ガソリンなどの危険物を扱う際には相応の資格が必要ですよね? 鬼気の登録には試験などないので、ちょっと違いますが、イメージとしては同じです」
役員は智鶴の興味が続いているのを表情から判断すると、更に続きを話す。
「過去に、鬼気を扱う術者が暴走し、多くの犠牲が出た前例があります。また、鬼気を発する様な類いの妖は、観測され次第調査対象となり、余程善意が認められない限りは滅却対象となり得ます。そういった観点から魔術呪術管理局では、鬼気の登録・管理をする決まりになっています。……お分かり頂けましたか?」
「あ……ええ、そうね、私何気なく使っていたけど、そう言えば、危険なものを扱っていたのよね。忘れかけていたわ」
「ははは、常になってくると、尚のことですよね。分かります。ですが、慢心は足下を掬います。そのこと、忘れないでくださいね? では、登録の処理に移ります」
役員は住所、氏名などを書き込む登録用紙と、墨で手形が書かれた用紙と、2枚の用紙を机上に並べ、その片方とボールペンを智鶴に差し出した。
「先ず裏面に目を通して頂き、一番下の【同意する】にチェックを入れてから、太枠内に氏名・住所・呪術の系統など、必要事項をご記入ください」
「こっちは?」
智鶴は、墨で手形の書かれた用紙を指さして問いかけた。
「追ってご説明致します」
ああそうと智鶴は小さく呟くき、裏面を読む。そこには暴走の際滅却対象になることや、更新期日についてなどの事柄が、ヤケに難しく書いてあった。甲とか乙とか言わずに、太郎と花子で、説明してほしいものだわと思わずに居られなかったが、不満を顔に出さず、同意するにチェックを打つと、表の必要事項を埋めていく。
「これでいいかしら」
「大丈夫です。書き漏れはございませんよ」
目を通し確認すると、もう一方の用紙を智鶴の前に滑らせる。
「次は、先ほどからお気になされていました、こちらの用紙に移ります。先ずはこの手形の上に片手を置いてください。どちらでも構いませんが、利き手の方が間違いが無いです」
言われるがままに、智鶴は右手を紙の上に載せた。
「それでは、鬼気を右手に集中させてください」
「分かったわ。紙鬼回帰!」
智鶴が鬼の姿となり、その力を右手に移動させる。
「それでは、いきますよ~」
役員は左手で眼鏡の縁を持ち上げ、位置を正すと、素早く手印を組み替えながら、呪詛を唱えた。
「書き付け、記し、記録せよ! 救急如律令!」
救急如律令とは、陰陽師が呪符を扱う際に唱える起動句である。どうやらこの女性役員は陰陽師系の出身らしく、手形が書かれた登録用紙は呪符の一種だったようだ。
彼女の声に応じて、紙に組まれていた術式が効力を発揮する。手形の輪郭線の墨から、ストローの様な、だがその先が唇になっている管が大量に伸びると、智鶴の手に吸い付いた。
「うわっ。なんかゾクゾクするわ……これ……」
ひぃと顔を引きつらせる智鶴。チューチューと彼女の鬼気を吸い、必要量を接種すると、墨から伸びたストローが再び手型の輪郭に戻る。
「申し訳ございませんが、今暫く、その状態でお待ちください」
続いて手形はその形を崩し、蜘蛛の子を散らすように、ゾワゾワと蠢き、文字を形成していく。どうやら彼女の鬼気の特徴を記しているようだ。
「よし。お疲れ様でした、終わりです。もう手を離して頂いていいですよ」
術が完了したことを察知した役員は、終了を告げた
「う、うわ~。なんか気持ち悪かったわ。他の方法は無かったの!?」
「すみません。私はこの方法でしか記録が出来ませんので」
「そ、そうなの……」
恐る恐る智鶴が紙から手を離すと、墨で拓を取ったように、黒い手型がそこの中央にくっきりと残り、その周りにびっしりと文字が書き込まれていた。
「はい、これにて終了です。では、こちらの冊子とご協力の感謝に、記念のマジュ君ストラップをどうぞ」
役員は可愛い表紙の『鬼気について~危機感を持とう、あなたの能力~』という冊子と、魔呪局公式マスコットキャラクター『マジュくん』が護符を構える、なんとも言えない、ストラップを差し出した。
「あ、ありがとう……」
「いえ。因みに、この冊子には、鬼気が暴走してしまった際の事なども平易に書かれておりますので、一度はキチンと目を通してくださいね。では、私はこれにて」
「ああ、ご苦労じゃった」
「いえ、失礼します」
役員が去った客間で、その冊子をパラパラと捲ると、暴走したと思しき術者が首を刎ねられている挿絵が見え、ゾッとしてそっと閉じた。
智喜に連れられ、玄関まで来たところで、役員は「そうだった」と彼の方へ向き直る。
「雪ヶ(が)原さんから報告は受けてらっしゃいますか?」
「はて? 何の事じゃろうか」
「まだ調査中ですから、報告されていないのでしょうか? 万年雪が溶け始めているのです」
その言葉に、智喜の眉がピクリと動いた。
「万年雪が? じゃあ、雪見入道に何か?」
「それは目下調査中ですが、大事になれば依頼が行くと思いますので、その際はご協力を願います」
「勿論じゃ、どこの馬の骨と分からんが、ウチの領地で好き勝手されてたまるか」
「ありがとうございます。では、これにて」
大事にならねば良いが……という智喜の思いは泡沫に消え、三日も経たない内に、魔呪局からの依頼が入ったのだった。
*
「……と、言うわけで、私たちと杏銃と漢九郎の5人で任務に向かうわ」
平日まっただ中の今日、学校を休んだ智鶴たちは、屋敷の庭に集まっていた。
竜子と百目鬼を前にして、そう説明すると、後ろに居る杏銃と漢九郎が小さく会釈した。
「道すがら依頼内容の打ち合わせをするから、とりあえず行きましょう。バスの時間もあるし」
智鶴が先導してバスに乗り込み、清涼駅から新幹線で目的地、雪ヶ原家屋敷に向かう。途中で百目鬼の隣に居たサラリーマンが降り、空席になってから足下のペダルで席を回し、全員が向かい合うようにすると、打ち合わせを始める。
「みんな事前に話を聞いて、資料にも目を通してくれていると思うから、今からの打ち合わせは認識の擦り合わせといった所かしら」
皆が無言の内に首肯で返事したことを確認すると、「じゃあ、始めるわ」と智鶴は言葉を続けた。
「今向かっているのは雪ヶ原家の屋敷よ。雪ヶ原はウチの傘下で雪や氷の術、雪華術を使う一族ね。そこの管轄区内にある万年雪が溶け始めたから、その調査手伝いが今回のメイン業務よ」
「ちょっと待って」
竜子が手を挙げ、質問をする。
「一応その事は聞いてたけど、それだけだと魔呪局だけでやれる仕事なんじゃないの?」
「もっともな質問ね。私もそう思っておじいちゃんに聞いてみたんだけど、なんだか不穏な動きがあるみたいで、有事の際に魔呪局には戦闘向きの職員が少ないらしいから、こうして私たちが駆り出されたって訳よ」
「それは、分かった、けど、万年雪、溶けたっ、て?」
追加で百目鬼も質問を飛ばす。
「あ、えっと……」
キチンと頭に情報を入れてきた智鶴だったが、ど忘れしてしまったようで、右手に用意していたスマフォのカンペを漁っている内に、杏銃が横から質問の回答権を攫っていった。
「万年雪ってのはですね、雪見入道という指定登録妖が住み処とする山に起こる現象です。夏の暑さで解ける事はよくあることですが、資料を見た感じ、その面積が短期間に大きく縮小しているみたいですね。これは夏であるからと言って、看過できないのも分かります」
指定登録妖というのは、自然環境と密接に繋がり、消えること自体が生態系に影響を及ぼすなどの理由から、滅するのを禁じられている妖の事である。
「凄いのね」
杏銃の知識と、資料の読み込みに、驚きと尊敬の混ざった顔で目をぱちくりする智鶴。
「いえいえ。万年雪は昔、呪具に使える何かがある気がして調査した経験があっただけですし、雪見入道についても、その時に」
「いやいや、研究熱心なことは、そんな謙遜することじゃねえさ」
漢九郎がすかさずフォローを入れた。
「あ、そろそろ見えるんじゃないでしょうか」
杏銃が窓の外を眺めるに釣られて、皆そちらを向くが。
「……」
一同に沈黙が流れた。
「こりゃ、結構マズいかもなぁ」
資料よりもあからさまに縮小した万年雪と、漢九郎の言葉が、皆の心をズンと重くした。
*
「遠路はるばる、ようこそお出でくださりました」
雪ヶ原家当主、雪ヶ(が)原巴の娘、雪ヶ(が)原雫が玄関にて出迎えてくれた。
雫は青みがかった長い髪の毛と、透明感のある肌が特徴的で、夏らしい白のワンピースがとても良く映える少女だった。年の頃も15歳と、智鶴たちとそんなに変わらない。
「これはご丁寧に、どうもありがとう。私が千羽智鶴よ。そして後ろに居る4人が、前もって伝えてあった人員ね」
「はい。承知致しました」
「あなたとそれほど歳も変わらないメンバーだし、千羽と言っても私は、まだまだ一介の術者でしか無いわ。公的な場でもないし、そんなに畏まらないで」
「はい……」
シンと静まりかえった雪のように、繊細で、だが確固としてスッと耳になじむ声に、智鶴はそっと頬を綻ばせた。
「では、こっちです」
彼女の敬語自体は解けなかったが、それでも最初よりは幾分かフランクに、千羽一行を客間に案内した。
「ここで待っていてください。直ぐに母を呼んできます」
そう言って襖を開けて出て行った雫は、門下生がお茶を出すよりも早く、母を連れて戻ってきた。
「失礼」
部屋の外で声がしたかと思うと、それは開けられ、雪ヶ原家当主・雪ヶ原巴が入ってくる。
「智鶴様、杏銃様、漢九郎様と、同行のお二方。遠路はるばるこの地まで、我が管轄区内にて起こりました、不手際の処理にお出向き頂き、心より御礼申し上げます」
雪女が実在するのなら、このような見た目なのだろうなと、智鶴が思ったのも仕方が無い程、巴は『美人』という言葉が殊更似合う婦人であった。雫の年齢からして、もう左程若いとは思えないのだが、サラリとした髪といい、雫同様、透き通る様に白い肌。まだまだ20代で通じるような美貌を携えていると言っても、それはお世辞にならないだろう。
「いえいえ、ご丁寧にどうもありがとう」
智鶴が代表して、言葉を受け取った。
「では、儀礼はこの辺で、仕事の話をしようかね」
口調が急にお母さんのそれになった。
「……というのが現状だよ」
一通り話し終えた巴が、口を噤んだ。
「なるほど。雪見入道はまだ行方不明ってのが、一番気になるわ」
「そうだね、連れ去られたか、滅されたか……」
智鶴と竜子が話を聞いて思ったことを口にする。
「それは無いと思います」
だが、竜子の呟きを雫が制した。
「なんで?」
「万年雪が少しでも残っているからです。雪見入道があの山から居なくなったのなら、こんなにちまちまと溶けていく事は考えにくいです。もっと一気に消えることが予想されます」
「雫ちゃん、根拠はあるのかい?」
漢九郎が当然の質問をする。
「あるよ。他の山の話だけどね。雪見入道が居なくなった山は、万年雪が一晩の内に、すっかり消えた事例が観測されてるのさ」
雫でなく、巴がその答えを口にした。
「ってことは、まだあの山のどこかに居る可能性が高い訳ね」
「じゃあ、探さ、なきゃ」
「探すって言っても、なかなか見つけられるものでは無いですよ」
杏銃が否定するが、それを待っていましたとばかりに、百目鬼と竜子が色めき立つ。
「大丈夫。俺、そう、いうの、得意」
「私も。天と空を飛ばすよ」
「探査能力の高いのが来るとは聞いてたけど、頼もしいねえ。じゃあ、この後直ぐに行こうかね」
「え、でももう暗くて……」
巴の提案に、智鶴が不満のある声を出す。
「いやいや、確かに今日は移動で疲れているとは思うけどね、事は一刻を争う上に、妖を探すなら、夜の方が良いとは思わないかい?」
その言葉に、全員がやれやれと、自分らの職種を恨むように立ち上がった。
どうも。暴走紅茶です。
今週もお読みくださりありがとうございます。
どんどん暑くなりますね。まあ、未だに長袖のパーカーを仕舞えずに居るんですが……。皆さんの所も暑くなってきてますか? お体には気をつけてくださいね。あ~~万年雪に行って涼みてぇ。
ではまた来週。